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うろな町の不思議な人々 作者:稲葉孝太郎

第6章 合格通知不達事件

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第62話 理詰め

これは1月12日(日)のお話です。
 桑原(くわはら)に案内された場所は、子供たちの遊技室だった。年齢の異なる子供たちの多様性が、そこかしこに現れていた。床の木の匂いを嗅いだ葦原(あしはら)は、昔何度か遊びに来たときのことを思い出した。
 桑原が言ったように、小さな子供は全員出払っていて、葦原よりも年上と思しき見知らぬ男性と、廊下ですれ違っただけであった。
「お茶淹れるから、そこで待ってて」
 葦原とルナを椅子に座らせ、桑原は奥の給湯室へと引っ込んだ。テーブルの上にはビニール製のカバーが掛けられ、ところどころに醤油の染みがこびりついていた。以前カップ焼きそばをここで食べて、ソースをひっくり返した記憶があった。
「ずいぶんと殺風景なのですね」
 ルナは、あまり感心しないことを呟いた。
 葦原は、慌てて取り繕う。
「そうかな? 普通にいいところだと思うけど」
「お待たせ」
 お盆の上に湯呑みを3つ乗せて、桑原は給湯室から出て来た。
 彼女はまず葦原に湯呑みを出し、それから自分とルナの前にひとつずつ置いた。てっきり番茶か何かと思ったが、葦原が覗いて見ると、うっすらとした緑色が視界に映った。
「ところで、今日は何しに来たの?」
 桑原は、至極当然な、それでいて答えに窮することを再び尋ねてきた。
 葦原はなるべく破綻しないように、慎重に答えを返す。
「ふらりと寄っただけだよ」
「バイト帰りとか?」
 葦原は頷きかけたが、バイトの中身を訊かれると困るので、すぐに首を振った。
「バイトは午後からだよ」
「じゃあ、何でこのへんをぶらついてたの?」
 桑原は、妙な好奇心を見せた。そして、しきりにルナのことを気にしているようだった。葦原はちらりとルナの横顔を盗み見て、それから機転を利かせた。
烏丸(からすま)さんは、最近ここに引っ越して来てね、まだ地理がよく分かってないんだ。だから町内を、ちょっと案内してあげてるんだよ」
「うろな西なんて、別に案内するほどのものもないでしょ」
 一瞬、葦原は尤もだと思った。しかし、それは本当に一瞬だけに過ぎなかった。街というものはどこも、歩いてみればそれなりに風情がある。定時制になってから行動範囲を広げた葦原は、たまにそんなことを感じていた。今まで使ったことのない裏道や、人気の少ない工場(こうば)の後ろなどを通ってみると、ふと目の前が開けて、人間には興味のなさそうな木々や虫たちなどが、日向にたむろしている。そのような光景を、葦原は時々、しんみりとした気持ちで眺めることがあった。
「この町は自然が多いから好きです。特に鳥が多いと思います」
 ルナが、突然割り込んだ。それは、黙っていることの気まずさからではなく、思ったことを素直に口にしたまでに聞こえた。少なくとも葦原は、そう解釈した。ルナは、積極的にお世辞を述べるタイプではない。うろな町の自然が好きだというのは、本心であろう。
 けれども、声を掛けられた肝心の桑原は、その割り込みを黙殺した。
「クリスマス会、どうして来なかったの?」
 この話題も、あまり好ましくなかった。
 とはいえ、今回の訪問の核心部分でもあったので、葦原は乗った。
「招待状が届かなくてね」
 その答えを予期していなかったのか、桑原は眉をひそめた。
「え? 茶色い封筒が入ってなかった?」
「それがね、配り忘れらしくて、僕のアパートには来なかったんだ」
 葦原は、わざとカマをかけてみた。アパートには届いていたのである。ただ、葦原の部屋のポストにだけ、入っていなかったのだ。
 桑原が何か口を滑らすかと期待したが、その期待は裏切られた。
「ふぅん……残念ね」
 彼女は、本当に心から残念がっているように思われた。
