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冬過ぎて、春来るらし 作者:稲葉孝太郎

第6章 合格通知不達事件

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第58話 初詣

 除夜の鐘。去年はアパートで独り耳にしたその鐘の音を、葦原(あしはら)は木枯に吹かれながら聞いていた。白い息を吐いて列をなす人々に身を任せ、少年はうろな町にある神社のひとつへと足を運んでいた。うろな町にはいくつもの神社があり、葦原少年が向かっているのは、専ら西区の住民が参拝するところだ。
 西の山裾に向かう坂道をのぼり、神社の境内が見えてきたところで、葦原は人の流れから一歩身を引いた。階段そばの狛犬。今夜のために備え付けられた即席ライトが、古びた石の置物を煌々と照らしていた。そしてそのすぐ近くに、見知った人物の顔が浮かんだ。
「よ、葦原くん」
 右手を挙げて、池守(いけがみ)が挨拶する。隣には紙屋(かみや)の姿もあった。
 そう、葦原はふたりに誘われて、今年は初詣と洒落込んだのだ。提案は池守から。それが紙屋を引っ張り出すための口実ではないかと、葦原は睨んでいる。だとすれば、自分は他人の恋路のダシに使われたわけだが、別に悪い気はしなかった。日頃からお世話になり、ひとつも恩返しができていないのだから、むしろ借りを返せて好都合である。
「お待たせしてすみません」
「なーに、まだ年明けまでは時間がある。それに、都内の神社と違って、それほど……」
 そのとき池守は、葦原の背後へと視線が釘付けになった。
「ん、そっちの子は……」
 池守の疑問に気付いた葦原は、後ろに控えていた少女を紹介する。
烏丸(からすま)ルナさんです。先月、僕のアパートに引っ越して来たんですよ」
「はじめまして」
 葦原の紹介を受けたルナは、頭も下げず無表情に挨拶をした。
「はじめまして、紙屋っていいます」
 笑顔で挨拶を返す紙屋。池守は一方、その場で固まったように動かない。
 焦った目付きで葦原を見つめてくる。
「あ、葦原くん、か、彼女がいたのかい?」
 おいおい、これで何度目だ。葦原は半ば自暴自棄気味に答えを返す。
「さっき説明した通り、隣に引っ越してきた子なんですけど……」
「せ、先月引っ越してきたばかりの子を、何で初詣に……」
 葦原が口を開く前に、今度はルナから言葉が発せられた。
「私も両親がいないので、暇だったからです」
 両親がいない。その一言に、池守は納得と憐憫の情を浮かべた。
 紙屋の冷たい視線も合わさり、慌ててその場を取り繕う。
「そ、そうか……すまない、変なことを訊いてしまった……」
 そう言いつつも、池守はどこかホッとしたような雰囲気を醸し出している。自分に彼女がいてはいけないのだろうか。これまで散々否定してきた葦原だが、それはそれで面白くないように感じてしまう。
 葦原は、池守が見せた動揺の真意を理解しかねた。かと言って、これ以上この話題に触れる気も起こらない。早速場所の移動を提案する。
「もう30分ですし、境内に上がりませんか?」
「いや、ちょっと待ってくれ」
 それが池守の答えだった。集合時刻を過ぎているのに、いったいここで何をしようと言うのだろう。このままでは、いい場所が取れなくなってしまう。
 そう告げかけたところで、池守が先に言葉を継いだ。
「実は他にも人を呼んであるんだ。葦原くんの知らない人だけど……」
「すみません、お待たせしました」
 若い男の声に、4人は坂道の方を振り向いた。するとそこには、厚着をして背中を丸めている、少しばかりネクラそうな青年と、それとは対照的に酷く快活そうな眼鏡の女性が、コントラストをなして立っていた。
 池守が言った通り、葦原はそのふたりに見覚えがない。
 ふたりはまず池守と紙屋に挨拶し、それから葦原へと向き直る。
「僕は蔵前(くらまえ)です。葦原くんのことは、池守さんたちから聞いてますよ」
「はじめまして。私は杉田(すぎた)。蔵前くんとは大学が一緒で、今年卒業なの。よろしく」
 ふたりとも年上なことが判明し、葦原は少しばかり肩身の狭い思いをした。こうなってみると、ルナを連れて来たのは逆に正解だったかもしれない。葦原も最初は拒否していたのだが、ルナをひとりアパートに放置するのは、何だか気が引けたのだ。
