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紅蓮の瞳
作:ほーじ茶


■序章


「双子!?」
 夜の屋敷に、驚愕に満ちた声が響いた。
 驚いたのは、名門の忍の家系である【風牙流】の長【白銀 源十朗】だ。
 先日結婚した娘が、1年かけてやっと妊娠し、遂に今日になって産まれたという報告を受けた。
 しかし、それは双子だった。
「馬鹿な……私の娘に限って……」
 長は、やりきれないといった表情で、がっくりと項垂れてしまう。
 古来より、双子は忌み嫌われていた。
 人は、一つの母胎から一人しか生み出されないという風習があった。それを一度に二人を産むなど動物と一緒だ、などとさえ言われ続けてきたのだ。
さらには、双子の片方は鬼の化身だという言い伝えもあったほどで、それほど双子という存在は悪い捉え方をされていた。
「いかがなさいますか?」
 報告にきた助産婦は、訊きづらくも今後の処置を尋ねた。
「……私が娘に直に話そう」
「かしこまりました……」
 助産婦は、深々と礼をしてから足早に部屋から立ち去った。
 長は、ただ呆然と空を見上げた。
 そして、物語は16年後に始まる。















■第1章


 月明かりすらもない暗闇の夜。
 ある土地の大名の屋敷の一室に明かりがついていた。ただ、その明かりは弱く、
ほんのわずかな明かりであった。
 大名は、今は女と戯れている。部屋からは、男と女が交わる音と嬌声だけが聞こえる。
 そんな様子を見下ろしている者が一人いた。
 天井裏から、わずかに開いた隙間、そこから覗く紅蓮の瞳。
静那しずな
【忍】と呼ばれる者だ。
 黒色の衣装を全身に纏い、黒色の手ぬぐいで口元を隠している。黒頭巾からわずかに覗く短髪は、赤茶色だ。美麗な容姿は、若さと女らしさを兼ね揃えていた。
「……」
 大名と女の戯れは続いていた。だが、もうすぐ絶頂を迎える。
静那は、顔色一つ変えずに、男女の戯れの一挙一動を見続けていた。
 そして、しばらくすると、両者が絶頂を迎えるのを確認する。
 その瞬間、静那は天井の板を一気にズラし、部屋に降り立つ。その動きは、非常にしなやかで、着地の音すらも限りなく無音に近い。
 静那の行動は、早かった。
 瞬時に、大名の背後に近づき、手に握った刀を首に突き刺す。銀色の刃は、容易く喉を貫通し、薄汚れた血を吸う。
「!」
 あまりに一瞬の出来事に、女のほうは悲鳴を上げることすらも適わずに、ただ驚愕に身を震わせているだけだった。
「あなたは関係ないけど……」
 静那は、容赦なく大名から抜いた刀を横薙ぎに振るい、女の首を撥ね飛ばす。
「……ごめんなさい」
 静那の表情が一瞬だけ暗くなったが、すぐに忍としての顔になる。
 任務の達成を確認すると、静那は再び天井裏へと飛び上がり、素早く身を隠す。
 天井裏は暗いが、忍と呼ばれる者達からすれば、何ら支障はない。素早く周囲の気配を察知し、屋敷の人間と遭遇しない道順を導き出せる。
 任務を瞬時に達成し、誰にも見つかることなく姿を暗ます。
 忍とは、時代の表舞台に立つことなく、影の存在として世を支えている者達の事を示す。
 この物語も、決して表舞台で語られることのない影の話。





 翌日の昼頃、静那は自宅で眠っていた。
 静かな寝息をたてながら、昨晩の任務の疲れを癒していく。
 だが、ふいに彼女の寝息が止まる。
 何者かが、足音を消して近づいてくる気配を察知したのだ。
 距離は徐々に縮まっていく。
 そして、静那の小太刀の間合いまで接近してくるのを確認した瞬間、
「!」
 布団を跳ね飛ばし、侵入者の首筋に小太刀を向ける。
 侵入者は、切れ長で鋭利な刃物のような瞳が印象的な長身の男だった。細身に見える外見は、余分な脂肪を全て削ぎ落とした結果に生まれた肉体だ。長く伸びた黒髪は、後頭部のあたりで結ばれている。
「【蜻蛉かげろう】……」
「……なかなか反応が良くなってきたな」
 静那は、仲間だと確認すると、ため息まじりに刀を納める。そして、キッと蜻蛉を鋭く睨みつける。
「無言で部屋に入ってこないようにしてと、前にも言ったわよ?」
「こちらの方が効率が良い。寝込みを襲われない訓練にもなる」
 特に詫びることなく、蜻蛉は当然のように言ってのけた。
「いくらあなたが、くノ一の監視役だからといって、その考えはどうかと思うわ」
 くノ一と呼ばれる者達には、必ず監視役の忍者が就いていた。
籠絡するべき相手に真剣に惚れ込んだり、裏切ったりするなどの危険性がくノ一には存在したからだ。
その為に、日頃からの監視が必要になり、裏切るような事態になれば、すぐに殺せるように日頃から身近に存在している。
 その監視役が、蜻蛉ということだ。
 静那にとっては、子供の頃、蜻蛉に拾われてから、まるで兄のように慕ってきた人物だが――二人のやり取りから、それを察するのは難しいが――たまに、覗かせる無神経な蜻蛉の行動が唯一の欠点だった。
 捨て子であったのを拾ってくれたことには、静那も感謝している。
 しかし、もう少し気を遣って欲しいと昔から思っていた。
「で、何の用?」
「長が呼んでいる」
 それだけ言うと、蜻蛉はすぐに部屋を立ち去ってしまう。
 忍者としては一流だが、人とのコミュニケーションは三流以下だな、と静那は思いながら忍装束に袖を通していった。
 そして、いつも肌身離さずぶら下げている、虎が描かれた首飾りがある事を確認し家を出た。

 家の外に出ると、快晴の青い空と、ほのかな梅の香りが鼻腔をくすぐった。
 ここは、静那の住んでいる里で、奈国の領土の中に存在している。
 忍の里ということもあり、山奥に存在している上に外からの進入はほとんど禁止されている。
 決して、表舞台に立ってはいけないのが忍なのだ。
「行くぞ」
「わかってるわ」
 外で待っていた蜻蛉に声をかけられ、静那は適当に相槌をうって、長の家に向かった。
「昨晩の任務から眠れたか?」
「ええ、寝起きはあんまり良くないけど」
 微かに嫌味を込めて言ってやった。
「そうか。眠れたのなら良い」
 と、それだけ。
 端から見れば素っ気無い印象を受けるが、静那には伝わった。
 心配してくれたんだな、と。
 なんだかんだ言っても、やはり兄みたいな者なのだ、蜻蛉という人物は。
 故に、静那も信頼している。
 おたがい正直な感情を表に出さないながらも、支えあっている関係。
 二人を言い表すなら、それが一番しっくりくる。

