ボクの蘭(おんな)に手を出すな
作:ともゆき



第1話


 その日、蘭が通っている帝丹高校の空手部が大会のためある体育館に行ったときのことだった。
「…ああ、君、ちょっといいかな?」
 試合を終え、学校に帰るために控室を出てきたとき、蘭は一人の男に呼び止められた。
「…私に何の用でしょうか?」
「…僕はこういう者だけどね」
 と男が差し出した名刺には「画家 はなぶさ栄二」と書かれてあった。
「え? あの、英画伯ですか?」
 思わず聞き返す蘭。そう言えばこの前小五郎が見ていた雑誌に「話題の新進画家」と写真入で紹介されていたのを見た記憶があったが…。
「そう。実はね、君の試合を見ていたんだけど、僕も昔空手やってたことがあるからわかるんだけど、なかなかいい型をしているね」
「本当ですか?」
「うん。女の子にしてはよく出来ているよ。そこで君に話があるんだけどね…。どうだろう、絵のモデルになってみる気はないかな?」
「絵のモデル…、ですか?」
 その話を聞いた蘭は素っ頓狂な声をあげた。
「ここじゃなんだから、詳しい話をそこでしたいんだけどね」
 そして男は蘭を喫茶店に誘った。

「…それで私をモデルに、ってどういうことなんですか?」
「うん。実はね、今僕は『スポーツシリーズ』と名づけて、その、女の子達がスポーツをしている姿を描いた連作を描いているところなんだ。バスケットとかバレーボールとか、テニスをしている、っていう女の子はすぐに見つかったんだけど、格闘技経験がある女の子でなかなかこれ、って言うのがなかなか見つからなくてねえ。そんな時に今日、あの体育館で空手の大会がある、って言うから見に来たんだけどね。そこで君を見た、と言うわけさ。さっきも言ったけれど、僕も空手の心得があったからわかるけれど、君は女の子にしてはいい型をしているし動きもなかなかよかったからね。正にモデルにぴったりだ、って思ったんだ」
「…でもその…、画家と言ったら…」
 そう、蘭はどうしても引っかかることがあったのだ。
「…いや、その、君が考えているようなことは絶対ないって! ほら、ここに証拠だってあるから」
 慌てて男がそう言うと、バッグの中からアルバムを取り出す。
「…ほら、これが僕の描いた絵なんだ」
 確かに男の差し出したアルバムの中の写真にはユニフォーム姿でポーズをとっている少女達がカンバスに何枚も描かれてあった。中にはほぼ完成に近い絵やまだ下書き程度の絵もあるようだが。
 見ると確かに今にも動き出しそうな感じの絵だった。
「…どうだろう? 考えてくれないかな?」
「…でも…」
「大丈夫。ちゃんとモデル料は払うし、わからない点があったらちゃんと答えてあげるし、絵を描くのも君の都合に合わせてあげるし」
「…うーん…」
「…じゃあ、こうしよう。2、3日考えてみてよ。僕が連絡あげるから引き受けるにしろ断るにしろ、その時に答えてくれないかな」
 そう言われると蘭も無碍に断る訳にも行かないので、考えてみるといい、結局男の車に乗って学校まで送ってもらい、その日は帰宅した。
   *
「…それ、本当? 英栄二って言ったら、新進の画家として有名じゃない!」
 翌日、帝丹高校。
 蘭は親友の鈴木園子に「実は昨日こういうことがあった」と名刺を見せ、ことの次第を話した。
「うん。実は今も半信半疑なんだけどね。近いうちに連絡よこす、って言ってるのよ」
「でも蘭、それって凄いことじゃない。あの英栄二が描く絵のモデルになれるのよ」
「…うん、でも…」
「何か心配なの? …わかった。もしかして裸になるのが嫌だとか?」
「そそそ、そんなんじゃないわよ!」
「ふーん。じゃあ、あんた英画伯が裸になれ、って言ったらなるわけね」
「だ、誰がなるって言うの!」
「…だったらやってみたら?」
「え?」
「あの英画伯のモデルになれるなんて、こんな機会滅多にあるもんじゃないわよ。思い切ってやってみたら? それになんかあったら蘭お得意の空手で叩きのめして逃げてくればいいじゃない」
「園子…」
     *
「じゃあね、園子、バイバイ」
 そして園子と別れた蘭は帰り道を急いだ。
 そのとき、蘭の制服の胸ポケットに入れている携帯電話が着メロを鳴らした。
「…はい、毛利です」
「あ、蘭さん?」
 あの男の声だった。

