挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
冬過ぎて、春来るらし 作者:稲葉孝太郎

第1章 コンビニデザート盗難事件

6/71

第5話 少年と冤罪

 あれから1ヶ月が過ぎた。葦原(あしはら)を助けてあげたいという遠坂の想いは空回りするばかりで、2人の関係に何ら進展は見られない。楽観的に見れば、後退していないとも言えよう。しかし、彼女たちの関係は所詮コンビニの店員と客。出禁にでもならない限り、元から0と言ってよい恋愛パラメーターである。
 そんな遠坂を嘲笑うかのように時は流れ、期末試験の時期になると、コンビニへ立ち寄ることすらままならない日々が続いていた。今週になってようやく終業式を終え、いざ愛しの人のもとへと意気込んだとき、それは起こった。
「一大事です」
 言葉の意味とは裏腹に、極めて冷静な顔でそう報告したのは、夏休みにもかかわらず学校へ来ている吉美津(きびつ)いづな少年だった。どうやって自分の居場所を調べたのか、そのことを訝りながらも、遠坂は尋ね返す。
「何が一大事なの? 赤点でも取った?」
 これは皮肉である。吉美津は、校内でもトップクラスの成績だ。
 吉美津はそんないやみも気にせず、先を続けた。
「いいえ、葦原くんがコンビニを首になったのです」
 一瞬、書道室の時間が止まった。
 正座をしていた遠坂が後ろに倒れそうになったのを、吉美津が慌てて支え直す。
「な、な、な、何があったの!?」
「落ち着いてください」
「こ、こ、これが落ち着いていられますか!」
 遠坂は吉美津を押しのけて立ち上がると、靴を乱暴に履いて部屋を出て行ってしまった。
 吉美津はやれやれと首を振り、窓を通じて空を見上げる。入道雲が町の向こう側に上り、蝉の鳴き声がどこからともなく聞こえていた。
「やはり、遠坂先生を彼に近付けるのは……」
 そのとき、吉美津はふと異形の者の気配を感じた。振り返ると、開けっ放しになっているドア枠に、背の低い少女の姿が収まっている。
 入江(いりえ)(あんず)であった。
「いづなくん、どうかしたのですか?」
 吉美津は、入江に事情をかいつまんで説明する。
 説明を聞き終えた少女は、顔色ひとつ変えずに言葉を返した。
「……何が問題なのか分かりません」
「つまり、好きな相手が職場を追われたということです」
「……だからどうしたのですか?」
 本当に理解できないようだ。吉美津は異文化コミュニケーションを諦め、すっと膝を立てて自分の靴へと向かう。
「とりあえず、私の占いは当たってしまいました。遠坂先生は葦原くんにとって、鬼門となる存在のようです。ここはひとつお助けせねば……」
「そういうオカルトな説明は納得がいきません」
 入江の突っ込みを無視して、吉美津は靴を履くと、敷居を跨いだ。
 右脚が廊下に着地したところで、そばに立つ入江の顔を見やる。
「さて、お手伝いしていただけるのでしょうか?」
 入江は数瞬沈黙した後、その幼気な口元を動かした。
「……手伝いましょう。何やら事件の匂いがします」
「それはオカルトですね」
「いいえ、知的生命体の勘です」
 2人はそれ以上言葉を紡ぐのを止め、廊下の奥へと消えた。

 ◇
  ◇
   ◇

 電信柱の影で、コンビニの入口を見張っている女がいた。警官が通りかかれば間違いなく職務質問されるところだが、幸いにも今は昼の2時。人通りが少なく、時折怪しんで女の方を盗み見する通行人がいる以外には、監視に何の支障もない。
 女は、コンビニに入るか入らないかを迷っているようだ。彼女がそこに位置取りをしてから、既に30分以上が経過していた。するとその背後へ、一人の男がこっそりと忍び寄る。
「不審人物め、逮捕する」
 女が飛び上がるのを期待していた男は、振り返った彼女の顔を見て血相を変えた。
