Chapter 3 episode: Uninvited Guest
木製の大きな門は堅く閉ざされ、来る者を拒むかのように威圧感を容赦なく放っている。
気が滅入る瞬間だ。
どうせ錠はかかっていない。勝手に門を開けて中に入ると、予想どおりの人物が予想どおりの位置に立っていた。
「久しぶり、じいさん」
「――何をしに来た、勝俊」
苦笑してしまうほどに硬質な声が返ってきた。
鈴木 源流。
この屋敷の主にして、一帯の〝Xハンター〟を治める者。
厄介な存在だった。
「お前がここに来る理由はもうないはずだ。鈴木家の宿命を放棄したお前には」
「そう言わないでよ。たまには顔を見に来たっていいじゃないか」
「今度は何が狙いだ」
ややうざったそうに息を吐いてから告げた。
「美柚に会いに来たんだよ。それだけだ」
「…………」
美柚の名前を出せば、なぜか通る。
沈黙した祖父の横をすり抜け、勝手に屋敷に上がった。
懐かしい印象もあるものの、それほど離れていたわけでもない。
今どき珍しい純和風の居間に座り込んだ。
自分がこの場所にいる違和感は消えずに、ずっと居心地の悪さが胸中に残る。
――これでよかったのか。
とも思うが、今さら引き返せるわけでもなかった。
この日何度目かのため息をつくと、程なくして外が騒がしくなってきた。
「お前はジャージを着ていたほうがいい。普段は破廉恥極まりないからな」
「どういう意味!?」
「奥ゆかしさのかけらもない女は、地味なジャージでも着ておとなしくしていろ。まったく、人前で脚をさらすなんて――」
鈍い音が響いてきた。どうやら殴られたらしい。
「……そういうところが奥ゆかしくないと」
「まだ言う!?」
「ふんっ、お前はどうせ婚活難民だ」
「はあ!?」
「婚活以前の問題だ。婚活する資格すらない。一生独――」
木がざわめく音が聞こえてきた。どうやら街路樹にぶつかったらしい。
「そ、そんなんで本当に女としての幸せが摑めると思ってるのか?」
「…………」
「はっ、自覚はあるようだな。もっとわきまえろ、精進しろ」
「あんたこそ、そんなんでいい女性と出会えると思ってんの?」
「俺は女らしい女には優しい」
きっぱりと言い切った。
「――この前の人みたいな?」
「前の?」
「和服の」
「京香のことか」
「京香っていうんだ……」
「確かに彼女は女性らしいが、その――」
「何?」
「……怒らせると怖い、お前よりも」
「あ、そう」
「って、なぜ京香と会ったことを知っている?」
「…………」
声が近づいてきた。二人は罵り合いながら、そのまま屋敷に入った。
「ただいまー。あれ? 兄さん?」
「お帰り」
「来てたんだ」
「ああ、たまにはいいだろ?」
「ちょっと待ってて。着替えてくるから」
と、美柚は足早に自身の部屋へ向かった。
「兄さん?」
蓮が居間をのぞき込むと、そこには背広を着た男がいた。
「む、貴様どこかで見たような」
「これでも一応、白鳳高校の教師なんだけどね」
「ふんっ、相手が誰であろうと俺には関係ない」
「相変わらず突き抜けてるなぁ、君は……」
「それより」
と、蓮は剣袋を担ぎ直した。
「ここへ何しに来た、鈴木 勝俊」
「美柚に他の男が近づくのは気にくわないか?」
「なっ、何を言ってる! あの女に誰が近づこうが俺には関係ない!」
「そうか。でも、やけに力が入ってるね」
「うるさい! そんなことより、貴様からは妙なものを感じる」
「はっきり言うね」
蓮が目を細めた。
「淀んだ霊気だ」
「…………」
「何をしたのか知らないが、清浄な霊気に戻せなければ――」
「華院くん」
その声は静かではあるものの、わずかな怒気を帯びていた。
「本当に必要なことをするためには、手段は選んでる場合じゃない。そうじゃないか?」
「それは二流の意見だ。一流は、正当な手段で目的を達成できる。己の不甲斐なさを言い訳に使うのはやめたほうがいい」
「はっきり言ってくれるね……」
しかし、確かにそうだ。そもそも選べる手段が少ないのは、自分の力が足らないせいだった。
それでも、世の中には正論が通らないこともある。
「じゃあ、他に手段がなかっとしたら? もし美柚を救うには自分が汚れ役を買うしかないとしたらどうする?」
「なっ、なぜあいつの名前が出てくる!? あんな女、一度地獄の底に落ちたほうがいい。まあ、門番に嫌がられて追い返されるのが――」
得意げに語っていた言葉の途中で、少年は激しい衝撃に居間の反対側まで飛んでいった。
「むぅ……不意打ちとは卑怯だぞ!」
「一流は言い訳しないんでしょ」
「…………」
ぐうの音も出ない。
「まったく、地獄に落ちるのは蓮のほうだよ。あんた、兄さんにまで失礼なこと言ってないでしょうね!?」
「……俺は事実を語ったまでだ」
「あんたの事実は非現実」