 それにルナは、何か話があるようなことを言っていた。道中に中身を尋ねると、「もう少し考えてみたい」などと煙に巻かれてしまい、ずっと気になっているのである。葦原の予想が正しければ、それは紛失した合格通知と関係するはずなのだが……。
 葦原がそんなことを考えていると、池守が出発の音頭をとった。
「よしッ、そろそろ行かないと、境内からあぶれちまうぞ」
 池守を先頭に、6人は階段を上り始めた。日本人の常なのか、年齢順に並び、先頭が池守と紙屋、真ん中が杉田と蔵前、そして最後尾に葦原とルナという組み合わせだ。周りの騒音で聞き取りづらいが、どうやら紙屋と杉田は同窓生らしい。やたらと「紙屋先輩」を連呼する声が聞こえる。
 職場の同僚、大学の先輩後輩。これはもう立ち入る隙がないと考えた葦原は、ルナを話し相手に選んだ。開口一番、さきほどの懸念事項を切り出す。
「ねえ、そろそろ話してくれないかな?」
 声を掛けられたルナは、前方に固定していた視線をちらりと葦原の方へ移した。
「何をですか?」
 前列の蔵前たちに聞かれないよう、葦原は声を落とす。
「話したいことがあるって言ってただろ。……合格通知のことじゃないの?」
「ええ、そうですが……まだ考えがまとまっていません」
「別に途中経過だけでもいいから、聞かせてよ。僕だって気になるんだからさ」
 葦原の説得が功を奏したのか、ルナはその重たい口を開いた。
岩瀬(いわせ)くんの失言を覚えてますか? 『親がいねえのか?』という……」
 失言。その言い回しに、葦原は先日の出来事を思い出した。岩瀬がルナに、彼女が孤児であることを指摘したときのことだ。ルナはあの発言で傷付いたのだろうか。あまりそういうタイプには見えないのだが。
「あ、あれはきっと口が滑っただけだよ。裕也(ゆうや)は悪いヤツじゃないから、あんまり気にしない方が……」
 葦原は岩瀬を庇った。ところが、ルナはそれに対して首を振る。
「そういう意味ではありません」
「じゃあどういう意味なの?」
「分かりませんか?」
 君の言ってることは何もかもが分からないよ。そう言いかけた葦原だが、そこはグッと我慢して、もう一度お願いの催促をした。
「分からないから、詳しく説明して欲しいな」
「……なぜ岩瀬くんは、私が孤児だと分かったのでしょうか?」
 ルナの質問に、葦原は眉をひそめる。即答しようと意気込んだところで、葦原はふと自分の見落としに気付いた。ルナも葦原の思考を読み取ったのか、ひとり先を続ける。
「そうなのです。葦原くんはあのとき、私をアパートの隣人として紹介しました。他には何も言っていません。なぜそれだけの情報から、私が孤児だと結論付けたのでしょう? 葦原くんも孤児だから? いいえ、それは理由になっていません。片方の住人の家族構成は、もう片方の住人の家族構成に影響など与えませんから」
 ルナの言う通りだった。しかし、葦原は岩瀬のため、敢えて疑念を挟む。
「狭いアパートだろ。家族持ちは住めないと思ったんじゃないかな?」
「その可能性についても考えました。しかし、葦原くんが一人暮らし用の狭いアパートに住んでいるとは限らないこと、仮に葦原くんの経済状態からそのように推測したとしても、家族用の広い部屋ないとは断定できないこと、この2点が引っかかります。確か葦原くんは、岩瀬くんと卒業以来、会っていないのですよね?」
 葦原は頷き返す。そこから先の推論は、彼にも見当がついていた。
「つまり裕也は……僕のアパートに一度来たってこと?」
「……かもしれませんね」
 ルナの推理が意味するところを、葦原は明確に感じ取っていた。岩瀬が葦原のアパートに訪れたとすれば、彼には合格通知を盗むチャンスがあったことになる。
 だが、それでも葦原は納得できなかった。
「でもさ、僕が卒業してから一昨日再会するまで、1年近く経ってるんだよ。その間に、裕也が僕のアパートを訪ねた可能性なんて、いくらでもあると思うんだけど。彼を犯人と決めつけることはできないよ」
「別に決めつけているわけではありません。ただ、あのときの発言が、妙に気になっただけです。それに、合格通知と一緒に紛失したのは、うろなキッズハウスのクリスマス会のお知らせでした。この線を潔白と見るわけにはいきません」
