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うろな町の不思議な人々 作者:稲葉孝太郎

第6章 合格通知不達事件

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第55話 届かなかった合格通知

これは12月25日(水)〜26日(木)のお話です。
 その夜、葦原(あしはら)はへろへろの状態でアパートに戻って来た。バイトで疲れたのも一因だが、その後の食事会がまた問題だった。コンビニへ定時制のメンバーがいきなり押し掛けて来たかと思えば、そのまま拉致されて闇鍋パーティに参加させられたのだ。親睦会ということで、嫌な気分にはならなかったが、鍋の内容が内容だっただけに、普段粗食の葦原の胃は消化不良に陥っている。
「うぅ、気持ち悪い……煮汁がチョコレートなんだもんなあ……」
 葦原は鍵を開け、靴を脱ぐと、そのままベッドの上に倒れ込む。ぼんやりと天井を見上げながら、ふぅと溜め息を吐いた。みんな悪い人ではなさそうだ。それが、今晩の親睦会で得た成果のひとつである。
 しかし、もうひとつの成果、もとい問題があった。……合格通知が届かないのだ。試験会場では、26日までに通知が届くと言っていた。今日は25日……。
 遅過ぎる。親睦会に参加した他の受験生たちは、既に合格通知を受け取ったらしい。それを耳にした葦原は、気が気でなかった。あの居眠りおじいさんこと瀬尾(せのお)も合格していた。ということは、自分も合格しているはずなのだが……。
 それとも、まさか瀬尾のあれは全部演技で、本当に10分以内に問題を解いていたというのだろうか。けれどもその可能性は、極めて低く思われた。それに、風峰(かざみね)は全員合格が確定しているような口ぶりだったのだから、落ちているとは考えられない。
 ……まだ一日ある。自分にそう言い聞かせて、葦原は眠りについた。

 +
  +
   +

 翌朝、葦原は雀の鳴く音で目を覚ました。シャワーも浴びず、着替えもしなかったことを思い出し、早速洗面所へと向かった。サッと風呂場に飛び込み、サッと出てくる。この間、わずか5分。カラスの行水である。水道代がもったいないので、なるべく風呂は速く済ませることにしていた。
「今日のスケジュールは、っと……」
 ズボンを履き、スマホでバイトのシフトを確認する葦原。
 つらつらと液晶画面をなぞっていると、いきなり玄関をノックする者があった。
 ……宗教の勧誘か、それとも新聞の勧誘か。葦原は居留守を使いたかったが、そういうわけにもいかない。風呂場の曇りガラスが外側に面していて、シャワーを使ったのが丸分かりなのだ。
 再度ノックの音。葦原は溜め息を吐き、仕方なさそうに玄関へと向かった。ドアの覗き穴から、一応人物を確認する。
 相手の顔を確認した瞬間、葦原は眉をひそめた。ドアの向こう側に立っているのは……見たことのない少年だった。歪んだ覗き穴からでも美形と分かる少年に、葦原はかえって警戒心を強めてしまう。おじさんなら新聞の勧誘、おばさんなら宗教の勧誘と分かるが、朝から美少年の訪問とは心当たりが無い。中学の旧友でもなかった。
 葦原は、チェーンを外さないように注意して、ドアをそっと開ける。
「すみません、どなたですか……?」
「おはようございます」
 相手の声に、葦原はびっくりした。……女だ。顔が中性的過ぎて、男と間違えてしまったのだ。葦原は、早朝の美少女訪問に困惑する。うっかりドアを閉めそうになった。
 だがそうはさせじと、少女は靴の爪先をドアの間に挟み込む。あまりにも手際が良かったので、葦原はますます不安になってきた。押し売りではないだろうか……。葦原は、少女の身なりに注目する。
 ……何も持っていない。インチキ商法にありがちな浄水器もなければ、怪し気な宗教書も携帯していなかった。男物のジャンパーにジーンズという、「性別を間違えてください」と言わんばかりのファッション。葦原は頭が混乱してしまう。
 実は声が高い男なのか? ……胸の膨らみはほとんどない。仮に女だとしたらAAカップということになるが……。葦原が胸元を睨みつけていると、相手は無機質な声を発した。
「何をじろじろ見ているのですか?」
 やはり女だ。証拠はないが、葦原は直感的にそう思う。慌てて目を逸らした。
「えーと、どちら様で……」
「先月、101号室に引っ越して来た烏丸(からすま)です」
「先月……? 引っ越して来た……?」
 葦原が訝っていると、少女は一瞬視線を逸らし、早口でこう付け加える。
「先月も1分ほどご挨拶したと思いますが、覚えていませんか?」
 葦原は首を捻る。全く記憶にない。バイトへ向かう途中で呼び止められ、おざなりの会話をしてしまったのだろうか。しかし、これだけの美少女なら、思春期の少年が記憶していないというのも妙な話である。
「えーと、烏丸さんは……ん、烏丸?」
 葦原は無意識のうちに、ポケットの携帯へと手を伸ばしていた。
「もしかして、カップ麺のメールをくれた烏丸さんですか?」
「ええ、その烏丸です」
 そうか、だったら自分が覚えていないだけか……。葦原は勝手にそう断じた。メールアドレスを交換したらしいが、それも身に覚えが無かった。とはいえ、メールはきっちりと届いているのだから、これは否定しようの無い事実である。
 バイトと受験の両天秤で頭がボケていたのだろう。葦原はそう思い込む。
「すみません、返信もしないで……」
「それは構いません。私自身、あまりメールのやり取りは得意ではないので……。ところでひとつお願いがあるのですが……」
 お願い。その言葉を耳にした葦原は、軽く身構える。
 女のお願いは面倒だ。それがバイト先の肉屋の店長がよく口にする言葉である。
「で、できる範囲でなら……」
「簡単なお願いです。……実は私、101号室に探偵事務所を開きたいのです」
 ……はあ? それが葦原の第一印象だった。当然と言えば当然である。こんなアパートで探偵業を営むなど、聞いたことのない話だ。しかも、相手は10代と思しき少女。一体何を考えているのか、葦原は察しがつきかねた。
「えっと……意味がよく分からないんですが……」
「ええ、まだ本題に入っていませんからね。私がお願いしたいのは、私が留守の間に依頼人が来た場合、それを取り次いで欲しいのです」
「留守の間……? 里帰りでもするんですか?」
「ここへは週末しか来ないつもりです。……今日だけは特別です」
 ……葦原は絶句する。何もかもがメチャクチャだった。
 もしかして、奇麗な顔をした頭のおかしい人なのではないだろうか。葦原は、相手が襲い掛かって来ないよう、慎重に言葉を選ぶ。
「た、探偵事務所を開くのに、週末しか営業しないんですか……?」
「はい、私は本業が別にありますので」
 葦原は、10%ほど納得する。要するに、副業をしたいわけだ。そうなると、別に事務所を構えるというのも、ありえない話ではなかった。
 しかし、残りの90%は未解決である。彼女は何歳なのだろう? 本業とは何だろう? 水商売だろうか? しかし、それは業者がお縄になりそうだ。年齢的に。
 葦原は、職業を聞くのが躊躇われたので、そこには触れないことに決めた。
「取り次ぎと言われても……僕は昼間ほとんどいないですし……」
「そうですか……」
 烏丸は靴をドアから引き抜く。
「それは残念です」
 そう言いつつ、あまり残念そうな顔をしていなかった。最初から無理な相談だと分かっていたのか、それとも……。少女が感情の起伏を見せないことに、葦原は薄々勘付いていた。
「とりあえず、これから隣人としてお願いします。稀にしか来ませんが……」
「あ、はい……よろしく……」
 葦原が戸惑い気味に挨拶すると、少女は101号室へは戻らず、そのままアパートを出て行った。葦原は、少女の姿が門の向こう側に消えたところでチェーンを外す。彼女が戻って来ないことを慎重に確認し、101号室をそっと覗き込んだ。
 ……荷物が運び込まれた形跡はない。それとも、一ヶ月前に搬入済みなのだろうか。葦原は、第三の可能性についても考えを巡らせる。しかし、何も思い浮かばない。そもそも、ここ数日で物音を聞いた気がしないのだ。壁が薄いので、シャワーを浴びたりテレビを見たりすれば、すぐに分かってしまう。現に、103号室からは夜中にちょくちょく物音がするのだから、住んでいる気配を消すのは不可能なはずであった。
「変な子だなあ……」
 葦原はそんな感想を漏らしながら、自室に鍵を掛け、バイト先へと急いだ。