「…はい。はい。…わかりました。それでは明後日の日曜日ですね」
     *
 その夜。

「…本当なのか? その話」
 毛利探偵事務所。毛利小五郎が娘の蘭に聞いた。
「本当だってば。この通りちゃんと名刺も貰ったし、今日私のケータイに電話がかかってきたし」
 そう言うと蘭は一枚の名刺を小五郎の目の前に差し出した。
 小五郎はじっとそれを見る。
「…それにしても本当なんだろうな。英栄二と言ったら今話題の新進の画家だぞ。そいつが本当に蘭をモデルにしたい、って言ってきたのかよ」
「だから何度も言ってるでしょ。本当の話だって。今日の電話だってあさっての休みに打ち合わせをしたいからアトリエに来てくれ、って言ってたし」
「…まさか、ヌードとかそういったモデルじゃねえだろうな」
「じょ、冗談言わないでよ! そんな話だったらこっちから断っているわよ!」

 その様子を江戸川コナンが傍らで見ていた。
(…それにしても、本当の話なのかねえ…)
 コナンもにわかにその話が信じられなかった。英栄二と言ったら先日もある展覧会で入選を果たした新進の画家で、特に女性をモデルとした絵画(勿論小五郎が心配(?)しているような裸婦画も何枚か描いたことがあるようだが)が得意で、コナンも数回新聞やテレビで彼の絵を見たことがあるが、確かに見るものを惹きつける何かがあるのは確かだと思った。
 そんな彼が蘭にモデルを依頼したとは…。

「…で、言ったいどうする気なんだ?」
「うん。とりあえず行くだけ行ってみようかと思ってるんだ」
「何だって?」
「うん、色々考えてみたんだけど、こんな機会滅多にあるものじゃないし、やるにしろ断るにしろ、ちゃんと会って話したほうがいいと思うのよ」
「しかし、お前に身に何かあったら…」
「大丈夫。お父さんの考えているようなことはさせないわよ」
    *
 そして日曜日。
 そのビルの向かいに立っている喫茶店の中に小五郎とコナンの二人がいた。
 蘭はああ言ったものの、どうしても蘭のことが心配で、様子を見ようという事でこっそりと蘭を尾行し、丁度ビルの前に喫茶店があったことから中に入ったのだ。