「ちっ」
呆れる勝俊の前で舌打ちしつつ起き上がった蓮は、目をむいた。
「お前……」
美柚の体は、すごかった。
「なっ、なんてカッコ……なんで下着なんだ!? ちゃんと上、着ろッ!」
「はあ?」
上は薄手のキャミソール、下は白のホットパンツ。
肌の露出度が高すぎるだけでなく、体のラインがわかりすぎる。
年頃の男の子には、美味しすぎた。
「どう見ても下着だろう!? いったい、どうなってる!?」
「別に、これくらい普通でしょ」
「ふ、普通!? どうなってるんだ、日本の女は……」
「あんたが古いの」
「むぅ……」
信じがたい。
「じゃあ、なんで昼は怒ったんだ」
「誰だってずぶ濡れにされたら怒るでしょ。それに、あれは見せるキャミじゃないし」
「何ィ?」
「だいたい、私がどんなカッコしようが勝手じゃない。それとも脱がしたいの?」
と、肩紐を片方、外してみせる。
「な、なんて女……!」
意外と純粋な蓮は、恥じらって自分の部屋へ駆けていった。
「美柚、あんまり蓮くんをからかうもんじゃない」
「だって」
茶を運んできた源流の言葉に、美柚は紐を元に戻しながら唇をとがらせた。
「そういえば」
と、勝俊。
「学校で何かやらかしたそうだね。職員室まで大騒ぎだったよ」
「うん、資料室でちょっとあって……」
「爆発事故だったって」
「爆発?」
源流が湯飲み茶碗を置く手を止め、美柚を仰ぎ見た。
「あー、どこかのおばかさんのせいで、ぼや騒ぎになったっていうか……」
「本当にそれだけだったのか?」
重ねて問うたのは、勝俊だった。
「え?」
「他に何かあったんじゃないか? 生徒たちが『叫び声が聞こえた』って騒いでいたが」
「うーん」
どうしたものだろう。巨大な怪物が出て暴れたと言ったところで、普通の人に信じてもらえるかどうか。
そもそも、自分自身が未だに半信半疑だ。〔あの男〕と出会ってからというもの、価値観を揺さぶられるようなことばかりだ。
「そもそも、資料室には何があったんだ?」
「うぅん……」
「あそこに何か――」
「それ以上話す必要はない」
落ち着いてはいるが、強い声音が勝俊の言葉を遮った。
「蓮」
「例の件の事後処理は、雛子と〔東一〕に任せてある」
「甲一だよ、甲一」
「どっちでもいい。もうこれ以上かかわる必要はない」
その口調は、勝俊に有無を言わせないものがあった。
「それより、何、そのカッコ」
蓮は上下ともに、あちこちにベルトの付いた拘束具のような服を着ていた。
「新型の――いや、俺にとって一番動きやすい服なだけだ」
「ふーん」
まるで信じていない様子で腕を組む。
それによって豊かな胸が強調され、蓮は見ては駄目だと自分に言い聞かせながらも横目で見ていた。
「気をつけてな、蓮くん」
「はい、老師」
剣袋のひもを握り直し、蓮はすぐに出掛けていった。
「じゃあ、僕も帰るかな」
「え、もう帰っちゃうの?」
「他の用事のついでに寄っただけだから」
ゆっくりと立ち上がると、妹分のほうに向かって微笑んだ。
「美柚、あまり無茶するなよ」
「私、兄さんに迷惑かけてる……?」
「そういう意味じゃない。教師の僕が言うのもなんだが、あの学校はいろいろある。十分に気をつけて」
「――うん」
勝俊は笑いながら言っているものの、そこには幾ばくかの真剣味があった。
少なくとも美柚には、思いやりが十分伝わってきた。
立ち上がって遠ざかっていく背中に、少しあわてて声をかけた。
「あ、兄さん」
「うん?」
「――実は、あの部屋でこれ拾ったんだけど」
「これは……」
美柚が差し出したのは、簡素なストラップだった。その先端に、短い鉛筆が付いている。
一瞬、勝俊の表情が切り換わった。美柚は気づかなかったものの、端で見ていた源流はその鋭い目つきを見逃さなかった。
「兄さん?」
「――けっこう古いものみたいだから、卒業生が置いてったものだろう。もらっちゃっていいんじゃないか」
「うん」
すぐに美柚の手に戻した。
その指先は、わずかに震えていたかいなかったか。
美柚に見送られて、勝俊は去っていった。
「あ、そうそう、おじいちゃん」
「なんだ」
「例のグラブ使ったよ。前にもらった奴」
「使った、のか」
「うん、けっこう役に立った」
――使えたのか。
動揺を悟られないように口を閉じた。
万が一と思って霊器の手袋を渡しておいたのだが、さっそく使うことになって、しかも実際にその能力を引き出してみせるとは。
これは、今から本格的に準備をしておいたほうがいいのかもしれない。
蓮くんにもよろしく伝えておこうと、心中深く決意する。
――いよいよ動きだしてしまったか。
どうしようもなく不安が先に立つ。
――すまんな。お前たちの娘は、目覚めようとしている。
源流は、自分の息子とその妻に心中で謝罪した。