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冬過ぎて、春来るらし 作者:稲葉孝太郎

第5章 青少年記憶攻防事件

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第52話 高過ぎた吝嗇

 高速を走り抜ける車の中で、ふたりの男は延々と沈黙を保ち続けていた。木村は顎に手を添え、車外の風景を見送りながら物思いに耽っている。この事態をどう受け止めれば良いのか、そのことで頭が一杯になっていた。
 ルナが2度敗北した。木村も田中も、うろな町へ派遣されるまでは予想だにしなかったイベント。それが目の前で起こってしまったとあっては、屈強な彼らが意気消沈してしまうのも無理からぬことである。そもそも、夢案内人(ドリームハンター)の登場自体が、彼らの予定を大幅に狂わせていた。見通しが甘かったのか、それとも運が悪かったのか……。
「……ルナ様は、まだ目を覚まさないのか?」
 運転席から聞こえた田中の声に、木村はハッと我に返る。
「まだだ……。病院へ連れて行った方がいいんじゃないのか?」
「何て説明する? 記憶の中で女と闘ったらその衝撃で気絶した、か?」
 木村は軽く舌打ちをした。田中の冷静さが羨ましい。木村はどちらかと言うと、感情的になり易いタイプであった。
 ……とはいえ、田中の言い分には抗いようがなかった。このまま組織に戻り、そこの専門医に診せるしかないだろう。木村は隣で寝るルナの横顔を見やる。
「これで俺たちもお払い箱か……」
 木村がそう呟くと、バックミラー越しに田中の視線を感じた。
「ふん……まだそうと決まったわけじゃないさ……」
「いいや、決まりさ……さすがに2度目の失敗は本部も……」
「誰が2度目の失敗なのですか?」
 ルナの声。田中のハンドル操作がズレ、一瞬車のタイヤが踊った。木村はその不安定な走行に肝を冷やしつつ、ルナの方へと慌てて顔を向けた。
 ……ルナは目を覚ましていた。何事もなかったかのように、背筋を伸ばして無表情に正面を見つめている。木村はサングラスを外し、頬を抓った。
「夢……?」
 木村の独り言に、ルナが振り返る。
「夢ではありません。……田中、このまま依頼人のところへ向かってください」
「依頼人……? 鬼道(きどう)グループ本社か……?」
「そうです。任務終了後の待ち合わせ場所は、そこだったと記憶していますが?」
 田中はハンドルを握り締めたまま、怪訝そうに尋ね返す。
「直々に失敗の報告をするのか……? そんなのは上に任せて……」
「任務は失敗していません。……成功です」
 真面目にそう言い切るルナの横顔に、木村の目が釘付けになった。
 ……衝撃で頭がおかしくなったのではないだろうか。木村は不安になる。
「任務成功……? いったいどういう……」
 うまく口を動かせないでいる木村を他所に、ルナは進路変更を促す。
「次のインターチェンジで降りましょう。鬼道本社はそこからすぐのはずです」

  ○
   。
    .