 憔悴しきった女に、男はしどろもどろになりながらも声を掛ける。
「遠坂……何やってんだここで……?」
「葦原くんが……葦原くんが……」
 男は、その一言で全ての事情を悟った。超能力が働いたわけではない。実は彼も、葦原瑞穂のことでこのコンビニへとやって来たのだ。
 男の正体は、葦原の非公式後見人、池守(いけがみ)刑事その人であった。
「葦原がバイトを首になったって話は、俺も聞いてる」
「でもどうして? あんなにいい子なのに……」
 客のおまえに何が分かっているのだと、池守は多少呆れ返りながら、先を続けた。
「一応秘密なんだが……。まあ、おまえにならいいか……。実は、コンビニで商品が盗難にあってな……葦原がその犯人なんじゃないかと……!」
 池守の喉に、強烈な圧力が掛かる。
 見れば、遠坂が鬼の形相で彼のネクタイを締め上げているではないか。
「ちょッ! ヤバい! 洒落になってないってッ!」
 池守の視界がぼやけてくる中で、遠坂はふと我に返ったのか、ネクタイを放し、慌ててそれを解き始めた。気道が楽になり、池守は喘ぎながら深呼吸する。
「ハァ……おまえ……ハァ……俺を殺す気か……?」
「おほほ……ごめんあそばせ……」
 冷や汗をかきながらそう謝る遠坂に、池守は思わず舌打ちをしてしまう。
「何が、ごめんあせばせ、だッ……もう情報は提供してやんねーぞ」
 池守がそう言った途端、再びネクタイに女の手が掛かる。
「何があったのか、教えてもらえないかしら?」
「……はい」
 そのとき、2人は周囲の人間が痛々しい目付きでこちらを眺めていることに気が付いた。遠坂は素早く手を放し、池守もネクタイを直す。
「……場所を変えるか」
「……そうね」
 2人は、手近な休息場所を探して、大通りを散策し始めた。近年開発が富に盛んなうろな町では、綿密な都市計画にもとづいて駅周辺が整備されているため、都内のようなごちゃごちゃとした迷路もなく、すんなりと小さな公園が見つかった。
 遠坂と池守は、木陰になっているベンチに腰を下ろし、一息吐く。
 気分が落ち着いてきたところで、おもむろに池守が口を開いた。
「さてと……どこまで話したっけかな?」
「コンビニの商品が盗まれたってとこ」
 本当はその少し先まで聞いているのだが、遠坂は敢えて情報を誤摩化した。未だに信じられないのだ。あの葦原が、盗みを働いたということが……。
 それを察したのか、池守もやや迂遠な道を選び始める。
「詳しい情報は得られてないんだが……。俺の聞いた話はこうだ。3日前の夜、店長が1日の会計を済ませたところ、売上と商品の在庫が大幅に合わなかったらしい。それで調べてみたら、デザート類の棚から、2桁個の商品が盗まれたと分かったんだ。翌日、店長はアルバイト全員を調べてみて……それでまあ、何と言うか……葦原が一番怪しいということになったんだ……」
 池守は、そこでちらりと遠坂の横顔を盗み見た。
 刑事の心配を他所に、彼女は平静な顔を浮かべている。
 彼がホッとしたのも束の間、遠坂は口を開いた。
「犯人が分かったわ……」
「え?」
 池守は、喫驚を上げて背筋を伸ばし、旧友の推理を待つ。たったこれだけの情報で、犯人が分かったというのだろうか。
 だが、レストランでの一幕を思い出し、池守は沈黙を守った。遠坂はまっすぐと前を見つめたまま、謎解きを始める。
「犯人は店長よ」
 意外な指摘……というわけではなかった。少なくとも、池守にとっては。
「その可能性は、俺も考えた……。確かに、店長が一番怪しい……」
 池守は理由付けを控えた。遠坂にも察しがついているはずだと、そう考えたからだ。
 案の定、遠坂はその穴埋め作業に取りかかる。
「まず、盗まれた商品がデザートってことね……。デザートは要冷蔵だから、普通は店舗の一番奥にあるわ。あのコンビニでも、デザートの棚は入口から直進して右、一番奥の壁際に設置されてる。ということは……」
