第5話
阿笠博士の家。
「…ああ、その事件なら話は聞いたよ。まさか画伯がモデルの女の子を誘拐しておったとはなあ…」
英栄二が起こした誘拐事件の顛末を聞いた阿笠博士がコナン=新一に言う。
「…まあ、なんとなくそんな気はしていたんだけどな」
「そんな気、って、なぜじゃ?」
「怪盗紳士から蘭がモデルになった絵を盗む、と言う予告状が来た、って聞いたときにこれは変だな、っていう気がしたんだよな」
「変な気?」
「考えてみろよ。仮にある家に空き巣に入って成功したからといって、そんなに日も経たないうちにもう一度同じ家に空き巣に入るなんてことはないだろ?」
「…確かにそうじゃな。その家だって今度は入られないように注意するはずじゃし、空き巣に入ったほうとしても1回目より2回目のほうがアシがつきやすいはずじゃからな」
「…だろ? となるとどちらかの犯行は怪盗紳士を騙ってやった犯行じゃないか、と思っていたんだよな。で、もし最初の事件が本物の怪盗紳士の仕業だとしたら、そう日を置かずに似たような犯行をするはずがない、と思ってたんだよな。となると怪しいのはあの絵を描いた英栄二、と言うことになるからな」
「それが新一の思ってた『そんな気』というわけか」
「まあな。だから英栄二が逮捕されたとき、それほど驚かなかったんだけどな」
「…それにしても、その、怪盗紳士は今回の事件については知っているんじゃろうか?」
「多分知ってると思うぜ。画伯が逮捕されてから連日のように例の事件は報道されているんだ。それに、蘭宛の予告状の事件はまだ解決していない」
「画伯は送った覚えがない、と言っているらしいな。となるともしかしたら…、というわけか」
「ああ。おそらく今度こそ、予告状を送ったのはおそらく本物の怪盗紳士だと思うぜ。画伯の一件で警察もおそらく警備を厳重にしてくるだろう。となると、おそらく2〜3日中には犯行を実行に移す気がするんだ」
「確かにそうかも知れんな。その、怪盗紳士にとっても残された時間は少ないと言うわけじゃな」
「そういうことだな。…それで博士。ちょっと頼みがあるんだけど…」
「…ちょっと待つのじゃ。いくらなんでもそれは…」
コナンの話を聞いた阿笠博士はさすがに戸惑ってしまった。
「勿論オレだってその位のことは十分に承知してるさ。でも、これ以上怪盗紳士の好きにさせるわけにはいかねーんだよ。今回の事件はオレの目の前で、しかも蘭を狙って起こっている犯行なんだぜ。みすみす蘭を怪盗紳士の手に渡すわけにはいかねーんだよ」
阿笠博士はしばらく考えると、
「…わかった。新一がそこまで言うのならばな。但し、これからやろうとしていることはものすごく危険なことなんじゃぞ。くれぐれも気をつけて、蘭くんを泣かせるようなことはするんじゃないぞ」
「…わかってる、って」
*
毛利探偵事務所。電話の呼び出し音が鳴った。
「もしもし」
「あ、蘭君か?」
電話の声は阿笠博士だった。
「あ、博士。どうしたんですか?」
「いや、実はな。2〜3日ばかりコナン君をワシのほうで預かりたいんじゃが」
「預かりたい、って…」
「まあ、いろいろあってな。大丈夫じゃ、ワシがちゃんと面倒を見る」
「でも…」
「…そういえばコナン君から聞いたが、怪盗紳士のことでもしかして不安なのか?」
「い、いえ。そんなことないですけれど…」
「…心配しなくてもいいじゃろ。警察も蘭君のことをガードするとか言っているそうじゃし、蘭君のすぐそばに名探偵毛利小五郎がおるじゃろ。何を心配する必要があるんじゃ」
「え、ええ。そうですけれど」
「大丈夫じゃ。蘭君は何も心配する必要はない。それじゃ、コナン君のほうはいいな?」
「…え、ええ。それじゃお願いします」
阿笠博士が電話を切る。
