Chapter 4 episode: Slender Fencer 1
「ここか」
長い旅路の末にようやくたどり着いた約束の地。
蓮は額の汗を無雑作にぬぐって、両開きの戸を見つめた。
なんだかんだで、恐ろしく時間がかかってしまった。もう次の授業が始まっている頃合いだろうが、そんなこと構いやしなかった。
気分転換に少し遠回りしただけ。そう、そういうことだ。
痛々しいほどに現実を否定する蓮は、少し呼吸を整えてから戸に手をかけた。
――うん?
ほんのわずかな違和感。
――よく考えたら、なぜ鍵が開いている?
少しだけ戸を引いてみると、難なく動いた。鍵がかかっていた形跡はまるでない。
それだけではなかった。内部から明らかに気配を感じる。
「…………」
わずかに空いた隙間から、中をうかがう。
初め、何もいないかのように思われた。しかし、しばらくじっと様子を見ていると、倉庫の隅に影を見つけた。
――女、か。
シルエットからして女性のようだ。暗がりの中、ひっきりなしに箱やら棚やらをあさっている。
相手も見づらいのか、左の手を掲げ、その先に術で光を灯した。
浮かび上がったその姿を見て、違和感はなお増した。
――なぜだ。
女は、学校の制服をまとった少女だった。しかし、それはここ白鳳高校の物とは異なり、オーソドックスな黒のセーラー服であった。
どうして他の生徒が、という当然の疑問が頭をよぎる。答えが見つからないまま、しばらく時間だけが過ぎた。
やがて、長い髪を頭の両側でまとめている少女の動きがぴたりと止まった。
――なんだ?
眼鏡越しに目を凝らして見ると、少女は手に瓶を握っている。
その白い無機的なラベルには、手書きで〝B-1-1-7〟とある。
――おいおい。
まさかと思った次の瞬間、少女はひとつうなずくと何かの術を構成しはじめた。
――いかん!
転送の術。このままでは、〔大事な物〕を奪われて逃げられてしまう。
蓮は、すぐに扉を開けて中へ飛び込んだ。
「待て」
相手はあからさまに驚いた様子で、急に立ち止まった。
蓮は女が動かないのを確認して、隙をつくらないようにさっと倉庫の明かりをつけ、念のため刀の入った剣袋を両手で持った。
「貴様、ここで何をしている?」
返答は、ない。
「他の学校の生徒だな。その瓶、どうするつもりだ」
「――なんだっていいでしょ」
ようやく返ってきたのは、そのややきつい印象を与える表情とは裏腹にかわいらしい声だった。
「何ィ?」
「私は、麗々先生にこれを持ってくるよう頼まれたの。文句ある?」
「ある」
「何?」
「俺は夏目 戒に言われた。それを渡すわけにはいかん」
「カイ……? どこかで聞いたような」
思案顔になった女は、それでも引き下がる気配はなかった。
「そもそも、ここへどうやって入った」
「最初から鍵が開いてたの。誰だって入れるでしょ」
「ぼろを出したな」
蓮が、にやりと口の端をつり上げた。
「は?」
「俺は倉庫にではなく、どうやってこの学校に入ったかを聞いたんだ。いきなり鍵の話をするなんて、初めからそこをごまかそうと意識していた証拠じゃないか」
「私が勘違いしただけでしょ」
「そんな言い訳――」
「まあ、いいけど」
女の口調が変わった。
「力ずくで突破すればいいだけだから」
瓶を右手で握ったまま、左手を上方に掲げた。それと同時に、霊力が増幅していく。
迂闊に動くわけにはいかない蓮は、状況を見守るしかなかった。
左手の先に現れたのは、青白い霊光だった。
――しまった。
蓮がすかさず動いた。だが、眼鏡のせいで思ったようにはスピードが出ない。
歯噛みする中、光の中から剣の柄が現れた。それをしっかりと握ると、女は刀身が抜けきらないうちに強く縦に振るった。
――伸びる!?
剣の長さがわからないから間合いを計ることができず、とりあえず剣の軌道から逃れるべく、横へ跳んだ。
「!?」
相対距離は五メートルはあったはず。それなのに、剣の切っ先は扉に突き刺さり、それをあっさりと切り裂いていった。
――そりゃ霊器だよな。
普通の武器をわざわざ〝招喚〟するはずもない。
体勢を立て直しながらよく見れば、槍のように伸びた細い刀身が金属製の扉をものの見事に貫通している。
――変形型の武器か。
厄介だった。次の攻撃の予測が難しく、今の自身の状態ではよけきれないだろう。
パワーだけは眼鏡がない状態と同じままだ。力勝負で来てくれたほうが楽だったのだが。
相手が剣を縮めていくのを横目に、対応するべく刀を袋から出した。
――抜けない……
霊力が不足しているらしく、やはり〈秀真〉は無反応だった。
無駄な動きをしている間に、女が次の攻撃に移った。
前に剣を突き出すと、先と同じように刀身が伸びてきた。
――針か。
見る間に細くなった剣が、一直線にこちらへ向かってくる。
だが、それゆえに先を読みやすい。
刀身が突き進む線上から逃れ、棚のひとつの陰に隠れた。
すでに相手の武器の弱点はわかっている。刃が伸びるのは確かに長所だろうが、それを引き戻す際に確実に隙ができる。
そこを突くべく、相手との距離を詰めようとしたときのことだった。
「何っ!?」
金属のはずの剣がぐにゃりと曲がり、それがしなって棚を切り裂いていく。
――やばい!
急ぎ体を伏せてやり過ごす。
糸のように細くなった刃が、頭のすぐ上を通過していった。
――今度は鞭かよ!
崩れ落ちる棚が、そこに置かれてあった物もろとも降りかかってくる。
それを払いのけながら前進するものの、女の対応は早かった。
――次から次へと!
あるときは鞭、あるときは剣になって襲いくる。よけるのに精いっぱいで、作戦を練るどころではなっかった。
――このままではまずい。
間合いが遠いままでは、得物を自在に伸縮させられる相手のほうが絶対的に有利。
しかも、よけるために動きつづけているせいで疲れがたまってきた。
――何かを……変えないと!
目だけを動かし、周囲の状況を確認する。
種々雑多な物があちこちに密集し、視界は悪い。相手も、はっきりとはこちらが見えてはいないはず。
――なら、突っ込むしかない。
武器の射程からして、このままでは相手のほうが有利。ならば、思いきって自分から攻めたほうがよかった。
女の剣が伸び、こちらの制服をかすめて倉庫の壁に突き刺さる。
――今だ。
タイミングを見計らって飛び出した。
鞘から出ないままの愛刀を構え、一気に距離を詰める。
――よし、とった。
思うままにならない体でも、実戦で鍛え上げた〝戦いの感覚〟はまったく鈍ってはいない。
相手のふところには入れずとも、一撃で仕留められる間合いだった。
だが、刀を振りはじめたところで違和感に気づいた。
相手の刀身が、ない。
「!?」
はっとして周りを見ると、四方八方に――空中にまで金属片が散らばっている。
そして、それらはすべてが動いていた。
こちらが防御態勢をとるよりも早く、刀身であったはずのそれらは一斉に標的に向かって飛んだ。