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夜の終わりと光芒
作:上月


 目が完全に見えないというのは、どういった感覚なんだろうか。
 水槽の中で、決して優美とはいえない黒い尾を靡かせながら、酸素ボンベから出てくる気泡に混じって、先ほど与えたばかりの餌を必死で食べている出目金を、ぼんやりと眺める。
 少し奮発して購入した小さな水槽は、側面の下側にあるスウィッチをオンにすると、ブルーライトが幻想的に点くようになっていた。そのライトのお陰で、風流とはいえどもあまり外観の良くない出目金も、少しだけ美しく、水槽の中でしっかりと映えていた。
 今年の夏に、近所の夏祭りで金魚すくいをしたときにもらった二匹の出目金は、相変わらず弱る素振りすら見せず元気だった。といっても、ここ最近は二匹のうちの一匹の様子がおかしく、弱々しく横たわるように水中を漂っている姿を何度か見た。
 やはり目がないせいだろうか。
 夏祭りにもらったときにすぐ気が付いたのだが、出目金の一匹は、両方とも目がなかった。痩せこけたみたいに、目の部分だけ大きくくっきりと窪みができていて、目だけを見ると、深海魚を連想させるほど奇妙で、不気味な様だった。
 それでも夏場は元気に過ごしていたし、秋も冬の始めも何ら変わった様子もなく、いつものように水中を泳ぎまわっては餌を食べていた。一体、どうしていきなり弱りはじめたのだろうと、考えれば考えるほど、たかが一匹の出目金を失うことが、段々ととてつもなく悲しいことのように思えてきた。
 週明けの授業の初っ端にある現代文の予習をしておこうと、わたしはテーブルの上にノートと教科書、それから電子辞書を広げた。
 わたしは決まってリビングで勉強をする。特にこれといったこだわりなどはないのだが、とりあえず自室の机より、リビングにあるテーブルが広いので勉強するときに使い勝手が良いから、気が付いたらそこで勉強する習慣ができていた。近くにテレビと出目金のいる水槽があることも理由のひとつに入るかもしれない。
 ふと思いついて、でめきんという言葉を電子辞書に入力して、検索してみた。すぐに出目金でヒットし、白黒の画面に並んだ文字が表示される。
 出目金とは、金魚の一品種であり、目が著しく大きく側方に突出しているのが特徴らしい。
「おまえは、一体何者なんだろうね」
 相変わらず繊弱に水中を漂ってる目のない出目金を見つめて、わたしはぽつりと呟いた。
 元来あるべき姿を失ったこの生き物は、何として認識されるのだろうか。わたしのように偏見を持たれ、差別され、挙句の果てには自分の存在すら曖昧になるほど、周囲から認められずに朽ちていくのだろうか。
 生まれつき、わたしは左の眼球がない。所謂障害者というもので、今は義眼を入れて生活している。
 しかし、やはりこの狭い世界では人間の許容範囲というものも狭く、小学校時代はずっとそのことでからかわれ続けた。中学に入ってもそれは続いて、いびつないじめも何度か経験した。むろん近所でもわたしの評判はあまり良くはなく、家を出てからの刺さるような視線は、未だに慣れることができずに不快な思いをしている。それでも高校に入ってからは割とわたしのことを受け容れてくれる人も増え、ささやかではあるが友達も何人かできた。何度も辛い思いをしたし、死のうとしたことだって幾度もあったが、今こうして生きているのは、両親の強い支えがあってこそだと、つくづく親には感謝している。
 それに比べて、この出目金は何の支えや生きる糧もなく、ただ漠然とした限りある命を泳いでいるのだと思うと無性に哀しくなってくる。左目どころか両の目がなく、おまけに視界は真っ暗で、音と水の流れだけを頼りに生きているのだ。それでも懸命に足掻いたところで、やはり劣った力を取り戻せるわけもなく、同じ水槽にいるもう一匹の出目金の力に圧されるように日に日に命が削られていくのだから、わたしと全く同じ境遇とは言い難いかもしれないが、身近にいる似たもの同士としては、ひどく痛ましい光景だった。
 わたしは水槽のフタを開けて餌をやる準備をした。
 先ほど餌はやったばかりなのだが、この出目金がもっと長く生きれるようにわたしが手伝ってあげられることといえば、もっと餌を食べさせて回復させることぐらいしか思いつかなかったのだ。だからここ最近は、弱りはじめたと気付いたときくらいから、ずっと出目金にばかり気がいっていたような気がする。
 水槽をコンコンと拳で軽く叩く。すると、一匹の元気な方の出目金はすぐに反応した。もう一匹の方は、一度鈍く旋回してから、しつこく水槽を叩き続けるわたしの拳の音に反応するように、ゆっくりと水面へ近づいてきた。
 こうして辛抱強く水槽を叩き続けないと、音と感覚だけを頼りに生きてるこの出目金には、何も伝わらないのだ。
 ようやく上がってきた目のない出目金の上に、すぐ食べられるようにと餌をいつもよりも多めに入れる。しっかりと口を開閉させて餌を摂る姿を見てからフタを閉めた。すぐに元気な方の出目金が餌を食べに横入りしてきたが、さすがにその間に指を割り込ませて妨害することもできず、あとはなるようになれと、半ば躍起になってテーブルに戻った。
 どちらが多く食べたのかはわからいが、三十分後にはもうすでに餌はきれいになくなっていた。

