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うろな町の不思議な人々 作者:稲葉孝太郎

第6章 合格通知不達事件

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第54話 受験

これは12月20日(金)のお話です。
 葦原(あしはら)は若干緊張していた。
 人生初めての受験。中学校までの定期テストとは違う。そう思って試験会場にやって来たものの、場は意外と和やかな雰囲気に包まれていた。
 当然のことだが、少年の知っている顔は無かった。唯一の例外と言えば、監督官と思しき人物で、あの受付にいた青年であった。風峰(かざみね)さんだったかな……。そんな記憶を手繰りながら、葦原は試験開始を厳粛に待っていた。
 時折教室内を見回し、他の受験生を確認する。葦原自身も含めて8人。定時制だからこんなものだろうか。少年にはよく分からない。少しばかり戸惑ったのは、平均年齢がそこまで低くないということだった。おじいさんらしき男性もひとり混じっている。
「風峰先輩、そろそろ時間ですよ」
 そう言って入って来たのは、これまた20代らしき男性。彼にも校庭で出会ったことがある。ただ、名前までは知らなかった。
 青年はプリントの束らしきものを抱えていた。
椹木(さらわぎ)、遅かったな。何かあったのか?」
「コピー機を他の教員に占拠されてたんですよ。だから前日に刷ろうって……」
「前日に刷ると盗まれるかも知れないだろ」
「こんなの盗むヤツがいるわけないでしょ」
 受験生を他所にぼそぼそと会話をするふたり。
 椹木曰く、学力テストみたいなものだから、気楽にやればいいらしい。実際、この監督ふたり組は気楽に見えた。葦原がそんなことを思っていると、風峰と椹木は受験生名簿を確認し、それから聞き取れない程度の声で何かを言い合っている。
 葦原には盗み聞きの趣味がないので、耳をそばだてたりはしない。というより、後ろで話に華を咲かせている女性陣の声がボリュームで上回っていた。ひとりは葦原と同年代、もうひとりは大人の女性で、おっとりしているがどこかしらお水っぽく見える。繁華街でバイトをしていると、そういう勘も冴えてくるものだ。
 初対面で意気投合している女性陣とは対照的に、男たちは一様に押し黙っていた。むしろお互いを警戒している感じすら見受けられる。
「はーい、それじゃ始めますんで、参考書とかは鞄に入れてくださーい」
 風峰の指示を受け、生徒は荷物を適当に整理し始める。
 葦原も英単語帳を鞄に戻す。そう、一時限目は英語なのだ。
 英語はなあ……。葦原の中学の成績は、上の下くらいだった。が、勉強が趣味というわけでもないので、ここ1年間はほとんど何もやってない。日本では日常で英語に触れる機会など無いのだから、上達するわけがないのだ。
 難しい問題がでなければいいが……。葦原が身構えている中、机の上に試験用紙が裏返しで配られる。
 椹木が全員に配り終わったことを確認すると、風峰が時計を確認した。
「はい、では始めてくださーい」
 ぱらぱらとした紙の音。葦原もひらりと試験用紙を表向きにした。

 【1】 次の空欄を埋める適当な選択肢を選びなさい。

 〔1〕(  )rises in the east.

   ① Sun ② A sun ③ The sun

 穴埋め問題か……。典型的な設問1のパターンだ。こういう簡単な穴埋めか、あるいは発音とアクセントのチェックがよく出る問題だった。
 1、2問ほど自信がなかったものの、葦原はささっと穴を埋める。

 【2】 次の英文を和訳しなさい。

 〔1〕 Our teacher put this English sentence into Japanese.

 和訳か……。こういうのは気をつけないといけないんだよね。と、葦原の中で英語教師の台詞が蘇る。簡単そうに見えて、意外と罠が多いのだ。
 葦原は頭の中で訳文を組み立てる。「私たちの先生は英語の文章を日本語に訳す」はバツだ。そのことに気付くまで10秒ちょっと。putの形がミソで、現在形の場合は三人称単数のputsになっていなければならない。なっていないということは……。
 過去形か? 葦原は考え込む。過去形の基本は-edだが、不規則変化をする動詞は、この限りではない。putedだったかputだったか……。葦原は30秒ほど考えた後、「私たちの先生は英語の文章を日本語に訳した」と解答欄に書き込んだ。
「うんみゅ〜」
 教室内に奇妙な声が響く。
 その場の誰もが部屋の一点に視線を向けた。
 ……ね、寝てる? 最年長と思しきおじいさんが、机に突っ伏して寝ていた。幸せそうな顔をしている。
 もう解けたのかと思い、葦原は時計を確認した。……10分しか経っていない。もしかして英語が大の得意とか? 商社勤めなら、ありえなくもないが……。
 葦原は無意味な憶測を止め、試験に集中することにした。