「ということは、万引きするには適していない場所、ってことだろ?」
 池守の補足に、遠坂は頷き返す。
「しかも、2桁個のデザートを盗むなんて、人目につき過ぎるわ。……アイスか何か?」
「いや、デザートとしか聞いていない……すまん……」
 意味もなく謝った池守を他所に、遠坂は先を続けようとした。
 だが、そこへ池守が割り込んでくる。
「しかし、それは店長犯人説とは関係ないよな? 万引きではなく、店員の犯行を匂わせているだけだ……。実際、店長も同じ結論に至って、万引きではないと判断したらしい。そんな大量の品を盗むのは不可能と判断したんだろう」
「そこがおかしいのよ」
 遠坂の反論に、池守は目を白黒させた。頬を伝う汗を拭い、彼女に説明を委ねる。
「次に、店員の気持ちになって考えてみましょう。デザートの棚から、2桁個の商品を横領して、それを懐に収める……。うまくいくと思う?」
 池守は、首を左右に振る。確かに、うまくいくようには思われなかった。そもそもそんなことをすれば、店員の誰かが犯人ですと言っているようなものである。現に、店長ですらそう考えたのだから、よほどの出来心でない限り、実行しようとは思わないはずだ。
 しかし、これもまた池守にとっては目新しい推理ではなかった。問題は、その先なのである。ひとつ前の質問も、実は遠坂の反応を確かめるための謎掛けだった。
 池守は、さらに相方の出方を待つ。
「万引きでもなければ、店員の横領でもない……。残る可能性はひとつしかないわ。店長の自作自演よ」
「……動機は?」
 それが問題だ。池守の集中力が、にわかに増し始めた。彼は昨日、非番の間中この事件について考え、今の遠坂と同じ地点まで辿り着いていた。客でも店員でもなければ、残すは店長のみというわけだ。
 しかし、動機が見えてこない。店内で窃盗事件が起これば、一番困るのは信用問題になる店長のはずだ。それほどのリスクを犯してまで、葦原を罠にはめる必要性とは何だろうか。池守は、首を捻らざるをえない。
 そこへ、遠坂が自説を提示する。
「確定的なことは言えないけど……法令違反じゃないかしら……」
「法令違反……?」
 池守は目を細め、その言葉に思考を巡らす。
「……何の法令違反だ?」
「労働基準法よ」
 意外な法律の名前に、池守は一瞬眉をしかめた。だが、すぐにその意味を悟る。
「要するに……こういうことか……? 店長は何か勘違いをして、葦原を……例えば深夜10時以降に働かせてしまった。あとでそれが法令違反だと気付き、邪魔になった葦原を首にするため、今回の窃盗事件をでっち上げた……と?」
 遠坂は、満足げに頷き返した。万事解決と言いたげな様子だ。
 けれども、池守にはまだ納得のいかない点がある。
「労働基準法違反で、なぜ葦原を首にする必要があるんだ? まさか、葦原がそのことで店長を脅迫したって言うんじゃないだろうな?」
「葦原くんは人を脅迫したりしません、絶対に」
「んなことは俺だって分かってるさ。なぜだい? なぜ店長は自作自演する必要がある?」
 池守の追及に、さすがの遠坂も困ってしまったようだ。
 とはいえ、ここまで推理を進めてきたこと自体が、瞠目に値するレベルなのも事実であった。池守はそのことに気付き、建設的な議論へと話を切り替える。
「例えば、こういうのはどうだろうか……。葦原自身は店長を脅していないが、この件を利用する第三者が出て来た。そこで、証拠を隠滅するため、葦原を首にしたとか?」
「それは……どうかしら……。葦原くんを首にしても、第三者が証拠を握ってるんじゃ、もう手遅れだと思うけど……。むしろ、窃盗事件の裏を怪しまれて、脅迫のネタを増やすのが関の山じゃない?」
 なるほどと、池守は背を引いた。
 それを合図に2人は黙り込み、物思いに耽る。
