Insanity (狂気の沙汰)(2/7)PDFで表示縦書き表示RDF


Insanity (狂気の沙汰)
作:絵爾久万



2)


次の日の朝は、出掛ける前にしっかりと状況確認した。
 いつもと同じようにテーブルの上には化粧品の類や飲みかけのコーヒーカップ、トーストの食べカスが散乱している。おまけに今日は床にダンボール箱が散らばっている。
「よし!確認オッケー!」
 私は声に出して言った。
 家を出た。
 バスに乗った。
 今日こそ電車は遅れてないだろう。昨日の今日だ。

 しかし、遅れていた。

 私は国分寺から私鉄に乗り換え、馬場から地下鉄に乗り、御茶ノ水乗り換えで千代田線に乗り、都心を迂回し、松戸から常磐線に乗り、日暮里で山の手線に乗換え、新宿駅西口右から3番目の改札を通り抜けた。
 会社に着いた時、ちょうど午後の始業のベルが鳴った。

「なにも、そんなに無理して来なくたってよかったのに」
 チョコレートでべっとりコーティングされたドーナツを頬張りながら、課長が言った。
 机の上には弁当類の空箱が散乱していた。

「無理したわけじゃないんです」
 私は言った。

「やはり、天丼は丼屋のが一番だよ。海老も大きいし、衣も厚い。なんてったってタレが濃厚で最高なんだよなあ。飯の下までしっかりタレが染みてやがる。たまんねえや!」
「はあ・・・」

 課長が大きなゲップをしたので、私は急いで席に着いた。
 その日の仕事は爪の手入れと、USBジャックにipodを繋いで充電するだけにした。充電を不正終了させたので、"このまま終了させるとシステムが破壊される恐れあり"のワーニングが表示された。
 私は迷わずOKボタンをクリックした。ネットに繋がらなくなってしまった。アップル社とマイクロソフト社がCPUの中で牽制でしあっているに違いない。明日システム部に連絡して直してもらおう。
 しかし、ネットに繋がらないのでは仕事はできない。気分も悪かったのでその日は早退することにした。

「ゆっくり休みなさい。無理しなくていいんだよ。きちんと食事をしなきゃいけないよ。忘れがちだが、人間の身体は食べ物からできているんだ。基本を忘れちゃいけないよ。今の若者はなあ・・・」
 課長がトリプル・ロッキー・ロードをベロベロ舐めながら言った。口の周りが茶色に染まっていた。私は話しの途中で失礼した。

 早く帰ってゆっくり家で休もうと思ったのに、運の悪いことにまたまた、線路内不審者進入で山手線は前面ストップしていた。
 これはゲームか?どこまで私を挑発するのか。しょうがない、また迂回だ。私は湘南新宿高崎ラインで熊谷迄行き、秩父鉄道に乗り換え寄居で降りた。そこから八高線に乗り換え、拝島から西武鉄道に乗り換えた。
 長い旅だった。疲れ果てていた。

 玄関のドアの前に立ち、鍵を開ける前に、今朝出て来た時の部屋の情景を思い出した。細部までよく記憶していた。

 ドアを開けた。
 いつもと様子が違っていた。
 靴がない。玄関に散乱していた、ブーツやパンプスが見事に靴箱の中に片付いていた。
 廊下に散らばっていた、靴下や雑誌の類も見あたらない。テーブルの上も見事に片付けられ、食器もすべて洗われ水切り棚の上に片付いている。食べこぼしのパンくずも落ちていない。
 昨日と同じだ。しかも、今日は玄関迄。いったい誰が私の部屋を勝手に掃除しているのだ。鍵を開け、ご丁寧に戸締り迄して行く。

 何のため?
 ストーカー?この部屋の鍵は私しか持っていない。達也にだって渡した覚えはない。もちろん、それ以外の人間にも。
 なんだか寒気がした。
 今こうしている間も、誰かがどこかで私を見張っているかもしれない。突然私は言いようのない恐怖感に襲われた。身体が硬直し動けなくなった。

 部屋中のあちこちで、ミシミシときしむ音がする。バリッと何かが剥がれるようなラップ音がする。目に見えない何者かがいる。確かにこの部屋のどこかにいる。

 誰かが・・・・どこからか・・・・今も・・・この部屋の・・・
 どこかに・・・・潜んでジッと・・・・私を見つめている・・・・・

 クローゼットの扉が少し開いていた。わずか2センチほどのすき間から何者かがこちらをのぞいている。

「誰?…」

 返事はない。
 私はゆっくりとクローゼットに近付き、もう一度言った。
「そこに隠れているのは誰?」
 返事の代わりに、中で何かが動くような音がした。
 私はドアを一気に開けた。
 誰もいない。
 黄色い花柄のワンピースが一枚、ハンガーから外れ、床に落ちていた。達也が買ってくれたフェラオのものだ。自分では絶対買わない高級品。
 私はハンガーに吊るされた衣類を、次から次へと取り外し、クローゼットの中に頭を突っ込み、隅から隅まで中に隠れている何者かを探した。
 しかし、そこには靴箱や衣装ケースが積み重ねられているだけだった。
 
 私はクローゼットの側面や、奥の壁を押してみた。外れそうな箇所は見つからなかった。今度は椅子を持ち出して来て、その上に立ち天井の張り板を隈なく調べた。どこも天井板の外れそうな所はなかった。得体のしれない何者かは、ドアを開けた瞬間に私の足の間を擦り抜け、逃げて行ったに違いなかった。

 いったいどこに・・・・

 クローゼットのドアは全開にしたまま、今度は部屋の中を見まわした。最初に、ベッドの下をのぞき込んだ。瞬間、何か影のようなものが、素早い動作で横に移動したように見えた。

 しまった。
 また逃げられてしまった。風呂場の方でガタンと物音がした。私は急いで風呂場に走り、ドアを開けた。
 重ねた洗面器が崩れていた。白いモヤモヤしたものが、私の足元を擦り抜けて行ったような気がした。

 今度は私をからかうかのように、ベランダの方でカサカサ物音がした。私は急いで窓を開け、ベランダを確認した。ゴミの袋が風でカサカサ揺れていた。私は袋の口をしっかりと結び直した。

 右手首に異様な感触を覚えた。手首を見てゾッとした。背中から冷たい嫌な汗が流れた。
 暗がりの中で目を凝らして見ると、右手首にカエルが1匹へばり付いていた。腕を振ってカエルを振り払おうと思ったが、ぴったりしがみついて離れない。
 私は、右腕をベランダの柵の外側に出して、カエルを壁に叩きつけた。

 グワッ!
 カエルはしつこくへばり付いていたが、やがて力尽きて落ちて行った。後から右手首を見ると、そこに紫色の痣が出来ていた。
 
 
 ピンポーン♪

 突然インターフォンのベルが鳴った。時計を見るとすでに夜中の12時を回っていた。 
 












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