いらっしゃいませ。
どうぞこちらへ。
本日はいかがなさいますか?
甘い香りのバイオレットフィズ?
それとも、危険な香りのテキーラサンライズ?
はたまた、大人の香りのマティーニ?
わかりました。本日のスペシャルですね。
少々お待ちください。
本日のカクテルの名前はヤドカリアンでございます。
ごゆっくりどうぞ。
私のこの見事な背中を見て。
イソギンチャクが二つ、ひらひらと赤と青の綺麗なコントラストを織りなし私の美貌を際立たせてくれてる。
私達ヤドカリはどれだけ自分達の背中の貝に見事な飾りをつけているかをいつも競っている。
私は得意気に、櫛を使ってイソギンチャクの触手を綺麗に整えながら、小さい二枚貝のコンパクトで身だしなみをチェックした。
自分でもうっとりする出来栄えに私は満足すると出掛ける支度をしはじめた。
今日は新商品のイソギンが海丸印のデパートで発売開始になる日。私はこの日を今か今かと毎日楽しみにして待っていたわ。なんだかウキウキしちゃってプカプ
カしそう。ウフッ
あっ、彼が迎えに来たみたい。
ハローダーリンっ!
あら、またアナタったら貝をカスタムしたの?素敵!その極太のフジツボマフラー!まーっ、男らしい!でもうるさくするのは近所から少し離れてからにしてちょうだいね。私が白い目で見られちゃう。
私は彼の機嫌を損ねないように適当に褒め、楽しみにしていたショッピングに向かった。ヒラメのタクシーに乗って。
さすがに発売初日は混んでるわ。おめかししたヤドカリ達がウヨウヨしている。
急がないといいイソギンちゃんが取られてしまうわ。
私は彼のハサミを掴むと、猛スピードでデパートへと入って行った。しかし事は少し遅かったようだ。エレベーターの前から凄いヤドカリの列。
なんだ、開店待ちでもできていたのだろうかっ?悔しいーっ!
私はエレベーターを諦めて階段に向かった。
しめたこっちはガラガラだ。
私は再び嫌がる彼をハサミで掴んで、勢いよく階段を登り出した。早くレディースフロアーに行かないと。待っててね、イカしたイソギンちゃん。今行くわよっ!
階段を叩く爪の音が耳をくすぐる様にキンキンと響き渡っていた。
しかし甘かった。
階段も途中からテンヤワンヤの混みようで、狭いその中はゴッタ返していた。
やられた。
私はため息をつき、彼に倒れ込んだ。
そんな私を彼は呆れた顔で慰めてくれたが悔しさに変わりはなかった。
仕方なく猛烈に待たなくてはならない行列に並び、私はソワソワしながら可愛いイソギンちゃんが残っているようにと祈った。
お願い、お願いだから待っていてねイソギンちゃん。
じれったく過ぎるその間、私は彼にヤツアタリをするくらいしか楽しみを紛らわせずに、憂鬱な時間を無駄に過ごしたのだった。
いよいよ私の番が回ってきた。
少し前の方から、新作のイソギンチャク達が人垣の間からチラチラと見え隠れしている中、私はひそひそと品定をしだし、ある一つのイソギンに目を付け始めていた。
今年の流行のポイントは、薄いピンクの触手で、ほのかに色付けがあるくらいのものがお洒落とされている。その中でも、それが不規則な水玉であれば尚の事良いものとされた。
私はそんなイソギンちゃんが、まだ多く残っている中の後ろの影の方に、一つだけあるのを見逃さなかった。
やった。私の番だ。今年の流行はもらったわ。
手前の人だかりができている辺りを私は割って入り、一目散にお目当てのイソギンチャクの元へと走った。そして私それを掴んだ。
私は掴んだハサミを思い切り引っ張った。が。しかしそのイソギンチャクは私の手元には近づいて来なかった。
おかしい?
