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うろな町の不思議な人々 作者:稲葉孝太郎

第1章 コンビニデザート盗難事件

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第8話 実地と幻術

 真夏の太陽に熱されたアスファルトの上を、池守は汗だくになりながら歩いていた。昨日までの猛暑が去ったとはいえ、相変わらずの晴天が続いている。
 勤め人には厳しい天気だと愚痴りつつ、池守はうろな町西にある新興住宅街へと足を運んでいた。そのそばで交通事件があり、それを調査しに来たのだが、池守にはもうひとつ別の目的があった。
 葦原の住むアパート。雑草に覆われたその敷地に足を踏み入れ、池守は1階にある一番奥の部屋のチャイムを鳴らした。
「おーい、池守だ」
 刑事は、すぐさま自分の名前を告げた。この地域は新聞の勧誘などが多いので、こうしないとドアを開けてもらえないのである。
 薄いドアを通じて足音が聞こえ、ドアノブが回った。うっすらと開かれた隙間から、葦原が慎重に顔を覗かせる。
「あ、池守さん!」
「よっ、元気にしてたか?」
 池守の快活な笑顔に、芦原も思わず口元を綻ばせる。
「メールもらいました。何か、訊きたいことがあるとか……?」
「ああ、コンビニの件でね……」
 池守の一言に、葦原の顔が曇る。
「あれは……もういいんです……」
 葦原は、俯き加減にそう答えた。
 そんな少年に、池守は敢えて明るめの言葉を返す。
「俺のことなら心配するな。独身で暇を持て余してるからな」
 一方的に高笑いする池守を他所に、芦原は複雑な表情を浮かべる。
 池守も空気を読み、口元を引き締め直した。そして、唇を動かす。
「君は、コンビニに迷惑がかかると思ってるんだね?」
 よくある話だった。全ての被害者が、事件の解明を望むわけではない。そっとして欲しいとか、思い出したくないとか、周りに迷惑がかかるとか、そういう理由で捜査に協力しない関係者も多いのだ。葦原のような繊細な感性の持ち主ならばなおさらだろう。
 そう考えた池守は、慎重に事を進める。
「とりあえず、中に上げてもらっていいかな? ここは暑いんでね」
「あ、はい、どうぞ……何もありませんが……」
 ドアを一杯に開けた少年に案内され、池守は狭い土間へと上がり込んだ。靴を脱ぎ、すぐ横にあるキッチンを通り抜けると、5畳敷きの部屋に通される。本当に何もない。左手には穴の空いた襖があり、そこが布団を上げ下げする押し入れになっている。
 葦原が折りたたみ式のテーブルを出そうとしたところで、池守がそれを制した。池守は押し入れの前に腰を下ろし、水道水を注いで来た葦原からそのコップを受け取った。
「フゥ……」
 生温い水を飲み干すと、池守は一息吐いた。汗塗れになった襟元を手で仰ぎ、空いた手でペンと手帳を取り出すと、すぐに仕事に取りかかる。
 少年には申し訳ないが、あまり居心地のいい空間ではない。本来ならば池守が葦原を喫茶店にでも招待してやるのが筋なのだが、葦原がそれを酷く嫌がるのだった。
「さてと、事件についてなんだが……」
「どうしても喋らないといけませんか?」
 池守の前で正座した葦原が、思い悩んだようにそう尋ねた。
 池守はしばし思案した後、おもむろに口を開く。
「これは窃盗事件だからね……立派な犯罪なんだよ……」
「でも……この件はもう決着がついてるんです……」
 決着がついている。芦原は、振り絞るようにそう呟いた。おそらく、池守の協力があっても元の職場に戻れるとは思っていないのだろう。確かにあんなことがあっては、人間関係を1からやり直すのは難しい。疑った側も疑われた側も、それを無かったことにはできないのだ。
 しかし、事件は事件だ。そう考えた池守は、説得を試みる。
「これは一個人の見解として聞いてもらいたいんだが……犯罪というのはね、犯人が逮捕されることで終わりじゃないんだ……。その後の関係者のケアが大事なんだよ……。でもそのケアって言うのは、事件を忘れたり解決を拒否することじゃなく、それと向き合うことだと思うんだ……」
 そこで、池守は言葉を切った。真剣な面立ちで葦原の様子を伺う。
