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佐伯勇樹(15)5月14日・夜


「春香さんが元気になったことに乾杯!」


コバちゃんが音頭をとって乾杯する。いつも4人で来ていた居酒屋。


橘さんはあれからずっと元気いっぱい。すっかり前のとおりの橘さんだ。


でも、コバちゃんと俺はだんだん心配になってきていた。


もしかしたら橘さんが、椚さんのことをすっかり片付けてしまったのではないかと思い始めていたから。


橘さんの口からは、椚さんの名前は一度も出ない。





さっき、康太郎からメールが来た。今日の研修の報告だった。


『今日は午後から3グループ合同で、倉庫の片付けをしました。椚さんと西村さんは、新人と一緒に荷物整理や掃除をやっていました。三上さんは僕たちに指図をするだけでした。休憩のとき、みんなにジュースを買って来てくれたけど、僕は三上さんは好きになれません。』


康太郎はあくまでも橘さんの味方だ。


『ときどき、三上さんが椚さんに話しかけると、椚さんは困った顔をしていました。そういうときは、僕の同期の松井さんたちがすぐに邪魔しに行きます。椚さんはその人たちにガッチリ守られています。』


面倒を見ているつもりの新人に守られているとは。


『研修が終わったあと、椚さんが三上さんにキツい口調で何か話していました。でも、三上さんは平気な顔で笑っていました。椚さんはものすごく疲れた顔をしていました。』


その様子が目に見えるようだ・・・。


『帰る前、椚さんに橘さんはどうしているかと訊かれました。ちゃんと仕事に来ているけど、4月のころみたいな元気がないと言うと、ため息をついて、『もう少しのあいだ、橘さんのことをよろしく頼む』と言われました。椚さんは、三上さんのことを追い払えないんじゃないかと思います。』


おいおい!


それじゃ、橘さんが幸せになれないじゃないか!


康太郎にまで無理だと思われるなんて、椚さんが人が良過ぎるのか、三上さんが相当な覚悟を決めているのか、とにかく困ったものだ。


メールをコバちゃんに見せると、コバちゃんも渋い顔をした。





居酒屋で、話題が一段落したとき、思い切って、椚さんの名前を出してみた。


「あのう、椚さんは・・・。」


はっとして、俺の顔を見る橘さん。その表情からは何もわからない。


「もう、いいの。」


そう言って目をそらすと、さりげなくテーブルの食べ物を取り分ける。


「もう、椚くんがいなくても大丈夫、と思います。」


俺は半ば予想していた答えだったけれど、実際に橘さんの口からそれを聞くと、次の言葉が簡単には出なかった。


「で、でも!」


慌てたコバちゃんが、口をはさむ。


「椚さん、頑張ってるのに!」


橘さんは、コバちゃんの方を見ない。


「頑張ってるって言っても、もう2週間以上経つよ。もしかしたら、本当は三上さんとうまく行ってるのかも知れないし。」


「椚さんから、春香さんには何も連絡ないんですか?!」


必死なコバちゃん。


「たぶん毎日メールが来てるみたい。でも、見ないで削除してる。ときどき電話も来るけど、出ない。」


淡々と話す橘さん。


「どうして?!」


「最初は断られるのが恐かったから。で、アドレス帳から消しちゃった。さすがに着信拒否する勇気は出なかったけど、アドレス帳から消したら、誰から来たかわからなくなって、メールも電話も知らんぷりしやすいかと思って。今はもう、メールを削除するのも習慣になっちゃった。」


