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うろな町の不思議な人々 作者:稲葉孝太郎

第0章 30年目の恋

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第4話 凶兆

「お疲れさまでした」
「お疲れさん」
 夏用の私服に着替えた少年が、コック帽を被った男にぺこりと頭を下げた。
 ここは、うろな町の繁華街にあるトンカツ屋。最近別のバイトを人減らしで辞めることになった葦原は、空いた時間にこのトンカツ屋で働かせてもらっていた。室内に客席があるのではなく、持ち帰り用の総菜を売る店だ。トンカツがメインなだけで、他にも野菜のかき揚げや海老の天ぷらなど、揚げ物がケースの中に並んでいる。だが閉店間際のセール時間もとうに過ぎ、その数も種類もまばらである。
 店長は残り物の片付けに取りかかっていた。
「葦原くん、持って帰るかい?」
 そう言って、店長は紙の包みを差し出す。
「あ、いつもありがとうございます!」
 葦原は笑顔でそれを受け取ると、再び頭を下げて店を後にする。既に時計は9時を過ぎており、郊外に住んでいる葦原にとっては、気の滅入る時間帯になっていた。繁華街の歩行者天国を出て大通りに足を踏み入れると、同じ側の車線に、葦原のアパートと同じ方面へのバスが見えた。
 葦原は少し迷った後、交通費がもったいないという理由で、歩いて帰ることにした。いくら夜遅いとはいえ、うろな町は比較的開けた地域である。それに、大都市のようにガラの悪い人々がたむろしていることもなく、未成年が夜道を歩いていても、特段危険を感じるような町ではなかった。
 大通りに沿って西に向かうと、だんだんと人通りが減って行く。それは、町の西側に人があまり住んでいないということを意味しない。その証拠に、そばを通る自動車の数は、相変わらずの賑わいを呈している。通行人が少ないのは、単に街中から郊外へ歩いて移動する人がいないというだけのことであった。郊外は最近開発された新うろなという住宅街で、いわゆるベッドタウンを形成している。
 そのことに安心していたのだろう。道の真ん中を堂々と歩いていた葦原に、背後から自転車のベルが鳴った。
 葦原が慌てて道の脇に避けると、その隣を颯爽と数台の自転車が通り過ぎた。みな、うろな高校の制服を着ている。葦原は、お互いに顔を向け合いながら楽し気に去って行く彼らを見送り、しばらくの間、道ばたに佇んでいた。
「ハァ……」
 葦原は溜め息を吐き、空を見上げた。
 別に自分の境遇を嘆いているわけではない。一人で布団の中に潜り込んでいると、ふと両親を失った寂しさが少年を襲うこともある。悲しみがないと言えば、嘘になるだろう。しかし、先ほどの少年の溜め息は、そこには向けられていない。むしろそれは、彼自身の将来に対する不安のようなものであった。葦原は、同じ年齢の友人がいないのである。
 もちろん、中学時代には友達と呼べる仲間が何人もいたが、みな疎遠になってしまっている。その理由の大部分は、彼の生活習慣にあった。高校進学率が96%を越えた日本において、高校生にならないことは、同世代の人間と生活空間を共有しないことを意味する。もし葦原に自由な時間が残されていれば、放課後や休日を利用して、かつての同級生たちと遊ぶこともできたであろう。だが、バイト三昧の葦原には、それも無理な相談であった。
 少年は肩を落とさないように自分を励ましながら、再び踵を地面から離した。そして、繁華街から徒歩で45分も掛かる道のりを、とぼとぼと、だが確かな足取りで踏みしめて行った。
 15分ほど歩いたところで、道路が狭くなり、左右に民家が建ち並び始める。家庭的な団欒の光が、窓の端々から漏れていた。換気扇から漂う食卓の匂い。葦原はなるべく視線を正面に固定しながら、街灯に照らし出されたコンクリートの一本道を進んで行く。
「そこの人」
 謎の声。ふいに声を掛けられた葦原は、後ろを振り返る。
 初めは空耳かと思ったが、よく見れば街灯の下にぽつんと、易者が座っていた。白い布で覆われたテーブルに腰を下ろし、易者はこちらにそっと手招きをする。顔は暗がりでよく見えない。
「そこの人、少し占って差し上げましょう」
 そう言った易者の言葉に、葦原は軽い違和感を覚えた。声が異様に若いのだ。