 葦原は口を噤む。反論が思いつかなかったわけではない。ただ、境内に到着し、初詣に集中したいという気持ちがあった。池守たちは既に場所探しを始めており、ああでもないこうでもないと、紙屋主導で境内の中央、一番目立つところへ出てしまう。こうなっては、壁に耳あり障子に目ありで、合格通知の件は棚上げにせざるをえなかった。
「あと5分だぞ」
 池守が時計を確認し、他の面子に時刻を告げた。12時が近付くにつれて、周りもどんどん騒がしくなっていく。葦原は何となく今年の出来事を思い返しながら、ふと奇妙な感覚に包まれた。思えば、あのコンビニ事件以来、突飛な出来事が多発している。遠坂(とおさか)吉備津(きびつ)入江(いりえ)との出会いは、寂しい生活を送っていた少年にとって、大きな収穫だったと言えよう。定時制のメンバーやルナもそうだ。
 葦原は人の縁というものに感謝しつつ、厳粛な気持ちで年明けを待った。
「おーい、1分切ったぞー」
 どこからともなく、若者の声が聞こえてきた。ざわめきが消え去り、誰もがこれから始まるイベントを予期して静まり返る。
「10・9・8・7・6・5・4・3・2・1ッ! ハッピーニューイヤーッ!」
 全員でのカウントダウンが終わった後、おめでとうの大合唱。葦原も他のメンバーに挨拶し、今年もよろしくと付け加えた。
「僕たちの場合、今年からよろしく、ですね」
 蔵前はそんな冗談を飛ばしつつ、葦原と握手した。杉田もそれに続く。
 一通り挨拶が終わったところで、6人は賽銭箱へ向かう列に並んだ。紙屋の積極策のおかげか、彼らはスムーズに賽銭箱まで辿り着き、それぞれお金を放って柏を打った。
 今年は定時制の仲間と仲よくできますように。それが葦原のお願いのひとつだった。
 お参りを済ませた6人は、境内の隅に用意された休憩所へと足を運ぶ。ストーブが焼け石に水と言った感じで2つほど置かれ、参拝客は豚汁か汁粉の注文と引き換えに、腰を休めることができるのだ。
「好きなやつ、頼んでくれ。今晩は俺のおごりだ」
 池守の気前の良さに驚きつつ、葦原は汁粉の方を頼んだ。甘いものが好きなのだ。紙屋とルナ、それに杉田の女子組は、案の定汁粉。池守と蔵前は豚汁を頼み、アルバイトと思しき巫女さんが、すぐにお盆を持って来た。
 割り箸を手にし、いただきますを述べた葦原は、早速白玉を頬張る。寒いときの温めた餡子の美味しさに、葦原は思わず舌鼓を打った。
 男性陣がもくもくと箸を動かす中、杉田と紙屋は、ルナにやたらとちょっかいをかけていた。ルナが何か失礼なことをしでかすのではないかと、初めはひやひやしていた葦原だが、ルナは会話を弾ませるわけでもなく、かと言って無視するわけでもなく、ふらふらとした回答でその場をやり過ごしていく。
 何だ、コミュニケーション能力に支障はないのか。葦原が意外に思っていると、杉田が度を超した質問を投げかける。
「烏丸さんは、ほんとに葦原くんの彼女じゃないの?」
「いいえ、違います」
「じゃあ付き合っちゃいなさいよ。美男美女でいいコンビだと思うけど」
 これに反応したのは、葦原ではなく池守だった。豚汁に噎せ返り、ごほごほと胸を叩く。不審がる周囲の視線を他所に、池守は杉田を箸で指差した。
「純粋な少年少女を、そういうふうに煽っちゃいかん」
「煽ってないですよ。こう見えても、仲人の手腕には自信があるんですよ。葦原くんはおとなしそうに見えて亭主関白、烏丸さんは我が強そうで実は縁の下、ってのが私の第一印象なんですけどね」
「こらこら、適当なキャラ付けしちゃダメだよ。でないと……」
 池守はそこで言葉を区切った。非常に困ったような顔をしている。
「でないと、何ですか?」
 紙屋の問い。池守は気まずそうに視線を逸らし、それからぽつり。
「でないと俺が新年早々、誰かに刺されかねんからな」
 全員が?マークを頭に浮かべる中、池守は黙って食事を再開した。喩え話が物騒だっただけに、紙屋もそれ以上は追及しなかった。杉田との歓談が再会され、この話自体がなかったかのような空気に落ち着く。
 自分とルナを勝手にくっつけようとする人々と、勝手に引き離そうとする人々。葦原は周囲の態度に訝りつつ、汁粉を啜り直した。
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