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うろな町の不思議な人々 作者:稲葉孝太郎

第5章 青少年記憶攻防事件

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第43話 働きたがる少女

 ルナが引っ越して来てから5日目の午前。葦原がバイトの準備をしていると、ふいにドアを叩く者があった。誰なのかは予想がついている。葦原はジャンパーを羽織りながら、玄関に向けて大声を出した。
「もうちょっと待って」
 葦原は窓ガラスで髪型を整えると、ようやく玄関に向かって鍵を外す。冬場の冷たい空気が流れ込み、葦原は首筋を引っ込める。
「お待たせ」
 ドアの向こう側には、ひとりの少年が立っていた。いや、そんな風にに見えた。もし葦原が相手の性別を知らなければ、本当に男だと勘違いしたかもしれない。ツバ付きの黒い帽子に、ジーンズとパーカーを纏った人物は、薄緋色の唇を動かして挨拶する。
「おはようございます」
「お、おはよう……」
 葦原は白い息を吐きながら、ルナに挨拶を返す。相手の服装を上から下まで眺め、葦原は先を続けた。
「男物しか買わなかったの? 昨日も一昨日もそんな感じだったけど……」
「はい、こういうのが好きなので……。いえ、好きだったようなので……」
「そう……」
 変わった好みだと思いつつ、葦原はルナのファッションに口を挟むのを控えた。記憶がなくなっても体が趣味を覚えている。そのことの方が、少年には新鮮な驚きだった。
 葦原は妙に感心しながら、今日の本題へと入る。
「えっと、一応確認するけど、昨日の面接は……」
「ダメでした。さきほど不採用のメールをもらったばかりです」
 葦原は落胆する。顔色に出さないよう努めるが、これで3日連続だ。不況ということもあるのだろうが、不採用の理由は葦原にもだいたい予想がついている。それは……。
「もうちょっとさ、こう……笑顔になれないかな?」
「笑顔……ですか……?」
「バイトなんて基本は接客業なんだし、スマイルができないとね。軽く笑ってみなよ」
 葦原がアドバイスすると、ルナは少し間を置いた後、口の端を心持ち歪めた。
 そしてこう尋ねる。
「こんな感じですか?」
 ……邪悪な笑み。そんな表現がぴったりな笑い方だった。これは不味い。葦原は自分の提案が馬鹿げていたことを悟る。
「ちょっと違うかな……」
 葦原が曖昧な言い回しでかわすと、ルナは顔の筋肉を元に戻した。
「そうですか……次の面接は少し工夫してみようと思います」
「いや……やっぱり自然体がいいよ……。さっきのアドバイスはなしで……」
 葦原は適当にその場を誤摩化し、それから思案に耽った。3日前、ルナから仕事を紹介して欲しいと頼まれた。理由は単純で、昼間ぶらぶらしているのが暇だからとのこと。それに加えて、カードの残金が減ることも心配しているらしかった。900万円もあれば当面無職でも良さそうだが、確かに不安ではある。貯金は多ければ多いほどいいのだから。
 だがいきなり職を斡旋してくれと言われても、少年には何もできない。無論、バイト経験が豊富なので、口利きの範囲には自信があるのだが、その先が問題だった。ルナはあまりにも接客業に向いていないのだ。ほとんど無愛想で、お世辞を言わず、暴言こそ吐かないものの会話も極めて淡白だった。「今日は寒いね」「はい」で会話が終わるタイプ。質問も必要最低限のことしかしない。
「ねえ、以前はどこで働いてたの? 相当給料がいいとこだと思うんだけど……」
 少年の質問に、ルナは首を傾げた。左手を顎に添え、いつものポーズで考えに耽る。
「正確には覚えていませんが……何かカウンセリングのようなことをしていました……」
「カウンセリング……? 精神科医とか?」
「……分かりません。そんな気がするだけです」
 実は医者なのか。そう思った葦原だが、すぐに思い直す。16、17で医者になるのは不可能だ。看護士だろうか。しかし看護士も資格制のはずだ。葦原は訳が分からなくなる。
 本当は違法な職業なのでは……。そんな気がしてくるものの、葦原はできるだけその可能性に触れないことにした。
 葦原が雑念を振り払う中、ルナは話を戻す。
「他に何かありませんか?」
「……そうだなあ……もうちょっと適性を考えようか。接客業じゃなく、かつ引っ越しみたいな力仕事じゃないところと言えば……」
 条件は明確なのだが、該当する職種が限られ過ぎていた。資格でもあれば、もう少し選択肢も広がるのだが……。しかもルナは身分証を持っていない。葦原の友人ということで、手伝いのような仕事しか紹介できなかった。人手不足な深夜のコンビニバイトもダメなのだ。少年が考えあぐねていると、ルナの方からアイデアを出してくる。
「そう言えば昨日、スマホでいろいろ探してみたのです。いいバイトが見つかりました」
「え、どんな?」
「1回で万単位のお金が出るそうです」
 それは水商売なのでは……。心配する葦原の目の前に、ルナはブラウザを提示する。
「人身事故の死体処理は、かなり給料がいいのですね。知りませんでした」
 スマホの画像を見て吐き気を催す葦原。ルナはきょとんとなった。
「どうしました? 気分が悪いのですか?」
「ご、ごめん、そういうのはちょっと……」
 ルナはスマホの液晶に目を注ぐ。どこの誰がアップロードしたのかは知らないが、いわゆるグロ画像スレだった。辿り着いた経路は不明だが、ルナはそこの書き込みをバイト情報と勘違いしているらしい。
 視線を隣の植え込みに逸らしながら、葦原は言葉を返す。
「と、とりあえず、そのバイトは止めておこうか……」
