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星に願いを
作:澄 香久子





登場人物

 

アユミ(29)大学卒業直前に体調を崩し、入院。七年後、退院。


柊 (32) 仕事のストレスで入院。四年後、退院。アユミと知り合い。


美里(35)柊の姉。ピアノ教室を主宰している。


孝 (60)アユミの父。定年後、海の見える田舎の家を買い、悠々自適の生活。


依子(58)アユミの母。

                                        
本文

虹が出ていた。

雨上がりの空を眺めながら、アユミは依子にうながされ、孝の車の後部座席に乗った。

七年ぶりの退院。

しゃばにもどったような開放感。

長かった。ひたすらに。

途中から、外泊もできるようになったのだが、やっぱり完全な退院とは、こんなにも自由なも

のなんだろうか、とアユミは、異空間に転がり込んだ感じがしていた。

これから、新しい海の見える田舎の家へ向かう。

どんな家だろう。

孝が、退職金をはたいて買った、洋館だそうだ。

田舎暮らしに憧れていた孝にとっては、念願適ったというところだろうか。

アユミには、三つ年上の兄がいるが、今は遠い仙台にいて、なかなか会えないのが、入院中も

寂しかった。

綺麗な奥さんと、幼稚園の女の子がいる。

二時間近くかかって、ようやく新居に着いた。

小高い丘の上に立つ赤い屋根の家。

なかなか雰囲気がある。

「2階の奥が、あなたの部屋よ」  

依子にそう言われて、アユミは階段を駆け上った。

扉を開くと、フローリングの六畳の部屋に、ベットが置いてあった。

アユミの荷物は届いていたから、さっそく部屋の整理にかかった。

窓からは、遠くに海が見える。

山も見える。

緑が一杯で、孝がなんでこの家を選んだのかがわかった。


夕食の時、孝が、箱を取り出して、アユミに渡した。

「これから、使いなさい」

優しい声に、何だろうと箱を開けると、携帯電話が入っていた。

アユミにとっては、初めて手にするものだった。

「ありがとう。なんか、うれしい」

涙ぐんだアユミの脳裏には、長かった入院生活が走馬灯のように駆け巡った。

そして、嗚咽して泣いた。

涙か、ぽろぽろ出た。

孝も、依子も、何も言わず、静かな時が流れた。

そして、病院の仲間達のことが思い出された。

七年ともなると、友達の域を超えた、不思議な連帯感があった。

今頃どうしているだろう。

うれしいのに、なぜか寂しさも募った。

夜、二階の部屋で、さっきの携帯電話の説明書を見ながら、扱ってみたが、アユミには電話す

る相手もいなかった。

もちろん病院内は、携帯持っている人いないし、大学時代の友達とも、七年もたつと縁も切れ

てしまった。

友達がいないのだ。

ベットの脇に、携帯をそっと置いて、アユミは、自分が世間からいかに隔絶した生活をしてき

たか、ということを考えた。

悲しい。

もう29歳。

若い大切な時期を人生から逃してしまったような気がして、悲しかった。

その日は、疲れて、そのまま眠ってしまった。


二週間がたった。

田舎暮らしにも慣れてきた。

孝も、依子も、運転できるから、生活に不自由はなかった。

ただ孤独のなかで、友達としゃべりたいとアユミは願った。

しかし、アユミは運転できないし、ここは知らない町だから、友達もいない。

ひとつ、希望なのは、病院の友達、柊のお姉さんが、この近くにいるらしいということを耳に

したことがあったことだ。

確か隣町だ。

ピアノ教室をやっていると聞いていたので、アユミは、電話帳でピアノ教室を探した。

それは案外簡単に見つかった。

なにせ田舎町なもので、苗字を覚えていたから。

アユミは番号を控え、住所をメモした。

翌日、勇気をふりしぼって、電話してみた。

「あのう、柊さんのお姉さんですか?」

お昼のバスで、隣町へ向かった。

ピアノ教室の看板は、古かった。

姉は、美里という名前だった。

そして、うれしいことがわかった。

柊が、来月退院してくるというのだ。

アユミの心は躍った。

自分の携帯の番号とメールアドレスを残して、アユミは、ピアノ教室を後にした。

家から歩いて、バスに乗って、40分ぐらいかかった。



アユミは、あと一月、と自分に言い聞かせながら、毎日を過ごした。

孝も、依子も、アユミをいたわってくれた。