 +
  +
   +

 最後の試験科目は数学だった。数学を最後に回すのは考えものだ。頭がパンクしそうになる。連立方程式と因数分解に四苦八苦しながら、葦原は頭を掻きむしる。鉛筆の音が聞こえない机もあり、どうやら何人かは最初から諦めているらしかった。数学は個々人でかなり差の出る科目だ。葦原は得意でも不得意でもなかった。
 ちなみに、あのおじいさんはまた寝ていた。というより、どの試験科目でも、始まってから10分くらいでペンを置き、横になってしまうのだ。最初はくすくす笑っている受験生もいたが、今では誰も気にしていない。試験監督も惰眠を放置している。これで受かるのだろうか? それともただの冷やかし受験なのか……。何もかもが謎だった。
「はーい、時間です。鉛筆を置いてくださーい」
 しまった。余計なことを考えていたせいで、最後の大問が手に付かなかった。椹木が試験用紙を回収し、風峰とふたりで受験番号などを確認する。眠っていたおじいさんは、「難しかったなー」などと呑気なことを言っている。素なのだろうか。葦原には分からない。
 チェックが終わったところで、風峰が両手を教壇についた。
「それじゃあ、今月は28日まで事務所は開けてありまーす。合格通知が26日までに届かなかった人は郵便事故なので、入学金もって事務所にきてくださーい」
 葦原はびっくりしてしまう。本当にただの学力審査だったのか……。
 しかし、風峰の発言は椹木にも予想外だったのか、慌てた様子で「先輩、ぶっちゃけすぎです」とフォローを入れた。そしてこう続けた。
「新学期は1月の6日、6時からとなります。そこで制服、教科書の配布があります。質問、問題がありましたら連絡先となっているアドレスにメールください。風峰が答えます」
 椹木の説明に、風峰は眉をひそめた。受験要項の連絡先を確認する。
「あ。マジ俺のアドレスじゃねーか!」
 だ、大丈夫なのか? 葦原は若干心配になりつつ、受験会場を後にした。

 +
  +
   +

 校舎を出ると、既に辺りは暗くなっていた。校門へ向かう葦原。すると、こちらに向かい手を振っている大人がふたり見えた。
 ……池守(いけがみ)遠坂(とおさか)だった。
「よッ、どうだった?」
 池守はにこやかにそう尋ねてくる。何も心配していないような顔だ。
「まあまあ……ですかね」
 葦原は曖昧に答える。
「国語はちゃんとできたでしょ?」
 遠坂が葦原の顔を覗き込む。実は彼女に少しばかり家庭教師をしてもらったのだ。期間はわずかに2週間。週末のみという約束だったが、遠坂はかなり親密になって教えてくれた。場所はアパートというわけにもいかないので、行きつけの喫茶店であった。遠坂はやたらとアパートに行きたがっていたが……。
「そ、そうですね……そこまで難しい問題は出ませんでしたけど……」
 遠坂は古典趣味が高じてか、とにかく話の内容がマニアックなのだった。大学入試レベルなのではないかというほど細かい講義が続き、正直なところ今回の役に立ったのかどうかは疑わしい。もちろん、全くゼロというわけではなく、それだけ自信もついたのだが。
「それじゃ、何か飯でも食いに行くかあ」
 池守はうんと背伸びをし、それから車のキーを取り出す。
「何が食いたい、と訊きたいとこだが、給料日前でな。それに、合格祝いと新年会を兼ねて1月にパーッとやった方がいいだろう。ラーメンでいいか?」
「あ、はい、ありがとうございます」
 葦原は、池守の車を覗き込む。……誰もいなかった。
吉備津(きびつ)くんと入江(いりえ)さんは来てないんですか?」
 葦原の質問に、池守はくるりとキーを回した。
「そう言えば、そうだな……」
 葦原は少し寂しく思った。せっかくできた同世代の友人なのだ。定時制高校に入れば、友人は増えるだろう。だが、今日見た限りでも、【同世代】の友人はそれほど増えそうにはない。年上が多いのだ。そうなると、素直に友人とは言い難い関係になってしまう。特に上下関係を重んじる日本ではそうだ。10代と20代が真に友情関係を築くのは難しい。
 葦原の気分が落ち込む中、遠坂が口を開いた。
「ふたりとも年末は忙しいらしいわよ。(あんず)ちゃんは帰省してるし……」
「帰省……? 実家から通ってるんじゃないのか?」
 池守が尋ねると、遠坂は「しまった」というような顔を一瞬浮かべた。
 しかしすぐさま表情を戻す。
「おばあちゃんの実家よ」
「ああ、そういうことね……」
 池守は納得すると、遠隔操作でロックを解除する。
「さあ、乗った乗った。これ以上は紙屋(かみや)を待たせられんからな」
「紙屋さんも来るんですか?」
 別に嫌だったわけではない。純粋な好奇心だった。
 池守は運転席に腰を下ろしながら、後部座席のドアを開ける。
「ああ、紙屋とはラーメン屋で合流だ」
 遠坂が助手席へ、葦原が後部座席へ収まり、シートベルトを締める。ゆっくりとドアを閉めながら、葦原は池守の横顔をちらりと盗み見た。
 ……ずいぶん嬉しそうな顔をしている。葦原は薄々、池守が紙屋に惚れているのではないかと勘付き始めていた。同僚にしてはやたらと会う回数が多く、態度が単なる仕事仲間という雰囲気ではない。
 ただ残念なことに、紙屋の方は池守を職場の先輩としか見てないようだった。そのことにも、葦原は気付いている。それも無理からぬ話で、紙屋は刑事になりたくてなったような熱血漢なのだ。今は仕事のことで頭が一杯なのだろう。20歳になったら結婚を考えるような時代ではない。そのことは、少年の葦原にも何となく分かっていた。
「よーし、それじゃあ出発するか」
 池守がエンジンを入れ、車は校門前を走り去った。
とにあさんの『URONA・あ・らかると』から
風峰さん、椹木さん、他受験生一同をお借りしました。
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