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うろな町の不思議な人々 作者:稲葉孝太郎

第6章 合格通知不達事件

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第60話 見落とし

これは1月10日(金)のお話です。
 その日、定時制の授業を終えた葦原(あしはら)は、うろな高校の食堂で意外な人物と出くわした。蔵前(くらまえ)である。最初に声をかけてきたのは蔵前の方で、なぜ大学生の彼が高校にいるのか、葦原には見当がつかなかった。とりあえずキツネうどんをふたりで注文した後、適当な席に腰を下ろす。一緒に食事をする義理もないのだが、2回目の顔合わせでいきなり無視するわけにもいかないだろう。葦原はそう判断したのだ。
「そう言えば、葦原くんは定時制に通っていたんですね」
 がやがやと賑わう食堂において、蔵前のぼそぼそとした喋りは聞き取りづらかった。葦原はなるべく失礼がないように、聴覚を集中させる。
「ええ、今週からですけど」
「そうですか……ずいぶん変わった時期に始まるんですね……」
 蔵前は割り箸を少し変わった風に持つと、ずるずると麺を啜り始めた。
 なかなか会話の糸口を見出せない。こういうときに、年齢差というものは大きかった。このまま沈黙が続くかと思いきや、再び蔵前が口を開く。
「僕がここに通ってたときと比べて、いろいろ違ってるみたいですね」
 葦原は箸を止め、蔵前の顔を凝視する。
「蔵前さん、うろな高校出身なんですか?」
「そりゃそうですよ。うろな町出身なんですから」
 それもそうだ。うろな町に高校はひとつしかない。ということは、蔵前は葦原のOBということになるだろうか。全日制と定時制の間に繋がりがあるとすれば、だが。
 葦原はうどんを半分ほど食べたところで、味を変えようと七味をふりかけた。
「この前の初詣に来てた烏丸(からすま)さんも定時制ですか?」
「い、いえ、違います」
 葦原の回答をやや意外に思ったのか、蔵前は顔を上げた。
「じゃあ全日制ですか?」
「詳しいことは知らないんですけど……もう働いてるらしいです……」
 ああ、そうかと、蔵前は頷いた。ただ葦原の直感によると、蔵前は彼の説明を誤解したように見受けられた。ルナの家庭は貧乏だとか、そういう印象を受けたらしい。しかし、それは全くの見当違いで、着ているものは地味ながらもブランド品ばかり。一度だけ目にした腕時計も、そのあたりの少年少女が身に付けている代物ではなかった。
 とはいえ、葦原自身にもルナの正体は分からないのだから、ここは沈黙せざるをえない。
「最初は慣れないこともあると思いますが、頑張ってください」
 ありきたりな応援をして、蔵前はスープを啜る。
 葦原はしばらく口を噤んだ後、ふいに話題を転じた。
「そう言えば、蔵前さんって推理が得意なんですよね?」
 推理が得意。その言い回しに、蔵前は困ったような表情を浮かべる。
「誰から聞きました?」
「か、紙屋(かみや)さんです……」
 蔵前は箸を置くと、肩を沈めて溜め息を吐く。
「それは誤解ですね。確かに、紙屋さんの捜査にアドバイスしたことはあります。でも的外れな推理でしたし、私は探偵でもなければ刑事でもありません。……ただの大学生ですよ」
 蔵前の主張は、紙屋のそれと食い違っていた。紙屋の話によれば、昨年の自転車回収事件について、蔵前の助言が解決に役立ったのだと言う。その助言が何であったかまでは教えてもらえなかったが、紙屋が嘘を吐いているようには見えない。蔵前が謙遜している可能性の方が、ずっと高いように思われた。
 葦原はしばらく逡巡し、それから話を切り出す。
「入学前、僕のとこだけ合格通知が届かなかったんです」
「へえ、郵便事故ですか」
「……不合格だったとは思わないんですか?」
「思わないですね。第一に、葦原くんは定時制の生徒であること、第二に、葦原くんが不合格後の特例で入学できたとしたら、そのことを僕には話さないだろうこと、この2点から推察しました」
 葦原は蔵前の洞察力に感心する。普通なら、合格通知が届かない=不合格なわけだが、その可能性を飛ばして、ひとつ先を読んでいるのだ。
 もっとも、これ自体はそこまで大した推理ではない。問題はこの先である。葦原は、ルナと年末に相談した内容を伝えた。自称探偵のルナにとっては秘密事項かもしれないが、葦原はそうは思っていなかった。
 話を聞き終えた蔵前は、コップの水を飲み干し、一息吐く。天井を見上げて、何やら考えごとをしているようだった。これは、葦原が期待していた反応ではない。葦原が期待していたのは、「そんなの考え過ぎですよ」という、不安の解消だったのである。
 ところが葦原の希望を他所に、蔵前は全く別の台詞を述べた。
「僕は烏丸さんの推測の方が正しいと思いますね……」
「え? 盗まれたってことですか?」
 蔵前は頷き返す。
 どうすればそういう結論に至るのか、葦原はうどんの残りも忘れて身を乗り出した。
「でも、盗まれたのは合格通知と、クリスマス会のお知らせだけなんですよ?」
「葦原くん、ひとつだけ重要な点を見落としてませんか?」
「重要な点……?」
 蔵前の謎掛けに、葦原は眉をひそめる。何を見落としているのか、見当がつかない。
 葦原の沈黙を降参と受け取ったのか、蔵前は箸で空中にくるりと円を描いた。
「切手は確認しましたか?」
「切手……? あッ」
 葦原は顎を落とす。あのとき、封筒ではなく中身だけに注目していた。よくよく考えてみれば、町内の広報でいちいち郵便局を通すはずがないのである。宛名書きの労力が必要な上に、集合住宅の場合は氏名が分からないことすらある。切符代もバカにならない。
