Chapter 4 episode: My Friends/ Your Friends
今日も今日とて、周囲を辟易させる不毛なバトルがつづいていた。
「待ちなさい!」
「誰が待つか、ばかめ!」
余計な一言をつけて返しつつ、それでも蓮は全力で逃げつづけた。
だが、〝天性のハンター〟たる女豹を、鈍重な犬が振り切れるものではなかった。
ラグビーのタックルのごとく飛びかかられ、ノックオンを避けるべく刀をがっちりと胸に抱えた蓮はそのまま見事に倒された。
「むぐぅ」
「やっと捕まえた。運動神経が鈍いくせに逃げ回りやがって」
「俺は本来、鈍くない」
「神経は鈍い」
「なんだと?」
「無神経」
「否定はしない」
「少しは反省しろ!」
まったく、この強情暴走男は……などと罵りつつ、美柚は蓮の首根っこを掴まえて持ち上げた。
やけにおとなしく、蓮はその動きに従った。
ここが弱点であることを、美柚はすでに知っていた。
「ちゃんと当番守りなさいよ!」
「何が見回りだ。そんなこと生徒会に――そうだ、あの〔東一〕にやらせておけばいい」
「そうやって押しつける奴が多いからこうなったんだよ」
「…………」
無責任人間が増えると、規則も増える。当然の理であった。
「まったく、こんなとこまで逃げやがって」
「…………」
二人は、グラウンド近くの中庭にいた。マナーも何も関係なく、上履きのままここまで駆けてきたのだった。
「さあ、戻るよ」
「…………」
逃げないように再び首根っこを摑んで確保した。そのままずるずると引っぱっていく。
複数の女子生徒の声が聞こえてきたのは、体育館の横を通り過ぎようとしたときのことだった。
「私にかかわらないで」
硬質な女の声が響く。
陰からのぞき込むと、二人の生徒が出入り口の前に立っていた。
(弥生と――あの女か)
(『あの女』言うな、佐々木さんでしょ)
小声で話す蓮と美柚の視線の先で、何かを言い合っている。
「響子ちゃん……最近、変だよ」
弥生の声は、どこまでも心配げだった。
「悩みがあるなら言って、お願い」
「何もない。あったとしても、あなたには関係ない」
(何!? あの態度!)
(ばか、静かにしろ)
(ばかは余計でしょ!)
近くでグダグダな言い合いがなされていることも知らず、弥生と響子は噛み合わない会話をつづけていた。
「でも、最近の響子ちゃん、おかしいよ。つらそうというか、焦ってるっていうか」
「焦ってなんか……」
ない、とは断言できなかった。
「本当は厄介なことに巻き込まれてるんじゃ――」
「弥生」
響子の口調が変わった。
「私は、自分の意志で動いてる。周りに流されているのでも、嫌々やってるのでもない。私の意志を否定しないで」
「そんなつもりじゃ……」
「それに、元から私はあんたなんか信用してない」
響子は、背を向けて去っていった。
すべてを拒絶する背中に、弥生はかけるべき言葉を持たなかった。
「響子ちゃん……」
見送るしかなかった弥生は、相手の姿が見えなくなってもその場を動こうとしなかった。
その後ろ姿は、何も語らずとも悲しみと不安を雄弁に物語っていた。
そこへ、ずかずかと遠慮会釈なく近づく影。
「弥生」
「あ、ばか!」
美柚が止める間もなく、蓮はさっさと歩きだしていた。
「蓮――」
「どうかしたのか?」
「……ううん、なんでもない」
いったん何か言いたげに口を開いたが、珍しく蓮とは目を合わせようとはせず、弥生は思い詰めた表情のまま去っていった。
「もう」
と、美柚。
「こういうときは、そっとしておくものでしょ。無神経というかなんというか――」
それに、のぞいていたのがばれてしまったではないか。
だが、蓮の態度はなぜか皮肉げなものに変わった。
「厄介ごとにかかわらないための言い訳か。うまいもんだな」
「そうじゃなくて――」
「じゃあ、なんだ?」
「…………」
蓮の目が細められた。かちんと来る態度だが、そのどこかに怒気があるようにも見える。
「実に人間らしい態度だ。他人が困っていても、表面を取りつくろって無関心を正当化すれば、そりゃ楽だ」
「…………」
「無関心は日本人の美徳か? 確かに、世渡り上手な判断だ」
美柚が黙っているのをいいことに、蓮は言いたい放題に言って、剣袋を担ぎ直すとそのままひとり、昇降口のほうへ向かっていった。
それを見送るしかなかった美柚は、唇を噛んだ。
――優しいんだか、ひどいんだか。
相手を思いやるからこその介入。今回ばかりは、優しさゆえの行動、言動に思えた。
もっとも最後の皮肉と嫌みは、まぎれもなく余計ではあったが。
「はぁ」
と、ため息をつきつつ、自分自身を思う。
己の気持ちがわからいこともあるが、今はひとつだけはっきりとしていることがある。
一言も言い返せなかった自分が、嫌いだ。