「…やっぱり蘭君も、例のことは気にはしておるようじゃな」
そう言って博士はコナンに手短に電話の内容を教える。
「そうか…。でも蘭に余計な心配はさせたくないし、面倒に巻き込みたくないしな」
「まあ、とにかく何事もないのが一番いいことなんじゃが」
「…とにかく博士、例の件は頼むよ」
「ああ、わかっておる」
*
「都合によりしばらく休業します」と張り紙がしてあるそのギャラリー。
その近くに一台の車が停車していた。
その中には阿笠博士とコナンがいる。
「…あそこがそのギャラリーじゃな」
阿笠博士が言う。
「ああ。画伯が逮捕されたせいで個展は中止。既に撤去作業が始まっているらしいな」
「…しかし、その中からその、怪盗紳士はどうやって絵を盗もうと考えているのじゃ?」
「方法はいくらでもあるさ。作業員に紛れ込んでもいいし、警備員に紛れこんでもいいし、他の方法だっているらでもある。ただ…」
「ただ、何じゃ?」
「…いや、なんでもない」
コナンは何か引っかかるものを感じていたのだった。
そうこうしているうちに夜になった。
昼間停車していたその場所に再び阿笠博士の運転する車が停車した。
中からコナンが降りてくる。
「…それじゃ博士、行ってくる」
「ああ。くれぐれも気をつけるんじゃぞ。もし何か危ない、と思ったらすぐにワシに連絡を寄越すんじゃぞ」
「わかってる、って」
そして車はその場を去っていった。
コナンは昼間見たギャラリーの正面に近づく。
「…さて、どうやって入るか…」
コナンは辺りを見回す。と、裏口のドアが目に入った。
ノブをひねるが当然のことながらドアは開かない。
「…やれやれ。この間、蘭の部屋の前で拾っておいたこれを使うことになるとはな」
そのドアに近づくと、ポケットからヘアピンを取り出した。
まだ今回の事件が起こる前、蘭の部屋の前に落ちていたのを、コナンがたまたま拾っておいて、その内返そう返そうと思っておいて、今日まで返していなかったのだ。
「…ごめんな、蘭」
そう言うとコナンは鍵穴にヘアピンを差し込む。
しばらくいじっているとガチャリ、と音がし、ドアがすっと開いた。
「ハハハ。何だかピッキング泥棒みてーだな」
そうつぶやきながらコナンはそっと中に入った。
既に日が暮れているとはいえ、外の明かりが差し込んでいることもあってそのギャラリーの中は思ったよりは明るかった。
そして撤去作業も始まったばかりなのか、コナンたちが来たときとほぼ同じような形でそのギャラリーは残っていた。
「…」
コナンはある一枚の絵を見上げる。
「スポーツシリーズ 空手」とタイトルが付けられた例の蘭の絵だった。
「…蘭、絶対お前を守ってやるからな」
コナンはその絵に向かってつぶやいた。
*
それからどのくらい経っただろうか。
そのギャラリーの前に一人の人物が来ていた。
辺りに誰もいないのを確認すると、その人物はドアに手をかける。
ところが、ドアは何の抵抗もなく開いてしまった。
その人物は訝しく思いながらも中に入っていった。
ギャラリーの中は英栄二が逮捕されたと言うこともあってか、彼の展示してあった絵の撤去作業をするためか、あちこちで片づけが始まっていた。
「…?」
その人物は中の様子がおかしいのに気がついた。
そう、よく見ると暗闇の中に一人の人物が立っていたのだった。
「…そこにいるのは誰なの?」
するとその人影が、
「…あんたが来るのを待ってたぜ」
そう言うとその人物の前に現れた。
「…君は…」
その人物が絶句する。
そう、その人物はどう見てもまだ幼い少年だったからだ。
「…君は…」
「あんたなら必ずここに来ると思っていた。…おそらくあんたが蘭の絵を狙った張本人だと思っていたからな。どうなんだい、醍醐真紀さん、いや、怪盗紳士さんよ!」
