Chapter 3 episode: Beauty & Beast
着席した面々は、教科書などを準備しながら麗々の言葉を待った。強制的に机をみずから壊した物と交換させられた蓮は、ひとりふてくされていた。
「もうわかっていると思うが、アイーシャが戻ってきた。それから、奴も帰ってくる」
「奴?」
蓮が問うても、周りから返事はない。裏腹に、なぜか女子たちが色めき立った。
「さあ、授業を始めるぞ。華院はさっさと教科書を開け」
「机がない状態でどうしろと?」
「手で持て」
「…………」
理不尽といえば理不尽な物言いに反発したくなるが、麗々と正面切って争えるはずもなく、渋々ながら従った。
腕が疲れる一時間であった。中途半端な緊張感の中、ようやく授業が終了したとき、蓮ははっと窓のほうを仰ぎ見た。
「――――」
――なんだ?
一瞬ではあったが、確かに強い何かを感じた。
「なあ、圭。今、視線を――」
「お前を睨んでる奴なんていくらでもいるだろ」
「……………………」
事実であった。
しかし、妙な感覚があったのはなぜだろう。どうにも釈然としない思いを抱えたまま、席を立った。
教室の前方では人だかりができていた。その中心には、皆からアイーシャと呼ばれている女子生徒がいる。
「アイーシャ、帰ってくるならメール送ってよ」
「ごめん、最近バタバタしちゃってて」
「また肌が白くなったでしょ。うらやましい……」
「翔子の肌色のほうが健康的でいいと思うけど」
笑顔を振りまき、他の女子生徒たちと戯れている。
「…………」
蓮は物言いたげな顔ではあったが、何も言わずに外へ出ようとした。
光が突然声を上げたのは、そのときだった。
「狙われた蓮ボーイ、荒縄に気をつけろ」
「荒縄?」
「緊縛の狐……檻の中の獣……」
「何を――あ!?」
直後、急に体が硬直した。先ほどとは違い、足だけでなく上半身まで動かない。
「コ・ノ・ヤ・ロ・ウ……!」
唯一動く頭だけ後方に向けると、しかし、光の姿はすでになかった。
どうすることもできずに、倒れていく先には女子という名の刃の群れ。
強烈に嫌な予感が増していく中、それでもなすすべなく冷や汗をかきながら針のむしろの中に飛び込んだ。
「きゃっ」
かわいらしい悲鳴が上がる。そして、青少年のこころを狂わせる甘美な香り。
直後に訪れるであろう報復攻撃を覚悟し、動かない体を強張らせた。
しかし、かわりに来たのは女の子らしい声と衝突の勢いを緩和するやわらかさだった。
「華院くん、大丈夫!?」
「?」
一気に体の硬直が解けた。
顔を上げると、邪魔な制服に覆われた双丘と心配げな表情をしたアイーシャの顔があった。
実に居心地がいい――どころではなかった。
「あ・ん・た・は……!」
怒気の塊が迫ってくる。否、すでに隣にいた。
「……不可抗力だと言っても通らないんだろうな」
「当然でしょ!? あんた、何度やれば気が済むんだよ!」
「やりたくてやってるわけじゃない」
「こいつ……!」
「謝りなさいよ」
「そうだよ、ひどすぎるよ。転んだ振りして抱きつくなんて」
「振りじゃない。転んだんだ。俺の運動神経の悪さはわかってるだろ」
『…………』
周りが初めて沈黙した。
「それに、俺はこいつのことが好きじゃない」
と、いきなり余計な一言。
「俺は作り笑いをする奴が嫌いだ。無意味に愛想を振りまく奴もな」
一瞬の沈黙。
直後、先のそれを超える大ブーイングが教室中に巻き起こった。当のアイーシャは表情を変えないままだったが。
強情な蓮はまるで相手にせず、元の位置に戻った。
「光の奴……!」
奴の姿はなかったが、そこにはきょとんとした顔の圭がいた。
「今の、光じゃないぞ」
「何……?」
じゃあ、誰が――と周りを見回すと、
敵、敵、敵。
