Chapter 2 episode: New Comer
寒い。
まだまだ上着がなければ厳しい季節だというのに、校庭に立つ生徒たちはすべて半袖にハーフパンツだった。
「今日も元気に行きましょー!」
周りのテンションが異様に低いのにも構わず、女体育教師の忠野 真里はひとり元気よく右手を上げてなどいた。
風が吹くたびに生徒が震える。寒がりの多い女子生徒の間からは怨嗟ともとれる不満の声が上がっていたが、男子生徒の中に文句を言う者はいなかった。
真里は薄着だった。自身も薄手のTシャツにショートパンツというラフすぎる格好で、その豊満な肢体、そして白い肌を惜しげもなくさらしている。
男子として文句があろうはずもなかった。これくらいの寒さ、耐えて当然だ。
目の前では、真里がはしゃぐたびに豊満な胸が大きく揺れていた。
「さ、寒すぎる」
当然ながら女子にはそんなことは関係なく、皮下脂肪の比較的少ない生徒たちはただただ寒がっていた。髪をまとめ上げた美柚もそのひとりだった。
「ふんっ、軟弱な奴らめ。これくらいで音を上げるとは、ふだんの鍛え方が足らないんだ」
「さすが華院くん! 性格は悪いけど、いいこと言う!」
「な、なんだ、それは!?」
「え? 学校中でそういう評判だけど」
「何ぃ?」
怒りと不快感のこもった眼差しで周囲を見回すと、他の生徒たちはにやにやと含みのある笑いを浮かべていた。
「――ちっ」
あらさまにすねた蓮は、イライラと右足で地面を叩いた。
「なんなんだ、ここの教師は。〈麗々(リーリー)〉といい、あの大男といい」
「マリちゃんはいいだろ」
と言うのは、圭だった。
「なぜか、お前もいるし、あの女教師もどうかしてるし」
「お前な……」
「私……教員としてふさわしくない……?」
当の真里に聞こえてしまった。いや、聞こえるようにわざと言ったのだが。
「あっ! こいつ、マリちゃん泣かした!」
ざわっ。
気配が一気に変わった。男子生徒だけでなく女子生徒からも非難の視線をぶつけられる。
「……性格は問題あるが、スタイルはいい」
「え? 褒めてくれてるの……?」
「そうそう。マリちゃんは今のままでいいんだよ」
圭たちが、なんとかしてなだめすかす。ふだんが〝超ポジティブ〟なだけに、一度ネガティブに落ち込むと歯止めがかからなかった。
「ばか蓮。どこ見てんのよ」
「お前よりスタイルがいい」
「う、うるさい!」
一限目から方々で問題をまき散らし、蓮は反省の色もなく腕を組んで突っ立っている。
今日は、男女混合のサッカーだった。本来のカリキュラムとは違うのだが、真里が昨日のテレビ観戦で燃えたらしく、勝手に変えていた。
好きな生徒とやる気のない生徒の差が顕著に表れるこの競技では、動く生徒と動かない生徒が混在することになる。
全体の三分の一が、真里が優しいのをいいことにサッカーよりも世間話に興じている。そんな中、蓮は意外にも動きつづけていた。
本当は、サッカーなどに興味はない。しかし、これも鍛練のうちと自分に言い聞かせて、ふだんからスポーツをやる機会には全力で参加するようにしていた。
「行ったぞ、華院!」
同級生の声が飛ぶ。大きくけり出されたボールが、蓮の前方に向かっていく。
すでに動きだしていた蓮は、落下地点を予測して前進した――はずだった。
「あ?」
足元から来る突然の衝撃にバランスを失い、いやおうもなく顔から派手に転んだ。なまじスピードに乗っていたせいで、その勢いのまま二メートルほどずるずると滑っていった。
土下座よりみっともない姿勢で、蓮はようやく静止した。
「……………………」
一拍置いてからがばっと跳ね起きると、隣に立っている男子生徒に掴みかかった。
「貴様、わざと引っかけたな……!」
「い、いや、そのつもりだったんだけど、お前自分で……」
衝撃を受けた様子の前田 大樹は、蓮の足を指さした。
「何ィ? 俺がそんな間抜けことするか!」
「いや、マジで。お前の右脚が確実に左脚を捕らえた」
「そんなばかな!」
と言って周囲を見やると、ほぼ全員呆れた表情でいた。美柚だけは失笑し、真里は派手なプレイに興奮している。
「……………………」
羞恥心と情けなさでいたたまれなくなった蓮は、もう一度駆け出した。
「ちくしょう!」
理不尽な怒りのままボールを思いきり蹴りつけると、それは凄まじい勢いで飛んでいく。
「おいおい、どっち蹴ってんだよ!」
大樹の視線の先で、ボールは体育館の窓を突き破っていった。内側から怒号や悲鳴が聞こえてくる。
「……俺は知らん」
「ああ、もう!」
さっさとピッチの外に出てしまった蓮を罵りながらも、根は律儀な大樹はボールを取りに走っていった。
「おい、蓮」
「なんだ、圭。貴様も笑いに来たのか」
「確かに笑ってやりたいところだけど、痛々しすぎて笑えなかった」
「…………」
「そんなことより」
と、圭。
「その眼鏡、そんなに強力なのか? お前があそこまでひどいの、久しぶりに見た」
「わかるのか?」
「ああ、変な波動感じるし」
「外してみてくれ」
「やだね。そんな得体の知れないもん、触ったらどうなるかわかんねえし」
「師匠がつくったんだ」
「……じゃあ、観念するんだな」
「なんとか壊せないか?」
「無茶言うな。そんなことしたら、俺の身が危うい」
「俺が弁明しておく」
「弁明が通じるような相手じゃないし」
この藤堂 圭とは、幼なじみというか腐れ縁だった。昔からお互いことあるごとに衝突し、ときには敵対し、ときには争ってきた。
――要するにケンカしてばかりだった。
「蓮、その眼鏡、いくらなんでも〝力〟を抑えすぎなんじゃねえか? 俺、お前が昨日学校に来たの気づかなかったぞ」
「確かに極端だが……これでよかったのかもしれない」
圭が目で先を促した。
「俺は――いつも狙われている」
「…………」
「いつものままだったら、俺は目立ちすぎる。余計な争いが増えていただろう。こんな仕打ちをする師匠を恨んだが、意味はあった」
「やっぱり恨んでたのか……」
ひとり納得する、否、無理やり自分を納得させようとする蓮はどこか痛々しかった。
「眼鏡のことはともかくとして、別のことでもお前、気をつけろよ」
「別のこと?」
「美柚ちゃん人気あるからなぁ。お前、さっそく男子連中の反感買ってるぞ」
「知ったことか」
「中には過激な奴らもいる。特に〝武志團〟には要注意だ」
「ぶしだん?」
「ああ。どうせ自分のものにできないなら、いっそ他の誰のものにもしない――ってやつだ」
「訳わからん」
「さっきの前田 大樹もその一員だ」
「そういえばあいつ、何げに引っかけるつもりだったと……!」
「そうやって攻撃してくるんだ、陰湿に、な」
「…………」
二度とかかわるまいとこころに誓って、グラウンドのほうを見た。
〔あの女〕がこちらを睨んでいる。何様のつもりかピッチの中央に仁王立ちして動く気配はない。
しっかり睨み返してやると、相手はなぜか恥じらった様子で頬を赤らめた。
――何を勘違いしている?