 少し歩くと、すぐに長の住居に辿り着いた。
「長、静那を連れて参りました」
 入るなり、蜻蛉はすぐに膝をつき、頭を下げる。
 静那も、それに続く。
「ごくろうだった。では、楽にして良いぞ」
 重みのある声色と、威厳のある言葉に、二人は粗相のないように慎重に頭を上げ正座する。
 そこには、老いを感じさせるものの、他を圧倒するほどの迫力と威厳を持った老人がいる。
 この老人こそが、この忍の里の長【鉄 源蔵くろがね げんぞう】だ。
「招致に応じて参りました」
「うむ……」
 長の住居に呼ばれたということは、次の任務が与えられるということだ。
 そして、その任務は非常に危険なものという意味も含まれている。
 それに加えて、今回の源蔵の表情は、いつにも増して険しい。
「国から直に命が下った。【京国】の【珠黄ずおう】という土地を治めている大名の暗殺じゃ」
 暗殺任務。
 それ自体は、何てことはない普通の任務だ。
 しかし、問題は場所だった。
「珠黄と言えば、忍の里がある……」
「そうじゃ。故に、儂も悩んだ」
 忍の里がある土地ということは、極端に言ってしまえば、忍の巣窟のようなものだ。
 そのような地での暗殺任務などそう簡単にいくはずがない。
「じゃが、国からの命令。断るわけにもいかぬということで、儂は静那を選んだ」
「私を……」
 何故、自分が?
 少し戸惑いのような反応を静那は見せた。
 蜻蛉は、ただ黙って話を聞いているだけだ。
「静那、お主自身は気づいておらぬかもしれぬが、お主はこの里の中で最も信頼できる実力を持っておる。だから、儂は選んだのじゃ」
「……」
 静那の表情が困惑の色を浮かべた。
 自分の実力が認められ、大任を任されたことには素直に喜ばしいと感じている。
 しかし、今まで自分が成し遂げてきた任務より遥かに危険の度合いが違う。
 どうするか、と悩んでいた時、そっと肩に優しく手を乗せられた。
「蜻蛉……」
 手は、蜻蛉のものであった。
 彼は、特に何も言わずに、ただ意志のこもった瞳で静那を見つめ、力強く頷いた。
 行け、という意味だろう。
「……承知致しました。このような大任を授けていただき誠に感謝しております」
「すまない……」
 心から申し訳ないと思いながら、源蔵は静かに言った。
「では、行って参ります。出発は、今日の夕刻です」
「無事を祈る」
 源蔵を少しでも心配させないために、静那は何とか平静を保ちながらその場を立ち去った。



「……恨んでいるか?」
 帰路の途中で、蜻蛉が訊ねてきた。
 さっき、任務を受けるように薦めたのは蜻蛉だったためか、どこか申し訳なさそうな感じが伺える。
「別に……むしろ背中を押してくれたことに感謝してるわ」
「そうか……」
 どこか安堵したかのような感じがしたが、あまり感情を表に出すような人物ではないためよくわからなかった。
「最初、俺も悩んだ。別に無理して引き受けるような任務じゃないとさえも思った」
「でも、長も必死になって悩んで、そうした上で私を選んでくれた。だから、私は少しも後悔していないわ」
 少し嘘だった。
 やはり、少し怖いと感じる部分がある。
 確かに自分は忍であり、命は自分が仕える者の為に投げ出す覚悟で任務についている。
 そういう面で、恐怖を感じるということは、まだまだ未熟ということなのだろうか。
 などと、静那が考えていると、ふわりと優しく身を包まれた。
「蜻蛉……?」
 後ろから蜻蛉が優しく抱いてくれたのだ。
「お前は、俺が守る」
 ふいにかけられた強い意志のこもった言葉。
 耳元でそっと囁くように言って、蜻蛉は体を離した。
 そして、何事もなかったかのように、先へと歩いて行ってしまう。
 あまりに突然の出来事に、静那は呆然とその場に立っていた。
「……ありがとう」
 さっきまでのわずかな恐怖が、どこかに消え去っていた。
 そうだ、自分には信頼できる者がいたのだ。だから、何も恐れずに前へ進めるのだと。
 静那は、心の中で意気込み、急いで蜻蛉を追いかけた。