 思えばこの少年は、去年中学校を卒業したばかりなのだ。このような問題を相談する相手は、本来ならば刑事などではなく、両親のはずであった。しかし、父も母も他界し、めぼしい身内もいない葦原は、独りで全てを抱え込もうとしている。
 そんな状況に、池守もいたたまれなくなっていた。
「どうだい、話してくれないかな?」
 葦原は畳を見据え、しばらく口元を結んだ。
 無理強いはできない。これまでの証言に照らし合わせれば、最も重要な証人は葦原で間違いないのだが……。池守が半分諦めかけていたとき、葦原が口を開いた。
「分かりました……お話しします……」
 少年の決心に、池守はホッと胸を撫で下ろす。
 葦原の勇気に感謝しながら、早速質問を始めた。
「君は7月23日の夜7時から、霧島くんと2人で店番をしていたね?」
 そんなところまで調べているのかと、葦原は驚きのオーラを漏らした。
 しかし池守の手腕を信頼しているのか、すぐに言葉を返す。
「はい、7時からは僕と霧島先輩がシフトに入りました」
「何時までコンビニで働いてたんだい?」
「9時です」
 2時間。どうやらそこに事件の謎が隠されているらしい。そう考えた池守は、少し大雑把な質問から手を付ける。
「7時から9時までの動向を、簡単に説明してくれないかな?」
 質問が抽象的過ぎたのか、葦原は困ったように視線を泳がせた。
 池守は、具体例を挙げ始める。
「何でもいいんだよ。レジを打っていたとか、そういうことで……」
「そうですね……。僕は普段から霧島先輩と組むことが多いんですが、商品の補充や宅配便の受け取りなんかは、全部あの人がやるんです。先輩はベテランですからね。僕は基本的にレジ打ちと、レジ周りの商品の管理です。肉まんを温めたり……そういう……」
「レジというのは、奥のレジかい? それとも入口に近い方?」
「奥のレジです」
「9時までずっとそこにいた?」
 池守の問いに、葦原は明確には答えなかった。
 あるいは、答えられないと言った方が正しいのかもしれない。あれこれと思い出すような仕草をした後で、少年は首を水平に振った。
「ずっと……とは断言できませんが、かなりの時間はそこにいたと思います」
 池守は手帳に指を掛け、ひとつ前のページをめくった。
 霧島の証言によれば、奥のレジからはデザート類の棚が直接監視できる。池守はあの夜、帰り際に自分自身でそのことを確認していた。
 この事前情報と葦原の話を付き合わせるならば、ゼリーは常時人目に晒されていたことになる。何か見落としはないかと、池守は思案に耽った。
「……君はさっき、レジ周りの仕事もしていたと言ったね?」
「はい」
「そのときも、デザートの棚は見えてるのかい?」
 葦原は目を閉じ、眉間に小さな皺を寄せた。
 レジからの風景を思い出しているのだろう。池守は答えを待つ。
「……いえ、見えないと思います」
「全く見えないのかい? それとも、断続的には見えてるとか?」
「……仕事によります。レジ横にある煙草を補給するときは、箱から取り出す際に頭を下げるので、一瞬棚は見えなくなります。でも、煙草ケースは透明なので、それ以外のときは向こう側がちゃんと見えるんです。誰かがゼリーをごっそり盗んでいたら、その瞬間に気付くんじゃないでしょうか……断言はできませんが……」
「全く見えなくなる作業っていうのは?」
「惣菜を補充するときですね。唐揚げとか肉まんを作るには、レジを少しだけ離れないといけないので……」
 葦原は、そこで言葉を区切った。
 これ以上の説明は必要ないといった感じだ。池守は念のため、確認をする。
「その間にもし客がゼリーを盗んだら、君は気付くかい?」
「……気付かないと思います」
 希望が見えてきた。池守がそう思った途端、少年が口を挟んだ。
「でも……でも、それはありえないんです……」
 葦原自身の否定に、池守は困惑した。
 何がありえないのか、刑事は少年に理由付けを求める。
「……どうしてありえないんだい?」
「僕が惣菜の補充をしたのは、霧島先輩がゴミ捨てに出る前なんです。ちょうど8時に、霧島さんの指示でやったので、間違いありません」
 池守はペンを取り落としそうになった。気が進まない問いを、震える声で放つ。
「……じゃあ、8時半から9時までの間は、どうしてたんだい?」
