第二十一話:スライムは実験する
【嫉妬】の邪神対策を進め、いよいよ決行の日が来た。
俺たちは、三日前から邪神封印の地で準備をしていた。
【嫉妬】の邪神が封印されているのは、全長二十キロほどの無人島だ。アッシュポートからは数十キロ離れている。
ちょうどいい。【嫉妬】の邪神レヴィアタンは全長一キロを超える巨竜だ。街中で解き放たれようものならすさまじい被害がでる。
広大な無人島なら周りを気にせず戦えるだろう。
そして、封印の地についてから、三日かけて、あらかじめ完成させておいた術式や、魔道具を設置し終わっていた。
……俺の見立てでは成功率は九割というところ。
俺のアドバイスと、オルフェの技術提供によって、穴だらけだった当初の計画から凄まじい進化を遂げている。
さらに、オルフェは独力で、自らが体に宿す【憤怒】の邪神の力を用いた弱体化の術式を完成させていた。
邪神同士には相性が存在し、【嫉妬】にとって【憤怒】は天敵だ。その力を注ぎ込むことで大きく弱体化させる。
邪神の弱体化には二つの意味がある。【嫉妬】の邪神をクリスに収める際の成功率を上げ、万が一失敗した際にも倒せる可能性が出てくる。
邪神本来の力で蘇られた場合、誰にも止めることなどできはしない。
ゴーレム馬車の中で、最後の休憩を俺たちは楽しんでいる。もうすぐ、デニスが邪神をクリスの体におろす。
「ニコラ、ずいぶん寝てないよね。少しでも仮眠したほうがいいよ」
「いい、最後の一秒まで頭を回し続ける」
ニコラはそう言って、強化外骨格をメンテし続けていた。
ニコラは今日まで、己のすべてを絞り出し、強化外骨格のメンテを続けてきた。
「オルフェの言うとおり、ニコラは頑張り過ぎよ。もうあなたの強化外骨格は完璧だわ。今更、慌てても仕方ないわよ」
「シマヅねえ、錬金術士に完璧なんて言葉は存在しない。それを言った瞬間に終わる……最後の一秒までやれることは全部やりたい。あとで後悔したくない。シマヅねえやスラに何かあったら自分で自分を許せない。家族のために、最高のものを作り上げる」
ニコラは戦っている。
大事な家族を守るために。言葉だけでなく、それを行動で示していた。その成果が、改良を繰り返された強化外骨格だ。
……大賢者マリンだったころの俺ですら、これほどのものを作れなかっただろう。
「なら、好きにしなさい。でも、全部終わったらたっぷりと栄養のあるものを食べて、ぐっすり寝ること。それから、三日の間、研究禁止よ。休息しなさい」
「ん。そうする。おやすみの間はずっとスラと遊んどく」
「ぴゅい!(デートだ)」
俺はニコラの作業の邪魔にならないように、彼女の足にすりすりして甘える。
これだけ、頑張ったんだ。娘にご褒美をあげるのも俺の仕事だろう。
「それと、ニコラ」
「なに、オルフェねえ」
「その子たちに名前がないの? シマヅ姉さんとスラちゃんの命を預けるんだから、強化外骨格なんて呼ぶのは味気ないよ」
それは思っていた。
やっぱり、かっこいい名前がほしい。
「実はちゃんと決めてある。龍殺しの剣、ゲオルギウス。それがこの子たちの名前」
「へえ、かっこいいね」
「私も気に入ったわ。ニコラの創り出したゲオルギウス。その力を頼らせてもらうわね」
頼りになる相棒を預けてもらった。
きっと、最後の最後にはこいつの力が助けてくれるだろう。
◇
そして、いよいよ実験が始まった。
俺は【気配感知】を常に発動し、シマヅもキツネ耳をピンと立てて辺りの気配を探っている。
ここでの妨害は致命的だ。
俺とシマヅが全力で警戒していれば、たいていの不意打ちは防げるはずだ。
デニスとクリスが来た。
ここにいるのは、デニス、クリス。そして、オルフェ、ニコラ、シマヅ。
さらにはアッシュポートから派遣された護衛の騎士たち。
注目が邪神の封印の陣へと集まる。
オルフェが保険のための術式を起動した。
封印の陣が改変されていき、元から存在した封印の術式がオルフェの術式に変わっていく。
オルフェが詠唱を開始した。
詠唱破棄も可能だが、少しでも精度と威力を確保したいときは詠唱を行う。