 夕刻になって二人は出発した。





■第2章

 奈国と京国の距離は、だいたい徒歩で二日から三日という道のりだった。
 その道中に、少し険しい山道があるだけで、それ以外は順調に進めるものであり、ほぼ予定通りに旅は進んだ。 
 山道の中間に差し掛かったところで陽が落ちた。
「今日は、このへんで野宿にしましょう。夜道には慣れているけど、危険には変わりないわ」
「そうだな」
 そうして、二人はすぐに野宿の支度を始める。
 道中で、薪などは集めていため、すぐに火も起こせた。
「今のところは、何も問題ないわね」
「そうだな」
 返答は、やはり素っ気ない。
 それを理解している静那は、何も文句を言わずに食事の支度を始める。
 その時だ。
「だ、誰かーーーっ!」
 悲鳴だ。
 そして、かなり近い。
「……」
 しかし、静那たちは助けようとは思わなかった。
 忍は、任務を確実に達成させるために、己に関係ない事には一切関与してはならないのだ。
 なにより、自分の命を大切にしなければならない。そして、敵に捕まったらすぐに自害するのも常識だ。
 だが、そうも言ってはいられない状況になってしまった。
 突然、一人の少女が静那たちの方に飛び込んできたのだ。火があったから、いい目印となってしまったのだろう。
「た、助けて!」
 黒髪の短髪が印象的な少女だった。背中には重そうな荷物が積まれている。
「蜻蛉!」
「この少女は任せておけ」
 静那の言いたいことをすぐに汲み取り、頷いた。
 それに静那は頷き返し、少女を追いかけてきた者達の方へと向かった。
「山賊ね」
 夜目が利く静那は、すぐに相手の姿や様子などを把握する。
 強面で髭や髪を下品に伸ばした男が三人。手には、刃こぼれした斧を握っていた。
 姿を見られる前に、終わらせる!
 静那は、一陣の風となって、瞬時に間合いを詰めていく。
 そして、気配を完全に殺しながら、山賊の脇を通り過ぎ、すれ違いざまに一人の頚動脈を切り裂き、吹き上がる血液の中に溺れさせた。
「なんだ!?」
 突然、仲間がやられた事に、他の二人は驚愕し足を止めてしまう。
 静那の足は止まらない。
 素早く山賊の方に方向転換し、二本の小太刀を両手に構える。
 漆黒の風と化した静那は、二人の目に写ることはなかった。高速とも言える速度で二人の間に滑り込んだ静那は、両手に握った刀を同時に振った。
 二迅の剣閃は、山賊の首を跳ね飛ばし、血しぶきを舞い上げる。
 瞬く間に、静寂な夜に死体が三つも転がった。
 かなり手早く倒した為、おそらく周辺には悟られていないはず。
「もう心配ないわ」
 蜻蛉と少女に、終わりを報せる。
 それにしても、思わぬ事態であった。
 本来ならば、助けてはいけないものであったはず。任務に関係ないからだ。
 しかし、あのままでは、山賊たちは自分達の方に向かってきた。つまり、どのみちは戦うことになっていたのだ。不測の事態というべきか。
「ありがと……」
「で、なぜ追われていた?」
 どういたしまして、という一言もなく、蜻蛉は少女に訊ねた。
 だが、静那もそう思った。
 こんな夜道を、たった一人で歩くなど普通はしない。
「実は……道に迷ってしまって、そうしたら陽が暮れてしまって、山賊に見つかってしまって……」
「……」
 追いかけられていたので、気が動転しているのか、少しまとまりのない言葉だった。
 蜻蛉は、少女をじっと見つめた。
 少女は薬売りのようだ。荷物の中を見たわけではないが、薬品の匂いをわずかに漂わせていたからわかる。
「こんな険しい山道を一人で歩くという考え自体が愚考ね」
「反省してます……」
 申し訳なさそうに少女は、消え入りそうな声で頷く。
「蜻蛉、とにかく交代で見張りましょう。朝になったら、京国に連れていくしかないわ」
「え、連れていってくれるのですか?」
「勘違いしないで」
 期待に満ちた少女の反応に、静那はぴしゃりと言い放つ。
「別に、あなたをここに見捨てても構わないのよ。いわば、一種の情けね。だから、あなたがおかしなマネをしないように監視させてもらうわ」
 とりあえず、町に連れて行けば宿があるから、という単純な発想からきたものだが、それで問題はないはず。
 もちろん、この少女を信用しているわけではない。
「ありがとうございます!」
「……優しいんだな」
 蜻蛉は、感じたままの感想を述べた。
 少女の方は、すっかり安心しきったのか、
「私、【菊代きくよ】です。各地で薬を売り歩いているところです」
「そうか」
 どうやら、根は明るい子らしく、訊いてもいない自己紹介までもしていた。
 その晩、菊代と食事をし、眠りについた菊代を交代で見張りながら夜を過ごすことになった。



 深夜、まだ交代の時間ではないのに、静那は目を覚ました。
「……どうした?」
「ごめん、ずっと考え事をしていたら眠れなくて」
 静那は、荷物の中から水筒を取り出し、一口だけ水を喉に流し込む。
 考え事とは、静那自身の事である。
「私……甘いのかな? 非情になりきれていないみたい。こんな子まで助けて……」
「そうだな」
 一切の躊躇いもなく、蜻蛉は静那に言い放つ。
「お前は、昔から優しい娘だった。確かに実力はあるし、任務は確実にこなす。忍として、人を殺す時も確実に殺せる」
 薪を火に放り込みながら、淡々と言葉を並べていく。
 蜻蛉の表情は、相変わらず何も感じさせない無表情なものであった。 
「だが、忍は非情になり、任務を遂行することだけ考えていればいいんだ。そういう面では、優しさを持っているぶん未熟だな」
 忍としての厳しい現実。
 任務の間は、人らしい感情を可能な限り抹消し、いわば人形の如く人を殺したりしなければならない。
 蜻蛉の言いたいことがまさにソレだった。
静那は、彼の言葉一つ一つが、重く心にのしかかって申し訳なさそうな顔になる。
 しかし、ここで蜻蛉は微かに笑みを浮かべ、
「とはいえ、俺は静那みたいな忍がいても良いと思っている」
「え?」
 ふいに蜻蛉の手が、静那の頭に乗せられた。
「何も気にするな、そういう優しい面も全てひっくるめて、長はお前を選んだんだ」
 と、最後にそう言うと、また立ち上がり見張りに戻った。
「……ありがとう」
 呟くような感謝の言葉。
 聞こえていないかもしれない。
 ただ、言えれば良かった。
 少し気分が楽になったのか、静那はその後、静かに寝息をたてて眠りにつく。

 それ以降、蜻蛉は静那と見張りの交代をすることなく、そのまま朝を迎えた。

 翌日の夕方になって、珠黄の土地に辿り着いた。
「じゃあ、私たちが同行できるのは、ここまでね」
「え、もうお別れですか?」
「そうよ、あとは適当に宿でも見つけて、自力で帰りなさい」
 どこか寂しそうな菊代だったが、さすがにここで別れなければ任務に支障が出るし、何より危険だ。
「じゃあ……私はこれで。助けてくれて、ありがとうございました」
「ええ」
 最後に、ペコリとお辞儀をしてから、菊代は町の中へと入っていった。
「では、俺たちも行くぞ」
 二人は、別の入り口から大名の屋敷へと近づいていった。



◆◆幕間(16年前)◆◆


「お父様……今、なんと?」
「……仕方ないのじゃ」
 雨が降り始めた。
 屋敷の中庭は、すぐに水浸しになり、岩や屋根を打つ雨の音が静寂の中で響いた。
 父親の言葉に、ただ呆然としている女は、双子の子を産んでしまった女【琉璃るり】だ。
 長く艶のある黒髪と穏やかな雰囲気が特徴的な若い女だ。
 父である源十朗は重々しい表情で、もう一度だけ残酷な言葉を並べる。
「その子たちを捨ててくるか、ここで殺す……それしかない」
「そんな……」
 琉璃は、二人の子を見つめながら、涙を流した。
 手放す以外に道はない。
 そんな残酷な選択肢に、琉璃と源十朗は苦悩し続けた。