 そして、同じ結論に達した。
「……情報が少な過ぎるな」
「そうね……もうちょっと調べてみないと……。今からコンビニへ……」
 そこで、遠坂はふと口を噤んだ。彼女の妙な視線の動きを、池守は見逃さない。
 彼女は、公園の入口に現れた2人の高校生らしき人物を眼差している。片方の少女は、ランドセルを背負っていてもおかしくないくらいに小柄なのだが、着ている制服はどうもそうではないらしい。
 池守がその少女らを観察していると、ふいに遠坂の声が聞こえた。
「ごめんなさい。ちょっと用事があるから……今日はこれで……」
「ああ、俺はコンビニに寄って行くよ……」
 おそらくあの2人は、遠坂の教え子なのだろう。そう推察した池守は、あっさりとベンチから腰を上げた。うだるような暑さが、彼の前で手招きしている。
「しかし、教師も楽な仕事じゃないな……」
「それはお互い様ね。……後で連絡をちょうだい」
「今日中にパパッと解決しちまうかもしんねーぞ?」
「……期待してるわ」
 その声に、池守はハッとなる。いつもなら、この手のミステリーを傍観者の目で眺め、パズルでも解くような調子でしか介入してこない遠坂が、これほどまでに真剣になっている。そんな愛の罪深さに苦笑いしながら、池守は肩越しに彼女を振り返った。
「ああ、任せとけって」
 そう言って、池守は公園の反対側の出口から姿を消した。
 気を遣ってくれたのだろうかと、一人残された遠坂は思う。だが、それについて深く考える暇もなく、先ほどの2人組が彼女の背後に現れた。
 いつの間に。遠坂が振り返るとほぼ同時に、少年の方が唇を動かした。
「探しましたよ、遠坂先生。……コンビニには寄らないのですか?」
 遠坂は、これまでの事情を説明した。もちろん、自分と池守の推理も含めてである。
「……というわけなんだけど、吉美津くんはどう思う?」
 吉美津は顎に指を添え、少し右斜め前に傾いた姿勢で、じっと耳を澄ませていた。少年の美しい横顔に、遠坂もややたじろいでしまう。
 とはいえ、自分は葦原一筋だと、遠坂は永遠の愛を誓い直した。
 そこへ、吉美津がようやく言葉を返す。
「その推理は間違いかと……」
 吉美津の否定に、遠坂は渋い顔をする。
「どうして? 結構イイ線いってると思うけど?」
「申し訳ございませんが、私たちは葦原くんの動向も探っていたのですよ……。そう怖い顔をなさらずに……。私たちが調べた限りでは、葦原くんはいつも9時頃には仕事を終えて、家路についています。したがって、店長のそれは濡れ衣かと……」
 新たな情報に、遠坂は失望するよりもむしろ喜んだ。そして、推理を練り直す。
「ということはもっと別の動機……」
 そう呟いた遠坂を、吉美津が制した。
「お待ちください……。果たして、本当に店長が犯人なのでしょうか?」
 吉美津の疑問に、遠坂は目をぱちくりとさせる。
「私たちの推理に、どこか問題があるって言うの?」
「いえ、そういうわけではありませんが……」
 吉美津は一瞬言葉を濁したが、すぐさまいつもの飄々とした顔付きに戻った。
「確かに、犯行の状況からしてただの万引きとは思えませんし、かと言ってアルバイトの誰かが犯人であるようにも見えません……。しかしながら、そこから店長と断じるのは、いささか急に過ぎるかと思います……」
 遠坂はふんふんと頷きながら、両腕を胸元で組んだ。
 少年の言うことにも一理ある。やはり性急過ぎたようだ。そう考えた遠坂は立ち上がり、炎天下の中へと身を投げ出す。
「どこへ行くのですか?」
 蛙マークのヘアバンドをつけた入江が、無表情にそう尋ねた。
 遠坂は、少女に軽く微笑み返す。
「情報収集よ。証拠はやっぱり、自分の足で見つけなきゃね?」
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