「そうか……クリスマス会のお知らせは、郵便局が配ったんじゃないんだ……」
「ええ、ですから、『2通が不達になった』という推理は成り立ちません」
 納得しかけた葦原だが、すぐに反論を思いついた。
「で、でもちょっと待ってください。ふたつの配達経路が別なら、もっといろんな可能性が考えられますよね。1通は不達で、1通は配り忘れたとか……」
「それはその通りです。しかし、合格通知の紛失とクリスマス会お知らせ紛失を、ばらばらに考えるのは、いかがなものですかね。同日に2つの封筒がなくなってるんですよ。一緒に盗まれたというのが、一応合理的な解釈だと思います」
 葦原は、瀬尾の勘が正しかったことを思い出す。
「だったら、誰が合格通知なんか……」
 小声で自問自答する葦原に、蔵前は肩をすくめてみせる。
「それが一番の謎ですよね。現金書留ならともかく、高校の合格通知なんて盗んでも、犯人が持て余すだけですから。考えられるのは愉快犯ですが、それにしては狙いがピンポイント過ぎる気もします。近隣で似たような事件が起きてないとおかしいでしょう」
 郵便物が盗まれているという話を、葦原は耳にしたことがない。無論、何件かあったところで、すぐに広まるような話でもないのかもしれないが……。ただ、ルナの郵便受けからは何も盗まれておらず、102号室だけというのも奇妙な現象であった。
 葦原が考え込んでいると、蔵前がまとめを始める。
「とりあえず、定時制の誰かが実は葦原くんの合格通知を隠し持っているという、そういう路線は消えたと思います。事務局のミスでもないでしょう。でないと、クリスマス会のお知らせについて、うまい説明が見当たりませんからね。まさか、事務局が合格通知を紛失してしまったので、葦原くんの郵便受けから別のものを盗んで誤摩化した、なんて推理が成立するとも思えませんので」
「そうですね……やっぱり通行人か、あるいは……」
「うーん、通行人ですか……」
 蔵前は意味深なイントネーションで、天井を見上げた。
 何か言いたそうな雰囲気だ。葦原は先を促す。
「犯人に思い当たることでも?」
「……いえ、こういうのはただの推測ですからね。止めておきましょう」
 何だそれは。葦原は少しばかり拗ねてしまう。ここまで踏み込んだのなら、犯人候補について教えてくれても良さそうなものだ。もちろん、それには冤罪の危険性もあるわけで、蔵前が慎重な態度を取る理由も分からなくはなかった。
 混乱を極めた葦原は、話題の転換を余儀なくされる。
「そう言えば、蔵前さんは何でうろな高校に? 倶楽部のOBとかですか?」
「僕ですか? そろそろ就活を始めたいので、書類を取りにきたんですよ」
「書類? うろな高校の教員に応募するんですか?」
「いえいえ、卒業証明書とか、そういうものですよ」
 葦原は納得した。そしてそのとき初めて、蔵前が3年生であることに気付く。
「蔵前さんは、何学部なんですか?」
「心理学科ですよ」
「カウンセラーとか?」
 蔵前は静かに首を振る。どうやら見当違いなことを言ってしまったらしい。
「僕は医者には向いてません。むしろマーケティングなんかに興味がありますね」
「マーケティング? それって商学部とかなんじゃ……」
 訝る葦原を他所に、蔵前はトレイを持って席を立った。
「そろそろ事務室に行かないといけないので、またお会いしましょう」
 そう言って、蔵前はさっさと食堂を去ってしまった。後に残された葦原は、伸び切ったうどんを啜り、関東風の濃い汁にぼんやりと視線を落とす。浮いた油を見つめながら、葦原は蔵前の発言をもう一度精査していた。
「お、葦原じゃん」
 振り向くと、そこには有坂(ありさか)が立っていた。金居(かない)も一緒である。
 ふたりとも学食のラーメンを手に持ち、断りもなく葦原の隣に席を占めた。
「何だ、おまえもここで食ってたのか」
「何か浮かない顔してるねえ。入学早々、失恋でもした?」
 金居のからかいにもかかわらず、葦原はあまり乗り気がしなかった。どうしても思考が蔵前との会話に戻ってしまう。
 知らず知らずのうちに、葦原は思いもよらぬ質問を放っていた。
「合格通知の封筒って、どんなのだか覚えてる?」
 質問を受けた有坂と金居は、お互いに顔を見合わせて、呆れ気味にこう答える。
「おまえ、まだ合格通知のこと気にしてんのか? ……いい加減に忘れろよ」
「そうそう、今さら悩んだってしょうがないよ」
 そう説得する金居だが、葦原の真剣ぶりを見て気が引けたのか、先を続けた。
「普通のA4版封筒だよ。表に風峰(かざみね)さんのでっかい字が書いてあるだけ」
「他に何か特徴がなかった?」
 金居は肩をすくめて、有坂を見やる。有坂はさも面倒くさそうに返事をする。
「そういや、赤いペンで『合格通知在中』で書いてあったな」
「あ、そう言えばそうだったね。私たちが、間違えて捨てるとでも思ったのかな」
 金居がおどけたように笑う中、葦原の顔が強ばる。
「ってことは、外から見て分かるようになってるんだね?」
 葦原の確認に、金居はきょとんとした顔で頷き返した。それがどうしたのだ。そんな空気が、少女の顔に滲み出ている。
「ま、そんなことは置いといてさ、実はこの前……」
 金居が世間話に華を咲かせる中、葦原は合格通知在中という6文字の意味を、いつまでも考え続けていた。
有坂くんと金居さんをお借りしました。
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