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うろな町の不思議な人々 作者:稲葉孝太郎

第5章 青少年記憶攻防事件

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第44話 すれ違う人々

「このアパートで合ってるの?」
 神楽(かぐら)の声。ところどころペンキの剥がれた壁を眺めながら、彼女は2階建てのアパートを見上げていた。同世代がここでひとり暮らしをしているという事実に、彼女はまだ馴染むことができていなかった。
「はい……。そこの102号室です」
 吉備津(きびつ)は手前から2番目の扉を指差す。風呂場の窓ガラスから判断するに、葦原(あしはら)少年が出掛けていることは明らかだった。室内に灯りがついていない。そもそもバイトで忙しい葦原が日中在宅していることは稀なのだから。
 吉備津と神楽、それに泰人(ひろと)の3人は、102号室のインターフォンを押す。いないことが分かっていても、確認するに越したことはない。
 3人は返事を待ったが、やはり誰も出て来なかった。
「留守ですね……」
 吉備津はそう言うと、辺りを見回す。神楽は一瞬、葦原を探しているのかと思ったが、どうも様子がおかしい。むしろ誰もいないことを確かめているかのようだった。
 吉備津の動きに釣られて、神楽もアパートの前庭を一瞥する。管理人はおろか、住人の気配がない。吉備津はふいに扇子を取り出すと、それをパチリと閉じた。その音と同時に、茂みから小さな動物が姿を現す。
「キャッ!」
 神楽は思わず悲鳴を上げた。犬か猫だと思ったそれは、がりがりに痩せた赤ん坊くらいの生き物で、へらへらと笑いながら吉備津に近付いてくる。神楽は口元を押さえ、泰人の背中へ逃げ込んだ。
「な、何この生き物ッ!?」
「いづな様、お呼びでございますか?」
「喋ったッ!?」
 大声を上げる神楽に、吉備津は扇子で静かにせよと合図する。
「餓鬼、葦原くんの身辺は無事ですか?」
 吉備津の質問に、餓鬼は胡麻をすりながら答える。
「隣に男が引っ越して来ただけで、無事でございます」
「男が引っ越して来た……? ひょっとして、金髪か坊主の男ですか?」
「いえいえ、若いガキです」
 餓鬼の報告を受け、吉備津は扇子を口元に添えた。しばらく考えを巡らせる。彼が何を考えているのか、神楽にもおおよその見当はついていた。おそらくその入居者が、新手の刺客がどうか吟味しているのだろう。
 神楽の予想を見透かしたように、吉備津は小さく口を開く。
「神楽さん……夢狩人(ドリームハンター)というのは、日本に何人ほど……?」
 難しい質問だ。神楽は慎重に答えを返す。
「それは分からないわ……そもそも同じ能力を持つ人間が何人いるのかも……」
「ということは、入居者が新たな刺客ということもありえ……」
「その可能性は低いと思う」
 神楽は吉備津の言葉を制した。理由を問いたげな顔の吉備津。
 神楽はすぐに理由を付け加える。
「ルナは完全同調者(シンクロニスト)よ……。つまり、脳波をかなりの高率で同調させることができる存在……。この手の人材は、10万人にひとりしかいないらしいの。そんな特異体質の人間を、単独の組織が複数人雇ってるとは思えない……。探し出すだけでも大変なのに……」
「だけど、それと入居者との間に、どういう関係があるんっすか?」
 泰人の問いかけ。吉備津が口を挟む。
「要するに、神楽さんはこう仰りたいわけですね? ルナは組織の上級エージェント。その彼女の代わりを、そうそう簡単には送り込んで来ない、と?」
 神楽は黙って頷き返す。確信はなかったが、ある程度の信憑性はあるはずだ。以前、神楽がルナたちと対決したときも、追加のエージェントは派遣されて来なかったからだ。思い出屋も忘れ屋も、本来は個人商売。徒党を組んで仕事をする間柄ではない。
 神楽の説明を受けた吉備津は、餓鬼に向き直る。
「その少年が引っ越して来たのは、いつです?」
「月曜の夕方でございます」
「それ以後、葦原くんに変化はないのですね?」
「ございません」
