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19話【鮭の粕汁】

 ――粕汁。


 それは、酒粕を使用して作る汁物料理であるが、食べるとポカポカと体が温まってくるので、くたくたに疲れたときや、寒い冬などに時々無性に食べたくなる一品だ。

 酒粕を使うとはいっても、煮込んだときにアルコールは飛んでいくわけだから、大人から子供まで楽しめるものとなっている。


 鮭や豚肉などをを入れるのが一般的であるが、おれは鮭のほうが好きなので鮭一択だ。

 幸い、この前フェリシア港で大量の海産物を土産にもらったとき、鮭そっくりの魚も丸々一匹もらったのを冷凍庫に保管してあったので、それを持ってきた。

 甘塩鮭のように、それほど塩分濃度は高くないので、軽く湯通しすれば使えるだろう。

 出汁昆布も立派なものをいただいたので、それも使わせてもらうことにする。


 まずは水を張った寸胴鍋に、出汁昆布を入れてしばし放置。

 火は点けない。

 待っている間に、他の具材を切っておこうと思うのだが……人参や大根に芋、ゴボウにコンニャクといった具材が山のように積まれている光景は圧巻だ。大きな寸胴鍋がいっぱいになるほどの量を買い込んだので、これらの皮を剥いて切り分けていくのは、なかなかに骨の折れる作業である。


「ジンさん、ネイリにも手伝わてくださいっす!」

「ありがとう。えっと……ネイリは包丁とか使い慣れてるんだっけ?」

「はいっす。村で暮らしていた頃は料理をすることもあったので」


 そっか。それなら手伝ってもらうことにしようかな。


「なら、皮を剥いてから……これぐらいの大きさに切っていってくれるか?」

「りょうかいっす」


 人参や大根はイチョウ切り、芋は乱切りでいいだろう。


「この包丁はよく切れるから、間違っても自分の指とか切らないようにな」


 おれは何本かある包丁の一本を、ネイリに手渡した。

 皮剥きにも使える万能包丁だが、その気になればミノタンのような巨大な牛の骨を断ち切ることもできるのだ。


「は、はい。気をつけるっす」


 ……さて、ゴボウは表面に付着している泥を洗い流し、包丁の背を使って皮をゴリゴリと削り取る。回しながら斜めに切るようにして笹がきにすれば、水へと漬け込み、何度か水を入れ替えればアク抜き完了である。