どこを見ても敵。男子も女子もすべからく敵。
麗々女史までがその切れ長の目で冷たく見下ろし、弁明の通る余地などあるはずもなかった。
「華院、時と場所をわきまえろ」
「俺は……!」
結局、何を言っても無駄だと悟り、危地から脱するべく蓮は外へ向かおうとした。
「あ、華院くん」
と、翔子の声。
「俺に構わないでくれ。もう旅に出る」
「なんでもいいけど、眼鏡落ちてるよ」
「何……? おおっ!」
見れば、あの忌まわしい黒いブツが床に転がっているではないか。
――今だ。
この時を逃してはならない。能力が戻った肉体を最大限に活かし、最速で扉へと向かう。
しかし、奴はすべての予測を超えてみせた。
「何ッ!?」
自分が進む先で、『おいで』と言わんばかりに黒い枠がいた――あたかもノーズが壊れてピットインするマシンを待ち構えるクルーのごとく。
「…………」
なまじ勢いに乗っていただけにどうすることもできず、みずからそこにはまった。
タイヤ交換にかかった時間はわずか〇・三七秒。
MP4/Renは、本来の姿に戻ってピットアウトした。
いつものように倒れ伏した場所は、扉の敷居の上だった。
「何、今の!? すごい!」
「使えない特技でしょ」
驚く周りとは逆に、美柚の声は冷たかった。
「…………」
期待した俺がばかだったと、反射的に走ってしまった己を呪った。
「――ん?」
体を起こすと、正面になぜか小学生らしき銀髪の少女。
「お姉さまは……」
「お姉さま?」
と、言葉を返すと、柱の陰に隠れてしまった。
「子供まで怯えさせてるの!?」
美柚の怒りはなお増した。
「俺は――」
「あ、エレナ」
蓮の横から顔を出したのはアイーシャだった。
「ごめん、妹を小学校の職員室に連れてかないと」
そうクラスメイトに声をかけながら、エレナと呼ばれた少女の手を取った。
「そうだ」
美柚が、手近の男を睨んだ。
「あんた、まだちゃんと謝ってないでしょう? あんなひどいこと言って」
「ふん、俺はあの女が無理してやってるようだったから――」
「ありがとう」
意外な声が上がった。
アイーシャが足を止めて、半身になって振り返った。
「うん?」
「あなたの言うとおりかもしれない。私も、自分が好きじゃない」
どこか寂しげに言うアイーシャは、返事を待たずにそのまま行ってしまった。
蓮はしばらくその細い後ろ姿を見送っていたが、逆の方向にきびすを返した。
「あ、どこ行くの」
「どこだっていいだろう」
いつものやり取りが始まった。
「もう、そうやってすぐ人を遠ざける」
「お前だって、奴と距離を置いてるじゃないか」
「な――」
「気にくわないなら気にくわないと言えばいい」
「そんなこと……」
否定しようとするものの、言葉はつづかなかった。
――鋭いなぁ。
嫌になるくらい鋭い。
「別にそういうわけじゃなくて……なんか、たまにどう接していいかわからなくなるときがあって」
「フンッ、だったらそう言えばいい」
「言えるわけないでしょ」
「そうやって距離をとるから、相手も近づいてこない」
「…………!」
「お前、人付き合いが下手だな」
いつもなら『あんたに言われたくない!』と返すところだが、今ばかりは何も返事をすることができなかった。
そのとおりだからだ。
自分は、どこかで人と一線を引いている。
怖い。
自分が傷つくのも、相手を傷つけるのも。
だから、愛嬌を振りまいて周りと当たり障りなく接し、自分を守っている。
――そうか、私は彼女と似ているのかもしれない
あえて相手のふところに飛び込もうとしない臆病者だ。
そのことに思い至って初めて、アイーシャの気持ちがほんのわずかでもわかったような気がした。
――自分を変えようかな。
そう考えながら周囲を見回すと、蓮の姿はなくなっていた。
「蓮のばか」