 吉備津は「ふむ」と呟き、寒空を見上げる。薄い雲が北風になびいていた。
「敵が葦原くんを5日間も放置したとは思えませんし……シロですか……」
「はい。それに仲が大変よろしゅうございます。毎日話し込んでいるほどで」
「会話の中身は聞き取れましたか?」
 吉備津が質問を重ねると、餓鬼は少し困ったような顔をした。
「茂みからはちと遠いので……それは……」
「……それもそうですか。下がってよいです。ご苦労でした」
「また用がおありでしたら、何なりと……」
 餓鬼はそう言うと、茂みの奥へと消えて行った。神楽はあらためて、目の前の少年が正真正銘の陰陽師であることを思い知らされる。
「凄い術が使えるのね……妖怪を操るなんて……」
「妖怪とは少し違います……。まあ、今はどうでもよいこと。葦原くんの無事が確認された以上、私たちの仕事も楽になりました。まずは見張りの予定を……」
「さっきの妖怪じゃダメなんっすか?」
 泰人の疑問に、神楽も同調する。
「そうよ。ちゃんと見張りがいるなら、私たちは町内を……」
「いえ、餓鬼には戦闘能力がありません。彼が異変を発見したら、即座に私が感知し、杏さんの宇宙船で駆けつけるという仕組み。正式な警護は私たちが引き継がねばなりません」
 そういうことか。神楽は納得する。しかしそれほどの綱渡りをする必要があるのだろうかと、疑問にも思う。この5日の間に急襲されたらどうする気だったのか、彼女にはいまいち察しがつきかねた。何か知らない策が用意されていたのか……。宇宙人と陰陽師のコンビなら、ありえなくはない。
 神楽がそんなことを考えていると、吉備津が話を戻す。
「どう致しましょうか……交代で見張るのが一番かと思いますが……」
「でもそれじゃ、お互いにサポートできないっすよね?」
 そうだ。泰人に賛成せざるをえない。3人で固まったのは、捜索の効率を犠牲にして、身の安全を図るためなのだから。
 しかし、吉備津は別の回答を用意していた。
「もちろん、その方針は守ります。とはいえ、今は葦原くんが外出中の状態。ここで3人待つのは意味がないかと……」
 吉備津の考えに、神楽も首肯する。
「そっか……。そもそもアパートを見張る必要ってあるの?」
「まずそこから決めますか……。敵がこのアパートを発見する可能性は、どのくらいあると思いますか? 組織の情報収集能力からして……」
 また難解な質問だ。神楽とて、夢狩人(ドリームハンター)のことを何でも知っているわけではなかった。むしろ能力者同士の戦いは例外的な事象である。普段は依頼人の記憶を再生したり修復したりするのが仕事で、この手の事件は指折り数えるほどしか引き受けたことがないのだ。
 神楽は素直に答えることにした。
「それは分からないわ……雇い人は大物っぽいけど、依頼料にも寄るし……」
「なるほど……依頼料ですか……。完全同調者(シンクロニスト)が派遣されたということは、相当な大金が積まれたと考えて良いのでしょうね?」
「……いえ、そうとも言えないわ」
 神楽の指摘に、吉備津は扇子をはらりと開く。
「なぜですか? 完全同調者(シンクロニスト)は金の卵だと……」
「ええ、確かに完全同調者(シンクロニスト)は珍しい存在よ。……でも彼女は一回、私たちに負けてるの。全国じゃ草の根の存在の私たちにね。裏の業界だと、そういう噂は即座に広まるわ。信頼が信頼を、不信が不信を呼ぶ世界だから、トップエージェントの場合はワンミスが命取りになるはず……」
 少々遠回りな説明だったが、吉備津は彼女の言いたいことを察してくれたらしい。静かに頷き返すと、話題を転換させる。
「そうなると、アパートを重点的に守る必要はないかもしれませんね……。葦原くんの帰宅時間までは、町内を捜索することに致しますか。3人とも顔は覚えていますし、行動範囲もそれほど広くないはずですから」
 3人はお互いに顔を見合わせる。神楽にも異論はなかった。ひとつだけ確認を入れる。
「アパートに不審者が接近した場合は、あの妖怪が知らせてくれるのね?」
「はい、そういう式神ですので……。では、商店街の辺りから始めましょう……。葦原くんの護衛も兼ねて……」

  ○
   。
    .

