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うろな町の不思議な人々 作者:稲葉孝太郎

最終章 カラシ入りチョコレート事件

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第66話 激辛なプレゼント

これは2014年2月14日(金)の話です。
 バレンタインデー。
 それは、無縁な者にはまったくと言って無縁な一日。
 葦原(あしはら)少年も、その日の朝までは、そう思っていた。
 郵便受けを開けるまでは。
「……あれ?」
 見知らぬ包みが、郵便受けの底に落ちていた。
 外から投函されたものらしかったが、音には気付いていない。
 小包や宅配便なら、ハンコが必要なはずだ。
 奇異だとは思いつつも、彼はその包みをほどいた。
 すると、包みの中には小さな袋が入っていて、その中にはいくつかの、不揃いな赤い銀紙に覆われた塊が転がっていた。少年はそのひとつを開けて、アッと声を上げた。
「ちょ、チョコレート?」
 葦原少年は、外気で冷えたそれを、まじまじと眺めた。
 これはいったい、どういうことなのか。
 なぜチョコレートが投函されているのか、少年は混乱するばかりだった。
「あ……そう言えば、今日ってバレンタインデー……」
 疑問が半分氷解したかのように、少年はひとりで納得した。
 しかし、すぐに首をひねった。
「でも、誰が?」
 心当たりはなかった。
 定時制の誰か、ということも考えられたが、今日は金曜日だ。こんなことをせずとも、学校で渡せばよいはずである。それに、定時制の中で、葦原にチョコレートをくれそうな女子は、いなかった。
「……瀬尾(せお)さんのイタズラかな?」
 あの人なら、やりかねない。葦原はそう思いつつも、ちょっとだけ嬉しかった。
 実際、女子の可能性はあるのだし、誰かは分からなくても、こういう日にプレゼントをもらえるのは、もらえないよりもずっと心地よいものである。
「手作りみたいだけど……なんか入ってるかな?」
 ウィスキーボンボンかもしれない。葦原は、あれがあまり好きではなかった。
 葦原は念のために心構えをしてから、それを口に放り込んだ。
 そしてその数秒後、アパートに悲鳴が響き渡った。

  ○
   。
    .

「ハハハ、そりゃ傑作だな」
 椅子にもたれかかりながら、有坂(ありさか)が爆笑した。
「笑い事じゃないよ……大変だったんだから」
 葦原は、あのときの味覚を思い出して、身震いした。
 舌の上がヒリヒリしてきた。
「でも本当なのか、中身がカラシだったっていうのは?」
「本当だよ。こんなので嘘吐いても、しょうがないだろう」
 有坂は、半分納得したような、納得していないような顔をして、肩をすくめた。
「ま、信じてないわけじゃないけどよ」
「さっきから、なんの話してるの?」
 金居(かない)が隣から顔を覗かせた。
「葦原がもらったチョコに、カラシが入ってたんだとさ」
「ええ?」
 金居は、一瞬驚いたような顔をしたが、すぐさま眉間に皺を寄せた。
「ほんとぉ? からかってるんじゃないでしょうね?」
「そう言ってるのは葦原だから、俺は保証しないぜ?」
 有坂はそう言って、話を葦原に丸投げした。
 金居は、葦原の顔を覗き込む。
「今の話、ほんと?」
「ほんとだよ」
「どこでもらったの? 学校?」
「アパートの郵便受け」
「郵便受け? だったら、送り主が書いてあったんじゃないの?」
「手で投函したみたいなんだ」
 葦原の返答に、金居は怪訝そうな眼差しを向けた。
「ええ? 手で?」
 金居は腕組みをして、右手の指を顎の下に添えた。
「……ちょっと嘘くさいけど、信じてあげるわ」
「金居さんって、疑り深いんだね」
「だって、そんなの聞いたことがないもの」
 それは、そうだ。
 葦原も、そこには同意せざるをえない。
「にしても、誰なんだろうな、そんなイタズラしたのは」
 有坂は、教室の中をぐるりと見回した。
「瀬尾さんはやりかねないなあ」
 どうやら有坂は、葦原と同じ結論に至ったようだ。
 けれども、金居は首を左右に振った。
「瀬尾さんは、そういうことするタイプじゃないと思うわよ」
「闇鍋やったじゃないか」
「あれはパーティーでしょ。イタズラじゃないわ」
 金居は、瀬尾犯行説を、微塵も信じていないようだ。
 葦原も、よくよく考えてみると、瀬尾さんらしくないように思えてきた。
「確かに、瀬尾さんなら、学校でやりそうだよね」
「ハハハ、違いないな。『カラシ入りチョコだよ』とか言って、普通に渡しそうだ」
 有坂の冗談に、金居は笑いながら相槌をうつ。
「そうそう、瀬尾さんって、そういう遠回りなことしなさそうでしょ」
「となると、クラスの連中じゃないな。他に犯人候補は、いないだろ」
 有坂の指摘に、葦原も頷き返す。
「僕も、クラスメイトは疑ってないよ」
「しかし、そうなると誰がやったのか、さっぱりだな」
 有坂の言う通りだった。心当たりがない。
 葦原の住所を知っている人間は、それほど多くないのだ。
 中学のときのクラスメイトは、ほとんど知らないだろう。引っ越したのだから。
「普通に考えると、いやがらせよねぇ」
 金居は、同情を込めて言った。
「それにしては、手が掛かりすぎじゃないか?」
「相当恨みが深いみたいね」
 金居の口元に、黒い笑いがこぼれる。
「あれじゃない? 昔ふった彼女とか?」
「そんなのいないよ」
「ほんとぉ?」
 話がおかしな方向に逸れそうなので、葦原は話題を変えた。
「ところで、今日の英語の宿題だけど……」

