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冬過ぎて、春来るらし 作者:稲葉孝太郎

最終章 カラシ入りチョコレート事件

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第68話 1%の差

 翌日、葦原(あしはら)はルナを連れて、駅前へと向かった。
「お友だちというのは、どういう人なのですか?」
「市外に住んでるんだけど、ちょくちょく遊びに来てくれるんだ」
 ジーンズにジャンパーという出で立ちで、ルナはうしろをついて来る。
 うろな駅前に到着した葦原は、きょろきょろと辺りを見回した。
「確か、時計の前で待ち合わせ……あ、いた」
 時計台のそばの花壇に、吉美津(きびつ)入江(いりえ)は腰を下ろしていた。
 吉美津は白のコート、入江はスカートに厚手のダウンコートという出で立ち。
「お待たせ」
 葦原が手を振って近付くと、ふたりはそちらに顔を向けた。
「いえ、さきほど到着したばかりで……ッ!」
 吉美津は目を細めて、葦原の背後を睨んだ。
「そちらの女性は?」
「えっと……お隣のルナさんだよ」
「そうか……男だと見間違えたか……」
 吉美津の口元から、軽い舌打ちのようなものが聞こえた。
「マズいのです。式神の報告が見当違いだったのです」
 入江も、よく分からないことを口走った。
「どうしたの、ふたりとも?」
「すみませんが……そちらの女性と、少し話させていただけませんでしょうか?」
「え? ルナさんと?」
「駅の裏手で話し合うのです」
「ここで話せばいいじゃない?」
 葦原の疑念にもかかわらず、ふたりはルナと差しで話し合いたいようだった。
「そうですね。私も、少し話し合う必要があるかと思います」
 ルナの一言に、葦原はおどろいた。
「もしかして、知り合い?」
 そうとしか思えなかった。
 お互いに、何か隠し事をしているように見受けられた。
「……」
「……」
 蚊帳の外になった葦原は、ふぅと溜め息を吐く。
「なんかよく分からないけど、喧嘩は止めてよ」
「その心配はありません」
 ルナからは言質を取れた。
 ところが、吉美津と入江の方は、ひどく頑な態度を取っていた。
「では、駅の裏手へ」

  ○
   。
    .