「ずっと……レジにいました……」
 希望が指から滑り落ちる。
 だがそこへ、別の光が舞い降りてきた。
「ちょっと待ってくれ……。9時に君が帰った後、清算まではまだ1時間ある。その間は、誰が店を切り盛りしてたんだい?」
「霧島さんと……店長だと思います」
「店長?」
「はい。10時の会計は必ず店長が立ち会うので、適当なバイトがいないときは、9時くらいから店長が入ることになってるんです」
 店長。遠坂が一番最初に怪しいと睨んだ人物だ。昨日は吉美津に万引き説を披露したが、やはり最初の直感が正しかったのだろうか。
 そんな池守の思考を察したのか、葦原はその可能性をすぐに否定した。
「店長と霧島さんはベテランです。その間に盗まれたとは思えません」
「だが……万が一ということもあるだろう……?」
「あのコンビニでは万引き自体が少ないんです。その理由のひとつが、店長と霧島さんの検挙率の高さなんですよ。ちょっとした盗みでも気付く2人が、大量の持ち出しに気付かないなんてありえないと思います。先月も、霧島さんが柄の悪い男を捕まえて、警察に突き出してましたからね。僕もそこに立ち会ったんです」
 かつての同僚を庇うように、葦原は真面目な顔付きでそう述べた。
 少年の正義感の強さに感嘆しつつも、池守はそれに内心酷く動揺してしまう。
「しかし……だとしたら、犯行時間は……」
「そうなんです……。やっぱり霧島さんがゴミ捨てに行った8時半が一番怪しいんです。だから……だから、僕が疑われるのは仕方がないんですよ……」
 少年は、そこで唇を結んだ。
 事実は認めざるをえない。そんな意志の強さが、目元に滲み出ている。
 池守は黙って手帳を閉じると、それをポケットに押し込みながら腰を上げた。
「もうお帰りですか?」
「ああ、この後も仕事があるんでね……すまない……」
 本当に申し訳なさそうな顔をする池守に、葦原は悲し気な笑みを浮かべる。
「いいんです……こうして調べていただいてるだけで……」
 葦原も正座を崩し、池守を玄関まで見送った。
 別れの挨拶を済まし、池守は空を振り仰ぐ。いつの間にか曇りになっていた。今夜は星の見えない熱帯夜か。池守は、ふとそんなことを思う。
「そういや昨日、UFOが出たとか言ってたな……」
 そう呟くと、池守は少年のアパートを後にし、仕事へと戻って行った。

 ◇
  ◇
   ◇

 雲が空を覆い、日差しが和らいだ人気のない公園で、1人の青年がベンチに座っていた。眼鏡を掛け、ラフな格好で携帯ゲームに興じている。
 ピコピコとボタンを押す青年は、画面が戦闘シーンに切り替わったところで、ふと誰かの視線を感じた。ゲームに興味を持った小学生だろうか。青年が顔を上げると、そこには白い半袖シャツと黒い長ズボンを履いた、高校生らしき人影が立っていた。それが少女ではなく少年だと気付くまで、青年は数秒の時間を要する。
 少年は、形の整ったその唇を動かし、青年に話し掛けてくる。
「白川さんですね」
「ああ……そうだけど……?」
 はて知り合いだろうかと、白川は記憶を探った。
 けれども、こんな美少年には見覚えがない。バイト先の元同僚にも美少年はいたが、目の前に立っているのとは違った優し気な雰囲気を持っていた。商品を盗んで首になったという噂を聞かされ、人は見かけに寄らないものだと思ったことを、白川は思い出す。
 そんな白川の感想を他所に、少年は黙って右手を上げた。そして親指と中指、それに人差し指をくっつけると、残った2本の指を心持ち上に反らせる。それは、影絵で「犬」あるいは「狐」と呼ばれる手芸だった。
 この少年、少し頭がおかしいのではないかと、白川は心配になってくる。
「おい……俺に何か……」
「古今東西、お狐さまの言う通り」
 少年は聞き慣れぬ文言を呟き、白川を煙に巻いた。
 あっけに取られた白川だったが、すぐに気を取り直して口を開く。
「いったい、何の……!?」
 ふいに白川の視界が歪み、思考があやふやになってくる。
 自分はどこにいるのだろうか。それすらも分からなくなった白川は、頭を激しく振って意識を取戻そうとした。
 そして、眼前の光景に驚きの声を上げる。
「店長!?」