私はもう一度イソギンを引っ張った。すると今度は声が聞こえた。
何するのよ、人のイソギンチャクに。
よく見ると、そのイソギンチャクの後ろにはセンスの無いイソギンチャクを一つ背負ったヤドカリが、両方のハサミでしっかりと掴んでいるのがわかった。
いや、両方のハサミと思ったのは、違っていた。もう一匹いる。私を含めて三匹のヤドカリがそのイソギンチャクにタカっていたのだった。
私はこれだけは譲れないとばかりに、ハサミをきつく絞めた。しかし他の二匹も負けてはいない。
私達は言い合いになり、壮絶なイソギン争いが始まろうとしていたが、展開は意外な方へと転がった。
なんと、さっき手前のほうでゴッタ返していた連中が、私達の取り合っているイソギンに気付いたのだった。
これはまずい。
三匹はお互い目を合わせて、そのイソギンを抱えて逃げた。しかし奴らはまるで波の如く四方から攻めてきて、私達は囲まれた。
そんな姿を見た私の彼は、その波に飛び込んで、自慢のマフラーを響かせて周りを威嚇しながら私を助けようとしたが、あっけなく突き翔ばされる結果に終わった。
男の通用する世界ではなかったということだった。
私は必死になって、その迫りくる流行りに飢えたヤドカリ達からイソギンを触れさせないようにと、殺気立った目でそれを確保することに集中した。だが、そこに爽やかな潮の流れを想い興す声が緊迫したその雰囲気の中に突然投げ入れられてきたのだった。
その声に向けた視線の先にはなんと、あの、あの伝説のヤドカリアンが余裕の表情で、その醜い争いを遠目で眺めていたのだった。そして、
皆様。聞いてくださいね。
私は今、そのイソギンさんを、表示価格の三倍の値を払って手に入れてしまったのね。
だからそのハサミを下ろすのね。
もし傷なんて着こうものならその三倍のお金支払っていただくことになるのね。
と言い放った。
ヤドカリアンの後ろには海丸印のデパートのオーナーが、申し訳なさそうに彼女の陰に隠れながらその領収証を掲げて、それが既にヤドカリアンの物になっていることを証明した。
私はハサミを離し、その迫力に一歩身を後ろに退いた。そして静まり返ったその群衆達までもがガザガザガザという音を伴い体を退け、そこに出来た道をまるで女王のように歩み寄ってきたと思うと、ヤドカリアンはおもむろにイソギンちゃんを背中に乗せてポーズを決めた。
イソギンちゃんはその背中の貝の上を少し行ったり来たりしたかと思うと、少々右よりの手前に落ち着き、綺麗な触手をユラユラと優雅に、そして可憐にかつゴージャスに揺らしヤドカリアンを着飾ると、その背中こそが自分にふさわしいと言わんばかりに自分の存在を主張したのだった。
私を含めたそこにいた群衆はあまりのその見事なイソギンとのマッチングに心打たれ、思わず歓声を挙げるのだった。
その黄色い歓声の中、ヤドカリアンは軽やかにその場を一周したかと思うと、足気な顔に満面の笑みを張りだし、それを周りに撒き散らし、そこを後にしようとした。
しかしその後ろの方にいた群衆の中から、高らかに笑う、まさに人、いやヤドカリをバカにしたような声がそのレディースフロアーにコダマし、群衆の全員をそちらに振り向かせた。そしてそこにいたのは別の、それはもう、負けず劣らずの格好をしたもう一匹のヤドカリアンだった。
彼女はまさにヤドカリを見下すやらしく鋭い目つきでこちらを覗き見ていたのだった。
ヤドカリアンとヤドカリアンの壮絶な戦いが今幕を開けようとしていた。
私からイソギンちゃんを横から勝手に買い上げたヤドカリアンはそのピンクを基調とした艶やかな貝がらに身を包み、その背中にお洒落な珊瑚柄を彩ったイソギンチャクと、まるでシルクのようになめらかで爽やかになびく海藻と先程の今年の流行りのイソギンを背中に纏い、エナメル質の大人のシックな一面を少し覗かせる磨ぎ澄まされた爪を輝かせ、まさにお洒落なヤドカリの中のヤドカリ、ヤドカリアンだった。
それに対してやらしい笑いのヤドカリアンは、なんと珍しい、巻貝の横に細長い二枚貝を三つも立たせたようにはべらせて、まるで身の丈程の楯を構え背負った兵士の様な変わった格好をしていた。
そして全体の色は殆どが黒で統一され、流行とは違うが、何とも言えない妖しい美しさに加え、そのダークなイメージは何か意味あり気で、その気にならせるオーラが周りを引き寄せる力となり、私達の興味をそそらせた。
先程のヤドカリアンは流行りを象徴とした明るい派手さが勝負のヤドカリアン、群衆に紛れていたのは個性派のダークなヤドカリアンと言えた。
派手なヤドカリアンはそんなダークなヤドカリアンに向かって、少しムッとした顔をしたが、すぐに冷静さを取り戻し我に返ったらしく、そのいやらしい笑いに対して鼻で笑いを返した。
二匹の間にはバチバチと光る何かがその沈黙の中にあった。そしてそれに稲妻のようなヒビを入れた、口を先に開いたのは、ダークの方だった。
あらあらみっともない。大衆の皆さんの楽しみであるショッピングをお金を積んで横取りするなんて、まるでいつまでも成長できない子供のようだわ。
これだから流行り流行りと言ってコロコロ転がるヤドカリは始末に負えない。
視線を合わさずに放たれたその攻撃に派手な方は少し怒りを露にして言い返した。
何か聞こえたようですがなんでしょうね?