「コンニャクは適当な大きさに切ってから軽く塩揉みしてやってと……ああ、持ってきた油揚げも切っておこう」


 この油揚げは、おれが自分で作ったものだ。

 市場で売られていた豆腐を布巾で包み、重しを載せて水抜きした後に、低温と中温の油で二度揚げする。そうすれば内部に空洞ができ、ふっくらと柔らかな油揚げになるのだ。

 ちなみに、おれはこの油揚げが大好物である。

 何かの料理に使おうと思って冷蔵庫に入れておいたが、まさにグッドタイミングである。

 粕汁に油揚げは、絶対必要条件だからな。


 ちなみに、鮭は切り身にしてから軽く湯をくぐらせ、できる限り骨抜きをしてから、炙り焼きにしておく。これは塩抜きと、旨味を逃がさないようにする下準備だ。


「じ、ジンさん……これで材料は全部切り終わったっすかね?」


 粕汁のような汁物料理は、放り込む具材の下準備さえ終わってしまえば、あとは煮込むだけなので簡単だ。


「ああ。ネイリが手伝ってくれたおかげで助かったよ。指とか……切ってないよな?」

「も、もちろん平気っす」


 そんなことを口にした少女は、焦ったようにササッと自分の手を後ろに隠した。


「あ、ははは。気にしないでくださいっす。ちょっと向こうで消毒……いや、休憩してくるので、後はよろしくっす」

「お、おう」


 本当に大丈夫なのだろうか。さすがに、指をスパンッといったわけではないと思うが……。

 出汁昆布を水に漬けておいた寸胴鍋をそのまま火にかけ、沸騰し始めたら昆布を取り出す。

 後は、そこへ具材を投入していくだけだ。


 人参、大根、芋、ゴボウ、コンニャク、油揚げが大きな寸胴鍋を満たしていく瞬間は、なんだかちょっとだけ見ていて気持ちがいい。

 苦労して切った具材たちが、一気に料理へと昇華される瞬間である。


 しばらく煮込んで野菜が柔らかくなってきたら、今度は用意しておいた鮭が鍋の中へと身を投げる番だ。

 昆布出汁と野菜の旨味がしみわたったスープに、脂がたっぷりと乗った鮭が投入されることで、酒粕を受け入れる準備は万端といったところか。

 鮭は火で炙ってあるので、香ばしい匂いがこれまた良いアクセントとなる。

 煮込むことでも具材からアクが出てくるため、それを綺麗に取り除いたら、ぬるま湯で溶いておいた酒粕を加えてさらに煮込んでいく。


「ああ、この独特な酒粕の匂いがたまらないんだよなぁ」


 寸胴鍋から吹き上がる湯気を楽しみながら、小皿に取って味見してみた。


「うーん、ちょっと塩気が足らないかな」


 軽く塩抜きしたとはいえ、鮭からしみでる塩分が味を調えてくれるのだが……まだちょっと薄いようなので、最後に味噌を少しだけ足してやった。

 仕上げに小口切りの葱を散らしてやれば、鮭の粕汁の完成である。


「よし、出来たぞ」




 ――順番が前後してしまったが、ヘイトリッドさんは無事だった。

 だからこそ、ネイリがあれほど元気に張り切っていたわけであるが、砦から撤退した兵士たちが手当てを受けている場所は、さながら野戦病院のようだ。


 いくつも天幕が設置されており、負傷兵が中で治療を受けているらしい。

 ここで食糧支援を行うにあたり、もちろんヘイトリッドさんから許可をいただいた。

 想定外の事態に大量の兵士が動員されることになり、食糧なども十分に行き届いていない現状において、慈善活動による炊き出しは非常に助かるとのことだった。


 保存の効く干し肉や、固く焼きしめたパンに比べれば、鮭の粕汁は体を芯から温めてくれることだろう。

 見慣れない稀人料理を口にするのは勇気がいるかもしれないが、最初の一口さえ食べてもらえれば、お代わりをしてもらえる自信はある。


「とても良い匂いですね。ああ、なんだか……以前にミノタンの焼肉を振る舞ってもらった際に飲ませてもらった……日本酒というものに似た香りがします」


 こちらに歩いてきたのは、頭部に包帯を巻いているヘイトリッドさんだ。

 砦が襲撃されたときに怪我をしたそうだが、隊長が寝込んでいるわけにもいかないと言っていたので、もしかすると今も無理をしているのかもしれない。


「アルコール分は飛ばしてあるので、兵士の方が食べても酔う心配はありませんよ」


 もし戦闘が始まったときに兵士たちが酔っ払っていたら、大変なことになる。


「よかったら、一杯どうですか?」

「ええ……それではいただきます」


 ここは行儀よく椅子に座って食事ができる場所ではないので、持ち運びしやすいように木製コップに粕汁をたっぷりと注ぎ、スプーンを一緒に付けて手渡した。

 これならば立ったまま食べることもできるし、負傷して動けない兵士に持っていってあげることもできるだろう。


「おお……これは、なんとも体の奥からじんわりと温まってくるようですね。疲れた体の隅々までしみわたっていくかのようで、とても……おいしいです」


 不謹慎かもしれないが、おれは心の中でガッツポーズを取った。

 こうして喜んでもらえる瞬間がたまらない。


 根菜はアクが出やすいが、しっかりとアク抜きをしておけばとても良い味を出すのだ。

 そこに鮭の旨味や酒粕の深みが加わって、油揚げやコンニャクに味がしみこんでいけば、疲れたときにもってこいの滋味あふれる味となる。真冬の外気にさらされながら飲む甘酒も最高だが、寒さに震えながらすする粕汁もまた格別なのだ。


 ……まあ、今は肌寒いぐらいの気温なわけだが。


「でも……ヘイトリッドさんが無事で本当に良かったです。ネイリがずいぶんと心配していましたから」


 そういえば、ネイリはまだ戻ってこないのだろうか?


「ありがとうございます。ですが……砦を任されていた隊長としては情けない限りですよ。最重要拠点を放棄して撤退するしかなかったわけですから」


 ヘイトリッドさんは平静を保っているように見えるが、やはりショックは大きいようだ。

 砦を守りきれなかったことも、自分の責任だと感じているのかもしれない。


「そんなことはありません! 隊長は立派でした」

「撤退するときも、ご自分が最後まで残られていたではないですか」

「我々は隊長にどこまでもついていきます!」


 ヘイトリッドさんを励まそうとしているのか、三人の兵士が横一列に並んでそんなことを言った。


「巨大な蛇が襲ってきたと聞いたんですけど、そんなにすごい相手だったんですか?」


 イルルは、その巨大な蛇がミドガルズオルムとかいう最古の竜種の一体かもしれないと言っていた。おれはイルルが竜の姿をしているときのすごさを知っているわけだが、その蛇が彼女と同じぐらいの力を持っているとしたら、撤退は英断だったと思う。