仕事もしばらくできないが、元の自分を取り戻すまで、緑に囲まれた家で、アユミは、療養した。

柊から、初めて、電話があったのは、それから二ヵ月後ぐらいだった。

その電話が、アユミの携帯の初電話だった。

操作方法がわからず、危うく切ってしまうところだった。

「柊・・・」

アユミの目から、涙がこぼれた。

懐かしい。

「元気だった?」

アユミは胸がいっぱいで、それだけ言うので、精一杯だった。

しばらく、向こうも、黙っていたが、慣れると、とつとつと語りだした。

柊は、アユミより後に入院してきた。

四年ぶりの退院らしい。

しばらく、美里の家にいて、慣れたら、無理はせず、親戚がやっている素麺工場で働くそうだ。

そうか、美里さんの家にいるのも、もう少しなのか。

会おうねという約束はしたが、いつになるかな。

柊は、病気になって、離婚している。

子供はいない。

柊も、携帯を買ったらしいので、今度は、メールしてみて、と頼んだ。

みんな心を病んで、人生が狂ってしまった。

誰のせいでもない。

好きで病気になる人はいない。


一週間後、メールが来た。

アユミは、嬉々として、開いた。

「今度の日曜日、会わない?」

ぶっきらぼうなメールだった。

アユミは、説明書に書いてあった通りに、絵文字を使って、返事した。

「楽しみにしています(*^。^*)」

一週間後、柊が、車で迎えに来た。

アユミは、久しぶりの外出で、喜んで出かけた。

久しぶりに会った柊は、元気そうだった。

お姉さんが選んだのか、服も垢抜けていて、病院とのギャップに驚いた。

二人は、海の見えるレストランで食事した。

「みんな元気にしているかな?」

話題は、もちろん仲間達のこと。

「けんかしてないかな・・・ちーさんと、げんさん」

二人は、笑った。

あとは、今の自分の生活のことなど、二時間くらい話した。

「またメールしてね。お姉さんのところにいるうちだったら、また会おうね」

柊が、これから世話になる親戚の家は、関東で、遠いのだ。

帰りの車の中で、アユミは、別れるのが悲しかった。

もちろん恋愛感情ではない。

同志的なもの。

病院の仲間は、みんな同志。


家に戻ってからも、しばらく気分が高揚しているのが自分でもわかった。

久しぶりに、懐かしい人に会った。

それだけなのに、十分幸せだった。

アユミは、自分の部屋に戻って、自分の20代を振り返っていた。

あれだけ勉強して、合格して入った東京の一流大学。

自慢しているわけではないが、誰もが、大学の名を言っただけで、その後の態度が変わるのに

気づいたのは、入学して間もない頃だ。

その自分が、自分でも、わけがわからない、この病気になったのは、何が原因なのだろう。

大学四年、夏だった。

アユミは、熱中すると、止まらなくなる性格だ。

図書館で、歴史の本を次々借りてきて、雑誌、とにかく歴史に夢中になった。

そのうち歴史年号が、頭の中で、回転しだし、止まらなくなった。

何年に、何があったか、全部覚えてしまった。

そして、町中にあふれる看板が、すべて暗号のように、アユミの頭の中へ入り込んできた。

強制入院。

薬のせいで、今は、止まっているけど、七年間は恐ろしいほど、この世から、切り離されてい

た。

柊とは、食堂の机で、よくオセロゲームをした。

毎日、午後になると、看護婦さんへ借りに行き、お風呂の時間が来るまでやった。

退屈な時間との戦いだから、柊の存在は、アユミにとって、大切なものだった。

途中で、自殺者が出たこともある。

この時ばかりは、自分もこのようになるのではないかと考え、怖かった。

仲間達も同じだっただろう。

そういうことを共有しているから、同志的友情が芽生えたのだろう。


アユミは、柊のことを考えていた。

私より三歳年上の柊は、関西の大手メーカーに勤務していた。

エリートサラリーマンで、社内結婚した奥さんとも、うまくいっていたのに、入院してから、

態度が変わったという。

周りの人の勧めもあって、協議離婚となった。

病気の原因は、会社でのストレス、ねたみ、そんなものが渦巻いたと言っていた。

優しすぎる人なのかもしれない。

男の人というより、中性的な感じがしたように思えた。

夏祭り、ハイキング、病院の中で体験したたくさんの思い出が、脳裏によみがえる。

優しかった看護婦さん、掃除のおばさんと交わした何気ない言葉の数々。

ちょっと怖い男の看護師さん。

