7話【本日の日替わり定食】
「くぅぅ! ジンには悪いが、俺はお前がこっちの世界に来てくれて良かったと思ってるぜ。じゃなきゃ、こんな飯にありつけなかったからな」
開店早々にやって来てくれたゲンジさんは、用意した料理を皿ごと食わんばかりの勢いで平らげながらそんなことを言った。
本日の献立は、
・コカトリスの唐揚げ
・羽ブタ肉と根菜たっぷりの豚汁
・浅漬けの盛り合わせ
・炊きたてご飯
である。
コカトリスは、尻尾が蛇になっている巨大鶏だ。
市場にドドンッと羽根をむしられた丸鶏が売り出されており、一瞬なんだこれ!? と目を疑った。巨大ではあるが、味はとても濃厚で繊細という売り文句に抗うことができず、購入することに決めたのである。
以前、羽ブタのトンカツを作ったときと同じく、まずはコカトリス自身の皮下にある脂肪を炒めて鶏油をたっぷりと取り出し、その香ばしく食欲をそそる油で肉を唐揚げにしてみた。
生姜やニンニクに似た香りの強い根菜はどこの世界にもあるらしく、それらと醤油、酒を合わせたタレにコカトリスの肉を漬け込み、独特の甘い匂いがする鶏油でカラッと揚げたら出来上がりである。
一口かじれば、熱々の肉汁がジュバッと吹き出してきて口の中を火傷しそうになるが、普通の鶏より肉の味が濃厚で、ついつい二個目に手を伸ばしそうになる仕上がりだ。
羽ブタ肉も売られていたので、今日のこいつには豚汁の主役になってもらった。
大根やゴボウ、人参そっくりの野菜たちと一緒にグツグツと煮込むことで、心の底から体を温めてくれる豚汁の完成である。
浅漬けについては、水分の多い適当な野菜に細く切った糸切り昆布と塩を揉み込み、重しをして短時間漬け込んだだけだ。手軽にできるわりには、これだけでそこそこおいしい浅漬けとなるのだから不思議なものである。
米は輸入されたものの一部が市場にも出回っていたので、迷うことなく購入。
定食ともいえるラインナップだが、ゲンジさんは甚く気に入ってくれたようだ。
材料となった肉や野菜は、微妙に地球のものとは異なっているものの、味はそう変わらないものに仕上がっていると思う。
「にしてもよぉ、表の看板はもうちょっと洒落た文句でも書いといたほうがいいんじゃねえのか?」
そう言われても、仕方ないかもしれない。
結局、いい名前が思い浮かばなかったものだから、看板には必要最低限の内容しか彫っていないのだ。
『稀人料理 あり〼』
さすがに、なんの店かわからないというのは困るので、それだけ彫ってもらった。
店の名前が決定するまでは、これでいこうと思っている。
「まあ、飯がうまけりゃ俺としては大満足だけどな。ふぃ~満腹満腹」
ご飯のお代わりを三杯もしたゲンジさんは、満ち足りたような表情で自分の腹をぽんぽんと叩いてみせた。
「ところで、ジンと一緒にいたべっぴんさんはどこに行ったんだ? 姿が見えねえようだが」
店内には、ゲンジさんの言うようにイルルの姿はない。
「ええ。ちょっと仕入れのために外出してるんですよ」
大豆などの穀物を原料とする醤油と味噌が市場で手に入るのは喜ばしいことだが、さすがに米を原料とする日本酒やミリンといったものは売っていなかった。かといって、リュックに入っていた分では、とてもじゃないが店で商売していくには足りない。
麦や芋、果実などから作られる蒸留酒――地球でいえばウイスキーやウォッカ、ブランデーやカルヴァドスなどに該当するであろう酒は、市場でも売られていた。
ワインやビールも人気商品のようだ。
それらを料理酒として使うのも悪くはないが、やはり使い慣れたものがあるにこしたことはないだろう。
『ここには売っていなくとも、米を輸出している大陸にならあるかもしれんぞ』
たしかに、米を生産している地域でなら、日本酒なども醸造している可能性がある。
酒自体の製造は盛んのようだから、もしかすると本当にあるかもしれない。
唐揚げを味見したイルルが、日本酒とはどういうものか尋ねてきたので、リュックに入っていたものを少しだけ飲んでもらった。
引っ越し祝いに飲もうと思っていた、大吟醸をだ。