個性個性とケッタイな格好をしている黒塗りさんなんかどこにいるのか影みたいで目にも入らないのね。ヒガミなんてそれこそみっともない。
日向に出れない黒子じゃあるまいし。
そう言い捨て、派手な方はチラリと鋭い視線をダークに向けた。しかしダークの態度は冷静そのもので、怯むどころか、余裕の笑みさえ伺うことができた。
ダークもチラリと派手な方に視線を落とすとおもむろに言い出した。
これだからお子様は困るわ。実は黒子、そう、私を引き立てる黒子はあんな派手だけのヤドカリの事なのに。あんなのはヤドカリアンではないわ。きっとヤドカリアンカブレね。ウフッ。
派手なヤドカリアンはさすがに怒り出した。群衆の目の前で後には退けない状況だったのは見るからに明らかだった。
私が黒子?真っ暗な世界に住みすぎて目がイカれているみたいなのね。
この流行に乗った最先端のイソギンといい、この貝の配色といい、あんな黒い化け物みないのに黒子よばわりされるぎりなんてこれっぽっちもないのね。
悔しかったら私より輝いてみなさいなのねっ!
すると、ダークは待ってましたとばかりの顔にこれでもかというウスラ笑いを浮かべ、
イイワそんなに見たいなら魅せてあげましょう。あまりの美しさに気絶しないようにね。
そう言い終ると、ダークのヤドカリアンは目を閉じた。
すると驚くことに、奇妙な飾り付けの、あの二枚貝がゆっくりと開き出し、その中からはなんと眩い光が洩れ始めた。
やがてその周り中が白いその光で満たされることとなり、その後に全員が信じられない光景を目にする事となった。
私や派手なヤドカリアンを含めた皆はその光に一時的では有るが視力を奪われ、何が起きたのかが解らなかった。
しかしだんだん目が慣れてきたその先にはまさかの、伝説の驚くべき光景があった。
なんとそのダークなヤドカリアンの背負っていた三つの二枚貝の中には、それはそれは美しい真珠が凛々しく、そして輝かしく、その姿を見せたのだった。
当然周りからは今までにないくらいの異常な黄色い歓声が沸き上がり、群衆は興奮した。
しかしそんな中にあの派手なヤドカリアンの姿はいつの間にかなくなっていたのだった。
真珠を持つヤドカリアンは、高らかな笑いをフロアーに響かせて、勝利を確認すると、優雅にその貝を閉じて、すました顔で私達群衆に、ごきげんようと言い残し、去って行った。
そこにいた群衆の全員が今の驚きの余韻に浸っていたが、考えてみれば、だからそれがなんだったんだと首を傾げだし、気が付いた時には周りはもう、あちらこちらへ散々になって、やがてそのレディースフロアーは、いつもの賑わいへと戻っていったのだった。
私は彼を連れてとりあえず家に帰ることにし、自分のファッションへのこだわりとは何かを、それから暫くは考える日々が続き、しかしまたイソギンチャクの新作が出るという情報を聞くと、体がウズウズして仕方ないので、とりあえず素敵な自分を見つけに、また海丸印のデパートに向かうのだった。
だって女の子だもの。
おしまい。
いかがでしたか?
今日のオススメのカクテルの味は。
またのご来店、心よりお待ち申し上げております。では。 |