Chapter 3 episode: Slasher Has Come 1
うまく喧噪を抜け出した蓮は、ひとり廊下を階下へ向かって歩いていた。
いつもいつもいつも厄介ごとに巻き込まれる。腹立たしいことこの上ない。
蓮に、自分が最大の原因だという自覚はまるでなかった。
いら立ちまぎれに床を蹴飛ばしながら進んでいくと、やがてようやく突き当たりに階段が見えてきた。
――無意味に広い。
移動するだけで疲れてしまう。一学校にここまでの敷地が必要だとはとても思えなかった。
――これこそ資金の無駄づかいじゃないのか。
心中で悪態をつきながら、人通りの少ない階段を下りる。
やがて、広い昇降口が見えてきた。そこには、いやに目につく存在がいた。
まだ休み時間だというのに、先ほどからんできた〔騎士団〕の連中がせっせと窓を拭いている。
「ご苦労なことだ」
「あ、華院! てめえ……!」
芦山が手を止めないままに、蓮を睨みつけた。
「驚いてないな。術には気づいたってことは、お前も同業者か」
「うるせえ! さっさと術を解け!」
「頼む奴の台詞じゃないな。もっと頼み方というものがあるだろう」
「お前にだけは言われたくねえ!」
もっともだと、他の全員が同意した。
「がんばって働け、社会のために」
「なんなんだ、これは!?」
蓮が、にやりと口の端をつり上げた。
悪人の顔である。
「お前たちに『本当はこうすべきだ』と思った瞬間、そうせずにはいられない魔法をかけた」
「そんな便利な術あるか!」
「ふんっ、経験不足だな。よく考えてみろ。これは、一種の感覚の増幅だ」
「何……?」
「こうしたい、こうすべきだという人の情動を最大化したらどうなる」
「…………」
「フッ、わかったようだな。感覚操作の術を単純に応用しただけだ、ばかめ」
誰にでも『いても立ってもいられない時』というのはある。通常は己の欲望に基づいているが、義務感や善意で動くこともある。
ならば、それらを狙って増幅したらどうなるか。世のため人のためになることをやらずにはいられなくなる。
逆を言えば、『こうすべき』という視点が狂っている相手には狙いどおりにいかない。
〔騎士団〕の連中が今こうしているということは、皮肉にも彼らが根っからの悪人ではないことを示していた。
「じゃあな、善良なる愚民ども。俺にはやることがある。お前らにかかずらわっている暇はない」
「あっ、待て!」
引き止めても蓮が聞くはずもない。怒りの声も届かず、澄ました顔でそのまま通り過ぎた。
――いい気分だ。
こうして最小限の手間で人を従わせることほど楽なことはない。
なんだったら、あのいけ好かない女どもも――と考えたところで、どうも彼女たちには術が効かないような嫌な予感があった。
この状況とはまったく関係のないことを考えながら歩いていた蓮は、ふと背後から聞こえてきた物音に足を止めた。
振り返ったそのとき、思わず目をむいた。
「!」
ついさっきまで窓拭きをしていたはずの芦山たちが、とてつもない速さで迫ってくる。
その手には霊気の塊――
反射的に身をかがめ、とっさに回避行動に移るものの、相手は四人。
最初のひとりはかわしたが、あとから来た奴らの攻撃を数回受けてしまった。
「なんなんだ……!?」
体を反転させ、改めて見ると、彼らの顔からは表情が消え、その瞳は光を発して不自然な形で明滅をくり返している。
「こいつら……」
――どういうことだ。
明らかに様子がおかしい。どう考えてもなんらかの術にかかっているようだが、それならこちらの術を上書きしたとでもいうのか。
――一瞬で? いったい、どうなってる。
同系統の術を重ねてかけて、しかも完全に操ってみせるなど、普通では考えられない。
そんなことを気にしている余裕は与えられなかった。
四人が同時に襲いかかってくる。それぞれが想像を超える速さで、しかしばらばらに攻めてくる。
最初こそなんとかギリギリのところでかわしていたものの、対処できなくなるのは時間の問題だった。
――刀を剣袋から出す暇さえない。
それが相手の狙いなのか。ならば、〝敵〟は初めからこちらを標的としていたことになる。
――ええい、次から次へと。
この学校に来てからというもの、こんな問題ばっかりだ。自分は何も悪いことはしていないというのに 容赦なく巻き込まれていく。
蓮に、自分が十分問題を起こしているという自覚はまったくなかった。