蓮が戸惑っていると、そこへ他の男子生徒から声がかかった。
「おい、華院はともかく藤堂くらいは参加してくれ」
「ともかくって……」
「わかったよ」
気怠げな様子で、それでも圭はゴール前へ向かっていった――ますます不機嫌になった蓮をほったらかしにして。
今日はもう帰ろうかと思いはじめた頃、ふと横合いに気配を感じた。
「おい」
見れば、身長一九〇センチはあろうかという大男がそこにいた。やはりスポーツでもやっているのか、その体はがっちりとしている。
相手にする価値もないとすぐに視線を戻すと、気配で相手が苛立っているのがわかった。
――いい気味だ。
「おい、華院 蓮」
「なんだ」
あからさまにため息をつきながら返事をすると、男は思いがけない言葉を放ってきた。
「貴様、あまり彼女に近づくな」
「彼女?」
「鈴木……美柚だ」
「ああ、お前も〔騎士団〕とかいう連中か」
「それとこれとは――」
「そうそう! 鷹野の言うとおりだよ!」
今頃になって大樹が戻ってきて話に割って入った。その手には、しぼんだボールが握られている。
「華院は馴れ馴れしいんだよ、転校生のくせに。俺なんて、その、手、手をつないだことすらないのに」
「あいつと手をつないだら、指の骨が折れるぞ」
「え? マジで? ――じゃなくて、失礼なこと言うなっ、コノヤロウ!」
いきなり相手のペースになっている大樹であったが、文句を言いたいのは鷹野 誠也のほうだった。
「ともかく、彼女はお前のような奴が近づいていい存在ではない。分をわきまえろ」
「うるさい。俺が近づきたいわけじゃない。向こうが勝手に寄ってくるんだ。文句があるなら、あのガサツ女に言え」
「あっ、こいつぅ! なんて言い草だ!」
怒り狂う大樹であったが、誠也はそれ以上何も言わず校舎のほうへ去っていった。
「でも、意外だったよね、鷹野くんがすぐ〝アホ団〟に入るなんて」
と言ったのは、なぜかすぐ近くまで来ていた翔子だった。
「ね、弥生?」
「うん……」
「アホ団じゃねえ! 武志團だ!」
「クールだと思ってたのに、いきなり美柚のファンになっちゃうなんて、けっこうミーハーなのかな?」
「そんな感じじゃないと思うけど……」
「でも――」
長くなりそうな響子の話を遮ったのは蓮だった。
「弥生」
「は、はい」
「もう、いきなり名前で呼ぶなんて。美柚と二人同時に相手するつもり? お盛んだな~」
「お、お前は黙ってろ、変態女。や……いや、秦野。さっきのあいつはなんなんだ」
名字で呼ばれたことに少し残念そうにしながらも、弥生はきちんと答えた。
「鷹野 誠也くん。バスケ部でこの前転校してきたの」
「そうそう、華院くんより前に来た転校生なんだよ」
「初日に武志團に入ってくれた」
と、大樹。
「ふん……」
早くも後ろ姿が見えなくなった彼のいなくなった方向を見つめたあと、蓮はすぐに弥生のほうに向き直った。
相手めがけて〝念〟を送る。
《あいつ、霊力を抑えてたよな》
《うん、ちょっと不自然だった》
《雛子はなんて言ってた?》
《何も。一族のネットワークにも情報がなくて……》
《それだけでも十分怪しい》
雛子に調べさせよう、と伝えようとしたところで邪魔が入った。
「何よ、もう。激しく見つめ合っちゃって。そこまで進んでたの?」
「華院、てめえ、もう二人目の犠牲者を!?」
「いや、見つめ合っては……」
いた。言い訳のしようもない。
隣で赤くなった弥生がさらに状況を悪化させ、弁明もごまかしも許さない空気をつくる。
「……はっ」
気がつくと、背後に殺気があった。
〈羅刹〉が突進してくる。
憤怒と嫉妬をまき散らし、人類最速の男もかくやという速度で迫ってくる。
「…………」
兎は逃げた。ただひたすらに逃げた。
体育の授業は、これからが本番だった。