「さて、どこから話をつけましょうか」
 吉美津は間合いをおいて、ルナに問いかけた。
 線路から、車輪の音が響いてきた。
 あたりが静かになったところで、ようやくルナは唇を開いた。
「まず、今回の件は、鬼道グループと何ら関係がないというところからですね」
「何ら関係がない……? その発言、信用されると思っているのですか?」
「信用するしないではなく、事実ですので」
 普通の人間ならば、ルナの物言いに腹を立てていたであろう。
 しかし、老練な吉美津は、自分から波風を立てるようなことはしなかった。
「事実だという保証がないのです」
 入江の割り込み。
「そうですね、このままでは単なる口約束ですか……」
 ルナは唇に手を添えて、しばらく線路を行き交う列車を眺めていた。
 ガタゴトという音が、冬空の寂しさを一層深めて行く。
「……葦原くんに会うときは、あなた方に連絡を入れます」
「それは担保になっていません。連絡を入れなければ終わりの話です」
「しかし、私は鬼道グループには雇われていませんし、あなた……吉美津くん、でしたか。吉美津くんも裏の世界の住人ならば分かると思いますが、依頼もないのに私怨で標的を襲うことはありえません」
 それはそうだと、吉美津も考えた。この世界では、陰陽師にせよ、記憶操作者にせよ、信用商売である。私情に囚われるような人間は、まず信頼されない。そもそも、ルナには感情らしきものがあまり見られないのだから、そのあたりは心配しなくても良さそうであった。吉美津は、直感的にそう判断した。
 けれども、まだ別の問題が残っていた。
「鬼道グループの依頼が消滅しているという保証がありません」
「それでは、堂々巡りですね。私は、鬼道グループに報告後、契約を打ち切りました。とはいえ、それも保証がないと言われれば、それまでの話です」
「それが分かっているのならば、道はひとつしかありません」
「何ですか?」
「ルナさん、あなたが葦原くんに近付かないことです」
 吉美津の強い口調にもかかわらず、ルナは動揺しなかった。
「それはできません」
「なぜです?」
「私は葦原くんの友だちだからです」
「友だち……?」
 吉美津は、軽く眉をひそめた。
「また、けったいな物言いですね」
「陰陽師と高校生が親友というのも、『けったい』だと思いますが」
「あなたは、葦原くんの命……いえ、記憶を狙ったでしょう?」
「昨日の敵は今日の友、ということで、納得していただけないのですか?」
 納得するわけがない。吉美津は、この少女に手を焼き始めた。
 入江とは、また別の厄介さがあった。
「……分かりました。信じることにしましょう」
「ありがとうございます」
「待つのです。それでは話し合いになっていないのです」
(あんず)さん、ここで長々と議論しても、埒があきません」
 入江はそれでも反論の気配を見せたが、すぐに引っ込んだ。
 どうやら事態を察してくれたらしいと、吉美津は彼女に感謝した。
「では、すぐに戻りましょう。もう10分近く経っていますので」
 吉美津が駅前の広場に戻ると、葦原は花壇のところにぼんやりと座っていた。
 ちょうど背伸びをしているところへ、3人は姿を現す。
「遅かったね。何してたの?」
「身内の話です」
「ってことは、ルナさんと知り合い?」
 葦原は、3人を交互に見比べた。
 最初に口を開いたのは、ルナだった。
「そうですね。少しばかりお世話になりました」
「ああ、そうなんだ。町を案内してもらったとか? それとも別の場所で?」
「うろな町でお会いしました」
 それっきり、ルナは先を言わなかった。
 このあたりは、ルナを信用してもよさそうだと、吉美津は思う。
 べらべらと自分たちの正体を喋らないのは、さすが裏社会の人間であった。
「なんだ、だったら最初からそう言ってくれればいいのに」
 葦原は花壇のへりから腰を上げて、ズボンについた砂を払う。
「で、どこに行くの? 特に決めてなかったけど?」
 ルナと入江は、何の反応も示しそうになかった。
 吉美津としても、葦原の身辺警護が主たる目的で、観光に来たわけではない。
「ショッピングモールは巡ったし、冬は海に行ってもしょうがないし……」
 葦原は、舗装された地面を踵で蹴って、空を見上げた。
 吉美津も視線を上げる。雲ひとつない快晴。
「今日は温かいし、うろな広原に行かない?」
「うろな広原というのは?」
 吉美津の問いを受けて、葦原は西の小高い山を指差した。
「あのあたりだよ。山に見えるけど、かなり開けてるんだ」
「風が強そうですね。寒くないですか?」
 ルナが尋ねた。
「山裾のあたりは風が強いけど、広原はそうでもないよ」
「それはおかしいのです。普通は、上に行くほど風が強くなるのです」
「広原と言っても、僕が行きたいのは、レクリエーション区域になってるところだよ。そこは地理的にあんまり風が吹かないんだ。一番上まで登ったら、そりゃ凄いだろうけどね」
 吉美津たちも、うろな町の地理には詳しくなかったので、それに同意した。
 他に対案もなかったからである。
「歩いて行くのですか? 目測で、かなりの距離があるのです」
 入江は、つま先立ちして、山を遠望した。
「確か……電車で4駅だったかな?」
 葦原は、指折り数えた。
「西うろな、新うろな、うろな裾野、うろな広原……うん、4駅だね」
「では、改札に戻りましょう。うろな広原というのは、終点でしたか?」
 吉美津が駅に戻ろうとしたところで、葦原はうしろから声を掛けた。
「あ、待って、せっかくだから、サイクリングしない?」
「サイクリングですか? 自転車を持っていませんが」
「それなら、大通りで借りられるよ」
 葦原の提案にしたがって、4人は大通りを北上した。
 そして、自転車ショップらしき店舗の前で止まった。
「ここで、サイクリング用の自転車を借りれるんだよ」
「窃チャされるのです」
 入江の危惧に、葦原は軽く笑った。
「大丈夫。自転車にGPSが仕込まれてて、放置された場所が分かるんだよ」
「行ってここまで帰ってくるわけですか。なかなか距離がありますね」
「疲れたら、自転車は広原のショップに放置して、電車で帰ってもいいんだ」
 なるほどと、吉美津は頷き返した。
 おそらく、自転車ショップと観光組合の協力で、サイクリングシステムができあがっているのだろう。葦原に尋ねなくとも、そのくらいのことは容易に察しがついた。
「例の事件のあとで自転車というのは、ずいぶんと物騒なのです」
 葦原は、入江のコメントに驚いて、ルナをちらりと盗み見た。
 鬼道グループに彼女が関与していたことは、彼にはまだ知られていないのである。
「自転車に乗るのは、久しぶりですね」
 ルナは、入江の発言が聞こえなかったかのように、そう呟いた。
「乗れるよね?」
「大丈夫だと思います」
「私は子供用しか乗れないのです」
 入江のコメントに、葦原は軽く頭を掻いた。
「そっか……子供用もあると思うよ」