 スーツを着たオールバックの男が、事務机に向かって書き物をしていた。鋭い目付きで数字を睨む男は、電卓も使わずに決算の状況を整理していく。鬼道グループの俊英、企画課の鮫島(さめじま)。それが彼の通り名であった。
 企画課と言うのは聞こえがいい。だがその実態は、違法な事業計画を請け負う、グループの裏方であった。そのトップに上り詰めることこそ、30代を迎えたばかりの鮫島の目標である。今や課長補佐となり、企画課を牛耳るのは目に見える位置まで漕ぎ着けていた。もちろん彼の野心は、そんなポストで収まるはずもないのだが……。
 一枚の書類に手が伸びたところで、鮫島の表情が微妙に変化した。【うろな町駐輪取締事業に関する報告書】。24ポイントで打たれた表題が、鮫島の神経を逆撫でする。
 ……遅い。あまりにも遅い。忘れ屋に依頼してから、既に2週間が過ぎている。12月までには、少年から記憶を抹消してもらわねばならないのだが……。鮫島がそんなことを考えていると、机上の電話が鳴った。
 鮫島は受信ボタンを押し、それが内線であることを確認する。
「何だ?」
《うろなカウンセリング出張所と名乗る者が玄関受付に……》
 やっと来たか。噂をすれば影だ。鮫島はすぐさま答えを返す。
「分かった。企画室へ通してくれ」
 鮫島の指示に、電話はそのまま途切れた。数分後、ドアがノックされる。
「入れ」
 鮫島がそう告げると、秘書が3人の男女を室内へと案内する。金髪、スキンヘッド、それにうら若き少女という変わった組み合わせにもかかわらず、秘書は平然と対応していた。この手の珍客は、もう慣れっこと言わんばかりだった。
 鮫島はそんな秘書を退室させ、目の前の3人組に席を勧めた。すると、中央に立っていた少女だけが腰を下ろす。他のふたりは、扉を挟むように休めの姿勢を取った。
 ずいぶん大げさなことだ。鮫島は苦笑しながら、椅子を45度回転させた。
「お待ちしておりました。今日は良いご報告をお持ちかと存じますが……」
「はい。……うろな町でのカウンセリング作業は、成功しました」
 鮫島の頬が緩む。
「それは素晴らしい。……データの削除はうまくいったのですね?」
 ただの確認のつもりだった。ところが少女は、予期せぬ答えを返してくる。
「いえ、諸々の都合により、データの『抹消』は行いませんでした」
「……説明を願いたいですな。それはどういう……」
「私たちは、必要な部分についてデータの『改竄』を行いました。データが誰かに呼び出されたとしても、それは事実との齟齬を生じさせます。……つまり、誰も信用しないというわけです。しかも目立った齟齬ではないので、最初は周囲も不審に思いません」
「ということは……訴訟になった場合でも……」
「はい、間違いなく証言は成立しないので、ご安心ください」
 なるほどと、鮫島は首を縦に振った。法廷で証言が食い違えば、裁判官は証言の信頼性を疑わざるをえない。相手が未成年ならばなおさらだろう。
 依頼内容とは異なる解決策だが、鮫島は一応満足した。
 鮫島は少女の瞳を見つめ返す。10代の娘にしては、小生意気な目をしている。鮫島はそんな感想を抱いた後、手を胸の前で組み、静かに先を続けた。
「ありがとうございました。これで今回のビジネスは終わりということに……」
「いえ、まだ終わっていません」
 ルナが口を挟んだ。胸のポケットから、一枚の紙切れを取り出す。
 鮫島は訝しがりながら、差し出されたそれを受け取った。
「……請求書?」
「今回の事件の処理に掛かった経費です」
 鮫島は数字の列を一瞥した後、それを少女に突き返す。
 だが少女は受け取ろうとしない。仕方がないので、鮫島はそれを机の上に放り投げた。
「代金についてなら、既にお支払いしたと思いますが?」
「依頼料は振込を確認しています。……しかし必要経費は別です」
「依頼料には必要経費が含まれるのが常でしょう? ……別払いは致しませんよ」
「しかし規約では……」
 鮫島は再び請求書を取り上げると、有無を言わさず少女に突き返す。
 少女は相変わらずの無表情で、それを受け取った。
「……お支払いいただけないということですか?」
「それは誤解です。当社は必要経費も含めてお支払いしたと申し上げているのです。後から経費が加算された分については、当方は責任を負いかねます……」
 鮫島はそう言うと、相手に反論の機会を与えぬよう、即座に内線を呼び出した。
「鮫島だ。……カウンセリング業者の方がお帰りだから、案内して差し上げなさい」
 鮫島は少女に視線を戻し、それから後ろに立つふたり組の男を盗み見た。おそらく、少女の付き人だろう。しかし、今さら黒服サングラス程度で怖じ気づく鮫島ではなかった。いざ事が起これば、ガードマンを呼べばいいだけなのだ。このビルに駐在しているのは、普通の警備会社から派遣されるような人材ではない。それこそ、本筋の連中である。
 鮫島とルナの睨み合いは、それほど長くは続かなかった。
「……分かりました。今回は契約の詰めが甘かったということで手打ちにしましょう」
 ルナはそう言って席を立つ。
「ご理解に感謝致します」
 鮫島の挨拶に合わせたかのように、ドアがノックされた。秘書に連れられながら、少女たちは企画室を後にする。去り際、少女は鮫島の事務机へと振り返った。
「それでは、今後ともご贔屓に……」
 それを最後に、扉が閉まった。室内が静まり返る。鮫島はケースファイルの中から、【うろな町駐輪取締事業に関する報告書】を引き抜き、処理済みのサインを刻んだ。
「……ずいぶんと安く済んだな」
 鮫島は煙草を取り出し一服する。紫煙が漂う企画室の中で、鮫島は次の策を練った。これで証人の問題は片付いた。後は、マスコミへのリークの仕方だが……。地元の新聞などは、気兼ねして取り上げないだろう。かと言って、三流ゴシップ誌では、町民が取り合わない可能性もある。毎度のことながら、情報の流し方というのは難しいものだ。鮫島は、いくつかの候補を手帳に書き留めた。

