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うろな町の不思議な人々 作者:稲葉孝太郎

第5章 青少年記憶攻防事件

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第50話 テロルの根拠

神楽(かぐら)さん、本当に大丈夫なのですか?」
 吉備津(きびつ)の問い。神楽は緊張した面持ちで返す。
「ま、大丈夫じゃなくても受けて立つしかないし……泰人(ひとろ)が人質じゃあね……」
「これは裏に何かあります……わざわざ私を指名してきたとなると……」
 それは分かっている。神楽は心の中でそう返した。敵の夢を舞台に指定するなど、狂気の沙汰だ。普通なら、正気を疑われても仕方がない。サッカーでアウェイを選択するとか、そういうレベルのハンディではないのだ。
 ただ相手はルナだ。吉備津を指名したのも、単なる自信過剰あるいは恐怖心の無さに起因している可能性がある。それに、吉備津が陰陽師であることはバレていないはずだった。ルナの中で、何か誤算があるのではないだろうか。神楽はそこに希望を見出そうとする。
 ……それともそれが自分の奢りになってしまうのだろうか。神楽は逡巡した。
「ルールを確認するわよ。私とあなたのタイマンで、他のメンバーは手出し無用。先に相手を夢から追い出した方が勝ち……。それでいいわけね?」
「はい、それで結構です」
 自分から言い出したのだ。拒否するはずがない。
 神楽は次の確認に入る。
「さてと、それじゃひとつ頼みがあるんだけど……人質の縄を解いてくれない?」
 神楽は車内を遠目に眼差した。泰人の靴底がわずかに見える。動いているところから察するに、意識はあるのだろう。怪我などしていなければよいが……。
 神楽の依頼に、金髪男が口を挟んだ。
「おいおい、勝負が始まる前から人質を解放できるわけが……」
「でも、私と相棒が寝ちゃったら、誰が私たちの身辺を警護するの? それとも、あなたたちふたりが縄で縛られる? そっちだけ自由に動ける仲間がいるのはフェアじゃないわ」
 金髪男は口を噤み、スキンヘッドと顔を見合わせた。スキンヘッドの方は物わかりがよいのか、肩をすくめておもむろに口を開く。
「俺たちが公正無私なのは、前回の任務で分かってもらえたと思うが……」
「……確かにそうかもしれない。でも私たち、無防備で敵に身を預けるほどバカじゃないのよね。だから泰人を、こちらの立会人に選びたいんだけど……」
 神楽の解説に、スキンヘッドは何も答えなかった。問いたげな目でルナの方を向く。ルナは神楽を見据えたまま、その薄い唇を動かした。
「……分かりました。人質を解放しましょう」
 ルナはそう告げると、金髪男とスキンヘッドの両名に目で合図をする。ふたりは渋々という感じで泰人の縄を解き、猿轡を外した。
「ぷはッ! 夢案内人(ドリームアドバイザー)に暴力は禁止っすよッ!」
 泰人は足下をもつれさせながら、神楽のサイドへと逃げ込んだ。縄とタオルをその場に放り投げながら、金髪男が小声で不満を漏らす。
「ちぇッ……これじゃ何のために捕まえたのか分かりゃしねぇ……」
「なぁに、もともと交渉材料だったんだ。……人質の役割は十分果たしてくれたさ」
「……そんなもんかね」
 スキンヘッドの言い分を聞き流し、金髪男は爪先で2度地面を蹴った。
 神楽は泰人に怪我がないかを尋ねる。
「大丈夫っす。ちょっと縛られた跡がついてるだけっす」
「オッケー……それじゃ、勝負と行きましょう……」
 神楽の目付きが変わる。彼女自身、勝算の高い試合とは思っていなかった。唯一の心の支えと言えば、ルナとの直接対決で一度勝利していることだけ。それ自体、吉備津に説明した通り、ただの偶然かもしれないのだ。
 泰人も同じことを思っているのか、神楽以上に緊張した面持ちを覗かせていた。
「先輩……頑張ってくださいよ……」
