エピローグ:スライムは養女エルフに抱きしめられてます
ベルゼブブを倒した俺はスライム走りでニコラたちが待つ地点に戻ってきた。
疲れた。もう動きたくない。オルフェの腕の中でぐっすり眠りたい。
やってみてわかったが、進化ってかなり体力を使う。
「ぴゅいー(ただいま)」
一か所に集まり、傷を癒している面々に声をかける。
いくつもの視線が突き刺さる。
ぺろり、これは敵意。
「魔物がでやがった」
「ちょっと待て、これって【魔術】のエンライトの使い魔じゃ」
「色も大きさも違うだろ」
「そう言われてみれば……殺せ!」
「ぴゅひぃぃぃぃ」
慌てて逃げる。
やっぱり、フレンドリーに話しかければわかってもらえるという考えは甘かった。
まあ、魔術士どもは魔力切れ、騎士たちの物理攻撃なんてこのスライムボディには通じないので実はたいした問題じゃない。だけど、精神衛生上よろしくない。
陰からこっそり様子を見て、オルフェが戻ってきたら顔を出そう。オルフェならちゃんとわかってくれるはず。
逃げた先に一人、立ちはだかる。
ニコラだ。
スライムボディが震える。
ニコラなら、魔法生物を殺すことなんてたやすい。
「ぴゅっ、ぴゅぴゅい(僕は悪いスライムじゃないよ)」
とりあえず、弁明してみた。
ニコラは俺を抱き上げぎゅっと抱きしめる。
やっぱりオルフェと違ってやわらかくない。薄い、堅い。
もっと肉を食べるべきだ。
昔からこの子は好き嫌いが多かった。父としてもっと怒ってあげればよかった。
「みんな落ち着いて。この子はスラ。見た目はかわってるけど間違いない」
「ぴゅふぅー(ニコラ、信じてた)」
良かった。ちゃんとわかってくれたみたいだ。
あまり気持ちいい抱き心地ではないが、助けてくれたのでサービスをしよう。すりすり、すりすり。
ニコラがくすぐったそうに笑う。
「スラ、怖かったね」
「ぴゅいぴゅい(まったくだ)」
ちょっと見た目が変わったからって恩人ならぬ、恩スライムを殺そうとするなんてとんでもない連中だ。
今まで、スターヴ・フライやベルゼブブの群体から庇い、傷まで治してあげていたのに。
「スライム、悪かったよ」
「機嫌を直して」
「謝るから、また怪我を治してくれないか」
「ぴゅん(ふん)」
俺はそっぽを向く。
いらっとしたので回復ポーションは使ってやらない。
帰って来る途中に、薬草を食べて追加補充してきてあげたのに。もう、こんな奴らしらない。
とはいえ、ずっと謝り続ける彼らを見ていると、苛立ちがほどけていく。
しょうがない。
「ぴゅっふー(ポーションシャワー)」
お腹の中のポーションを噴水のように吹き出し、周囲にポーションの雨が降った。
騎士や魔術士たちが駆け寄ってきて、笑みを浮かべてポーションシャワーを浴びる。
彼らの傷がゆっくりと癒えていく。
俺は心の広いスライムなのだ。
「おおう、ありがてええ」
「さすがだぜ、スラの兄貴」
「あなたは世界一のスライムよ」
「ぴゅっへん(えっへん)」
そんな馬鹿なことをやっていると、オルフェがやってきた。
若干憂いのある顔だ。
父親と再会したことが影響しているのだろう。
「オルフェ様!」
エレシアをはじめとしたみんながオルフェのところに駆け寄っていく。もはや、彼らの頭に傷を治してくれた一匹のスライムのことなど残っていない。……悲しい。
そして、さすがは【魔術】のエンライトだと褒め称える。娘が褒められるのは自分が褒められるより嬉しいので、これはこれでありだ。
オルフェは困った顔で愛想笑いをしている。
「最後の魔術、素晴らしかったですわ! 星の輝きそのもの! おとぎ話のような魔術でした。あれをたった一人、しかも即興で使うなんて、オルフェ様は世界一の魔術士ですわ!」