オルフェの声は、まるで祝詞のように高らかに響き、心にしみわたる。
「滅びを顕現せし憤怒の炎よ。深く、深く、澱み、染め上げよ! 【黒炎沈下】」
オルフェの心臓に宿る【憤怒】の邪神サタン。その象徴たる黒い炎が噴き上がり、改変された陣に吸い込まれていく。
黒い炎は、【嫉妬】の邪神の魂にまで届き、内側で暴れ出し、その力を大きく減退させていく。
逃げ場のない封印の中、天敵たる【憤怒】の力を浴びて【嫉妬】の邪神が悲鳴を上げて暴れまわり、封印が軋む。
ここまでは前座だ。
ここから、デニスが五重の封印を段階的にとき、その力を変換してクリスに流し込む。
デニスとクリスが封印の陣の中央に立った。
デニスにオルフェが手渡した、水銀の瓶を空に振りまく。それは術式を記憶し、散布することであらかじめ作り上げた魔法陣を空に描く、エンライト家に伝わる魔道具だ。
「では、これより実験を始める」
デニスが高らかに宣言した。
デニスは、五重に施された封印の一つ目を解いた。わずかに漏れ出た邪神の力が、デニスに吸い込まれていく。それが変換されクリスへと流れる。
大地が鳴動し始めた。
「マリン、少しだけ私の話を聞いてくれないか」
デニスが、封印を解除しながら、突然とんでもないことを言い出した。
いきなり、その名を呼ぶとはなんのつもりだ!?
オルフェとニコラがあたりをきょろきょろと見る。
……ここでスラちゃんとなった今の俺を真っ先に見つめるなんて反応じゃなくて良かった。
「返事は要らない。ただ、聞いてほしいのだ」
その声には、寂しさと焦燥と静かな怒りがあった。
「私は、いつもおまえに勝てなかった。後から師匠のもとに弟子入りしたマリンは、すべての面で私を追い抜いて行った」
デニスは面倒見がいい男だった。
「私は、おまえが羨ましかった……ずっとずっと嫉妬していたのだ。気が狂う寸前だった。……そんなとき、アデラをかけた試練でおまえに勝った。たった一度の勝利だ。だが、その勝利が私を救ってくれていた。それだけが私の心のよりどころだった。……真実を知るまではな」
封印の二つ目が外れる。
デニスは自嘲気味に笑う。
「たった一度の勝利すら、アデラの不正によるものだったと知ったとき、絶望したよ。狂いそうになった。私はただの八百長試合での勝利を誇りにし続けてきたんだ、私の惨めさがお前にわかるか!?……狂わないためには、たった一つでもいい。なんでもいいから勝ちたかった。そんなおり、風のうわさで聞いたよ。邪神をエルフの娘に封印したと。それを聞いた私は、残りの生涯をかけて、封印するだけではなく、その先に行こうとした。それならお前に勝ったことになる」
封印の三つ目が外れた。
残りの封印は二つ。
「そして、ようやく、ようやく、すべてが揃い、研究が完成し! ついに私は、マリンを超えられると思った! この惨めな気持ちから、やっと解放されると、そう信じていた! だが、現実はどうだ。おまえとおまえの娘に次々と問題点を指摘され、改善案まで出される。すべておまえたちが正しかった! 言われるまで気付かなかったよ! おまえたちの善意で意見を受けるたび、どれだけ私が怒り、苦しみ、嘆いていたかわかるか!」
封印の四つ目が外れる。
「くぅっ、あ、あああ、痛い、くるし」
変換された邪神の力を流し込まれたクリスが悶え苦しんでいる。
この反応はおかしい。俺とオルフェが力を貸して出来上がった術式では、ここまでクリスに負担がないはず。
……まさか、デニスは。
「ぴゅいっぴゅ!(俺たちの術式を使わなかったのか)」
「父上、ごめんなさい。あの人を殺すわ。邪神復活を止めるにはそれしかない」
俺と同じタイミングでデニスがやっていることに気付いたシマヅは、神速の踏み込みを行った。
距離をゼロにして、居合切りを放つ。首を狙った一撃。
シマヅは乱暴だが、間違ったことを行ったわけじゃない。デニスは俺たちを裏切り、自らの術式を使った。このままでは邪神が間違いなく復活する。
シマヅは殺して止めようとしたのだ。
そうでないと止められない。しかし……。