「ま、見といてちょうだい。私が上か……あの能面女が上か……」
 能面女。神楽は冷やかしのつもりだったが、相手の表情を見てしばしたじろぐ。
 ……何か様子が違う。ルナの表情に淡い変化が見られた。どういうことだろうか。重要な勝負で相手も緊張しているのか、それとも……。いや、考えるのは止めよう。土壇場で憶測を重ねてもいいことはない。神楽は先入観を捨てることにした。
「おい、準備ができたぞ」
 スキンヘッドが一同に声を掛ける。見れば工場の隅に、ドラム缶と木箱で作った即席のベンチが設けられていた。まずルナが無造作に腰を下ろし、神楽と吉備津はズボンが汚れないよう埃を払う。そして吉備津を中央に、3人はそれぞれ席を占めた。
「私はどうすればよいのですか?」
 吉備津はふたりにそう問うた。神楽が先に答える。
「私は手を触れる必要があるけど……。あなたは?」
 神楽はルナの瞳を眼差す。……やはり前回と雰囲気が違う。神楽は不安になった。
 そんな少女の戸惑いを他所に、ルナは返事を与える。
「あなたが潜入後、遠隔でそちらに向かいます。……あのときと同じですね」
「……分かったわ。じゃあ、先に待ってるわよ」
 神楽は吉備津と手を繋ぐ。酷く華奢な指先だった。まるで女の手のようだ。
 だが夢案内人としての習性から、神楽にはもはや外界が見えていなかった。目を閉じて神経を集中する。勝つか負けるか、既にそれすらも脳裏から消え去っていた。
 ……来た。シンクロの感覚と同時に、神楽の意識が一瞬にして途切れた。

  ○
   。
    .

 喧噪。神楽が最初に知覚したのは、男たちの凄まじい怒声だった。地面の震動が伝わるほどに、人々の足が入り乱れている。ここはどこだろう。神楽は瞼を開く。
「!?」
 神楽のそばで、ガラス瓶の割れる音がした。パッと炎が燃え上がり、ゆらゆらとした熱が辺りに漂う。……火炎瓶だ。女の悲鳴が上がり、人の流れが変わった。
「おい、機動隊が来るぞっッ!」
 口元をタオルで覆い隠した男が叫んだ。隊列は逆流し、逃げ足の遅れた神楽は、自分の意思とは無関係に人の波に呑まれてしまう。
 ここはどこだ。神楽は体勢を立て直しながら、周囲を確認する。何かのデモのように見える。だが、平成の面影はどこにもなかった。ファッションも化粧も、それどころかあたりの建物さえも、一昔前にタイムスリップしてしまっているようだ。神楽は汗臭い男たちに囲まれながら、どんどん後ろへと押し流されていく。息をするのも一苦労だ。そんな中、神楽は懸命に状況を把握しようと努めた。
 ……そうだ。どこかで見たことがある。歴史の授業か、あるいはドキュメンタリー番組の中で目にしたことが……。それが学生運動という、神楽の世代にとってはもはや神話と化した現象であることに気付くまで、彼女は数分の時間を要した。
 何というところに案内してくれたのだ。普通ならそう思うところだろう。だが神楽の考えは違っている。むしろ吉備津に感謝していた。おそらくこれが、あのルナという完全同調者(シンクロニスト)に立ち向かうための唯一の好スタートだった。他人の記憶の中で自由自在に物を作り出せるルナ。彼女と正面から対抗するには、神楽はあまりにも非力過ぎた。
 避難所。まずはそれが必要だ。そしてそれは用意されている。この混乱では、ルナも瞬時には適切な行動がとれまい。神楽は人混みの中に、ライバルの顔を求めた。
 ……無理だ。とてもではないが視認できる状態ではなかった。ルナがいきなり機動隊員に殴られて、それで決着がつくというお間抜けなエンディングもありうるのだが……。神楽は首を振る。それはこちらも同じことだ。いつ火炎瓶や催涙ガスに襲撃されるか分からない。敵と邂逅する前にリタイアするのはご免だった。とにかくここを脱出しなければ。神楽は人の網目に、綻びを探し始める。
 しかし、一度形作られた人の流れは、何ともし難かった。神楽は周囲を押しのけ、無理矢理デモの外側へ出ようとする。ふたつの背中に挟まれてもがいていると、ふと見知らぬ女が隙間から顔を覗かせた。