ふふふ、わかってないな。あの魔術を使ったのは俺だ。
オルフェには少し早い。
オルフェは苦笑して口を開く。
「違うよ。あれはお父さんの魔術。お父さんがね、助けてくれた。お父さんが来てくれなかったら負けてたよ」
「ふふふ、そんなご冗談を。マリン様はお亡くなりになられていますわ」
「でも、確かにお父さんが助けに来てくれたんだよ」
そうはいってみたものの、結局誰も信じていなかった。
エレシアたちは、朦朧とした意識のなかでオルフェが無我夢中に放った魔術だと決めつけている。
まあ、それでいいだろう。
俺が生きていると思われるよりはそっちのほうがいい。
いや、一人だけオルフェの話を信じたものがいた。
ニコラだ。姉に駆け寄らないで、少し遠くからみんなに囲まれるオルフェを見ていた。
俺を抱きしめる手にぎゅっと力を籠める。
「オルフェねえ、ずるい。私も父さんに会いたかった」
その声には寂しさと、少しの嫉妬があった。
この子も、俺に懐いていたからな。
「ぴゅい!(泣かないで)」
「スラ、もしかして慰めてくれてるの」
「ぴゅいぴゅい!」
「ありがと」
ニコラが俺のスライムボディに顔をうずめる。
ニコラ、大丈夫だよ。いつか必ずおまえにも会いに行くから。
がんばって、がんばって、それでもだめなとき、俺は駆け付ける。あの約束はみんなにした約束だ。
◇
そのあとは、そのまま山を下りた。
大きな宿の大部屋を借りて、大宴会が始まった。
誰も滅ぼすことができず、封印するしかなかった邪神。
それが倒されたのだ。人々は大喜びで酒と食事を楽しむ。
オルフェの名は、広く知れ渡るだろう。
もしかしたら、オルフェがきちんと俺の研究を引き継ぐ資格があると認められ、成金デブ公爵の根回しを吹き飛ばせるようになるかもしれない。
オルフェが学会に発表した独自の研究ですら、研究そのものは評価されても、大賢者マリン・エンライトが手を貸したと嫉妬した研究者たちにいいがかりをつけられていた。
さらに亜人への偏見がこの国はまだまだ強い。その二つのおかげで成金デブ公爵の主張が通ってしまったのだ。
それでも、オルフェ自身の圧倒的な偉業があれば風向きが変わる。邪神討伐は圧倒的な偉業になるには十分だ。
「スラちゃんはよく食べるね」
「ぴゅい」
俺もオルフェの膝の上で食事を楽しんでいる。
ベルゼブブを【吸収】して進化してからというもの、五感がするどくなった。もちろん味覚も。だから、今まで以上に食べるのが楽しい。
美味しい、幸せだ。
美味しいものを食べながら、オルフェの太ももを楽しむ。
スライム冥利に尽きる。
隣にいるニコラが口を開く。
「ねえ、オルフェねえ」
「なにかな?」
「父さんが助けてくれたってほんとだよね?」
「うん、本当。もうだめって思ったら、お父さんが現れてね。助けてくれて。それから、邪神を一発で倒す魔術を使ったの。やっぱり、お父さんはすごいよ! まだ全然かなわない。……でも、すぐに消えちゃった」
「……父さん、死んでも約束を守ったんだ。父さんに会うために私もがんばる。オルフェねえと同じように、がんばって、がんばって、それでもだめなときはきっと助けてくれるから」
「ぴゅい!」
がんばれとエールを送る。
まあ、二人が全力を尽くしてもどうにもならないような状況はごめんだが、もしそうなったら助けてやる。
「そういえば、前から気に入っていたけど、くんくん。やっぱりお父さんの匂いがするね。今日久し振りにお父さんにぎゅっとしてもらって匂いを嗅いだけど、スラちゃんと同じ臭いだ」
ぴゅへ?