病院で作ったビーズ細工で作るバックは、いまでも、大切にとってある。

きっと柊も持っているはずだ。

その柊が、もうすぐ関東へ行ってしまう。

私も、柊も、ちーさんも、げんさんも、これから、どうなるのだろう。

30代は、楽しい思い出を作りたい。

できれば恋もしてみたい。

アユミは、携帯電話をどこにでも、持ち歩いて、柊からのメールを待った。


あの時から、三週間が過ぎた頃、着信音が鳴った。

「明日、茨城へ行く」

それだけのメールだった。

時計の針は、夜の九時。

もう無理な時間だ。

「どうして、会いたかったのに(T_T)」

「ごめん。頑張れよ。もう昔のことは忘れる。元気で!」

アユミは、携帯を握り締めて、泣いた。

それを依子がそっと見ていた。

どうもしてやれない。

自分で、立ち直るしかないよ。

病気になった人も、つらいが、家族もつらいのは同じだ。

今から、美里さんの家へ行こうか。

しかし、体が固まってしまった。

そうか、柊は、会わずに行ってしまうんだね。

優しい柊らしい。

会って、めそめそするのは、嫌なんだね。

アユミは、しばらく床に座り込んだ。



柊が、茨城へ行ってしまって、私も、そろそろ自分の仕事のことを考え出した。

ここから通えるところで、自分に合うところはあるだろうか。

それとも、何回かやったことのある家庭教師のようなことをやろうか。

しかし、七年のブランクは、大きい。

薬の服用で、前のように、頭もすっきり回転しない。

これで、家庭教師はできないだろう。

そんな時、美里から、電話があった。

「うちで働いてみない?」

それは、とても有り難い話だった。

美里も、柊と同じ病気のアユミに親近感を持っていた。

アユミも、ただ柊が懐かしくて、美里とは、つきあいが続いていた。

家族とも相談して、アユミは、美里のピアノ教室の手伝いに行くことになった。

手伝いと言っても、掃除、電話番、事務、つまり雑用だ。

ちなみに美里は、一応、音大を出ているから、田舎といっても、遠くからでも、生徒はやってくる。

アユミにとっては、何もしないより、時々手伝いに行くのが、楽しくなった。

柊の情報も入るしね。

月に一度、町の病院に通うことを除けば、アユミの田舎暮らしは、快適なものだった。

美里は、時々ピアノを弾いてくれる。

それをじっと聴きながら、アユミは心の安定を感じた。

生徒は、小学生から、受験生まで、いろいろ。

たまに、男子高校生もやってくる。

へー、音大受験かー。

美里は、アユミを妹のようにかわいがった。


半年が過ぎた。

久しぶりに、着信音が鳴った。

柊からだ。

心が躍った。

あれ以来、音沙汰なしだったから。

「ずっと好きでした。元気でいてください。もう生きていけません。さようなら」

アユミは、わけがわからず、座り込んで、メールを何度も読んだ。

どういうこと?

私のことを好きでいてくれる人が、この世にいたのか。

でも、もう生きていけません、とは、どういうことなのか。

最後のさようならが気になる。

返事を出そうにも、ずっと好きでした、と言われて、なんて書けばいいかわからなかった。

柊、柊、生きていて。

また会えるじゃないか。

お願い。

その夜、美里さんから、柊の自殺を聞かされた。

言葉がなかった。

柊。

なぜなんだ。

つらいことがあったのか?

美里さんも、泣いていた。

アユミは、信じられず、まだ涙の波は来ていなかった。

嘘だろう。

それじゃ、あのメールが最後だったのか。

信じられない。


美里が帰って、深夜、ベランダに出て、空を眺めた。

ここは星が美しい。

たくさん出ている。

どれかが柊だ。

やっと涙の波が押し寄せた。

ベランダにもたれて、柊を思って泣いた。

つらかっただろう。

病気はつらいよね。

美しい星。

柊に伝えてください。

まだ話したいことが、たくさんあったと。

結局、あの携帯にかけてきたのは、柊と美里さんだけだった。

柊、ありがとう。

いつか星になって、たくさん話そうね。

                       終わり


きれいな心を持ったアユミと柊の同志的な愛。
悲劇的な結果で終わりますが、純粋な二人の心が描きたかった。好きで病気になる人はいません。













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