  ○
   。
    .

 4人は自転車ショップに入って、サイクリング用の自転車を4つ借りた。
 うろな町の風はまだ冷たかったが、それでもどこかしら春の心地が感じられた。商店街を抜けて西に向かうと、だんだん家屋が減り、工場も減り、緩やかな坂道が始まる。それは、うろな広原へと続くサイクリング・ロードであった。最近できたばかりなのか、ガードレールやアスファルトの具合も新しく、4人は快適な自転車旅行を楽しんだ。
 広原で自転車を降り、4人はなだらかな野辺に足を踏み入れた。
「ちょっとシーズンじゃなかったかな」
 葦原は、白い息を吐きながら言った。
「他にも客人はいますし、そうでもないでしょう」
 と吉美津は返した。
「ところで、葦原くん、学校の方はどうですか?」
「もう慣れたよ。時間が違うだけで、ほとんど中学校と一緒だしね」
 時間だけでなく、メンバーもやや特異に違いない。けれども葦原は、そのことを気にしていなかったし、敢えて言及する必要もないと思った。彼にとってはみな大切な友人であり、同級生である。世代がバラバラで、生きている環境もバラバラなだけだった。
「私が言うのも憚られますが、3年間はあっという間です」
 あれだけ注意したにもかかわらず、吉美津は「ですます」調に戻っていた。それが彼の個性なのだろうと思い、葦原はそれについてとやかく言うことを止めていた。
「将来的には、大学も行きたいかな」
「新聞記者になりたいと言っていましたね」
「うーん、新聞記者っていうか、ライター。新聞じゃなくてもいいよ」
 自分が大人になったとき、マスコミ界隈がどうなっているのか、葦原にはまだ見えてこないところがあった。もっとも、誰にも見えていないのかもしれないが。
「とりあえず、あのへんに座ろうよ」
 葦原は、日向のベンチを指差した。
 ルナと入江は、なぜか意気投合してしまったようで、入江の方が質問を浴びせかけているのが聞こえた。
「ルナさんは、いつ頃からそういうことができるようになったのですか?」
「物心ついたときには、少々」
「不思議なのです。ぜひ解剖して調べたいのです」
 物騒だな。葦原は、そう思いつつ、うろな町の街並を眺めた。
 裾野に広がる点々とした住宅が、奥へ進むにつれて広がっていく。色とりどりの屋根が、冬のうっすらとした陽の光にくすんで見えた。
「ずいぶんと開けていますね。海が美しいです」
「そうだね……」
 葦原はベンチにもたれかかりながら、ぐいっと背筋を伸ばした。
「バレンタインの話なんだけどさ……」
「まだ何か?」
 吉美津はそう言って、ルナを盗み見た。
「いや、チョコレートはどうでもいいんだけど……」
 葦原は、少しだけ声の調子を和らげる。
「なんていうかさ、今回の件でいろいろ勉強になったな、っていう……」
「勉強とは?」
「まだ考えがまとまってないんだけど……世の中ってさ、すごく大変なことに見えて、それでいて実際には笑い話で済むような、そういうことがたくさんあるんじゃないかな、って」
「なるほど、カラシ入りチョコレートは、ただの笑い話でしたね。しかし、ひとつひとつの事象というものは、やはり真摯に受け止めねばなりませんよ。大山鳴動して鼠一匹というのは、リスク管理としては正しいやり方です。逆に、鼠だと笑って山が崩れるのでは、笑うに笑えませんから」
 そういう考え方もあるかと、葦原は感心した。
「吉美津くんって、意外と慎重派なんだね」
「『意外と』というのは?」
「もっと物事に頓着しないタイプだと思ってた」
 飄々とした吉美津の風貌から、葦原はそんな印象を抱いていたのだった。
 彼の人物評に対して、吉美津は少しばかり首を傾げた。
「私は、自分をそのように思ったことはありません」
 我が意を得たりとばかりに、葦原は前に乗り出した。