 葦原は仕方がないので、カマかけの続きを試みる。
「僕のアパートは、誰が担当してたのかな?」
 少し露骨過ぎるかとも思ったが、他に言い方が思いつかなかった。
 一方、桑原は葦原の思惑など感知しない様子で、じっと天井を見上げた。
「うーん……覚えてないわね。結構な数で手分けしたから……」
 ということは、桑原ではないのだろう。
 それが分かっただけでも、葦原は良しとした。
「ま、いいんだよ。クリスマス会に、いきなり僕が来ても、困るだろうし」
「あら、どうして?」
「普段から顔を見せない人が来ても、迷惑じゃないかな」
「そんなことないわよ。みんな来ないのを不思議がってたわ」
 それは、嘘だと思った。葦原は、そこまで顔が広くない。さきほどすれ違った男も、じろじろと葦原の顔を確認していた。なぜか葦原は、「みんな」という言葉が、専ら桑原自身を指しているような、そんな感覚に襲われた。
「それに、クリスマスの前後は、めちゃくちゃ忙しかったからね。ケーキを売って、年賀状を仕分けして、お節を作って……」
「サンタクロースの格好でもしたの?」
 桑原はそう言って、十代の少女らしく無邪気に笑ってみせた。
「売るのは、もっと年上の人だよ。バイトの女子大生だったかな」
「みっちゃんが売れば、もっと売れるわよ」
「え? 何で?」
「自分の胸に訊いてごらんなさい」
 葦原は、思わず胸に手を当てかけた。
 けれども、話が逸れ始めたことに気付いて、テーマを変えた。
「僕ね、うろな高校の定時制に入ったんだよ」
 桑原は一瞬、エッという顔をした。
「そ、そう……おめでとう」
 彼女の祝辞には、あまり熱がこもっていなかった。
 むしろ、空々しくさえ感じられた。
「もう通ってるの?」
「そうだよ」
「そっか……」
 桑原は悲しげな笑みを浮かべて、湯呑みを両手で抱えた。
「みっちゃん、ますます遠くに行っちゃうね……」
 葦原は、桑原の台詞の意味を察しかねた。
 距離的なものは、何も変化していない。彼は、そう思った。
「別に、これまで通りじゃないかな」
「ううん、そんなことないよ……高校に入ったら、みんな疎遠になるから……新しい友だちができて、みんな私たちのことなんか忘れちゃう……」
 葦原は、それを強く否定したかった。しかし、できなかった。
「これからも、定期的に来るよ」
 それだけ言って、彼は口を噤んだ。
 沈黙。石油ストーブの上に乗せられた薬缶が、ひとり気を吐いていた。
「クリスマス会の招待状を配るとき、桑原さんはどこを担当しましたか?」
 唐突に口を開いたのは、ルナだった。
 桑原は、これ見よがしに眉をひそめた。
「何であなたに教えないといけないの?」
 関係ないだろう。そんな顔をしている。
 葦原が止める前に、ルナは先を続けた。
「実は葦原くんのアパートから、受験票が紛失したのです。紛失の日付は、おそらくそのクリスマス会の招待状が投函された日だと推測します。ですから……」
 湯呑みの底を打ち付ける音が、室内に響き渡った。
「あなた、私を泥棒扱いする気ッ!?」
「今の私の発言に、そう仄めかす箇所はなかったと思いますが?」
「嘘おっしゃいッ! だったら何でそんな質問をするのッ!?」
「あの日、葦原くんのアパートを担当した人物を知りたいのです」
「その人を泥棒だと思ってるんでしょ」
 顔を紅潮させる桑原とは対照的に、ルナは落ち着き払っていた。
「それは推論の飛躍です」
「か、烏丸さん、桑原さん、落ち着いて……」
「どうしたの? 何の騒ぎ?」
 園長の西谷(にしたに)が上がり込んで来た。彼女は作業服を泥だらけにしたまま、左手にスコップを握り締め、室内の3人を交互に見回した。桑原の怒声を聞きつけたのだろう。葦原はその場を取り繕うとしたが、うまい口実が思いつかなかった。ルナは、まったく謝ろうとする気配がない。
 桑原は椅子を引くと、そのまま肩を怒らせて遊戯室を飛び出してしまった。すれ違ってその背中を見送った西谷は、葦原に問いたげな眼差しを向ける。
 葦原は、答える術を持たなかった。