「元気でね、神楽……」
 一人の部下に抱きかかえられている神楽に、琉璃はそっと優しく触れた。
 結局、殺すことは出来ずに、捨てることになってしまった。
 もちろん、鬼の子と呼ばれるかもしれぬ子供たちを世に離すことは危険かもしれない。
 だが、琉璃に子供の死などという現実を見せたくないという源十朗の情けによる選択だ。
「そうだ、神楽と静那に……」
 母親は、懐から二つの首飾りを出した。
 二つに割れた木彫り細工だ。それぞれに、丈夫な紐が通されている。
「神楽、あなたにはこれ」
 神楽の首に、龍が描かれた首飾りが下げられた。
「元気でね……」
 琉璃は、涙を必死に堪えながら手を振り、笑う。
 そして、召し使いは深々と一礼してから、神楽を連れて去っていった。
「……行っちゃったね」
 琉璃は、静那を抱きしめながら、さびしそうに呟く。
「あなたもお別れね」
 そう言いながら、琉璃は神楽に提げた首飾りと同じ物を提げた。
 静那の方に提げられた物には、虎の絵が描かれている。
「ごめんね……」
 堪えきれなくなったのか、琉璃は溜まっていた涙を溢れさせながら、静那の頬を撫でる。
 無邪気に笑う静那の顔が愛おしくもあり、より強く琉璃の心に傷跡を残した。





■第3章

 静那たちが、ちょうど珠黄の地に辿り着いた時と、ほぼ同時刻。
 珠黄の大名屋敷に、文書を咥えた一羽のカラスが飛んできた。
「……【むじな】からの報告です」
「おお、早速きたか」
 カラスは、大名の側近である忍の肩で羽を休め、口に咥えた文書を差し出してきた。
 忍は、文書を開き、そこに書かれた内容を読んでいく。
「【神楽かぐら】、何と書いてある?」
 神楽と呼ばれた忍は、大名の側近であり、くノ一でもあった。
 珠黄に存在する忍の里の中でも、他を圧倒するほどの才能と実力に恵まれ、若干16という年齢で大名の側近として選ばれた者だ。
 銀色の髪を肩まで伸ばし、炎のような紅蓮の瞳が彼女の象徴でもあった。
 感情らしい者は表から窺うことはできない。
 だが、とある一行を読むと、口元の手ぬぐいの中で薄く笑みを浮かべた。
 表には出さない。
 全てを読み終えた神楽は、内容を大名に伝える。
「どうやら、【座弦ざげん】様の命を狙う輩が……」
「ふん、どうせ奈国の送りつけた忍じゃろ」
 座弦は、残った酒を一気に喉に流し込み、隣で立っている神楽を見上げる。
「儂は、捨て子であるお主の才能を一瞬で見抜いた。お主は、まさに完成された忍であり最強の存在なのじゃ。忍でお主に勝てる者などおらぬ」
「お褒めの言葉、感謝致します」
 自分を拾って育ててくれた座弦に、神楽は絶対の忠誠を誓っている。
 ――嘘だ――
 本当は、忠誠など誓っていない。あくまで座弦に仕えているのは目的の為の手段だ。
 神楽は、物心ついた頃には刀を握っており、十才になると同時に人を殺すようになっていたのも記憶している。
 そして、その頃から気づき始めたことがあった。
 神楽は、身に付けている首飾りに視線をうつした。
 半分に割ってある木彫り細工だ。神楽のものには、龍が描かれている。
 だが、その首飾りを良く見てみると、何やら別の獣の足が描かれている事に気づいたのだ。
 そう、神楽には片割れが存在する。
 そして、その片割れが今晩、自分の目の前に現れる。
 ――木彫りの首飾りを下げた16才程度の忍――
 ムジナからきた手紙のその一行だけを神楽は、何度も頭の中で反芻した。





 空には、厚い雲がかかっていた。
 月明かりも届かないため、夜は深い闇に包まれている。
 忍にとっては、絶好の機会である。
 二人は、屋敷の壁を音もなく登り、周囲の様子を慎重に伺う。
 大名・座弦の寝室などは、屋敷の見取り図で確認した。若干、静那たちの場所より離れた場所に位置しているが、さほど問題にはならない。
「いきましょう」
 静那は、周囲に人の気配が無いのを確認すると、素早く壁を飛び降り、屋敷の裏口を目指した。
 途中、見回りの者がいたが、何とか見つからずに屋敷の内部に入る事に成功する。
「どうやら上手くいったようだな」
「そうみたいね」
 屋敷の中は、ほとんどの明かりが消えており、内部の人間はほとんど眠っているようだ。
 おそらく、起きているのは、見張りが数人といったところだろう。
 何も問題ない。
 忍の数が気になるところだが、情報が揃っていない現状では考えるだけ無駄である。
 とりあえず、先に進もう。
 二人は、気配を殺しながら見張りなどに見つからぬように、座弦の部屋を目指した。
 そして、しばらく歩いたとき、静那は妙な事に気づいた。
「変ね……」
「なんだ?」
 見取り図を広げ、静那は首を傾げた。
「!」
 少し長くその見取り図を眺め続けた後、静那の表情が驚愕に歪んだ。
「誘導されてる……」
 道順は、確かに合っている。このまま進めば、すぐに座弦の部屋に着くだろう。
 しかし、回り道も全くしないで、こんなに順調に進めることなどあるのだろうか?
 そう考えていた時だった。
「静那!」
 突如、蜻蛉が静那の前方に立ち、上空から飛んできた何かを跳ね返した。
 宙を舞っているソレは、黒色に鈍く輝く刃を持っている。
 手裏剣だ。
「思っていたより到着が早かったですね」
 声は、天井からだった。
 天井を見上げると板がずれ、そこから一人の忍が降りてきた。
 小柄な体……というより子供そのものである。紫色の忍装束を全身に纏った少女だ。
「お前は……」
 二人は、少女の外見を見て驚く。
「やはり、京国の忍は低能ですね。子供だからって、敵のネズミに気づかないなんて」
「菊代……あなた……」
 目の前に立ちはだかっているのは、つい先日に助けたばかりの薬売りの少女だった。
 やはり、殺しておくべきだったのか、と静那は心の中で呟く。
 必死に怒りを堪えながら、平静を保とうとしていた。だが、この怒りは菊代に向けたものではない。
 ネズミに気づかなかった自分に腹が立っているのだ。
 だが、それをあざ笑うかのように菊代は、
「私は、菊代ではありません。私は、ムジナ。あなたたちみたいに、単純でお人よしな敵を騙して殺すのが大好きなのですよ」
 楽しげに言葉を並べながら、ムジナと名乗った少女は、武器を構えた。
 巨大な鋼鉄の爪だ。
「静那……」
「なに?」
 そう問い返した時、蜻蛉は何も言わずにムジナに立ちはだかった。
「行け!」
「!?」
 ムジナの爪を刀で捌きながら、静那に叫んだ。
 一人で行け、ということなのか。
「……うん」
 ここで迷ったら蜻蛉に迷惑をかけてしまう。
 静那は、二人の脇を素早く駆け抜け、座弦の部屋を目指した。
「本当に行かせてよかったのですか?」
「……」
 おたがい武器を弾き合い、間合いを離す。
 ムジナの表情は、やはり楽しげだ。殺し合いをしているとは思えない。
「私は、あなた達が来ると報告しています。何も準備していないと思いますか?」
 わざと誘導するように見張りを配置し、罠を仕掛けた部屋に向かうようにする。
 これが、ムジナの狙いだった。
「彼女、死にますよ。そして、あなたも……」
「御託はいい。始めるぞ」
 蜻蛉は、刀を構えた。
「……つまらない人ですこと」
 退屈そうに、ムジナも巨大な爪を構える。
 刹那、二人の忍は、火花を散らせながら激突した。