切り飛ばしたデニスの首が笑う。
「ぴゅいー(デニス、おまえは)」
……もうすでにデニスは人やめていたのか。
自らを邪神の眷属としていた。
そして、護衛の騎士どもがオルフェとニコラを襲い始めた。
「オルフェ、ニコラ!」
シマヅは、デニスの始末より二人を守るのを優先する。
どうやら、邪神の力をうまく隠していたようだ。騎士たちは、もうその必要はないとばかりに、邪神の魔力を解き放った。
おそらく、こいつらは七罪教団の人間。デニスが引き入れたのだ。
「笑ってしまう。結果として、出来上がった術式の六割以上は、マリンのアドバイスで手直ししたものと、そこの小娘によって作られたもので、私の術式ではなくなった。私は打ちひしがれたよ。……何十年もかけて、娘すら犠牲にして勝とうとしたのに、負けたのだ。いや、もっとひどい。勝負すらさせてもらえなかった。アデラの時と一緒だ。マリン、貴様と貴様の娘の術式で、この研究を成功してなんになる? たとえ失敗するにしても、私は自らの研究でおまえに挑みたかったのに」
デニスの体が自らの服を引き裂く。
そこには、デニスが当初自力で用意した術式が刻まれていた。
あいつは、空中に描かれていた魔法陣を使っているふりをして、ずっと自分の術式を使っていたのだ!
こんな欠陥だらけの術式で、成功するはずがない。
「マリン、おまえは魔術士としては完璧だった。だがな、人としては未熟で不完全だ。おまえに凡人の気持ちはわからないよ」
最後の封印が解けた。
邪神の力が、デニス独自の術式で変換され、すべてクリスに注がれた。
……そして。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
クリスが絶叫した。
黒い色の魔力があふれ出し、止まらない。黒の魔力は次第に実体化していく。
不完全で穴だらけな、デニスの研究の成果。
そんなものが成功するはずなく、失敗するべくして失敗する。
復活した【嫉妬】の邪神は、オルフェの術式で弱っているせいか、すべての力をかき集めていた。
七罪教団、そしてデニスに与えた力を奪い取っていく。
ただ、与えた力を取りもどすだけではなく、宿主の力を吸い尽くす。
そんなことをすれば、七罪教団もデニスも無事で済むわけがない。
「ああ、やっぱり失敗か。わかっていたがね。残念だが、晴れ晴れとした気分だ。……今度はちゃんと勝負して負けられた。嬉しいよ。……マリン。あの日と違って、ちゃんと負けられたんだ。やっと私はマリンと勝負ができた」
それが最後の言葉だった。邪神にすべてを奪われたデニスは、そのまま息を引き取った。
オルフェとニコラを襲っていた七罪教団たちも次々に倒れる。
……わからない。デニスの気持ちがわからない。
俺とオルフェの力を借りていれば、無事に功績を残せたのに。
その成果を横取りするつもりはなかった。ちゃんと、デニスは評価され、この研究成果があれば、俺以上の賢者とあがめられたのに。
それは奴にとって俺への勝利のはずだ!
なぜ、なぜ、こんな無駄なことをする?
「ニコラ、シマヅ姉さん。まずいよ。邪神が復活しちゃった」
オルフェが脂汗をかいて、杖を構えた。
「……保険が役に立つ」
ニコラはゲオルギウスのハッチを開ける。
「これをなんとかしないと。大変なことになるわね」
シマヅが刀に手をかけた。
そして、黒い影は天に舞い上がり、巨大な蛇のような竜になった。
【嫉妬】の邪神。邪神の中で最大の巨体と純粋な力を持つ、災害そのもの。
クリスに張り付けていた、超ミニマムスラちゃんが、クリスがまだ生きており、取り込まれているということを教えてくれた。
「ぴゅいぴゅー(今はやるべきことをやる)」
……俺には、デニスの考えが理解できてない。
それでも、悲痛な想いは伝わった。
あいつが俺のことをどう思っていようと、俺は奴を親友だと思っている。
だから、せめて奴と交わした最後の約束を守ろう。
あいつは言ったのだ。『私に何かあったら、クリスを頼む』
その誓いを果たすため、俺は力をこめて、スライム跳びでゲオルギウスを目指した。