仲里先生の評価欄で行われた仲里先生と矢車先生の「文学の定義とは?」論争がやたら面白かったので、自分でも考えてみようと思う。
まず思い浮んだのがこんな感じ。
文字だけを使って、おもしろいものを作る。
なんかいきなり答えが出てしまった気がする。もちろん、文学だから詩や戯曲(脚本)、俳句、短歌、エッセイも含まれる。漫才台本もオレの中では文学だったりする。
うわ。つまんね。終わってしまったやん。
「ねえ、父ちゃん。オレのプリン食ったろう」
あ。こら。邪魔をすんじゃない。今、父ちゃん、真面目に語ってるんだから。
「何を語ってるの?」
文学の定義だよ。
「ふうん。何、文学の定義て何?」
そ、それはな。文字だけを使っておもろいことをする。それが文学なんだよ。
「じゃあ、書道はどうなるの?」
え?
「あれも文学なの?」
書道は違うだろう。
「だって、あれおもろいやん。例えば、「マッチョ」て字を荒らしく書いたりさ、「オカマ」という字をなよなよした字で書いたりさ、見た目がおもろいよ。文字しか使ってないし」
ふりだしに戻った。
確かに、書道という手があったか。これはうかつだった。あれも確かに文字しか使わないでおもろいことしてる。しかし、オレの場合、あれはどっちかというと、絵画に分類されんねん。
短いから、という理由ではない。例えば、短くても俳句は文学だと思う。
古池や 蛙飛び込む 水の音
芭蕉の有名な句である。正直、これの素晴らしさはガキの頃はわからなかった。そのまんまやん。何がおもろいねん、と。
しかし、大学生の頃、日本文学の先生に、「あれ、外人の生徒に読ますと、五十匹くらいの蛙が次々と飛び込む絵を想像して笑えるらしいね」という話を聴いた時、あれこれはひょっとしておもろいのかな、という感じがした。
決定打は、社会人になってから読んだ芭蕉の伝記だ。
ある夜。芭蕉は仲間たちと句会を開いていた。近くに古池があるのでそれをテーマにやってみまひょか、てなノリで。
まぁみんなおもろいのを並べて、芭蕉もいろいろ考えた。しかし、「古池や 蛙飛び込む」まではいいけど最後の一句がピンと来ない。「柳の木」でもないし、「夜の月」でもないし。
みんなが「まぁまぁ師匠。柳の木でもけっこうイケますよ」と言ってたその時、ひらめいた。
水の音。
ぽちゃああああああああん。
みんなの頭に音が鳴り響いた。
「おお! それはすげえ! 最高だ!」
「さすが、師匠。天才!」
「てへへへへ」
これはお世辞ではないと思う。つまり、みんな、「古池」「蛙」「飛び込む」と来て「柳の木」と連想したのは、すべて目で見たもの、つまり、視覚的表現だけが念頭にあったからだ。それを、芭蕉はあえて、「水の音」と、耳、つまり聴覚に訴えたのだ。
静かな古池に蛙が飛び込んで柳の木がゆらゆら揺れてたら何のアクションも起こらない。しかし、水の音を持ってきたことにより見事に静寂を突き破ったのだ。
視覚から聴覚への転位。ここにこの句のキモがある。
うろ覚えだが、フランスの哲学者J・モリオールが、笑いを定義する時、「愉快な心理的転位」と確か表現した。差別の笑い、ズレの笑い、緊張を緩和させる笑いなどいくつかの笑い理論を考察しながらもピンとこなかった。ある時、なぜか理由は忘れたが、冷蔵庫を開いたらボーリングの玉が入っていて思わず吹き出してしまったらしい。「ボーリングの玉なんて入ってへんわ」という気分で、どんな気分や、とにかく、まぁ普通入ってるなんて思わんやん。そんな気分で開けたら入ってた。つまり、心理的転位が起こったわけだね。入ってるわけないやん、という気分から、入ってるやんという気分へね。
ただ、これで、コブラが冷蔵庫から出てきたら、笑えない。驚いて腰を抜かす。あくまでボーリングの玉だったから笑えた。これがつまり、「愉快な」心理的転位ということやね。
何の話だっけ? 笑いの話? 違う。違う。芭蕉か。いや、違う。違う。文学の定義。
もうダメだ。文学の定義はもうやめよう。俳句の時点でかなり枚数使ってる。別にオレは俳句が書きたいわけじゃない。
小説の定義にしよう。
これはオレの中でけっこう明確にある。
文字だけを使った自由で変幻自在な表現形式。
小説の発生した理由を考えるとよくわかる。小説が生まれる前にあったものは何かというと、短歌や戯曲であった。これらももちろん、おもろいことはおもろいのだが、いかんせん、形式がましい。戯曲はそもそも舞台が設定されてるので動きに制限があるのはしかたないし、短歌に至っては、五七五七七、とそれだけですべてを表現しないといかん。
「これはうっとおしい!!!」
そう考えた人たちが小説を発明した。
と、理解してる。つまり、小説というのは限りなく自由な表現形式なのだ。これは意外と見逃されてる事実。だって、漫画や映画が誕生しとるからね。あいつらと比べるとどうしても小説て制限だらけってイメージがあるよ。
でもまぁひとまずはそれがオレの小説の定義。
あと、これも加えておこう。これが大事。だから、ちょっと書き直すね。
文字だけを使った自由で変幻自在なおもしろい表現。
やはり、おもしろいてのは外せない。笑いに限らずネ、手法が面白いとか、考えが面白いとか、いろいろ。
もっとも「つまらんもの書くぞ!」なんて気合入れてる人なんておらんか・・・・。
「父ちゃん! オレのアイスも食ったでしょう!」(了)
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