 コンコンコン

 ……鮫島は顔を上げる。秘書だろうか。鮫島は手帳を仕舞い、唇を動かした。
「誰だ?」
 ……返事がない。もしや、あの少女が戻ってきたということは……。鮫島が警戒心を強めていると、扉の向こうからぼそぼそと話し声が聞こえてきた。
「これでいづなくんは、後1回しか能力が使えないのです」
「今さらあのときのゲームを持ち出す必要もないでしょう。……時効ですよ」
「それはダメなのです。1度始めたゲームは最後までやるのです」
「しかし、杏さんはもうストックがないのでしょう? ならば私の勝ち……」
「いづなくんがここで能力を使えば、お互いに引き分けなのです」
「……そういうことにしておきましょう」
 ……意味の分からない会話だ。しかも子供のように聞こえる。
 鮫島が腰を浮かせたところで、ドアノブが回った。高校生くらいの少年と、小学生くらいの少女が姿を現す。……やはり子供ではないか。鮫島は大人の睨みを利かせ、語気を荒くする。
「ここはきみたちの来る場所ではない。……早く出て行きたまえ」
 鮫島の脅しにもかかわらず、少年少女は平然と室内に踏み込んできた。
 様子がおかしい。ただの不埒なガキには見えない。何か人並みならぬものを感じる。鮫島が警備員を呼ぼうとしたところで、少年は右手を奇妙に掲げ、鮫島にこう告げた。
「古今東西、お狐さまの言う通り」
 その瞬間、鮫島の視界が暗転した。

  ○
   。
    .

「さっきのは何だったんですか?」
 後部座席のドアノブに手を掛けながら、木村はルナにそう尋ねた。
 ルナは眉ひとつ動かさず、じっと鬼道グループの本社を見上げている。
「何、とは?」
「必要経費がどうのこうのとか……」
「必要経費を後から請求するのは、マニュアル通りだと思いますが?」
 それはそうだが……。木村はこれまでの出来事を思い起こす。
「後払いで発生するような経費なんてありましたっけ?」
「……いろいろと」
 ルナは誤摩化すようにそう呟くと、車に乗り込んだ。木村は田中に向き直る。田中も両肩をすくめて見せるばかりだった。
 木村も後部座席に潜り込む。ルナはシートベルトを締め始めていた。
「只より高いものはない。……そういうことだと思います」
 ルナの唐突な一言に、木村は「はあ」と曖昧な返事を返すばかりだった。
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