Chapter 4 episode: Slender Fencer 2
予測される衝撃と痛み。
しかし、それは一向に訪れなかった。
「…………?」
ガードのために掲げた腕をゆっくりと下ろすと、すべての鉄片が直前で止まっていた。
「動かないで」
余裕を持った女の声が、真ん前から聞こえてくる。
この状況では、抗うべくもなかった。
「ちっ……!」
「相手の武器の特徴を見極めないまま突っ込むなんて、あんたばか?」
「勉強は苦手だ」
「あ、ごめん……」
敵に気をつかわれて、余計に蓮はしゅんとなった。
「……お前、ここで何をしている。その液体をどうするつもりだ?」
「なんだっていいでしょ。私が答えなきゃいけない理由はない」
「だいたい、なんで他の学校の生徒がここにいる?」
「だから――」
「答えろ」
「あんた、自分の立場わかってる……?」
一方的な物言いに呆れてしまう。
霊器であるはずの鉄片が、じり、とわずかに動いた。
「やりたければやれ。どうせお前にはできないだろうが」
「どういう意味?」
「お前は人を傷つけることに慣れていない――いや、人を傷つけることで自分が傷つくのを恐れている」
「……うるさい。ばかにしないで」
鉄片のひとつが、蓮の首筋に突きつけられた。
「ふんっ、忍び込み方もなってない。なぜ鍵を内側から閉めておかなかった? そうしていれば、俺は中を見れなかったし、お前は逃げるための時間を稼ぐこともできた」
「その必要がないからよ」
「なんだと?」
「誰に見られても構わない。虎が鼠の存在を気にすると思う?」
「せめて猫と言ってくれ」
「どうでもいいでしょ! 私はもう行く。あんたはずっとそうしてなさい」
「自分の霊器を置いていくのか」
「私の〝レジーナ〟はどこにいても戻ってくる」
不敵に笑う女は、わざとらしくB-1-1-7の瓶を掲げてみせて、扉のほうへ向かっていった。
蓮は焦った。
――このままでは、俺が眼鏡の呪縛から逃れられない!
「お、おい! その瓶は――」
「動くな」
「あ」
わずかに左足を動かしただけだったのだが、戦闘で散らばった紙やらほこりやらのせいで、盛大に足が滑った。
「あ」
受け身も何もとれそうになく、無様な姿勢で女のほうに倒れていく。
「ちょ、ちょっと!」
あわてたのは女のほうだった。
急ぎレジーナの刀身を引き寄せ、蓮の倒れていく方向を空けた。
だが、それに気を取られていた分、自分に向かってくる相手の体から逃げることができなかった。
「いやっ」
悲鳴を上げつつ、二人してもつれ合って倒れた。
響く鈍い音と舞う紙吹雪。
しばらく室内を静寂が支配し、蓮がつけたはずの電灯まで光を失った。
折り重なる二人は、しばらく微動だにしなかった。
はっと現状を正確に認識したのは、少女のほうだった。
「離れろ、この淫乱男!」
「い、淫……!? 貴様、言うに事欠いて――」
下に手をついてがばっと上体を起こした蓮は、手の下にある物体が何ものかにようやく気がついた。
この肉まんのような感触、間違いない。
「――不可抗力だ」
「だったら、指を動かすなっ!」
「!」
見事に弾き飛ばされ、棚のひとつに叩きつけられた。
箱やら小物やらが派手に降り注いでくる。
「この男……絶対に許さない!」
「ばれたか」
「当たり前じゃない!」
蓮の左手には瓶が握られていた。先ほどのごたごたの間に一瞬の隙を突き、奪ったのだった。
「もうこうなれば、貴様には用はない。好きにすればいい。俺は生徒会でも教師でもないからな」
「逃がすか!」
扉へ向かおうとする蓮に、再び〝レジーナ〟の切っ先が向かった。
一直線に伸びてくるそれを間一髪のところで弾き返した。
「ちっ……!」
やはり、相手は確かに強い。眼鏡さえなければなんとかなるだろうが、今のままでは不利なのは間違いなかった。
――さて、どうする。
このままおとなしく見逃がしてくれそうにはない。
戦うしかないのは明らかだが、どう対応したものか。
迷っている間に、女は鞭による一撃を放ってきた。
これまでの一撃とは比較にならないほどの速さで、軌道上にあるすべてのものを切り裂きながら向かってくる。
――やばい。
とっさに刀で防ごうとするが、鞭の先端が刀との接点を中心に巻くように動いた。
これ以上はよけようもなく、左の肩口をしたたかに打たれた。
ターゲットにダメージを与えた鞭は、素早く女の手元に戻った。
けっして大きなダメージではないが、無視できるほどの痛みでもなかった。
――特注の制服じゃなかったらやられてたな。
実際には鞭ではない。刃を持った剣だ。通常なら打撃を受けるだけでなく切り裂かれていただろう。
厄介だった。
近づけば無数の鉄片が襲いかかり、離れれば刀身が伸びてくる。
――やっぱり、中途半端な距離が一番駄目だ。
今のままでは、じり貧であることははっきりとしていた。
「ちょこまか逃げるな、変態男!」
「お前の胸なんか、触りたくて触ったんじゃない。貧乳め」
「な・ん・だ・と!?」
みずから火に油を注ぎ、攻撃は苛烈さを増した。
――行けるか?
相手は当てずっぽうに振るっているように見えて、隙がない。
――行くしかない!
覚悟を決めて思い切って走った。
予想外のことが起きたのは、三歩進み、そこからさらに強く踏み込んだときのことだった。
下は床だというのに、足から体が沈み込んでいく。
――しまっ……!
ちらりと足元を見れば、床が鏡面のようになり、しかも水面のごとく波打っていた。