 一週間後、わたしのささやかな努力も虚しく、うんと冷え込んだ日の早朝に、一匹の出目金は目だけでなく命まで失ってしまった。
 わたしと同じように、出目金を可愛がっていた母は随分と悲しんでいた。わたしといえば、水槽の前にただ突っ立って、そうか、死んでしまったのか、と水面に浮かぶ痩せこけた真っ黒な体の出目金を見つめながら、ぼんやりと思った。いずれは死ぬということくらい、わかっていたせいだろうか。自分と重ねていた部分も多少なりともあったので、一応ショックは受けたが、前日まで抱いていた出目金に対する不安や悲しみはなぜかどこかへと薄っすらと消えていってしまっていた。
 網で死んだ出目金をすくい上げると、ティッシュに丁寧に包んで、庭へ出た。
 淡いというよりかは薄い、寂寥とした冬景色に溶けるように、冷たい風がわたしの体温を奪っていく。今年は一段と寒いこともあってか、母が大事に育てている草花は萎れたように全く元気がないように見えた。まだ朝早いせいで、随分と薄暗く、太陽もまだ殆ど顔が隠れている状態だった。
 わたしは庭の隅に移動してしゃがみ込むと、出目金の入ったティッシュを足元に置いて、用意してあったスコップで土を掘った。深く、深く。土塊を細かく砕くようにスコップを地面に差し込んでは更に深く掘っていく。赭土のような土が見えてきたところで、わたしはふと手を止めた。これでは、生きていたときと世界が変わらないのではないか。
 この出目金が、最期に求めていたものをわたしが知っているわけがないが、それでも、少なからず自分が一生を過ごした世界を景色として見たことはないはずだ。
 わたしは今度は掘った穴を塞ぐように上から土を被せていくと、元通りの平坦な土に戻した。そして、ティッシュで包んでいた出目金を優しく取り出すと、その柔らかな土の上にそっと置いてやった。
 土の上に横たえた出目金の姿は、ぎょろりとした大きな目がない分、至極華奢な体つきに見えた。痩せ細った体が儚い命を美化するように美しく魅せる。
 立ち上がって、離れた場所から出目金を見てみると、多少いびつな光景ではあったが、このまま空や土や太陽のやわらかな光を全身で見つめながら、土に還っていけるのなら、これが一番いい葬り方なのかもしれないなと思った。長かった夜は明け、少し肌寒いかもしれないが、今日から自然に還るまで、太陽が昇り、沈んで星と月が上がる一日をしっかりと繰り返し迎えるのだ。
 眩しい光に右目を細めて顔を上げると、家々の屋根から零れるように朝日が差し込んでいた。あまりの力強い陽光に、奪われたはずの体温が戻り、更に血汐が沸き立つ感覚を覚えた。
 わたしの朝も、まだ始まったばかりなのかもしれない。

---了














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