「…失礼します」
「やあ、蘭さん、いらっしゃい」
 ドアを開けると英栄二が蘭を出迎えた。
「よく引き受けてくれたね、ありがとう」
「いや、そのまだはっきりとは…」
「大丈夫だって。君が来てくれた、ってことはモデルになる気が少しでもある、ってことだからさ。…ところで、例のモノは持ってきてくれたから?」
「…え、ええ、一応は」
 そういうと蘭は普段着ている空手の道着を見せる。
「じゃあ、隣の部屋で着替えてきてよ」
    *
「いらっしゃいませ〜!」
 一人の少女が喫茶店に入ってきた。
「あ、園子ねーちゃん!」
 コナンが叫ぶ。そう、喫茶店に入ってきたのはまぎれもない園子だった。
「あ、コナン君、おじさん!」
 園子もコナンたちに気がついたようだ。
 そしてコナンたちが座っていた席に来るとコナンの隣に座った。
「…園子ねーちゃん、何でここに来たの?」
「そういうコナン君たちこそ、何でここにいるの?」
「いや、実はな…」
 そういうと小五郎は自分たちがここに来た理由を話した。
「…そう…、実は私も同じ」
「同じ、って…?」
「蘭も私に相談してきたのよ。で、思い切ってやってみたら、って言ったんだけど、蘭のことが心配でさ。調べてみたら英栄二はこの近くにマンション借りてて、丁度アトリエに使っている事務所の近くに喫茶店がある、ってわかったから来てみたんだけど…。あ、コーヒーとストロベリーショートください」
 そして注文を通した園子は再び小五郎たちと向かい合う。
「…そう言えば、園子ねーちゃん英栄二について調べた、って言ったよね?」
「うん、一応ね。英栄二って小さい頃から絵画に興味を覚えて、当然美大に入ってフランスのパリにも2年ほど留学経験があるらしいわ。で、そのパリに留学していた頃に描いた絵が注目されて以来、新進の画家として名前が知られるようになったらしいのよ。地に身に中学の頃に空手をやっていたことがあったらしいわよ」
「じゃあ、蘭に興味を覚えたのも…」
「おそらくね。蘭が話していたんだけど、彼は今『スポーツシリーズ』と銘打った一連のその、女の子がスポーツをしている姿を描いた連作を描いているらしいんだって」
「その話なら聞いたことがあるぞ。既に2、3枚は書き上げてたんじゃないのか?」
「らしいわね。彼のプロフィールにも『現在「スポーツシリーズ」を製作中』ってあったし。ただ…」
「ただ、どうしたの?」
「彼の経歴に一部不明な点があるらしいのよ」
「一部不明だって?」
「うん。中学に空手をやっていた、とか美大卒でパリに留学経験があることは間違いないんだけど、そのパリでどんな生活をしていたかが詳しくわかってないらしいのよ」
「詳しくわかっていない?」
「うん。その彼がパリにいた2年間全くと言っていいほど連絡をよこさなかったんだって。そのためかどうか知らないけれど、いろいろと噂が飛び交っているらしいわ」
「噂って?」
「うん。何でもパリでホームレスになっていたとか、ヤバい組織と付き合っていたとか、中にはそういった組織に頼まれてルノワールとかゴッホの贋作を描いて売り飛ばしていた、とか言われているのよ」
 と、小五郎が、
「その話なら聞いたことがあるぞ。確かそいつがパリに居た時に贋作を描くことによって技法が培われていって、丁度その頃に描いた独自の絵が注目されるきっかけとなった、とかいうヤツだろ? もっともその、英とか言う画家は笑って否定してたけどな」
「そ。だから、一部の画家の中には彼の事を余り快く思っていない人もいるんだって」
「…ふうん…」
 そういうとコナンは黙り込んでしまった。
(…蘭に何ごともなければいいけどな…)
     *
 アトリエ。
 蘭が道着に着替えて出てくると英栄二は、
「…それじゃ、何でもいいから型をやってみてよ」
「え? …こ、こうですか?」
 そして蘭は言われるままに突きや蹴りと言った構えをする。
「…よし、そのまま!」
 そして英栄二はカンバスになにやら描き始めた。
    *
 一方こちらは喫茶店の3人。
「…蘭、何やってるのかしら…」
 ストロベリーショートケーキを口に運びながら園子が呟く。
「…もうあのビルに入ってから1時間近くなるな」
 そう言うと小五郎は既にぬるくなったコーヒーを一口すする。
「…もしかしたらモデルやってるんじゃないの?」
 と、コナンが、
「本当?」
「うん。だってもし話を断ったとしたらすぐに出てきているはずだし、ここ来る時に蘭ねーちゃん、空手の道着持って出て行ったもん。もしかしたら蘭ねーちゃん、引き受けることも考えていたんじゃないの?」
「となると、蘭引き受けるつもりだったのかなあ」
 園子が言う。
「…だろうな。全くアイツもあんなこと言っていながら、結局はやるつもりだったのかな」
     *
「…よし、じゃあ、今日はこのへんにしておこうか」
 さすがにずっと同じままの姿勢でいると体のあちこちが疲れてくる。
 蘭はホッとした様子で軽く体をほぐす。
「ほら、見てごらん」
 そういうと英は蘭にカンバスを向ける。
「あ…」
 思わず蘭は言葉を失ってしまった。
 まだ、デッサンの段階だが、道着を着た蘭が型を取っている姿が鮮やかに描き出されていたのだ。今にも動き出しそうな躍動感あふれる絵だった。

「…それじゃあ、また今度都合のいい日を教えてよ。今日のモデル料もその時に渡すから」
「…どうもありがとうございました」
そういうと蘭は深々と頭を下げる。
「こちらこそ」
    *
「…あ、蘭ねーちゃんだ!」
 コナンの言葉に向かいのビルを見る3人。
 確かにビルの正面玄関に蘭の姿が見えてきたのだ。
「…どうやら今日は何事もなかったみたいだけど…」
 園子が言う。と小五郎が、
「…ヤバイ、蘭に悟られたらまずい。急いで帰るぞ!」
 そして三人は勘定を済ませるとあたふたと喫茶店を出て行った。

 ただ、このとき喫茶店にいた小五郎も園子も、そしてコナンも気がついていなかった。
 同じ喫茶店にいた一人の女性の目が鋭く光っていたのを。

(第2話に続く)






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