「各員、配置につきました!」
「そうか、後はネズミが罠にかかるのを待ち構えているのじゃ」
 大名を護る者の指揮官が、座弦に報告を済ませると、それぞれは持ち場についた。
 座弦の部屋の目の前には中庭がある。
 進入してきた忍が、この部屋に近づいた瞬間に、中庭などにひそんだ者達が一斉で襲い掛かるというものだ。
 実に、大掛かりで面倒な作戦だと神楽は心の中でため息をつく。
 それにしても、たかが忍一人のために、この作戦だ。ムジナの発言を疑っていたわけではないが、それほどの相手なのだろう。
 とはいえ、今回の作戦に神楽は無関心だ。
 今まで座弦を狙う輩は、いくらでもいた。凄腕と噂されていた者もいた。
 しかし、それでも神楽の相手ではなかったのだ。
 その今までの経歴から考えても、こんな作戦は無意味だと思うのも無理は無い。
 座弦に近づく者は自分が殺せばいい。
 それに加えて、神楽が今回の作戦に興味がない理由がある。
 ――木彫り細工の首飾りを下げた16才程度の忍――
 まさしく、神楽の探していた人物だった。10才の頃から気になっていた割れた木彫りの首飾りの“答え”がすぐそこに迫っているのだ。
「これで……」
 神楽は、自分の首飾りを見つめ、ぎゅっと握り締める。
 そして、呼吸を軽く整えると、座弦のもとに歩み寄った。
「座弦様」
「なんじゃ、神楽?」
 さすがに大勢の護衛に守られているというだけあって、命を狙われているというのに余裕の表情だ。
 しかし、その表情が一瞬にして恐怖に歪む時がきた。
「今まで世話になりました。もう用済みですので……」
 神楽は、腰から刀を抜き、その鋼鉄の刃を首筋にあてる。
「な、なにをっ……!? お、おい、神楽が……っ!」
 突然の神楽の凶行に、座弦は驚愕と恐怖のあまりに逃げようとした。
 だが、背中を向けた瞬間に、神楽の刀が座弦の心臓を貫いた。胸から突き出た刃は血を滴らせながら、その獰猛な刃は顔を出す。。
「座弦さま!?」
 護衛のものが座弦の悲鳴を聞きつけて、部屋に駆けつけてきた。
 だが、彼らが目の前のありえない出来事に驚愕する暇はない。神楽は、護衛の者達の眼前に接近し、刀を振り落とす体勢に入っていた。
 まず、一人の護衛の腕を切り落とし、左足を軸に回し蹴りを放ち、壁に叩きつける。そして、もう一人が反応するよりも早く刀を腹部に突き刺し、そいつの体を蹴り飛ばすことによって強引に刀を引き抜いた。
 すると、周囲も異変を感じ取り、一斉に集まりだした。
「か、神楽さま! これは……っ!?」
「……」
 神楽は、答えない。
 殺す。
 ギラギラと獰猛な獣のように紅蓮の瞳だけで、目の前にいる奴等にその意思を伝え、襲い掛かった。
 その後、無数の断末魔の叫びが屋敷に木霊した。





「!?」
 座弦の部屋に向かう途中、静那は驚愕した。
 廊下中、座弦の部下だと思われる者達が惨殺されているのだ。
 胴体を切断され、臓物をばら撒いている遺体もあれば首を撥ねられている者もいる。
 廊下は、血の川と化しており、地獄そのものを映し出しているとも言えた。
「誰が……?」
 強い血臭に、慣れているはずの静那も思わず手ぬぐいで口元を押さえてしまう。
 死体は、延々と転がっており、それは座弦の部屋へと続いていた。
 そして、座弦の部屋に辿り着いた静那は、恐る恐る部屋の戸を開けた。
「な……なに……?」
 死体だ。首を撥ねられた男の死体がある。
 そして、豪奢な服装からそれがすぐに座弦であるとわかった。
 そう、今回の任務で殺すはずの人物が、別の何者かに殺されているのだ。
「来たな」
「!?」
 部屋の奥。明かりもついていない闇の向こうから、一人の忍が歩いてくる。手には、座弦と思われる男の首が掴まれていた。
 忍は、銀色の髪を肩まで伸ばし、額には鉢金――鉢巻などに鉄を縫いつけて、前頭部を保護するもの――を装着し、黒色の忍装束を纏っている。鉢金と口元を隠している手ぬぐいの隙間から覗く紅蓮の瞳は、まっすぐと静那を見据えている。
 神楽だ。珠黄に存在する忍の中で、最強と言われる忍。
「……あなたがやったの?」
「そうだ」
 神楽は、狂っているわけではない。
 まるで、始めからこうするつもりだったかのように、冷静だ。
「ムジナが下らない罠で、屋敷中の者達を集まらせていたが、邪魔なので殺させてもらった」
 静かで、無機質な言葉だ。
「何が目的なの?」
「お前を探していた」
 そう言うと、神楽は自らの首飾りを出した。龍が描かれた木彫り細工だ。
「それは……」
 静那は、自分の首飾りも出した。
 虎が描かれた木彫り細工。
 そして、二人が所有している首飾りは、どちらも半分に割れていた。
「やはり、そうか。ようやく会えたな……」
「!」
 突如、何の前動作もなく、神楽が切りかかってきた。
 さらに、まるで瞬間移動でもしたかのように、たった一足で攻撃範囲に飛び込んできたのだ。
 そして、静かに囁く。
「私の姉妹」
 神楽は、逆手に握った小太刀を地面を舐めるように掬い上げ、鋼鉄の剣閃をぶつける。
「くっ!」
 咄嗟に、腕にはめた篭手で神楽の奇襲を防ぎ、同時に小太刀を抜く。
 銀色の風と化した神楽は、静那に反撃の隙を与えない。
 まるで、殴りつけるかのように振るわれた刀は、確実に静那の首筋めがけて放たれている。
 攻めなければ殺される。
「私に姉妹なんてっ……!」
 神楽の刀を紙一重でかわし、屈むようにして姿勢を低くしながら、脇腹を強襲する。小太刀の鋭い刃が、神楽の体目掛けて唸りをあげながら襲い掛かった。
 しかし、そこには神楽の姿はない。
「遅いな」
 声は、静那の頭上からだ。
「なっ!?」
 見上げた時は遅かった。
 神楽は、地面に着地すると同時に、勢いをのせた右足で静那の体を蹴り飛ばし、屋敷の中庭へと導く。
 静那は何とか受身をとり、転倒は免れたが、神楽の蹴りの破壊力が凄まじかったのか、立ち上がるのに時間がかかっていた。肋骨折られている。
「何もしなければ死ぬぞ!」
 神楽の怒号と共に、刀の鋭い一閃が降り注いだ。
「!」
 瞬時に、静那は小太刀で神楽の一撃を弾き、間合いを離す。
 そして、体の痛みを必死に堪えながら、神楽との間合いを詰める。
 黒き疾風。
 まさに、それを具現化したかのように、風が吹き荒れた。
「ふん」
 しかし、神楽は動じない。
 静那の人並みはずれた瞬発力が乗せられた勢いのある斬撃は、容易く受け止められてしまう。
「くっ……!」
「正直、同じ腹で産まれた者としては恥ずかしいな」
 静那の刀を弾き、腹部を爪先で抉る。
「がっ!」
 まるで実力が違う。
 今まで静那の刀を受けられた忍は、そんなにいない。そんな自信があっただけに、目の前の神楽という存在が余計に脅威に感じられた。
 激痛のあまりに静那は、地面に転がってしまう。
「無力だな。がっかりしたぞ」
 神楽は刀を構え、振り下ろした。





