Chapter 4 episode: Slender Fencer 3
相手が術を使うことを想定しておくべきだった。今さら後悔しても遅いが。
足を取られて動けないところへ、無数の鉄片が迫ってきた。
それらは直前で止まり、空中でゆっくりと回転している。
「鏡の世界でしばらく眠っていなさい」
「くっ……!」
――こいつ、強い。
どういう鍛え方をしたものか、戦い慣れしている。
てっきり激昂してがむしゃらに攻めてくるものと思っていたのだが、用意周到に術を展開してみせた。
「…………」
現状、抵抗のしようがない。体はずぶずぶと沈み込んでいき、もはや肩までしか見えない。
「さあ、瓶を返してもらいましょうか」
勝ちを確信した女が、横柄な態度で歩み寄ってくる。
「それ以上近づくな!」
「まだ抵抗する気?」
「違う、俺の頭の位置を考えろ」
「頭……?」
もはや水面にのみ込まれようとしている。
その低い位置にある目の先には――
はっとした少女は、スカートを押さえて飛びのいた。
「この変態……!」
「お前のせいだろ!」
「いいからとっとと――え?」
下半身の防御のために床に手をついて腕を伸ばした少女が目をむいた。
もうすでに、相手の男は鼻先まで〔水面〕についている。異変が起きたのは、そこからさらに沈んだときのことだった。
黒縁の眼鏡が水面に触れた刹那、異音とともに光があふれ、やがてそれが盛大に弾けた。
目を閉じるしかないほどの閃光が少女に襲いかかり、それでも瞼を通して視界を白く染め上げていく。
明らかに、その光は霊気を含んでいた。
――私の術を破ったの!?
驚いたのは少女だけではなかった。
気がつけば蓮は、元の位置で普通に立っていた。
――俺の眼鏡のせいか?
一瞬のことだったので判然としない。
――そんなことより、あいつは?
と顔を上げると、やや離れた位置にいた。
なぜか、自身の左腕を押さえている。
――術を消すだけでなく、術者に跳ね返すとでもいうのか?
わからない。が、敵の術から脱出できたことだけは確かだった。
「あんた、一体何を……」
「――俺の必殺技だ。この俺に術は効かん」
大嘘だった。
しかし、実際に脱出したことによって、相手は疑心暗鬼にならざるをえない。
効果はてきめんだった。
再び術を仕掛けてくる様子はまるでない。あの武器に術を組み合わされたら厄介なことになるところだった。
――やはり、眼鏡をかけたままじゃきつい。
先の芦山たちとの戦いとは異なり、黒いブツが外れてくれそうな気配はまるでなかった。
外れたり外れなかったり、基準があいまいなことにいら立ちを覚えるが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
逃げに徹する。今はそれしかなかった。
だが、相手がそうやすやすと見逃してくれるはずもなかった。
「あんた、私の体を……」
女の声音が変じた。
「許さない」
冷たい表情のままに跳んで、一気に距離を詰めてきた。
――接近戦!?
驚く間もなく、すかさず攻撃がくり出される。
今度は短刀のようになった相手の剣を、すんでのところかわした――はずだった。
――なにっ!?
左腕の袖が、まったく触れていないにもかかわらずあっさりと破れた。
――いや、触れたのか。
どうも速すぎて認識できなかったらしい。
見れば、いつの間にか相手の得物は、その刀身が三つ又に分かれていた。
面食らっている間に、相手がつづけざまに攻撃を放ってくる。
防戦一方で、相手から距離をとることすらできない。
――やばい!
傷が増えるなどといったレベルの問題ではない。このままでは、致命的な一撃を負いかねない。
どうすべきか逡巡している隙に、今度は敵の刀身が七つに分裂した。そのすべてが、一振りの剣と同じ長さ、幅がある。
女が、右手を掲げた。
「行け、〝七星刀〟」
それぞれが一気に動きはじめた。
すべてがバラバラに動いているにもかかわらず、的確にひとつひとつが攻撃してくる。
明らかに、ひとつの意志の下に統一されている。
そのうちの一振りが、真後ろから襲いかかってきた。
――かわしきれない――
眼鏡で霊力を抑えられているとはいえ、戦勘は鈍ってはいない。自分自身で、この一撃は致命傷になることを確信できてしまった。
女に、先ほどまでの躊躇するような様子はかけらほどもなかった。
その切っ先が向かうは、胸の中心。
もはや、どうすることもできなかった。やけにゆっくりと進むように見える相手の剣を、ただ見つめることしかできない。
――ここまでなのか?
いや、違う。
ドクン。
世界が、暗転した。
あらゆる存在の動きがいったん止まり、沈黙と闇が世界を支配する。
霊力を抑える黒縁の眼鏡〝〈呪いの道具〉〟は、一瞬にして消し飛んだ。
女は状況が激変したことに気づいたものの、まばたきをすることさえ許されなかった。
暗黒の中、蓮の両目だけが紅く輝いている。
――こいつを――
愛刀〝秀真〟が、膨張して弾けた。
――消滅させる。
一気にふくれ上がった極彩色の霊気が、問答無用に圧倒していく。
少女、麗奈の〔存在が消えようとしていた〕。
感覚が薄れゆき、視界も閉ざされた中、最後に聞いたのは親友の叫びだった。
「え?」
はっとして目を開けると、四方八方に魔法陣が展開され、赤や青の光を発しながら回転している。
相手の男が発した虹色の輝きがそれに触れた瞬間、今度は強烈な白光に世界は染め上げられた。
思わず瞳を閉じた麗奈の耳に、しばらくしてようやく音が戻ってきた。
パチ、パチ、と軽い奇妙な音。
恐る恐る目を開けると、眼前には先ほどまでとなんら変わりのない光景が展開されていた。
周りに紙切れが舞ってはいるものの、これといって違いがあるわけでもなかった。
男の姿もその眼鏡も、元に戻っている。
だが、傷が回復しているのだけは、明らかに不自然だった。
「あんた……一体……」
「…………」
返事はなかった。
蓮は、まったく別のことに気を取られていたからだ。
――誰だ。
弾けかけた力が、瞬間的に相殺された。
何者の仕業だろうか。気配はまるで感じず、術が発動するまで何もわからなかった。
もっとも、あのとき周囲のことを気にしている余裕なんてまるでなかったのだが。
――危なかった。
一歩間違えば、この相手だけではない、この学園そのものを消し飛ばしていたかもしれない。