  ○
   。
    .

「それでは、see you next time」
 ブロンウィン先生はそう言って、教室を出て行った。
 めいめい後片付けを終えて、ぱらぱらと帰って行く。
 葦原も教室を出ようとしたところで、広前(ひろまえ)とぶつかりそうになった。
「あ、すみません」
「別にいいよ」
 赦しているのか気にしていないのか、広前はそっけなく言った。
 ふたりは教室を出て、同じように廊下を歩き始めた。
「葦原くん、変なチョコレートをもらったそうだね」
「え? 誰から聞きました?」
「金居さんが日生(ひなり)さんに話してるのを聞いたよ」
 人の口に戸は立てられない。
 葦原は、今さらながらにそう思った。
「そのチョコレート、捨てちゃったの?」
「ええ、カラシ入りなんて食べれませんし、気味が悪いですから」
「もったいないね」
 倹約家の広前らしい台詞だった。
 とはいえ、外側だけ削って食べるわけにもいかない。
「犯人は、見つかったのかな?」
 玄関に向かいながら、広前は話を続けた。
「見つかってないです」
「見つけるつもりもない?」
「そうですね……今のところは……」
 葦原としては、自分がどうしたいのかも、よく分かっていなかった。犯人を見つけられるなら、それに越したことはないように思われた。けれども、正体が分かったところで、どうしようと言うのだろうか。警察に突き出す? 説教する? 謝ってもらう?
 どれも、しっくりこなかった。
 それに、合格通知の件でも、犯人は教えてもらわなかったではないか。
「心当たりは、ないのかい?」
「いえ、ありません」
「そうかな? 人間、知らないところで恨みを買ったりしてるもんだよね」
 広前は、いかにも年上らしいことを言って、校庭に出た。
 凍えるような寒さが、葦原の体を包み込む。ジャンパーの隙き間から、木枯が吹き込んできた。葦原はマフラーを念入りに巻いて、広前の横を歩いた。
「でも、恨まれてるとしたら、バレンタインデーなんて狙いますか?」
 葦原の一言に、広前は唇を舐めた。
「……そう言われると、そうだね」
「恨まれてるって言うよりは、ただのイタズラだと思うんです」
「イタズラにしては、ちょっと手が込み過ぎじゃないかな?」
 金居、有坂のときと同じ指摘に、葦原は溜め息を吐いた。
「そうなんですよね……イタズラにしては、手が込み過ぎのような……」
「手作りチョコだったんだろう?」
「え? なんで分かるんですか?」
「市販のものにカラシを注入するのは、かなり難しいと思うからね」
 葦原は、広前の推理に感心した。
「はい、手作りでした」
「そうなると、わざわざバレンタインに狙いを定める理由があったんじゃないかな。恋の恨みとか?」
 広前は、意味深な笑みを浮かべた。
「そ、そんなことは……」
「片想いの子に冷たくしたとか、そういうことかもしれないよ?」
 広前の意見に、葦原はドキリとした。
 心当たりがあったわけではない。ただ、そういう可能性を示されると、否定しようがないことに、葦原は薄ら寒いものを感じたのだった。
「ハハ、冗談だよ、冗談」
 広前はそう言って、ちょうど分かれ道に辿り着いた。
 ふたりはさよならを言って、葦原はそのままアパートに向かった。
 その途中でも、葦原はさきほどまでの会話を思い出していた。
 アパートの鍵を開けて、中に入る。
 靴を脱いで鞄を放り出したあと、すぐにゴミ袋を漁り始めた。
「……あった」
 ゴミ袋のちょうど半ばに、例の袋はあった。
 さらに包みも見つけ出して、両方をテーブルの上に並べた。
「……証拠品は揃ったね」
 葦原はスマホを取り出し、ルナのメールアドレスを検索した。
 そして、メールを送った。
《明日、アパートに来る? ちょっと話があるんだけど》
 返信は、すぐに来た。
《はい》
 あいかわらず、簡素な返事だ。
《バイトが夕方の6時まであるから、そのあとでメールするよ》
《了解》

  ○
   。
    .