「こっちよ」
 訳が分からぬまま、神楽はその女に手を取られた。痛いほどにきつく引っ張られ、神楽は悲鳴を上げる。だが相手はお構いなしに彼女の手を引き、ついにデモの中央部を抜けた。空気が新鮮になったかと思うと、女の足が速くなり始める。神楽は息つく暇もない。
「ま、待って……そんなに急がないで……」
 女は神楽の懇願を無視して、全力疾走をする。神楽は辛うじて後を追うことができた。いきなり周囲が暗くなり、そして女の足が止まった。
「ここなら大丈夫ね」
「ここって……はぁ……どこ……はぁ……」
 神楽は肩で息をしながら、自分の現在地を確認した。……正確には分からないが、ビルの谷間のように見える。無論、住所を教えられたところで、50年以上前の東京など把握しようもないのだが……。
 それよりも、この女は誰だ。神楽は顔を上げた。そして息を呑む。
遠坂(とおさか)……さん……?」
 神楽はあんぐりと口を開けた。いつの間に潜入したのだ。工場にはいなかった。いや、それとも実はあの場にいて、杏のオーバーテクノロジーで記憶に入り込んだのだろうか。宇宙人ならば、それくらいはできかねない。
 だが何よりも神楽が驚愕したのは、これがルール違反ということだった。もしルナたちにバレれば、その場で失格を言い渡されかねない。それは夢案内人(ドリームアドバイザー)としてのプライドが許さなかった。勝つにしても負けるにしても、清廉でありたかった。
 神楽が抗議しかけたところで、女は訝しげに唇を動かす。
「とおさか……? 誰のこと?」
 ……人違い? それとも、正体がバレないようにとぼけているのだろうか。神楽は相手をしげしげと観察する。頭のてっぺんから爪先までじっくりと……。
 ……違う。人違いだ。遠坂はアラサーという雰囲気をさすがに隠せていないが、目の前の女はどう高く見積もっても20代前半である。女子大生くらいだろうか。それに、髪の長さが遠坂よりも若干短かった。顔立ちはそっくりだが、同一人物とまでは言えない。
 他人のそら似と分かり、神楽はホッと胸を撫で下ろす。
「ご、ごめんなさい……人違いだわ……」
「そう……。あなた、ちょっと気が動転してるんじゃない?」
 そうかもしれない。神楽はその場で深呼吸する。少し酸欠気味だった。
 彼女の動静を他所に、デモの喧噪はまだ遠くで続いている。
「あなた、どこの大学?」
 女の問い。神楽は質問の意味を理解できなかった。
「えっと……高校生ですけど……」
「高校生……? 高校生の参加は禁じられてるはずよ。誰が連れ込んだの?」
 しまった。神楽は内心舌打ちをする。要するに、学生団体のメンバーと誤解されたのだ。そのおかげで助けてもらえたのだろうが、女は酷く警戒し始めていた。警察のスパイと思われているのかもしれない。
 女はじろじろと神楽の服装を眺め、それから首を捻って先を続ける。
「あなた、ずいぶん派手な格好してるのね……。そんなんじゃ、すぐ捕まるわよ」
「ち、違います。デモに参加してたわけじゃなくて……」
「参加者じゃない……? じゃあなんであそこに……」
 ますます墓穴を掘る神楽。時代の背景知識が追いついて来ないのだ。夢案内人が担当する記憶は、古くて数年以内のものが大半である。思い出のレンジが800年もある吉備津は、かなりの特殊事例だった。
 そんなことを考えていた神楽に、女が言葉を掛ける。
「とにかく、参加者じゃないならさっさと逃げなさい。しょっぴかれるわよ」
「このあたりで、スーツ姿の少女を見かけませんでしたか?」
 場違いな質問なことは百も承知していた。しかしここは夢の中。どれだけ変に思われようとも、目が覚めれば全ては帳消しになる世界。だからこそ、神楽は敢えて問うてみた。
 女は片方の眉毛を不愉快そうに持ち上げた後、両腕を胸元で組んだ。
「あのさ……この状況で人間一人見つけ出せると思う?」