そう言うとその少年――コナン――は持っていた懐中電灯の明かりをその人物に向ける。
そう、その光の先には醍醐真紀の顔が浮かび上がっていたのだ。
「…私が怪盗紳士ですって? 君、冗談はおよしなさい」
「冗談なんかじゃねーよ。…だいたいあんた、何でこんな時間にここにいるんだ?」
「そういう君こそなんでここにいるの?」
「勿論、あんたを捕まえるためだよ。怪盗紳士さんよ」
「…そう、君は私が怪盗紳士だ、って思っているわけね。なぜ、君はそう思うのかしら?」
「…あんたも知っているだろう? 英栄二が怪盗紳士の名を騙ってモデルの女の子を誘拐した、と言う事件を」
「それは知ってるわ。私の名前を騙るなんてとんでもない人物だと思っていたけど、まさか英画伯だったとはね…。でもだからといって、怪盗紳士って言う証拠にはならないんじゃないの?」
「勿論、オレだってあんたに初めてあったときはあんたが怪盗紳士だなんて思わなかったさ。でも、あんたと次に会ったときのある言葉が、ちょっと気になってな」
「ある言葉、って?」
「モデルの女子高校生が行方不明になったんじゃないか、と思われていた日、あんたは被害者の女子高校生がkじゃいとう紳士に誘拐されたのではないか、と言った際、オレたちの前でこう言った。『それにしても、その怪盗紳士は一体何を考えているのかしらね』ってね」
「それがどうかしたの?」
「おかしいじゃねえか。何だか自分が思ってもいなかったことがあったような口ぶりじゃないか。それを聞いたときにオレは思ったんだ。もしかしたら今回の事件は本物の怪盗紳士が誘拐したのではないんじゃないか、ってね」
「…だとしても、なぜ私が怪盗紳士だ、って思ったの?」
「『その怪盗紳士は…』って言う言い方に引っかかったんですね。まるで自分が本物の怪盗紳士だ、って言うような言い方じゃねーか。それに…」
「それに?」
「…オレの親父はこういった犯罪のデータを集めるのが趣味でね。その親父のデータを調べてみたらどうやら怪盗紳士は『紳士』と名乗ってはいるが女らしい、って言う情報があるそうじゃねーか。だからもしかしたら…、って思ってね」
「…そう、そこまでわかっていたの。どうやら君はただのボウヤじゃなかったようね。…その通り、私が怪盗紳士よ。…だとしたら君は、私が何をしに来たのかわかってるわね」
「ああ、勿論さ。でもな、怪盗紳士。お前に絶対この絵は盗ませない」
「盗ませない、って…?」
「ああ。絶対この絵はオレが守ってみぜる。お前に指一本触れさせねーぜ」
「…たいした自信ね。どうやってその絵を守ろう、っていうの?」
「これを見ろ」
そう言うとコナンはなにやらスイッチのようなものを取り出した。
「…それは?」
「この絵には発火装置が仕掛けてある。このボタンを押せばあの絵に発火するようになっているんだ」
「…なんですって?」
「…いったとおりだよ、あの絵には発火装置が仕掛けてあるんだ」
「…きみ、馬鹿なこと言わないのよ」
「…あんた、もしかしたらオレの言っていることがハッタリだとでも思っているんだろ? 何なら証拠を見せてやろうか?」
「証拠?」
「あれを見ろ」
そう言うとコナンは床を指差す。
そこには何も描かれていないカンバスが置かれてあった。
「…あれは?」
「…よく見てろ」
そう言うとコナンは別のスイッチを取り出す。
そしてそのスイッチを押した。
すると、あたりに爆発音が響き、カンバスが吹っ飛んだ。
「…!」
「…わかっただろう? 今のカンバスと同じ爆薬があの絵に仕掛けてあるんだ。…これが何を意味するかわかるだろう?」
「…何を意味する、って…、まさか!」