 砦には多数の魔導兵器が設置されていたらしいが、それが魔導銃をもっと大きくした大砲のようなものだとしても、まったく勝てる気がしない。


「その巨大な蛇は神の使いだと、ファルファトリアの指揮官が声高に宣言していました。異教徒を罰するために、長き眠りから目を覚ましたのだと。降伏するよう勧告されましたが、当然受け入れるわけにもいかず、間もなく戦闘になりました」


 ヘイトリッドさんは頭に巻いてある包帯に手を添え、わずかに顔をしかめながら言った。


「こちらも最新の魔導兵器で応戦したものの……足止め程度にしかならず、大蛇の一撃で砦の外壁が破壊された後は、もう撤退までの時間稼ぎで……」


 不信心なおれには、申し訳ないが神の使いが目を覚ましたとかいう話は信じられない。

 眠っていたミドガルズオルムを発見して堀り起こしたら、気まぐれで力を貸してくれることになったとか、そんなオチじゃないだろうか。

 ともあれ、ヘイトリッドさんに辛い話をさせてしまったようで、おれは慌てて話題を変えるべく傍にいた三人の兵士に粕汁を勧めることにした。


「そちらの方々もどうですか? 温まりますよ」

「えっと、見たことない料理ですけど、いったいそれは……」

「お前たちには話しただろう。この人はジンさん……私にミノタンの焼肉をご馳走してくれた人だ」


「ええ!? こ、この人が!?」

「ということは、この料理も稀人の……?」

「食べてみたいと思ってたんです!」


 ヘイトリッドさんの紹介もあって、兵士三人がワイワイと騒ぎ始めた。

 ミノタン焼肉の話を聞いて、稀人の料理に興味を持っていたのだろうか?


「はい、どうぞ。熱いので気をつけてくださいね」

「――むぐ……もぐ……熱っ、はふ! これ、すんごくうまいです。食べたことがないはずなのに、不思議と懐かしい味がするっていうか……」

「うおっ……マジでうまい。これは……レイトルテの街で人気が出るのもわかりますね」

「うめぇぇぇぇぇぇ! なんだこれぇぇぇぇぇ! 故郷の味のほうがいいとか言ってすいませんしたーーーーーー!! っていうか……こんな料理なら毎日だって食いたいですよ。ジンさんは本当に料理が上手なんですね……はあ――……ッコンしてぇ」


「「あきらめろ」」


 兵士の一人が食べながら何かをつぶやいたようだったが、傍にいた二人に止められていた。

 なんだろう? ゲンジさんも毎日のように店に通ってくれていたわけで、同じようなことを言われると嬉しいのだが……微妙にニュアンスが違っていた気がする。


 いや……深くは考えないほうがいいだろう。

 ちょっと視線が怖い気もするが、きっと疲れていらっしゃるのだ。


「あ、ヘイトリッド隊長! もう食べちゃったんすか?」


 指の治療を終えたのか、戻ってきたネイリが笑顔でそんなことを尋ねる。


「ネイリも具材を切るのを手伝ったんす。おいしかったっすか?」

「そうだったのか。とてもおいしかったぞ。ありがとう」


 ヘイトリッドさんは、我が子を見るかのように優しく微笑んだ。

 故郷に同じぐらいの年齢の子供がいると言っていたので、こういった少女の励ましは、素直に癒やしとなることだろう。


「えへへ~」


 ネイリも、なんだか父親に甘えているような感じだ。

 なんとも微笑ましいじゃないか。


「お、ネイリちゃんじゃないか。久しぶり」

「この料理を作るの手伝ったんだって? うまかったよ」

「ほんと、毎日だって食べたいぐらいだよ」


「……えーと。悪いんすけど、そちらの三人は誰っすか? ネイリはまったく記憶にないんすけど」

「な……んだって?」

「ば……かな」

「ぐぅ……胸が……息ができない」


 無邪気というか、遠慮のないネイリの返答に、三人の兵士は少なからずショックを受けたようだ。

 特に、さっき何かをつぶやいていた兵士は、膝から崩れ落ちるようにして倒れそうになるのを必死に耐えているようだった。


「と、ところで……ジンさんやネイリは、そろそろ街に戻ったほうがいいですよ。いつまたファルファトリアの大蛇が姿を見せないとも限らないですからね」


 たしかに、こうしてヘイトリッドさんの無事を確認できたわけだし、彼の言うように街へ戻ったほうがいいのかもしれない。


 でも……もしまた大蛇が襲ってきたら、どうするのだろうか。

 最新の魔導兵器でも足止めが精一杯だったらしいし。

 降伏するわけにもいかないとなれば……。


 おれがそんなことを考えて不安になっていた矢先――それほど遠くない場所から喧騒が聞こえてきたのだった。

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