「い、いえ……ただ、その少女が……」
 轟音。さきほどまでの小競り合いとは明らかに異なる激しさだった。
 何百という人の群れが、一瞬氷のように静まり返る。神楽が音源を振り向くと、くすんだ色の煙が、空高く舞い上がるのが見えた。
「テロだッ! テロだぞッ!」
 デモ隊かそれとも警官か。その声を合図に、辺りは阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。デモ隊は散り散りになり、機動隊も第二、第三の爆発を警戒して初動が遅れている。
「ま、まずいわ。逃げましょう」
 女は再び神楽の手を引くと、路地裏へと飛び込んだ。ゴミを蹴散らしながら、ふたりは見知らぬ空間を縫って行く。
 テロ。そんな話は、神楽の日本史の知識にはなかった。少なくとも、東京都内で爆弾テロが敢行されたという話は耳にしたことがない。それを分析するうちに、神楽はある結論へと辿り着く。
 ……ルナだ。おそらくデモ隊と機動隊の衝突を清算するため、爆発物を夢現化(ドリマライズ)して広場に仕掛けたのだろう。死傷者が出るにもかかわらず……。
 いや、死傷者は出ない。ここは夢の中なのだから。神楽の手を引く女も、結局は吉備津の記憶に収められた映像に他ならないのだ。ただひとつ違うのは、その記憶があたかも自立しているかのような挙動を見せるということだけだった。
 だがそれでも、流血や苦悶の表情はリアルと見紛うほど生々しい。群衆の中に爆発物を仕掛けられるなど、よほどの剛胆でなければできないことだろう。やはりルナはルナだ。冷血で感情のない夢狩人(ドリームハンター)。神楽はそう確信する。
「ど、どこへ行くの?」
 神楽は女に質問した。女の動きから見て、特定の目的地を目指しているらしい。
 女は振り向きもせず、神楽に答えた。
「大学の事務用通路よッ! そこなら警官も来ないはずッ!」
「大学……?」
「ほら、ぼやっとしないで走ってッ!」
 神楽は足を速めながら、周囲を見回す。……そうか、ここは大学の構内だ。神楽は、いつの間にか教育施設の敷地内に足を踏み込んでいた。最初からそうだったのか、それとも女に連れ込まれたのか……。その点は判然としない。
 状況をもっと冷静に把握しなければ。そう思った矢先、女が右手に急旋回した。遠心力に振り回されながら、神楽も大きく道を曲がる。
「も、もうちょっとゆっくり……」
 女は神楽の懇願を無視して、近場の植え込みに身を投じる。
 これが事務用通路か……。そんなはずがない。神楽は女を睨みつける。
「ちょっと、どういう……」
「シッ!」
 女は人差し指を唇に当て、辺りの様子を伺った。その真剣さに押され、神楽も押し黙る。
「……誰も来ないわね」
「……さっきから何してるの? 通路はどこ?」
 神楽の問いを、女は華麗にスルーした。
「通路の前に変な人影があったわ……スーツを着てたから、警官かも……」
 女の説明に、神楽の心臓が止まりかける。……なぜルナは広場で爆発物を使用したのだろう。周囲が混乱するだけで、自分を発見しにくくなるだけのはずだった。しかし……。
 神楽は恐る恐る口を開く。
「その通路以外に……構外へ出る方法はあるの……?」
「え? 何か言った?」
「その通路以外に出口は?」
 やや大きめのボリュームで尋ねる神楽。女は声をひそめるように答えを返す。
「あるけど……全部封鎖されてるはずよ。さっきの騒動だとなおさら……」
 女はそこで舌の動きを止めた。虚ろな目で宙を見つめている。
「どうしたの……? 何か思い当たることが……」
 神楽が女の肩に手を掛けると、上半身が前のめりに倒れ込んだ。植え込みの枝が折れ、ぱちぱちと爆ぜるような音を立てる。
 べっとりとした生暖かい感触。神楽は自分の手のひらを眺め、そして戦慄した。
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