「そこだと思うんだよね。自分のことって、自分が一番よく知ってるわけだけど……いや、もちろんそうじゃないって言う人もいるかもしれないけどさ、少なくとも、他人が自分のことを1%くらい理解してるなら、自分は自分のことを2%くらいは理解してるじゃないか。そこの1%の差っていうものが……なんていうか……すごく大きいと思う」
「ずいぶんと謙虚な数字を出しますね」
「じゃあ、吉美津くんは、自分のことを何%くらい分かってる?」
 吉美津は、心持ち視線を上に向けた。
「……三分(さんぶ)ほどでしょうか」
「さんぶ? ……あ、3%ってこと?」
「ええ」
「つまり、僕より1%多く、自分のことが分かってるんだね」
「年の功ですよ」
 吉美津の呟きを、葦原はうまく拾うことができなかった。
「なんか言った?」
「いえ、なにも……ところで、この割合の話は、いったいどういう意図で?」
 葦原は大きく頷いて、自分の考えをまとめた。定時制からの帰り道、あるいは薄暗い自室で、何度か脳裏をかすめてきたことが、はっきりと形を取り始めた。
「僕は、ルナさんみたいな人がいるって知らなかったから、話をずいぶん大きくしちゃったと思うんだよね、バレンタインの件で」
「……ルナさんのような人は、非常に珍しいのではありませんか」
「ううん、定時制の他のメンバーでも……一筋縄じゃいかないっていうか……」
「私たちも、お互いに分かり合っているとは言えませんね」
 吉美津は、葦原が常々思っていたことを、ずばりと言ってのけた。
「そうだね……吉美津くんは、なんかちょっと変わってる気がする」
「どのように?」
「すごく……年上に感じることがあるかな……」
「そうですか……」
 吉美津はそれだけ言って、口を噤んだ。
 葦原は、脱線した話を戻す。
「でね、僕は将来、ライターになりたいわけだけど……今回みたいな事件を、大げさに騒ぎ立てて、周りに迷惑をかけないようにしたいんだよね」
「真相が分かってからの報道というものは、常に手遅れですよ」
「そうなのかな? ドキュメンタリーなんかは、違うよね?」
「記録番組は、現在の出来事ではなく、過去の出来事を振り返るものです。時事に関する記事は、それが誤っているという危険性を、常に孕んでいるものではありませんか」
「その誤りを減らすことはできるんじゃないかな?」
 葦原の反論に、吉美津は曖昧に頷いた。
「もし誤りを減らせるとしたら、それには相当な専門的知識が必要です。扱える情報の範囲は、限られてくるでしょう。社会一般について論じるなど、とてもとても……」
「悲観的なんだね」
「私は事実を述べているだけです」
 葦原は、吉美津とこれほどまで意見が合わないことに、若干ショックを覚えた。しかし、これもまた1%の差なのだと、自分の意見が実証されたかのようにも感じて、嬉しかった。
「推理小説って、探偵が事件を解決するよね。でも、あれってほんとうにちゃんと解決してるのかな?」
「その問題は、昔から議論されているようです。探偵は、警察と違って、物証などを科学的に分析して犯人を突き止めているわけではありません。近年では、米国を中心に科学捜査も流行っているようですが、古典的な作品では、ほとんどが推理頼りです」
「そうそう、そうなんだよね。だったら、探偵の推理が間違っていて……例えば、犯人だと名指しされた人が、他の人を庇っていたりしたら、もうアウトなんじゃないかな」
「つまり、それが現実社会にも当てはまると、そう仰りたいのですね?」
 吉美津の確認に、葦原は大きく頷いた。
「今のは1%が重なったね」
 葦原が笑うと、吉美津もつられて笑った。
「そこのふたりは、なにを話しているのですか?」
 入江が、小柄な体を乗り出して尋ねた。
「ちょっとした探偵ごっこだよ、ちょっとした、ね」
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