オルフェが俺のスライムボディの匂いを嗅ぐ。
「そう? 私もやってみる。くんくん。言われてみれば父さんの匂いがする」
二人の娘に匂いをかがれるのはひどい羞恥プレイだ。
ただでさえ赤いニュースライムボディが余計に赤くなりそうだ。
「ぴゅいー」
我慢の限界が来たので、鳴き声をあげる。
何も知らない無垢なスライムの鳴き声だ。
「ごめんごめん、冗談だよ。スラちゃんが実はお父さんだったなんてありえないもんね」
「いくら、お父さんでもスライムに魂を移すのは難しいはず……うん? できなくもない。技術課題が、四十八しかない。それぐらいなら、父さんなら……、やっぱり無理。時間が足りない。数十年の研究が必要」
ふふふ、甘いぞニコラ。
時間なんて、作ろうと思えばいくらでも作れる。
それも比喩抜きで。俺の屋敷には隠された精神と刻の……ごふんっ、ごふんっ。
何はともあれ、なんとか正体がばれずに済んだ。
とはいえ、疑われてしまった。今後はより気を付けよう。
「ねえ、ニコラ。これからのことだけど……」
そうして、オルフェはニコラに今後の予定を話し始めた。
◇
翌日の朝、ニコラはゴーレムの馬車の整備をして、オルフェは巫女姫救出の報酬を受け取り、旅に必要なものをたっぷりと買ってきた。
これでいつでも出発できる。
「思ったより、この村に長居しちゃったね」
「予定では一泊して温泉を楽しんですぐ出発するはずだった。無事国外に出れるか心配」
そうなのだ。
研究成果の持ち出しに気づかれれば、伝書鳩を飛ばして関所に手配書をまわされる可能性があった。
それでも、妹分を優先することを考え、巫女姫であるエレシアを助けに向かった。
「それは大丈夫だよ。ちゃんと準備はしてある」
オルフェが自信満々に言う。
すると、エレシアが守護騎士を引き連れてやってきた。
「オルフェ様、このたびは素晴らしい活躍でした」
「お褒めいただき光栄です。巫女姫様」
オルフェが敬礼する。
人目があるので、妹分ではなく巫女姫に対する態度。
そんなオルフェを見てエレシアは寂しげな表情を浮かべる。
「本当に今回の褒賞はあんなもので良かったのでしょうか?」
「はい、国外に送り届けてもらえばそれで充分です」
オルフェは邪神を倒した褒美に、巫女姫の権力で秘密裏の任務と偽り、国外に出る許可と活動許可を求めた。これで安心して国外に出れるし、活動できる。
「……わかりました。オルフェ様に屋敷の話を聞いて、力になれない自分が悔しくなりました。でも、安心してください。今回の邪神討伐という実績があれば、ちゃんと正攻法でオルフェ様を認めさせられます。だから、いつか、ちゃんとオルフェ様が胸を張って帰れるようにするので、絶対に、この国に帰ってきてください!」
必死にエレシアは叫ぶ。
オルフェは微笑んだ。
そして、守護騎士に聞かれないようにエレシアの耳元で、昔と同じように妹分への言葉をおくる。
「約束するよ。絶対に帰ってくる。あの屋敷は私たちの大事な思い出だし、可愛い妹分もいるからね。はい、これ。エレシアちゃんの大好きなケーキ、早起きして焼いたんだから大事に食べてね」
オルフェはそういって大きな包みを手渡した。
それは、エレシアが俺の屋敷で修行していたころ、大好物だったオルフェ特製の卵たっぷりケーキだ。
これが立場が違うオルフェにできる最大限の優しさだ。
エレシアの頬を涙が伝う……そして、涙を拭いてにっこりと笑う。
「約束ですわよ! ぜったい、ぜったいですから」
「はい、エンライトの名に誓って」
それで挨拶は終わり。
守護騎士の一人が乗った馬車に先導されるようにしてゴーレム馬車が出発する。
エレシアは俺たちが見えなくなるまで精一杯手を振っていた。
ゴーレム馬車は街道を軽快にとばす。
「オルフェねえ、次の街に着いたら何をする」
「まずは部屋を借りたいかな。工房がないと研究ができないし」
「ん。この馬車のスペースだと限界がある。広い部屋で作りがしっかりしてれば、あとはどうにでもできる。たくさん改造して立派な工房にする」
そこはニコラの得意分野だ。
この子は昔から、姉たちに頼まれてそれぞれの研究のための工房作りを行っていた。
「立派な部屋を借りて工房に改造するとなると、今回の報奨金だけだとお金が足りないか。まずは路銀稼ぎだね。大きな街ならいろいろできるだろうし」
二人は、前向きに次のことを考えている。
そして俺といえば、船をこいでいた。
今、いるのはオルフェの腕の中。俺の定位置。ここは居心地がよすぎる。
「スラちゃんは何がしたい?」
「ぴゅい!」
「あはは、さすがにわからないよ」
オルフェが笑う。それにつられてニコラも。
幸せだ。
娘二人との旅、なかなか悪くない。
何より、このスライムボディを包むやわらかさと暖かさ。
「ぴゅい!」
とくに理由はなく、鳴き声をあげる。声が弾んでいた。
窓の外は青空が広がっている。
今日も大賢者は養女エルフに抱きしめられています。