Chapter 5 episode: Safe House 1
竹林に囲まれた周囲は、まだ日中とは思えない静寂に包まれている。
そこに、硬い靴音が響いた。
――ここは相変わらずか。
昔来た頃と何も変わっていない。たいして印象が残っているわけでもなかったが、意外とこの風景は憶えていた。
「懐かしいと感じる日が来るとはな」
「何浸ってんだよ、そんな格好で」
隣を歩く圭が半眼で相手を見た。
蓮は、各種拘束具でガチガチに固められていた。
雛子という名の悪徳女王からの逃走を図ったものの、結局、校内で圭にあっさり捕まってこうして引き回されているのだった。
「変態極まりないな」
「お前のせいだろう!? これでまた俺は――くっ」
悪評がさらに広まることを思い、こころを痛めた蓮は顔をしかめてうつむいた。
ついさっきも、コンビニで白い目を向けられたばかりだ。このままでは、外を出歩けない日が来るかもしれない。
こんな格好でいれば、白眼視されて当然なのだが、そんなことに気づけないほど蓮は追いつめられていた。
「今さらだろ。元からお前は変態だ」
「圭、お前が言うな! いっつも厄介ごとを俺のせいにして逃げやがって!」
「実際、ほとんどがお前のせいだったじゃねえか。自分の過去を美化するな」
「うるさい。昔、あの女が泊まりに来たときもそうだ。お前だけ――」
「あっ、それを言うか!? だったら、東北へ行ったとき――」
「黙れッ! それはお互いに忘れる約束のはずだ!」
甲高い声で言い合う二人は、ものの見事に落ち着いた景観を台無しにしていた。
不毛な罵り合いをつづけながら進んでいくと、やがて立派な門構えの建物が見えてきた。
もはや一般の家屋というより、大規模な寺院のように思える門の内側には、やけに〈目力〉のある仁王像が二体、屹立していた。
蓮たちが動けば、それらの瞳も動く。
「……見られてるぞ、蓮」
「……ああ」
明確な視線を感じ、二人は鼻白んだ。
そう、ここは雛の家だ。もはや何が起きてもなんら不思議はない。
強烈な視線で見下ろされる中、そこをゆっくりとくぐってしばらく進むと、二番目の門が視界に入ってきた。
「また結界か」
「そう言うなよ、蓮。ここの特質を考えたら、しょうがねえだろ?」
その門は小振りなものの、明らかになんらかの霊気をはらんでいた。
めったなことはないだろうが、気が気ではなかった。
わずかな抵抗感のあと結界内にすっぽり入ったのを感じながら、中へと歩を進めた。
「む……!」
「どうした?」
突然立ち止まった蓮が、野性の勘を働かせて身構えた。
「なんだよ、殺気も霊気も感じねえだろ」
「いる――」
目を細めた蓮の前方に、細い影が現れた。
「華院 蓮……」
長い黒髪のその人物は、どこか達観した目で対象を睥睨した。
「貴様を成敗する」
「やっぱり現れたな、鬼女」
「貴女?」
「いや、鬼の女」
「こいつ……!」
瞬間的に激昂し、ついに飛びかかった。
〝〈緊縛〉〟されたままの蓮が抗えるはずもなかった。
あっさりと美柚が対象を押し倒し、馬乗りになって頭を両手でがっちり掴んだ。
「こ・の・ヘ・ン・タ・イ……!」
「男に白昼堂々と馬乗りになるほうがよほど変態だ」
「そ、そういうつもりじゃ……! 黙れ、浮気性の猫!」
頭をガクガクと揺さぶると、さすがの蓮も目を回した。
これはやりすぎたかと思った美柚ではあったが、手を離すことはけっしてなかった。
「お二人」
圭が口を開いた。
「そうしていると、恋人同士が見つめ合ってるようにしか見えないぞ」
「や、やだ、そんな……」
「一方的に俺が攻撃をされているだけだろうッ!」
「はいはい」
ギャーギャーと騒ぎつづける二人に付き合いきれないと判断した圭は、持っていて鎖を美柚に渡した。
「じゃあ、あとは美柚ちゃんに任せた。コレは好きに使ってくれ」
「ありがとう」
「圭! 貴様、俺を見捨てるのか!」
「変態と仲間になったつもりはない」
「この野郎――むぐっ」
ひとしきり罵声を浴びせてやろうとするものの、開きかけた口は繊手によって強引に塞がれた。
「黙れ、華院 蓮」
もう聞くにたえないとばかりに、両手でがっちりと蓋をした。
しばらく頭を動かし、体をよじってなんとかして逃れようとした蓮であったが、全身を縛られた状況ではどうこうできるはずもなかった。
「痛っ」
もだえる蓮の様子を見てひとしきり楽しんでいた美柚が突然、手を離した。
左手の親指の付け根に、見事な歯形がついている。
「私を噛むなんて、まだ早すぎる!」
「は……? そんなことより、息ができないだろうが!」
「い、息ができないくらい!? そ、そんなこと直接言われても……」
意味がわからず頭に?マークが浮かぶものの、もう相手にすべきではないということだけははっきりとわかった。
横手から聞こえてくる圭の声が、やけに遠くに感じた。
「あ、ヒナさん。獲物は捕らえてきましたよ。官吏に渡しておきました」
「ご苦労様。美柚ちゃんなら安心だね。もう檻から逃げることはないでしょ」
「……俺は猛獣じゃない」
「猛獣が何を言う」
「そう言われると思った」
やっと観念したらしい獲物を、美柚が引っ立てた。心身ともに疲れ果てた蓮が逆らうことはもはやなかった。
「ヒナ先輩、こいつ、変態なんです」
「前からわかってることでしょ? 男の子は変態なくらいでちょうどいいよ。ね、甲一くん」
「僕にそういう話を振らないでください!」
一同が目を向けた先には、眉根を寄せた甲一がいた。
「本当に華院まで呼んだんですか」
「当たり前でしょ。彼がいないと話にならないし」
「そうですけど……我々だけで解決できる問題では?」
「問題? なんのことだ」
蓮の言葉に、甲一はなおのこと不機嫌になった。
「君が来てから、問題ばっかりじゃないか」
「あれくらい、たいしたことはない。そもそも、俺のせいじゃない」
「問題児らしい言い方だな」
蓮以外の全員が納得し、本人だけがどこ吹く風であった。
「まったく、どうして君みたいなのがうちの学校に……」
「そう嫌そうな顔をするな。本当に嫌なのは俺のほうだ」
「僕のほうが数十倍嫌だ」
「じゃあ、俺は数百倍だ、東一」
「甲一だっ!」
二人らしい会話をする横で、雛子が珍しく腕組みをして苛立たしげに指を動かした。
「遅刻魔の美柚ちゃんが時間どおりに来たのに、他のみんな遅いなぁ」
「ヒナ先輩、ひどい」
「誰が来るんすか?」
「〈姫埜木〉高校のみんなだよ」
「え……? まさか、〝奴〟も来るんすか?」
「もちろん」
笑顔の雛子とは裏腹に、圭はあからさまに舌打ちした。