「ああ。このスイッチを入れれば、あの絵が爆発する。つまりあの絵はこの世から消滅するんだ。つまりどうあがいたってあんたは、この絵を盗むことが出来ねーんだよ」
「…」
「…本当かどうか、試してみるか?」
「…ねえ、君、わかってるの? もしそのスイッチを君が入れたら…」
「ああ、わかってるさ。オレだって無傷ではいられるはずがない、ってな。でもな、オレはたとえどんなことがあろうと、この女を…蘭を守るつもりでいるんだ。例えそれでオレが命を落とすようなことになったとしても、な」
「…」
「…いいか、怪盗紳士。これだけは言っておくぞ。蘭に…、オレの蘭に手を出すな!」
「く…」
しばらくの間沈黙が流れた。
やがて、
「…参ったわ、私の負けね。君がそこまであの人を、蘭さんを大切に思っていたなんて。君がそこまでして蘭さんを守りたかったなんてね。今回はその絵を盗むのは諦めるわ。…ねえ、君、最後にひとつだけ聞かせて。一体君は何者なの?」
「…江戸川コナン、探偵さ」
「コナン君、か。覚えておくわ」
そして怪盗紳士はコナンに背中を向けた。
そして二、三歩歩き出したが、ふと立ち止まると、
「…コナン君」
「何だ?」
「…君なら彼を…、あの、名探偵の孫を超える探偵になれるかもしれないわね」
そう言うと怪盗紳士はダッシュしてその場を離れた。
「…待て! 怪盗紳士!」
コナンが追って外に出たとき、既に怪盗紳士の姿は見えなくなっていた。
コナンは辺りを見回すが、辺りには誰一人いなかった。
「取り逃がしちまったか…。なるほど、アイツが捕まえられねーわけだ」
コナンはあの男――怪盗紳士の言う「名探偵の孫」――の顔を思い浮かべながらつぶやいた。
そう、優作のファイルには「あの男」が何度も対決をしていながらあと一歩のところで取り逃がしていたこともかかれてあったのを思い出したのだ。
そのとき、コナンの背中から
「新一!」
阿笠博士が呼ぶ声が聞こえた。
*
コナンが車に乗り込んだ。
「…どうじゃ? 蘭君を守ることは出来たのか?」
「ああ、何とか、な」
「そうか。それはよかった」
「…あ、そうだ」
そう言うとコナンはポケットから先ほどのスイッチとなにやら細長い箱、そして先ほどの爆発でぼろぼろになったカンバスを取り出した。
「…これ、返しておくよ」
「…スイッチは切ってあるな」
「勿論だよ」
そう、コナンが持っていたのは例の小型爆弾とスイッチだったのだ。
阿笠博士はそれを何度も確認し、車の後ろに積んであった工具を使って数分かけて配線を切ると、ようやく走り出した。
「しかしまあ、あんな危険なことをするとは…。あれほどワシが『どうせ怪盗紳士にはわからんのじゃからダミーで十分じゃろ』と言っておったのに。いくらカンバスを壊すのが精一杯のごく軽い威力の爆弾だといっても一歩間違えたら大怪我をしておったところじゃぞ」
「それはわかってるよ。これが普通の泥棒だったらダミーでも十分通用しただろうが、相手が怪盗紳士だったからな」
「…そうか、偽物と見破られるかもしれない、と言うわけか」
「ああ」
「まあ、しかし。新一のその、蘭君をどうしても守りたい、と言う気持ちが、怪盗紳士に勝った、ということじゃ。これで怪盗紳士も絵を盗むのはあきらめるじゃろ」
「…」
しかしコナンが黙ったままなのを見た阿笠博士は、
「…どうした? 何か心配なのか?」
「何だかこのまま怪盗紳士がおとなしく引き下がるとは思えないんだよな」
「思えない、って…。怪盗紳士は負けを認めたんじゃろ?」
「ああ。確かにな。でも何だかこのままで終わりそうな気がしないんだよな…」
(エピローグに続く)
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