 自分と同じか、ほんの少し年上に聞こえる。だが、そんな予想とは裏腹に、声の調子は大人びているどころか、むしろ老成している感さえあった。
「どうしました? お代は要りませんよ?」
 普通の人間なら、無視して通り過ぎるところだろう。だが、葦原はふらふらと街灯の下へと足を運んでいく。そのうかつな行動が、頼み事を断れない彼自身の性格に由来しているのか、それとも易者の雰囲気に呑まれてしまったせいなのか、少年にも判断がつかなかった。
 葦原は、テーブルの一歩手前で歩を止める。易者の顔が、上方からの光に照らされ、陰影の強いコントラストを形作っていた。声音から予想した通り、自分と同じ若い少年が、白のカッターシャツを着て目の前に鎮座していた。
「手をお出しください」
「え?」
「手をお出しください」
 自分と同じ世代の少年に、敬語で命令される。そんな奇妙な事態に、葦原は考えがまとまらないまま、総菜の袋を持っていない方の右手を差し出した。形の良い指が、街灯に照らし出される。
 易者はそれをじっと見つめ、瞬きもせずに手相を読み取った。それから目を逸らし、僅かばかり渋い顔をする。
「……女難の相が出ていますね」
「じょなん? 何ですかそれは?」
 葦原は、かすれた声でそう尋ねた。
 易者はしばらく押し黙っていたが、まるで第三者に話し掛けるように説明を始める。
「女の難を蒙ると書いて女難。平たく言えば、女性問題という意味です」
「はあ……」
 葦原は、分かったような分からないような口調でそう呟いた。
「つまり……ボクに女性問題があるってことですか?」
 易者は、いやもはや易者なのかどうかすら定かではないが、とにかく相手の少年は、葦原の目を見据えて頷き返した。
 それに対して、葦原は笑みを漏らす。
「やだな、ボクには彼女もいないですし、そもそも身近に女の人は……」
 そこまで言って、ふと葦原は寂しそうな顔をした。それに気付いた易者は、やや早口で先ほどの言葉を訂正する。
「いえ、この女難の相は、まだ顕現したものではありません。おそらく、ここ何ヶ月かの間に、あなたの身に降り掛かる災いを示しています……ただ、問題の女性は、既にあなたの周りに姿を現しているやも……」
 易者は、そこで言葉を区切った。何か言いたくないようなことを言ってしまったような、そんな雰囲気が漂っている。
 とはいえ、依然として葦原は、易者の言っていることが飲み込めていなかった。自分に災いをもたらす女性が、既に近くまで来ているのだろうか。葦原には全く身に覚えがない。バイト先の女友達の中に、危害を加えて来そうな人物は見当たらない。まさかトンカツ屋のおばさんというわけでもあるまいし、と葦原は全ての可能性を否定した。
「本当に心当たりはありませんか?」
 易者がそっと尋ねた。心当たりがあるはずだという、確固たる口調。
 葦原は、目下の異常なシチェーションも忘れ、記憶の中を探り出す。
「……ん」
 軽い戸惑い、それが数秒続いた後、葦原は首を左右に振る。
「そう言えば、最近よく会う女の人がいますけど……違いますよ……」
「それは、どのような方ですか?」
 好奇心をそそられたように、易者が体を前に乗り出す。
「バイト先のコンビニで、毎日同じ時間帯に来るお客さんです。その人とコンビニ以外の場所で会ったことはありませんし、ただの店員とお客さんの関係ですよ」
「……」
 易者は、それ以上何も言わなかった。
「そうですか……お時間を取らせてしまい、失礼致しました……」
「いえ、いいんです。別に帰ってもすることないですし」
 葦原はそう言って身を翻すと、再び電灯の届かぬ闇の中へと身を乗り出す。5、6歩進んだところで、思い出したように易者を振り返り、軽く手を振った。さよならを意味するその仕草を、易者は黙って見送る。
「……」
 夜道に、易者だけが残された。
 ふぅと溜め息を吐き、彼は電信柱の影を顧みる。
入江(いりえ)さん、もう結構ですよ」
 易者の役割を終えた少年の声に反応して、電信柱の影から一人の少女が顔を覗かせた。
「いづなくん、どうでしたか?」
 下の名前で呼ばれた吉美津(きびつ)は、残念そうに首を振る。
「おそらく、徒労かと……」
「そうですか、ならばやはり例の作戦を実行に……」
 少女はすたすたと少年の前に歩み寄り、酷く真面目そうな顔でそう言った。
 そんな少女に対して、吉美津は首を左右に振る。