 屋敷の廊下では、ムジナと蜻蛉の激闘が繰り広げられている。
 弾きあう鋼鉄同士の金属音のみが、空間を支配する。
 ムジナは、体を大きく捻り、遠心力を加えた力で巨大な爪を振った。
 動作自体は、大きいがムジナの動きが非常に俊敏なため、獰猛な爪が蜻蛉に襲い掛かるのは速かった。
 襲い掛かる巨大な爪を刀で捌くと、今度はもう片方の手に装着された爪が狙っているのに気づく。
 蜻蛉は、素早く後方にさがることによってソレをかわすと、その隙をついて一気にムジナとの間合いを詰めていく。巨大な爪の弱点は、懐しかない。そこを狙うのだ。
「!?」
 咄嗟に蜻蛉は、足を止めて刀で体を守る。
 その直後、ムジナの足がその刀を蹴りつけていた。
「弱点をついたつもりですか?」
 ムジナは、嘲るような笑みを浮かべながら、右足をあげて構えをとる。
 足によって超接近戦にも対応できるようにしていたのだ。
 さらに、ムジナの脚力は常軌を逸している。少しでも気を抜けば、手から刀が離れていたかもしれない。
まさに、死角がない。
「いきますよ」
 爪を低く構えながら、ムジナは真っ直ぐと蜻蛉との間合いを詰めていく。
 蜻蛉も刀を構え、立ち向かう。
 廊下の中央で二つの斬撃が衝突した。金属の火花が散り、両者は間近で睨み合う。
「人を殺すのが楽しいと感じたことありませんか?」
「興味ない」
 ムジナの問いかけにも、蜻蛉は冷めた反応を示す。
 蜻蛉は、間合いを離すことなく強気に前へと進む。
「つまらない人!」
 当然、ムジナは懐には飛び込ませない。忌々しげな言葉と共に鋭い蹴りが、槍のように突き出された。
 蜻蛉は、それをしっかりと捉えると、最小限の動きで蹴りをかわしながら懐に飛びこんだ。
「俺は、この世の全てをつまらないと思っているからな」
 拳を握り締め、ムジナの腹部にめりこませる。
 臓物を潰しかねない破壊力を容赦なく叩き込まれたムジナは、大砲の如き衝撃に耐えられずに後方に吹き飛んだ。
 ムジナの口からは、胃液の混じった血液が吐き出され、その量は夥しい。
「ゲホッ!ゲホッ!」
 器官に血液でも入ったのか、ムジナは激しく咳き込む。
 蜻蛉は、足を止めない。ここで、一気に勝負を決めなければ面倒になると判断したからだ。
 そして、刀を構えて、倒れているムジナにトドメの一撃を加えようとした。
 だが、
「!?」
 切り裂かれた。
 突如、巨大な爪が勢いよく振るわれ、蜻蛉の体に斬撃を浴びせていたのだ。
「……私は、ムジナ。敵を騙して殺すのが好きって言ったでしょ?」
 ベロリと口のまわりに付着した血を舐め取りながら残酷な笑みを浮かべる。
 蜻蛉は、胸から血を流しながら後方に倒れた。そして、ピクリともしない。
「……最期の最後まで退屈な人」
 死んだと判断し、ムジナは背を向けた。
「さて、残りは静那さんですね」
 ムジナは、倒れている蜻蛉を再度確認して、その場を後にした。
 蜻蛉は、血を流し続けながら倒れていた。