そう言って、橘さんはフフフと笑っている。


いきなりアドレス帳から消してしまうなんて・・・。橘さんは思い切ったことをする。よっぽど強い決意だったんだ。それとも、ただの勢いか。


どっちにしても、椚さんがいくら連絡しても、これでは伝わらないわけだ。


コバちゃんは、橘さんに向かってあきれた顔をしている。


「椚さんが、春香さん以外を選ぶはずがないじゃないですか!特にあの女なんて、絶対あり得ない!」


相変わらずコバちゃんは三上さんに厳しい。俺だって同じ気持ちだけど。


「春香さんを傷つけた人ですよ。椚さんが許すわけないんです!」


「でも・・・。」


「佐伯さん。さっきの康太郎のメール、見せてあげて。」


コバちゃんに促され、携帯を開く。


康太郎のメールを表示して、橘さんに渡した。


「・・・・・。」


メールを読んで、橘さんは俺とコバちゃんの顔を交互に見る。どうしたらいいかと迷っているようだ。


「今日、公園で笑ったあと、橘さんは『何でもできそうな気がする』って言いましたよね?」


そう言うと、橘さんは俺を見てうなずいた。


「じゃあ、椚さんを信じて、仲直りすることはできませんか?」


「それは・・・。」


ようやく決心したことを変えるのは簡単ではないだろう。


「あの女に負けたままでいいんですか?!」


コバちゃんの敵は、あくまでも三上さんのようだ。


「負けたって・・・?」


「あの女、宣戦布告だって言ったんですよ!戦わないで逃げるなんて、ダメです!」


「宣戦布告?三上さんが?わたしに?」


橘さんの口調がしっかりしてくる。


もうひと押し。


「椚さんは三上さんと戦ってます。毎晩、俺に電話をかけてきて、うまく行かないってぼやいてますけど。」


橘さんが考え込む表情になる。


しばらくそうやって眉間にしわを寄せていたけれど、とうとう俺たちの顔を見て言った。


「椚くんは、わたしのこと・・・好きだと思う?」


なんで、そんなことを今さら訊くんだ!


「当たり前ですよ!」


コバちゃんと俺の声が重なる。


「そうか・・・。」


まるで、今、初めて気付いたような顔をしている。


「じゃあ、わたしも一緒に戦わないと。」


うんうんと、コバちゃんが頷く。


「椚くんだけじゃ、三上さんには勝てないかもしれない。それに、宣戦布告されたのはわたしなんだし。」


どうやら戦うということが、橘さんに決心させたらしい。


「ごめんなさい。誘っておいて申し訳ないけど、わたし、これで帰ります。椚くんに連絡しないと。」


そう言って、橘さんは大急ぎで店を出て行った。






「まさか、宣戦布告の話で春香さんが決心するとはね。」


コバちゃんが笑いながら言う。


「佐伯さんも、お疲れさまでした。」


そう言ってグラスを上げる。


それに俺のグラスを合わせると、コバちゃんが続けて言った言葉に思わずむせそうになった。


「佐伯さん、頑張ったよね。春香さんのこと好きだったんでしょう?なのに、何も言わないでさ。」


な、なんで?!


慌てる俺を見ながらコバちゃんが笑う。


「前からもしかしたら、とは思ってたけど、4月の浮かれようを見て間違いないと思った。」


そんなにはっきり分かったなんて!油断してた。


「椚さんには、佐伯さんのことは心配ないって言ってあったけど、あれを見てたら、あたしもちょっと不安になっちゃった。」


何も返す言葉が出てこなくて、呆然とコバちゃんの顔を見る。


「まあ、あたし以外は気付いてないと思うから大丈夫。」


あははは・・・と笑っているコバちゃんは、確かに信頼できる同僚だけど。


「佐伯さん、頑張ったから、あたしがご褒美をあげる。」


「ご褒美?」


「うん。椚さんと春香さんは自分たちのことで精いっぱいで、佐伯さんのことを考える余裕がないと思うから。」


「で、コバちゃんがくれるの?」


「そう。春香さんは、あたしにとっても大切な人だから、春香さんを守った佐伯さんにご褒美。」


「何を?」


「一緒に出かけるの。」


「出かけるって・・・それ、デートの誘い?」


「うーん・・・。それはそのときの気分次第かな。まあ、気晴らし?」


「もしかして、場所も決まってるとか?」


「うん。秋葉原。」


「秋葉原?どうしてそんなところ・・・?」


「ちょっとね、実験。」


えーと、俺の気晴らしのはずでは?


「なんの実験?」


「あのね。」


まるで秘密を話すようなコバちゃんの様子が怪しい。


「コスプレした佐伯さんに、何人が声をかけてくるか・・・」


「絶対やだ!」


いったい、何を考えているのか・・・。


俺の反応にコバちゃんが笑いだす。


「冗談だよ!椚さんから、メガネ姿の春香さんを秋葉原に連れて行ったら、男の人に声をかけられて大変だったって聞いたから、佐伯さんもやってみたらどうかと思って。」


本当に冗談なのか?


でも、大笑いしているコバちゃんは、本当に楽しそう。


そういえばコバちゃんも、この2週間はつらかったんだ。こんな笑い声、久しぶりだ。


「でも、もしもだよ、もしも、コスプレするとしたら何がいい?」


まだ笑いがおさまらないままコバちゃんが尋ねる。


「・・・執事か騎士(ナイト)。」


俺がぼそりと答えると、コバちゃんはまた大笑いした。


「佐伯さんって、俺様タイプかと思ったけど、本当は尽くすタイプなんだ!あはははは!」


言うんじゃなかった。


そういえば、コバちゃんが俺にこんなに親しく話すようになったのはいつからだったっけ?








佐伯さんをかわいく仕上げてみたくて書いてみました。お楽しみいただけたでしょうか?


次からはまた椚くんの語りに戻ります。


どうぞよろしく。

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