「入江さん、それはできません。我々は、遠坂先生を手助けするために来たのであって、犯罪者に仕立て上げるために来たのではないのです」
「いづなくん、(あんず)で結構です。水臭い呼びかけは止めましょう」
 いきなり先輩風を吹かせてきた入江に、吉美津はあまり面白く無さそうな顔をした。自分の方が年上なのだがと思いつつ、吉美津は先を続ける。
「しかし、まさかこんな結果になるとは……」
「どんな結果ですか?」
 入江が淡々と尋ねた。どうやら、先ほどの吉美津と葦原の会話を、よく理解できていないようだ。吉美津はそんな入江の目を見据え、噛み砕いた説明を始める。
「私が葦原少年の手相を見たところ、女難の相……つまり、女性関係でトラブルが発生するという占いが出ました。どうやら、それが遠坂先生に関わることのようなのです」
 吉美津は、入江の反応を待つ。
 入江はしばらく沈黙を続けた後、いきなり質問を返して来た。
「すみません、単刀直入に答えてください。2人の相性はいいのですか、悪いのですか?」
 相性という部分で入江が何を考えているのか、吉美津には判断がつきかねた。しかし、それが恋愛にまつわるものとなれば、少年の中で答えは明白である。
「あまりよろしくない、とだけ申し上げておきましょう」
 吉美津の返事に、入江はあくまでも鉄面皮を崩さない。
 ただ、どこかしらその結果を予期していないところがあったらしく、しばらく口を噤んだまま宙を見据えていた。何かを考え込んでいるらしい。吉美津は、入江の脳内で計算が終わるのを待った。
「……なるほど、では早速、それを遠坂先生に報告しましょう」
 何でそうなるんだと、吉美津が眉をひそめる。
「報告はまずいと思いますが……」
「なぜですか? 私たちがこのうろな町に来た目的は、葦原少年と遠坂先生の異性的相性を確認するためのはずです。したがって、その結論が得られた以上、遠坂先生に事実を報告するのが筋ではありませんか?」
 どうにも意思の疎通ができない。吉美津は軽く溜め息を吐くと、椅子から腰を上げ、テーブルを迂回して入江のそばに歩み寄る。
「入江、いえ、杏さん、ここは私の方が年長なのですから、私にお任せください」
「学校では私の方が年上なはずです。私の言うことを聞いてください」
「いいえ、学校での上限関係は関係ありません。今回ばかりは私にお譲りください」
「……」
 入江のターンだが、彼女は口を開かない。無表情なまま、じっと吉美津を見つめ返してくる。納得したのかしていないか、不機嫌なのかそうでないのかすら、吉美津には見当がつかなかった。
「……分かりました。今回の件は、いづなくんにお任せしましょう」
「ありがとうございます」
 ホッと胸を撫で下ろし、吉美津は空を見上げる。
 さて、これからどうしたものかと、吉美津はしばし策を練った。
「先ほど、相性はよくないと申しましたが……最悪というわけではありません」
 吉美津の補足に、入江が眼球を動かす。
「どういうことです?」
「葦原少年と遠坂先生の間にある問題は、遠坂先生が葦原少年に近付くと、彼に災いをもたらしてしまうということ。しかし、その呪術的関係さえ解消してしまえば、2人が結ばれる可能性はなきにしもあらずです。年の差の問題を除けば、ということですが……」
「少し非科学的過ぎる気がするのですが」
 入江の口から迸った正論に、吉美津は少しばかりたじろいだ。彼女の言い分が正しかったからではない。吉美津は、自分の占術に絶対の自信を持っていた。そうではなく、入江が一般人っぽいことを口走ったのが、彼にとっては意外だったのだ。
「ふむ……杏さんも、たまには思考がまともになるのですね」
「たまには、ではありません。私の思考は、常に正常です」
 訂正を求める入江を無視して、吉美津は夜道を歩き始めた。
 後方に置き去りにされた入江が、少しだけ声のボリュームを上げる。
「いづなくん、帰りは送りますよ。この町からならひとっ飛びです」
 入江の誘いを、吉美津は背中越しに手を振って辞退する。
「今晩は遠慮しときます。少し夜風に当たって、今後のことを考えてみますから」
 それを最後に、吉美津の姿は夜の闇へと消えた。
町の構造については、桜月りま様の地図を参考にさせていただきました。
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