 11時30分。念のため早めに家を出たルナを待ち受けていたのは、閉鎖されているのではないかと思うほどに殺風景な施設だった。くすんで中が見えづらいビニールハウスに、花がひとつも咲いていない花壇の列。生き生きしているものと言えば、敷地の片隅でコッコと鳴く鶏たちだけ。
 ここで合っているのだろうか。ルナは人を探す。そうでなければ話が始まらない。
 ぐるりと視線を一巡させたところで、ルナは右手の平屋に目を留めた。壁から突き出ているブリキの煙突が、わずかながらに湯気を立てている。暖房かそれとも別の要因か、ルナは深く考えることもなく、その平屋へと足を運んだ。入り口の隣に、【K大農学部試験場】という、わざわざ毛筆調で書かれた看板が掲げられていた。
 ルナは躊躇いなくドアを叩いた。……中でスリッパの擦れる音が聞こえる。どうやら当たりのようだ。ルナは人が出て来るのを待った。
「はーい、どなたですか?」
 ドアが開き、女子大生と思しき若い女が顔を覗かせた。白い作業服を着ている。訪問客を予想していなかったことは、彼女の表情から丸分かりである。不審の眼差しをこちらに向けてきた。
 ルナは自己紹介をする。
「ルナと言いますが……バードウォッチングのアルバイトに来ました」
 少女がそう言い終えると、女子大生の顔色が変わった。
「あ、そうなんだ。もう来ないかと思って心配してたのよ」
 意味不明な発言。葦原(あしはら)の説明によれば、彼女のシフトは12時から14時のはずだった。他の誰かと勘違いされているのではないだろうか。ルナは質問を継ぐ。
「集合時間は12時のはずですが?」
「え? ……あ、違う違う。12時は開始時刻。観察場所は商店街の近くだし、ルナさんは今日が初めてだから、11時には来て欲しかったんだけど……聞いてない?」
 ルナは首を左右に振った。葦原の連絡ミスなのか、それとも葦原の電話の相手が伝え忘れていたのか、彼女には何とも判断の下しようがなかった。ひとつだけ分かったのは、残り30分で場所の移動と仕事の説明が間に合いそうにないということだ。
 ルナが黙っていると、女子大生は先を続ける。
「大した仕事じゃないんだけど、結構ややこしいのよね……。鳥には興味ある?」
「はい」
 ルナはふと思った。なぜ即答してしまったのだろうか。記憶をなくす前の趣味など、彼女は全く心当たりがないのだ。自分自身に訝るルナを他所に、女子大生の顔が軽く綻んだ。
「あ、じゃあ鳥の種類とかにも詳しいとか……はないか。とりあえず上がって」
 女子大生は勝手に喜んで勝手に落胆すると、建物の奥へと引っ込んだ。
 ルナも後に続く。
「バードウォッチングだから簡単だと思ってるかもしれないけど、そうでもないの。……まずはこれを見てちょうだい」
 女子大生は引出しの中から、クリアファイルを1枚取り出し、ルナに手渡した。ルナがそれを受け取って見ると、様々な鳥のイラストが目に留まる。カラスやスズメのように、日常的に見かけるものから、そうでないものまで、多種多様だ。少女はそのイラストを、純粋に美しいと思った。
「どのくらい見分けがつきそう? ……あ、ちなみにもう1枚重なってるから」
 女子大生は、やや心配そうにルナの顔を覗き込んできた。ルナはクリアファイルから、2枚のイラスト集を取り出し、交互に見比べた。
「……半分くらいは知っている気がします」
 ルナの返答に、女子大生の顔が再度緩む。
「それは頼もしいわね。……2、3種類しか知らないって言う人もいるくらいだし、初見で半分も分かれば上出来よ。ただ、できれば全部……」
「大丈夫です。……全て覚えました」
「……?」
 女子大生は、ルナの発言が理解できなかったらしい。きょとんとした顔で押し黙る。
 ルナはイラストを見つめたまま、再度口を開く。
「今この場で、全ての鳥のイラストと名前を覚えました」
 ルナの捕捉に、女子大生は眉をひそめた。
「そ、それはさすがに無理……」
 ルナはイラストを裏向きにして、女子大生に突き返す。そしてこう頼んだ。
「右上を基準に座標を指定してください。……その鳥の名前と特徴を答えます」
 まるで神経衰弱のような挑戦に、女子大生は酷く困惑していた。震える指で1枚目のイラストを開くと、戸惑いながら視線を走らせる。
「じゃあ……上から3列目、右から9番目の鳥は?」
「ハクセキレイ。全体に灰色掛かっていて、胸に黒い三角形があります」
 女子大生の指が強ばる。ルナは自分の回答を微塵も疑いはしなかった。
「次をお願いします」
 ルナの催促に、女子大生はハッとなる。2枚目のイラストへと移った。
「じゃあ……2枚目の上から4列目、一番右の鳥は?」