 翌日、葦原はコンビニで棚出しの仕事に追われていた。
 テキパキと商品棚に並べながら、隣の霧島(きりしま)を盗み見た。
 すると霧島は、目敏くその視線を捉え返した。
「どうしたの?」
「え、いや、何でもないですよ」
「さっきから、ちょっと様子がおかしいね。何か、あった?」
 コンビニのアルバイトでも、これだけ付き合いが長ければ、お互いの調子が分かるようになるらしい。葦原は、正直に話したかどうか悩んだ挙げ句、昨日の出来事を伝えた。
「へぇ、おかしな事件だね」
 霧島は、それを事件と捉えたらしい。
「ただのイタズラだと思います」
「そうかな? うちのコンビニだって、変な事件があったし、用心した方がいいよ」
 霧島は、例の万引き事件を、未だに気にしているらしかった。自分が狙われたのだから、無理からぬことではあるが、そのあたりは、葦原の方があっけらかんとしていた。合格通知の件とて、今では半分忘れかけているくらいなのだ。
「霧島先輩、ちょっと探偵じみてきましたね」
「そうかな? 池守(いけがみ)さんの影響かも」
 霧島は、屈託なく笑った。
「僕はこうしてコンビニバイトしてるけど、将来は探偵もいいかな、って」
「探偵ですか?」
「半分冗談さ。でも、池守さんとか見てると、ああいう仕事も面白そうだし」
「それなら、警察になればいいじゃないですか」
 葦原の疑問に、霧島は残念そうな顔をする。
「警察は難しいよ。警察になると、剣道か柔道が要るらしいんだけど、僕はそういうのは得意じゃないからね」
 その話は、葦原も聞いたことがあった。池守の話によると、採用試験のときに必須というわけではないのだが、任官後は初段を取得しなければならないらしい。あくまでも聞き齧りの知識だったが、警察が武術に通じていなければならないというのは、尤もらしく思えた。紙屋も柔道部出身だというではないか。
「でも、それ以外は私立探偵ですよね」
「そこが難問なんだよね。私立探偵ってさ、浮気調査とか、そういう仕事が多いから、僕のやりたいことと違うんだ」
「そうですね。探偵業の広告って、そういうのが多いですね」
 要するに、金田一耕助とか、ああいうのは架空の仕事ということだ。
 殺人事件に素人が首を突っ込めるわけがないのだから、当然である。
 遠坂(とおさか)が警察に協力しているのは、あくまでも非公式であるし、重犯罪でもない。彼女が池守と旧友だということも、大きく働いているのだろう。そういうコネのない霧島にとっては、探偵業など夢のまた夢ということであった。
「だから、葦原くんの今回の件についても、ちょっと気になっちゃってさ」
「……犯人がいるとしたら、どういうタイプだと思いますか?」
 葦原の問いに、霧島はしばらく黙った。
 弁当を棚に並べながら、じっと考え込む。
「……犯人は、女性だと思うね」
 性別をいきなり断定されて、葦原は少しびっくりした。
「なんでですか?」
「毒殺は、女性の犯人が圧倒的に多いらしいよ」
「物騒ですね……毒は盛られてませんよ」
 霧島は、にわかに笑った。
「でもさ、食べ物に細工をするって言う点では、一緒だと思うんだよね」
 そう言われてみると、なんだか合点がいった。
 けれども、それはあくまでも先入観のようにも思われた。
「バレンタインデーを狙ったのは、なんでですか?」
「それは分かんないけど……何か特別な日だったんじゃないかな?」
「え? そりゃまあ、バレンタインデーは特別な日ですけど……」
「そういう意味じゃなくて、犯人にとって特別な日、ってこと」
 なるほどと、葦原は軽く頷いた。
「以前、バレンタインデーにチョコを断ったとか、そういうのは?」
「ないです」
「ホワイトデーのお返しを忘れたとかは?」
「いえ、ないです」
 霧島は、空になったケースを重ねながら、ふぅと息を吐いた。
「ってことは、チョコの恨みじゃないのかな?」
 どうも怨恨説に戻ってしまいがちだ。
 葦原は、そちらの線に疑問を感じ始めていた。
「さてと、そろそろ客足が増えるし、レジの方を頼むよ」
とにあさんの『URONA・あ・らかると』から、
定時制一同をお借りしました。
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