  ○
   。
    .

「あれはないよ、あれは」
 葦原はポケットに手を突っ込み、道ばたの小石を蹴った。
 小石はコンクリートの地面を跳ね、側溝にぽちゃりと消えた。
「何がですか?」
「いきなり紛失の件を持ち出すなんて……非常識だと思わない?」
「しかし、それを調査する目的で来たのですよ?」
 ルナの返答に、葦原は歩を止めた。やや怒った顔で、後ろを歩くルナへと振り返る。ルナはいつもの能面で、少年の顔を見つめ返してきた。
「きみは人の心に無頓着過ぎるよ」
「心に関して、私は一般人よりも精通しています」
「どこが?」
「……それは説明できません。秘密です」
「ほら、またそうやって誤摩化す」
 今日という今日こそは、はっきり言ってやらねばならない。葦原は覚悟を決めた。
「ルナさんの性格にどうこういう気はないよ。でもね、きみは桑原さんを怒らせたし、彼女が怒ったのは尤もだよ。あんな風に切り出されたら、誰だって自分が疑われてると思うだろう」
「私は思いません。桑原さんにも言いましたが、それは推論の飛躍です。紹介状を配達した人物は、あくまでも容疑者の候補に過ぎないのですから」
「そんな屁理屈は、どうでもいいよ。前から思ってたけど、ルナさんは何でも理詰めなんだね。人間、そういう風にはできてないし、僕もそういうのは嫌いだよ」
 嫌いという部分を、葦原は殊更に強調した。そして、後悔した。
 ルナが、今まで一度も見せたことのないような、寂しげな顔をしたからである。
 泣き落としでくるのかと身構えたが、ルナはすぐさまその表情を消した。
「私は、葦原くんにお礼をしようと思っているだけです。葦原くんは私に、いろいろと親切にしてくれました。カップラーメンの作り方とか、いろいろ……」
「その気持ちは嬉しいけど、桑原さんに迷惑をかけるのは、止めてくれないかな?」
「私の存在が迷惑なのですか?」
「そうは言ってないよ」
「では、何が迷惑なのですか?」
 この質問には、葦原もさすがに呆れてしまった。
 まるで白痴ではないかと、そんな冷酷な台詞さえ、脳裏をよぎった。
 葦原は自分を軽蔑しつつ、決まりが悪そうに視線を下げた。
「……今回の件は、キャンセルするよ」
 数秒の沈黙が、ふたりの間を流れる。
「もう調査しなくてもよい、ということですか?」
「そう」
 葦原は、短く言い切った。
 ルナは、真剣な眼差しを送ってくる。撤回しろということだろうか。葦原は自分を奮い立たせて、彼女の視線を捉え返した。
「……分かりました。今回の依頼は、キャンセルとします」
「そうしてくれると、助かるよ」
 ふたりはそのあと、一言も口を利かずに、アパートまで戻った。
 桑原にどう謝ったものかと、葦原は頭を悩ませる。少なくとも次回は、ひとりでキッズハウスを訪れて、彼女の誤解を何とかしなければならない。まだ午前中だと言うのに、葦原は頭が痛くなってきた。
 アパートの敷地に入った葦原は、軽く溜め息を吐く。
「それじゃ、ルナさん、また……」
「葦原くんは、私に怒っているのですか?」
 ふいの質問に、葦原は鍵を取り落としかけた。
 101号室を見ると、ルナは扉も開けず、気をつけの姿勢で立っていた。
 葦原は、自分の気持ちを正直に告げたものか、しばらく悩んだ。
「……怒ってるよ」
「なぜですか?」
「きみのその態度にだよッ!」
 葦原は思わず、声を荒げてしまった。
 けれどもルナは、あいかわらずの無表情を保っている。融通の利かないパソコンを相手にしているような苛立ちが、葦原の中でふつふつと沸き立ち始めた。
「私の態度がおかしかったならば、謝ります」
 ルナの言い方は、どこがおかしいのか見当もつかない、そんな調子を孕んでいた。
「謝っても意味ないよ。きみは自分のどこがおかしいか、分かってないじゃないか」
 少年の指摘は、図星だったらしい。ルナは反論に、しばらく時間をかけた。
「……確かに、自分のどこがまずかったのか、よく分かっていません」
 葦原は、ほら見ろと言った顔をして、口を噤んだ。まだ言いたいことはあったが、すべては徒労に思われた。有り体に言えば、ルナの反応に倦んでしまったのだ。
 ところが、ルナの方は納得がいかないのか、ひとりで喋り始めた。
「私は、義務教育を受けた記憶がありません。でも、算数は分かります。200メートル先のコンビニよりも100メートル先のコンビニに行く方が速いのは、私にも分かります。しかし、『100メートル先のコンビニには気の食わない店長がいるから、200メートル先のコンビニに行こう』と言われたら、私は理解が追いつかないのです」
 何の前触れもない比喩に、葦原は戸惑った。
 けれども、これまでの付き合いから、彼女の意図を察した。
「理解の問題じゃないよ。嫌いな人がいるところへは、行かないだろう?」
「それが分からないのです。行き先に嫌いな人がいるから、どうしたと言うのですか? 往復200メートル余分に歩いて、損をするのは私です。さきほどの桑原さんとの面会も、同じことです。彼女が怒らずに、『はい』か『いいえ』で答えてくれれば、それで話は済んだのです。もちろん、『はい』の場合は、少しばかり追加の質問をしますが、それにも正確に答えてくれれば、ああいう物別れには終わらなかったと思います。桑原さんの怒りは、桑原さん自身が不愉快になって、葦原くんも不愉快になって、そして私がこんな風に長々と弁明するという、全く無駄な結果に終わっているではありませんか」
「きみは、ほんとに理屈一辺倒なんだね。喜怒哀楽ってものがないの?」
 あらかじめ、葦原は答えを予期していた。
 彼は、ルナが相好を崩したり、涙を流したりしたところを、一度も見たことがなかった。
「ないのかもしれません。ただ……」
 ルナはそう言って、胸元に両手を添えた。
 そして、さきほど一瞬だけ見せた、あの物憂い表情を浮かべた。
「ただ、葦原くんに突き放されると、このあたりが急に苦しくなります」
 葦原は、何も言えなくなってしまった。
 泣き出されるよりも質が悪いと思った。
 冬の木枯が吹き渡り、葦原はポケットに再び手を仕舞い込んだ。
「もう、この話はナシで。受験票に言及するのはタブーね」
 葦原は彼女に背を向けて、鍵穴にキーを差し込んだ。
 ルナがどんな顔をしているのか、彼は盗み見さえしなかった。ただ何となく、いつもの能面に戻っているのではないかと、そんな気がしていた。
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