「モズ。目の周囲が黒く、頭と腹が薄茶色、尾は……灰色ですね」
 回答を終えたルナは、もう一度女子大生の顔を見やる。
「次は……」
「も、もういいわ……十分よ……」
 女子大生は半ば呆れ気味にクリアファイルを返し、それから別の紙を取り出す。それは町内の一部を切り取った地図のようであった。大方、グーグルマップを印刷したものだろう。ルナはそう当たりを付けた。
「説明不要かもしれないけど、観察場所はこの本屋の2階よ。ゼミ生の実家だから、『K大農学部のアルバイトで来ました』と告げればOK」
 女子大生は地図を手渡し、それから両腕を腰に当てる。
「で、何か質問は?」
「……いえ、特に何も」
 ルナはそう言うと、地図をクリアファイルに挟み、事務所を後にする。
「じゃ、頑張ってね」
 ストーブで熱されていた室内を出ると、冷たい風がかえって心地よくさえあった。
 ルナは記憶した地点を目指し、試験場の敷地を後にする。鶏の鳴き声が遠ざかり、だんだんと人通りが多くなってきた。商店街が近いのだ。そのうち人の波が形作られ、それに沿うようにルナは本屋を目指す。初めて訪れる場所だったが、それは難なく見つかった。
 入り口の前に立ち、少女は躊躇いなく店内へと足を踏み入れた。
「こんにちは」
 レジで本の整理をしている店主らしき人物に、ルナは声を掛けた。年配の男は客だと勘違いしたらしく、振り返って愛想の良い笑みを浮かべる。
「いらっしゃいませ。……何かお探しで?」
「K大農学部のアルバイトで来ました」
 少女がそう告げると、店主は少し驚いたようだった。理由はルナには分からない。別に知りたいとも思わなかった。
「ああ、それでしたら2階の倉庫へどうぞ……。と、今日が初めて?」
「はい」
 ルナがそう答えると、店主は丁寧に倉庫の場所と入り方を教えてくれた。暖房設備がないので注意してくださいとだけ添えると、店主は再び本の整理に取りかかる。ルナのことなど頭から消えてしまったかのようだ。毎日毎日アルバイトが押し掛けて来ては、一々構っていられないのだろう。
 ルナも店主への興味を失い、そそくさと2階へ移動した。説明通り右手に曲がり、一番奥の古びた扉を開ける。がらんとした何もない空間が視界に広がった。人の住んでいる様子はないにもかかわらず、妙に空気が澄んでいるのは、バードウォッチングで連日換気されているからだろう。
 ルナは床を軋ませながら、部屋の奥へと立ち入った。
「この窓ですか……」
 ルナは鍵の掛けられていない窓辺へと歩み寄る。パイプ椅子がひとつ用意されていた。その横に小さなテーブルが置かれ、双眼鏡と鉛筆、それに紙束が置いてある。目撃した鳥の種類を記入する用紙だった。鳥の名前の横に、×印と観察時刻をつけていくのだ。
 ルナはスマホを取り出し、時間を確認する。
「12時5分ですか……早速任務に取りかかりましょう」
 ルナは窓を開け、冬場の空気を室内に導き入れた。通りを行く人の声と足音を眼下に、ルナは早速観察を始めた。双眼鏡を覗き込み、鳥を探す。
「……たくさんいますね」
 ルナはそう呟くと、一羽一羽同定しながら用紙に記入していった。これがなかなか大変な仕事で、数羽連続で見つけたりすると、時間を正確に記載するのが難しくなる。だがルナは持ち前の記憶力の良さで、テキパキと仕事を進めて行った。
「あれはハシボソガラスですか……」
 ルナが双眼鏡を下ろした途端、下から男の声が聞こえる。
「ル、ルナ!」
 ルナは双眼鏡を胸元に寄せ、通りを見下ろした。スーツにサングラスという出で立ちの金髪男が、大口を開けてこちらを見上げている。
「……誰ですか?」
 知らない男だ。ルナは首を傾げる。
 ところが男の方は、お構いなく先を続けた。
「ルナ! そこで何やってるッ!?」
 自分の名前を知っている。ルナはそのことを訝しんだ。もしかして、自分の素性を確認できるかもしれない。ルナは唇を動かそうとする。
 だがその前に、男の隣に立っていたスキンヘッドが、彼の横腹を肘で小突いた。小声で何やら言い争っている。雑踏に紛れて、2階からでは聞き取れない。
 ルナがもう一度質問しようとしたところで、金髪は申し訳なさそうに顔を上げた。
「し、失礼……人違いだ……」
 男たちはそう言い残すと、人目を避けるように商店街の奥へと消えてしまった。
 何だったのだろう。ルナにはさっぱり分からない。
「……人違いですか」
 ルナはぼんやりとそう呟き、再びバードウォッチングを再開した。
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