 +
  +
   +

「……ない」
 夕方、バイト先から帰って来た葦原が青ざめる。
 ドアの横に備え付けられたポストを何度もガチャガチャさせ、空っぽのそれを何度も覗きんでは確認していた。
 そう、合格通知が届かなかったのである。これは一大事だ。葦原は室内に飛び込むと、試験後に教えてもらった風峰のメアドを確認する。それを手打ちでスマホに入力し、メールをこしらえた。合否の確認である。
 焦って震える指で、葦原は送信ボタンを押す。
 1分……2分……。そう簡単には返って来ない。
 5分……10分……。葦原が電話に切り替えようと思ったところで、着信音が鳴る。画面を確認すると、知らない番号からだった。葦原は迷ったが、一応出ることにする。
「もしもし……」
《あ、もしもし? あっしーくん?》
 あっしーというのは、瀬尾から付けてもらった(?)渾名だった。なぜ通話相手がそれを知っているのか、少年は訝しむ。だが、すぐにその声の正体を察した。
「か、風峰さんですか? 葦原瑞穂(みずほ)ですけど……」
《うん、メール見たけど……。試験会場で言った通り、合格通知が届かないのは郵便事故だから。気にしないで入学金持って来てよ。というか、こっちが心配してたんだよね。今日はもう26日だろ。キャンセルするのかと思って》
「あ、すみません……明日でもいいんですよね?」
《28日までだから大丈夫だよ。事務所に来て、俺か椹木(さらわぎ)に渡してよ》
「はい、分かりました……どうもありがとうございました……」
《いいよ、こっちも意思確認できたし。じゃ、新学期にね》
 葦原がもう一度礼を述べたところで、通話は途切れた。
 液晶画面を眺めながら、葦原はホッと胸を撫で下ろす。冗談で聞き流していたが、本当に郵便事故が起こるとは……。
 何だか疲れてしまった葦原は、シャワーを浴び、夕食に取りかかる。今日もカップ麺にしようかと思ったが、今朝の出来事で烏丸のメールを思い出し、仕入れ用スーパーでパスタを購入して来た。一番安いミートソースも。
 麺を茹でながら、葦原は耳を澄ます。……101号室からは何も聞こえない。メールの件がなければ、白昼夢と勘違いしかねないシチェーションだった。葦原はそんなことを思いながら、今度は103号室から聞こえた一瞬の物音に、妙な安心感を覚えてしまうのだった。
瀬尾さんと風峰さんをお借りしました。
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