 白川は、コンビニの控え室にいた。目の前には、円椅子に座り、両腕を胸元で組んだ店長の姿がある。白川は慌てて姿勢を正し、店長に挨拶する。
「白川、今からシフトに入ります」
 そう言って部屋から出ようとした青年に、店長が声を掛ける。
「その前に、少し質問がある……そこに座れ……」
 店長は身じろぎもせず、もうひとつの円椅子を顎で指した。
 白川は大人しくそれに従い、控え室の隅に腰を落ち着ける。解雇通告だろうか。白川の背筋に緊張が走る。
 しかし店長は、全く予期せぬ話題を振ってきた。
「白川、盗まれたゼリーを棚に並べたのはおまえだな?」
 唐突な質問に、白川は目を白黒させた。そして、すぐに弁明を始める。
「そ、そうですけど、俺は盗んでません!」
「落ち着け……別におまえが盗んだとは言っていない……。私が訊きたいのは、おまえがゼリーを棚に並べたときの状況だ……。順番に説明してくれないか?」
「品出しの……状況ですか……?」
 白川の問いに、店長はじっと頷き返した。
 言いようのない既視感を覚えながら、白川はあの日のことを思い出す。
「えーと、4時に仕入れがあって……。で、すぐに早見さんと一緒に、商品の補充を始めました……。ここまではマニュアル通りで……。その日は、じゃんけんで担当場所を決めたんです。俺が負けて、棚の品出しになって……それで……」
 白川は、そこで口を噤んだ。
「それで?」
「あの、何と言うか……ほんとにそれだけです……」
 沈黙。店長は何かを呟いたが、白川には聞き取れなかった。
 なぜか声音が違ったような気もしたが、青年は気のせいだろうとそれをスルーする。
 しばらく静寂が続いた後で、店長が話を再開した。
「品出しというのは、どうやるんだ?」
「は?」
「どうやるんだ?」
 白川は、質問の意味を察しかねた。正確に言えば、質問の目的が分からなかった。彼に品出しのやり方を教えたのは、他ならぬ店長なのだ。まさか、従業員の習熟度チェックをしているわけでもあるまい。白川は混乱してしまう。
 しかし、なぜか答えなければならないという強迫観念が生まれ、白川は口を動かした。
「まず、倉庫から補充する商品を取り出して……それからリーダーで段ボールのバーコードを読み取ります……。後は……棚に並べるだけです」
「段ボールのバーコードを読み取る理由は?」
「は?」
「バーコードを読み取る理由は?」
 白川には、目の前の出来事が酷く非現実的に思えてきた。
 けれども例の強迫観念が、再び青年の口を開かせる。
「店のコンピューターに品出しを認識させるため……です。違うんですか?」
「つまり、バーコードで読み取られた商品だけが、品出しされたことになるんだな?」
 白川は目を細め、意味もなく2度首を縦に振った。
 何を訊いているのだろう。青年は、訳が分からなくなる。
 店長は何かをぼそぼそと呟いた後、話を先に進めた。
「白川、おまえはバーコードを読み取るとき、何かミスをしなかったか?」
「ミス……ですか?」
「そうだ。読み取り忘れたとか、2度読みしたとか、そういうことは?」
 白川は上唇を撫でた後、おもむろに口を開く。
「いえ……そういうミスはしてないと思います……」
「断言できるか?」
 白川は視線を落とし、それからやや語気を強めた。
「はい、絶対やってません。マニュアル通り、読み取ったバーコードには斜線を引き、ミスがないようにしてますから」
「そうか……」
 店長は、そこで口を噤んだ。
 気まずい空気が流れる。
「……よし、もう帰っていいぞ」
 唐突に、店長がそう命じた。
「え? これから仕事なんですが……!?」
 目の前が明るくなり、白川は瞬きをする。
 見れば、青年は公園のベンチに座り、手には携帯ゲームを持っていた。
「あれ……? 俺、何してたんだっけ?」
 青年は、液晶画面に目を落とす。3Dの主人公たちが、雑魚敵と対峙したまま同じ待機行動を繰り返している。
 そうだ、キャラのレベル上げをしていたのだと、白川はすぐに「たたかう」コマンドを押し、ゲームを再開した。
 誰かと出会った気がする。そんな思いは、涼しくなり始めた町の風に流され、どこへともなく消えて行った。
+注意+
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