『ふむ……なんなら、わしがちょっと行ってきてやろう』
日本酒、唐揚げ、日本酒、唐揚げ――と交互にテンポよく飲み食いしたイルルは、かなり乗り気でそんな提案をしてくれた。
どうやら、日本酒が気に入ったらしい。
『いや、でも別の大陸に行くなんて時間もかかるだろうし』
『問題ない。今日の夕刻頃には戻ってくるとしよう』
――とまあ、そういった感じでイルルは朝方に店を出発した。
別大陸行きの船に乗るのか? とも思ったが、船旅は何日もかかってしまうものらしい。
今日中に帰るということは、おそらく人間から竜に姿を変えて海を渡ったのだ。
最古の竜種といわれる偉大な竜が、日本酒を買うために広大な海を渡る物語。
ここが異世界であるという現実を踏まえたとしても、かなりシュールに思えるのはおれだけだろうか。
「なるほどそうかい。そんじゃまあ、明日も寄らせてもらうぜ。次は何を食わせてもらえるのか、今から楽しみってもんだ」
ゲンジさんはそう言って、銅貨十枚をテーブルの上に置いて店を後にした。
一般的に10ルナあれば腹一杯の飯が食えるので、うちの価格設定もそれに準じたものにしておいたのだ。ちなみに、ご飯のお代わりは無料である。
また、しばらく料理メニューは日替わりでいこうと考えている。
稀人の料理がこちらの世界でどれほど受け入れられるかわからないし、最初から様々な料理を作るだけの材料を全て揃えておくなんて真似をすれば、帳簿が真っ赤に染まってしまうだろう。
――と、思っていたのだが。
幸いなことに、稀人料理に興味を持ってくれた人たちがそこそこいらっしゃったようだ。
加えてゲンジさんが魔導機関の研究所で店の宣伝をしてくれたこともあり、その日に仕入れた材料をほぼ使いきってしまうほどには繁盛したといえるだろう。
「ふぅ……さすがにちょっと疲れたかも。調理から配膳まで全部一人でやるのは、けっこうキツイや」
客足も途絶えたので、片付けをしながら店の外を眺めてみると、街灯の明かりが通りを照らしていた。
「イルル……遅いな。夕方には帰ってくるって言ってたのに」
帰ってきたら、借りていた入街税の銀貨一枚をさっそく返すことにしよう。
今日の売上は大きめの革袋の中にまとめてあるが、持ち上げると数百枚はある銅貨の重みがずっしりと伝わってくる。
両替商にいけば、銀貨数枚にはなるはずだ。
そんなことを考えていると、扉に付けておいた鈴がチリンと鳴った。
イルルかと思って目を向けたが、立っていたのは想像した人物よりもずっと小柄な女の子であった。
栗色の髪に、くりんとした瞳が印象的なその子は、ずいぶんとボロボロの衣服を身にまとっている。埃にまみれたマントからにょきっと伸びている手や、泥が付着した革のブーツにすっぽりと収まっている小さな足。およそ可愛らしい少女が着る服装とはかけ離れていて、失礼ながらしばし凝視してしまった。
「……なに見てんすか? ここは飯を食わせてくれる店だと思ったっすけど、売ってくれるのはじろじろとこっちを眺める好奇の視線だけっすか?」
「あ、いえっ……すみません。そういうわけでは」
「ふんっ……まあいいっす。ところで、もう店は閉店っすか? お腹が減ってるんすけど」
材料も少なくなってきたので店を閉めようと思っていたが、まだ一人分ぐらいは作れる。
「いえ、大丈夫です。すぐに作りますから、少しだけお待ちください」
いかんいかん。じっと相手を見つめる行為は、客商売では厳禁じゃないか。
おれは反省しつつ、コカトリスの唐揚げ定食を作った。
お詫びに唐揚げを一つおまけし、羽ブタの豚汁も具を多めにしておく。
お腹が空いているようなので、これぐらいのサービスはさせていただきたい。
出来上がった料理を運んでいくと、その女の子はじぃっと唐揚げを睨むようにした後、がぶりと口をつけた。
熱々の唐揚げから飛び出る肉汁に驚いたのか、ビクンと体を震わせてから、一言も喋ることなく料理に手を伸ばしていく。茶碗からはみだすほどに盛った白米を、がつがつと喉に流し込んでいく姿を見ていると、なんだかこっちまで爽快な気分になるではないか。
「――……ふぅ~、もう満腹っす」