「!?」
 驚愕したのは、神楽だ。
 静那は、振り下ろされた刀をギリギリのところでかわし、刀を構えなおした。
「……避けたか」
 あくまで神楽は冷静を装った。
 だが、避けられたのは事実だ。瀕死の身であるはずの静那のどこに、そんな力が残されているかはわからない。
「負けない……」
 静那は、紅蓮の瞳でキッと睨みつけながら言い放った。
「だが、お前は負ける」
 実力の差は歴然だ。
 静那の根本的な実力や受けたダメージから考えても神楽の負ける要素はない。
 しかし、静那は尚も立ち向かおうとしている。
 神楽は、そんな静那を見ているうちに感じた。
 似ている。
 戦いに身を投じている静那の姿が、自分と重なったかのように見えたのだ。
「……双子なんだな」
「?」
 神楽の突然の言葉に、静那は疑問しか浮かばなかった。
 構わずに神楽は言葉を紡ぐ。
「双子の片方は【鬼の子】らしい……なるほど、確かにそうだ!」
 神楽は、大地を蹴りつけ、高々と舞い上がると、落下の勢いをのせた斬撃を振り下ろした。
 静那は、それをかわし、左足を軸に力強く踏み込み、斬撃を放つ。
 当然、それは受け止められる。
「私は、鬼の子だ。こんなに人を殺してきたのだからな」
 静那と刀を交えながら、神楽はどこか高ぶった声で話しながら戦っていた。
「静那! 私を殺してみせろ!」
 神楽の一撃は、静那の刀に受け止められたが、鋼鉄の金属音と共に静那は後方に吹き飛ばされてしまう。
 強すぎる。あまりにも、目の前に立つ神楽は強すぎる。
 しかし、静那は諦めなかった。
 痛む体に鞭を打ち、しっかりと両足で立ってみせる。
「負けない、絶対に!」
 静那は、獣のような咆哮をあげながら、大地を蹴った。
「それでこそ、私の双子だ!」
 そう言い、刀を構える神楽。
 だが、次の瞬間、後方から鋭い殺気を感じた。
「!?」
 弾かれたように振り返った先には、小太刀を振ろうとしていた静那がいた。
 何と、静那は瞬時に間合いを詰めただけでなく、後方を捉えていたのだ。
「貴様っ!」
 後方から襲い掛かる刃を姿勢を低くすることによってかわし、反撃の刃で足を払おうと横薙ぎに振った。
 それを狙われた。
 静那は、その反撃を軽く跳躍することで足元を通過させると、同時に神楽の頬を爪先で蹴り飛ばし、地面に叩きつける。
「がっ!」
 受身をとる余裕すらもなかった。
 神楽は、そのまま地面に投げ出され、自分が受けたダメージの大きさを知る。
 だが、神楽は逃さなかった。視界の隅に映る、追撃しようとしている静那を。
「これで!」
 静那は、勝利を確信していた。
 後は、この刀を叩きつければ終わる。そう思っていた。
 だが、それはなかった。
 神楽は、渾身の力を振り絞って静那の刀を弾き返し、立ち上がった。
「まさか、ここまで戦えるとはな……」
 切れた口にたまった血を吐き出し、手ぬぐいを地面に投げ捨てた。
 そして、静那と同じ色の紅蓮の瞳で見つめる。
「何故、私を探していたの?」
 決して目を逸らすことなく、二つの紅蓮の瞳はぶつかり合う。
「私は、忍として人形のように生きてきた。だが、人としては既に私は死んでいたのだ……」
 神楽の声が段々と怒りに震えていた。冷静だと思われてきた神楽が見せた、初めての感情なのかもしれない。
「もう一人の片割はどうしているのか。争いなどなく、平和な生活をしているのではないか、などとな」
「……」
 静那は、わかっていた。
 神楽は、心の根本は人形のように無感情なのではない。
 偽りというロウを何重にも塗り重ねて、自分も包み隠していたのだ。それが、『生き別れた片割に出会う』という目的の炎と接触することによって、塗り重ねられてきたロウが徐々に溶けているのだと。
「そう考えると、嫉妬のあまりに殺してやりたくなったからだ!」
 神楽は、獣のような咆哮を上げながら、最後の力を振り絞って斬りかかってきた。
「上等よ! 全力で受け止める!」
 静那自身も、かなり受けたダメージは大きい。だが、逃げる気はしなかった。
 全力を以って、目の前の神楽という忍に応えようと力を振り絞る。
 二人は、同時に大地を蹴った。
 銀色の風と黒色の疾風が、正面から激突する。
 勝負は、一瞬の出来事だった。
 上空に舞う一本の刀。
 吹き上がる血。
「やっと……」
 胸から勢いよく斬りつけられた神楽は、力尽きて静那の胸に倒れた。
 まだ息はあるが、助からないだろう。
「やっと……死ねるんだな……静那……」
「もう、喋らないで」
 体は、どんどん冷たくなっていく。
 どんなに優しく抱きしめても、どんなに強く抱きしめても、彼女の温もりが消えていく。
 当たり前のことなのに、何故か静那の頬を涙が伝った。
「泣くな……ずっと望んでいたことだ」
「なんで!? せっかく会えたなら、これから二人で……」
 二人で生きていけば……そう紡ぐはずだったが、
「私は、人なんかじゃない……人を殺すことだけに全てを捧げた人形であり、鬼だ……」
 だんだんと神楽の声が掠れてきた。おそらく、言葉を発するのも限界のはず。
「殺してほしかった。誰でもいいから私を殺して欲しかった……。静那……お前で良かった……」
 神楽は、死を望んでいた。
 人として死んでしまった自分を止めてくれるモノが欲しかったのだ。
「ねぇ……これで良かったの……?」
「……ああ」
 本当は戦う意味などなかったはず。神楽は、守るべき人物を自らの手で殺した。
 静那も、倒すべき相手を失っている。
 だが、神楽は意味があった。
 忍としての意味ではなく、一人の人間としての意味だ。
「こんなの……ひどい……」
 何てご都合主義なのだろうと思った。
 神楽を斬ったのは自分だ。
 なのに、今更になって泣いている。自分は、卑怯者だ。
「……」
 最後、神楽は静那の頬を撫でた。
 そして、ゆっくりと瞼を閉じながら、遂に力尽きた。
「……ごめんなさい」
 もう、目を開かない神楽を地面に寝かせ、その両手をぎゅっと握る。
 涙は、止まらない。溢れてくるばかりだ。
「ごめんなさい……」
 許してもらわなくていい。
 殴られてもいい。
 ただ、謝りたかった。
「あら、神楽さん死んでしまったのですか?」
「!?」
 幼い少女の声。
 嫌な予感が背筋をなぞった。
 弾かれたように振り返った先には、菊代……いや、ムジナが立っていた。
 彼女の象徴である巨大な爪には、血が滴っている。
「最強の忍……確か、そんな異名を持っていたはずなのですけどね。おかしいですね」
「あなた……」
 静那には、ムジナの言葉の半分も届いていなかった。
 ただ、訊きたかった。
「その血は、誰のもの?」
「……知っていて質問するのですか?」
「!?」
 やはり、そうだ。
 あの血は、蜻蛉のものなのだ。
 そう思うと、目の前にいる少女に対する殺意が一気に膨れ上がった。
「あら、そんなに睨まないで下さい。あなたもすぐに殺してあげますよ。そうすれば、二人とも一緒です」
 残酷な笑みを浮かべながら、ムジナは自慢の爪を構える。
 明らかに、ムジナが受けているダメージより、静那の方が大きい。
 折れた骨が肺に達していないとも限らない。
 どう考えても絶望的だった。
「それでは、死んでもらいましょうか」
「いや、それはないな」
「!?」
 突如、ムジナの上空から声がした。
「蜻蛉!」
 屋敷の屋根の上から舞い降りた忍、蜻蛉だ。
「そ、そんな、さっき倒したはずじゃ!?」
 ムジナは、信じられない現実に驚愕した。
 その一瞬の心の乱れが命取りであった。
 蜻蛉は、素早くムジナの首に刀を振り下ろし、その首を撥ね飛ばした。
「大切な妹がいる……死ぬわけにはいかないだろう」
 蜻蛉は、刀を鞘に納めて静那に向き直る。
 それに対して、静那は複雑な表情をしていた。
「どうした?」
「な、なんで無事なの……?」
 さっき、ムジナは確かに『殺した』と言っていた。だが、蜻蛉は目の前にこうして立っている。
「変わり身の術だとバレるからな。わざと一撃をもらって死んだフリをしてた」
 そう言いながら、血で滲んだ忍装束を見せる。
 よく見れば、今も胸から脇腹にかけて血が流れているのがわかった。
「だ、大丈夫なの!?」
「心配するな。それより、そっちは?」
 傷は浅い。命の心配もないのだ。
 蜻蛉は、静那の後ろで倒れている神楽を指差しながら訊いた。
「……生き別れの姉妹よ」
 途端に、静那の表情が暗く沈んだ。
 首から提げた首飾りを握り締めながら、神楽の首飾りを外す。
 そして、蜻蛉に見せるようにして、二つの首飾りをくっつけた。見事にピタリとくっつく。
「そうか……」
 蜻蛉は、複雑な気持ちになったが、すぐに行動に移した。
 神楽の遺体を背負ったのだ。
「え……蜻蛉?」
「行くぞ。彼女の墓は、こんな血塗られた戦場ではないはずだ」
 そう言うと、蜻蛉はさっさと走り出していった。
「蜻蛉……」
 嬉しかった。
 蜻蛉の純粋な優しさが、静那の心に響いていく。
 やはり、自分は未熟だ。
 優しい兄に頼ってしまっている。
 けど、それもまた良いのかもしれない、と思った。



■終章

 綺麗な花を沢山咲かす丘がある、と蜻蛉に案内されて、そこに一つの墓標を建てた。
 そこに、小さい花の冠をつくり墓標にかけ、静那は祈り続けた。
 そんな静那を蜻蛉は、ずっと後ろで見守り続けている。
 しばらくして、静那は祈りをやめて立ち上がった。
「私……忍をやめようかな……」
 静那は、神楽の墓を眺めながら、ぼんやりと呟く。
 自分は、こんな甘い気持ちで良いのか?
 都合の良い綺麗事を並べている自分に人を殺す資格などあるのか?
 そう思うようになったのだ。
「ねぇ、蜻蛉……」
「答えは自分で決めていいんだぞ」
「あ、ごめん……」
 また頼ろうとしてしまった。
 そうだ、答えは自分で決めるものだ。
「……」
 しばらくの沈黙。
 そして、静那は選んだ。
 腰につけた鞘を外し、二つの首飾りを墓標にかけた。
「静那……?」
「やめるわ。私は、忍じゃなくてもいい」
 静那は、忍としての自分を捨てる事を決意した。
 何故なら、静那は新たな生き方を見つけたからだ。
「蜻蛉と一緒にいられれば、それでいいわ」
「し、静那!?」
 忍としての静那は、もういなかった。
 今、胸に飛び込んできたのは、16歳の素直な女の子だ。
 それと同時に、とても大切で守るべき女性でもあった。
 だから、ずっと一緒にいたいと願った。欲張りだと言われても構わない。
 この先、何があっても離さない。
 そう誓った。

 花びらが二人を祝福するかのように、風にのって優雅に舞った。





 ちょうど、季節は春だった。
 快晴の空の下、桜並木を走る一人の少年と男がいた。
 少年の名は【蜻蛉】。隣を走っている男の名は【鉄 源蔵】。
 蜻蛉は、どこか大人しそうな印象を漂わせている少年だった。
 源蔵は、まさに百戦錬磨の達人ともいえるような迫力がある男である。
「このまま折り返して帰るぞ」
「うん」
 源蔵の指示通り、蜻蛉が向きを変えた時だ。突然、蜻蛉は足を止めた。
「……?」
 一瞬、何か聞こえたような気がした風で葉が揺れるような音とは違う。
「どうした?」
「……こっち」
 気のせいかもしれないが、蜻蛉は自分の目で見て確かめたかった。
 蜻蛉は、源蔵の手を引きながら桜並木の道から外れた茂みに入っていく。
「……ぉぎゃぁ……」
「聞こえる……?」
「うむ」
 赤子の声が確かに、二人の耳に届いた。
 いる、確実に近くに赤ん坊がいるのだ。
 そして、声を頼りに蜻蛉はついに赤ん坊を見つけた。
「おぎゃあ! おぎゃあ!」
「長……」
 捨て子だ。
 しかも、名前が書かれた紙まで添えられている。
 源蔵は、その赤ん坊を抱きかかけた。
「セイ……ナ? いや、これはシズナか?」
「……シズナがいいと思う」
 別にセイナでもいいと思った。だが、何となく蜻蛉は、シズナという響きが良かったのだ。
 源蔵は、一瞬だけ難しい表情をしたが、すぐにいつも通りになり、
「よし、蜻蛉。これから、この子は我々の家族だ」
「え……?」
 あまりの突然のことに、蜻蛉は戸惑いを隠せないでいた。
「お前は、忍として兄となり、この子を守れ」
「守……る」
 静那を渡しながら、源蔵は蜻蛉に諭すように言葉を並べる。
「男は、守るべきものがいると強くなれる。ならば、この子を守るために強くなれ」
 源蔵の言いたいことはわかった。
 だから、蜻蛉は小さく頷く。
「……うん」
 特に笑いもせず、困ったような顔もせず、ただ無表情に静那を抱いた。
 すると、静那は泣き止み、それどころか嬉しそうに笑い出す。
 その笑顔を見て、不思議と蜻蛉は小さく微笑む。
「うん、頑張るよ」
「そうか」
 源蔵も満足そうに頷き、蜻蛉を撫でた。
 そして、蜻蛉は静那の小さな手を軽く握り、
「よろしく、静那」
 こうして、二人は出会った。
 16年という歳月を得て、二人は成長していく。
 忍として、人間として……。

〜完〜


最後まで読んでいただきありがとうございます。

忍者のバトルアクションものを書きたかったのですが、いかがでしょうか?
感想やアドバイス、お待ちしておりますので、何か一言お願い致します。













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