満ち足りた顔でつぶやいた少女は、マントの中でごそごそと何かを探すように体を動かし、小さな革の財布を取り出した。
「大丈夫っすよ。こんな格好しててもお代はちゃんと払うっすから。ところで……あんたは稀人なんすか?」
銅貨をチャリンと置いた少女は、世間話をするかのように尋ねてきた。
稀人料理と看板に書くぐらいだから、そう思うのは当然だろう。
「ええ。わからないことも多くて不安もありますけど、この街にいる総督に色々と便宜を図ってもらえたので、しばらくはなんとかやっていけそうです」
支払ってもらった銅貨を今日の売上をまとめてある袋に入れながら、おれはそんな言葉を返した。
そこで少女は、ほんの一瞬だけ強張ったような表情を見せて動きを止める。
あれ……? もしかして、また何か怒らせるようなことを言ってしまったのだろうか。
「へぇ……じゃあ覚えておくといいっすよ。あんたがどんな世界で暮らしていたかは知らないすけど、こっちには――悪いことをするやつもいるってことをね!」
ドンッ――と、何かがぶつかるような衝撃。
自分の体が重力に引っ張られるようにして横倒しになったことを、倒れてからようやく気づく。
あまりに突然のことだったので、事態を呑み込むまでにさらに数秒を要した。
おれは……あの女の子に体当たりされて、今日の売上を奪われたのだ。
銅貨が詰まった革袋を奪って走り去っていく少女の後ろ姿を眺めながら、ようやく立ち上がると、おれは全速力で追いかけた。
「ま、待てっ!」
異世界に来てからというもの、イルルに助けられ、リムリアさんやゲンジさんといった優しい人たちの世話になり、どこか安心しきっていたのかもしれない。
ここは地球ではなく、ましてや日本でもないのだ。
だがそれでも、まさかあんな少女が強盗のような真似をするなんて。
「ふっ……はぁっ」
必死に追いかけていくうちに、少女との距離はどんどん縮まっていった。
ちらりと後ろを振り向いた相手が、軽い舌打ちとともに動きを止める。
「頼む……それを、返してくれ」
「ふ、ふん。返すわけないじゃないっすか。さっきの言葉の意味、まだよく理解できてないみたいっすね」
少女はそう言って、マントの中から何かを取り出した。
見慣れない……いや、日本では見かけないものだが、おそらくは世界中の多くの人が、それが何であるかを知っている代物。
筒状の物体がこちらに向けられ、少女の指は引き金のような箇所にかけられている。
まさか、銃……?
心臓がドクンと脈打った。
「追いかけてこなかったら、こんなものを使う気もなかったっすけど、まあ仕方ないすね。威力は弱めにしておくっすから、死にはしないっすよ」
威力を弱める……銃にそんな機能あるのか?
というか、撃たれる?
え……嘘、だろ。
周囲を見回すと、人っ子一人いやしない。
おれは、いつの間にか人通りのない路地に誘い込まれてしまったようだ。
少女の指が、ゆっくりと引き絞られた。
銃身から空気を裂くような音が響き渡り、まるで雷のような光の鞭が真っ直ぐとこちらに向かってくる。
「あ……」
だというのに、体はすくんでしまって動かない。
「――……まったく、これではのんびりと買い物もできぬではないか」
聞き覚えのある声の持ち主が、おれの目の前に仁王立ちするように割って入った。
「このようなもの、防ぐ必要すらない」
バチバチと飛来する雷の光が、弾かれるように反射され、それを撃った本人へと方向を変えて襲いかかっていく。
「え!? うそ、こんなことって……ふみゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
銃を撃った少女は、電気ショックを受けたように体を痙攣させ、然る後に気絶した。
「さて……ジンよ。色々と事情を説明してもらおうか。お前は余程危険な目に遭うのが好きらしい」
「あ、ああ。おかえり――イルル」
片手に日本酒の一升瓶と思われるものを所持し、すでにその中身が半分ほど減っており、なんだか息がとてもお酒臭いことを含めても、自分を助けに来てくれた彼女の姿はとても凛々しく、気高いもののように感じられた。