「なぜですか? 人手が足りないと出ていますが?」
「それはただの掲示板だし……うろな駅で死体処理のバイトを募集してるなんて、聞いたことないよ。多分、専門の職員か警察がやってると思うんだけど……。それにそういうきちんとした仕事って、身分証が必要だから無理……」
「そうですか……残念です……」
 ルナはそう言うと、もう一度画像を眺め、それからスマホをポケットに戻した。これはすぐにでも職を紹介しないと、何をしでかすか分からない。そう思った葦原は、思考と記憶をフル回転させる。何かいいバイトは……。
「あ、そうだ……ひとつあった……」
 葦原の呟きに、ルナが興味津々と言った顔で反応する。
「何ですか?」
「いや……凄くつまんないバイトなんだけど……」
「つまらないかどうかは関係ありません。教えてください」
 確かにその通りだ。そもそもルナを面白がらせる仕事があるのかどうかすら疑わしい。何にも興味を示さない分、逆に何でもこなしそうに見える。葦原は説明に取りかかる。
「えっとね……町中でバードウォッチングをするんだ」
「バードウォッチング……? 何のためにですか?」
「都市における鳥類の生態とか何とか……よく分からないけど、うろな町でも鳥害が増えてきたから、どういう鳥がどのくらいの頻度で現れるか、観察するんだってさ。近隣の大学が参加してるちゃんとした研究らしいんだけど、これがつまんない上に安いから、人が全然集まらないって……」
「時給いくらですか?」
「……870円。しかも場所は屋外なんだけど……」
 870円。要するに、都市部の最低賃金である。
「1時間屋外で双眼鏡を覗き続けて870円ですか……」
 ルナの言う通りだった。仕事のキツさは、労力に必ずしも比例しない。バイトでいろいろな作業をしている方が、ベルトコンベアで延々と同じ作業を繰り返すよりも楽だ。そのことは葦原自身がよく知っている。
「1日で何時間ですか?」
「1日2時間。シフト制で、12時から14時の担当に誘われたんだけど……」
「断ったわけですね?」
 葦原は頷き返す。冬場の昼休憩時に2時間バードウォッチングなど、彼は引き受ける気になれなかった。しかも研究が終われば打ち切られるのだから、定期収入にもならない。それを他人に勧めているというのも、おかしな話なのだが……。
 とはいえ、動き出さないことには始まらない。そこから仕事の裾野が広がることもある。ルナは30秒ほど考えただけで、すぐに身の振り方を決めた。
「……分かりました。引き受けましょう」
 葦原はホッと胸を撫で下ろす。ただ同時に、何だか申し訳ない気持ちにもなった。一度くらい食事を奢った方がいいかな、とすら思う。
「じゃあ今から担当者に電話するね」
 葦原は先日買った、否、買ってもらった携帯を取り出し、電話番号を探す。
「……あった、これだ」
 葦原は画面にタッチし、平べったいスマホを耳元に当てた。呼び出し音が鳴る。相手は忙しいのか、それともマナーモードになっているのか、なかなか応じなかった。葦原が半分諦めかけたところで、呼び出し音が途切れた。
《……もしもし?》
 周囲を気遣うような若い男の声。葦原もなぜか声をひそめてしまう。
「もしもし? 葦原ですけど……」
《ああ、葦原くんか……。もうすぐゼミが始まるんだけど……何か用?》
 タイミングが悪いと思いつつも、葦原は先を続けた。
「以前紹介していただいたバードウォッチングのバイトなんですけど……」
《ん? もしかしてやってくれるの? だったら助か……》
「いえ、僕じゃなくて、僕の知り合いなんですが……それでもいいですか?」
《全然構わないよ。とにかく人が集まらなくてね。誰でもいいってわけじゃないけど、葦原くんの紹介なら信用するよ》
 信用するという一言に、葦原は若干ひるんだ。ルナとは知り合って6日目。はたして彼女を信頼していいものかどうか、少年には判断がつかない。これまでの態度からして、いきなり仕事をサボるということはなさそうだが……。
 葦原はちらりとルナを盗み見た。あいかわらずの無表情でこちらを見つめている。
「……えーと、身分証とかは要らないんですよね? お小遣いみたいなもので……」
《ん、そうだけど……15歳未満はダメだぞ? 高校生以上じゃないと……》
「ち、違います。ただ彼女はちょっと……個人情報を知られたくないらしいです。ほら、後でナンパとかされると困りますし」
 適当な言い訳。少し苦しかったが、相手はあっさりと了承する。
《女の子なんだね。分かった。そのへんは配慮するよ。電話番号も聞かないから。で、早速今日の午後に入って欲しいんだけど……大丈夫? 前伝えたところに来てくれれば、担当者が案内するから》
 葦原はスマホを耳から離し、ルナに向き直る。
「今日からでもいいかな?」
「12時から14時ですね? 場所はどこですか?」
「うろな南XXーXXって分かるかな? K大農学部の試験場があるんだけど……」
「……その住所は知りませんが、グーグルマップで調べればすぐに分かると思います」
 それもそうだ。便利な世の中になったものだと、葦原は相槌を打つ。
「もしもし、彼女はオッケーだそうです」
《了解。名前は?》
「ルナです」
 葦原の返答に、一瞬会話が止まる。
《……外国人? 留学生で日本語が不自由とかは困るんだけど……》
 相手の疑念は尤もだった。葦原は即座にそれを否定する。
「いえ……日本人です」
 確信はなかった。しかしルナの日本語に問題はない。あるとすれば振る舞いが突飛なことくらいだ。それもこのバイトには関係ないだろう。少年はタカをくくった。
《そっか、じゃあいいや。……おっと、教授が来たから、もう切るよ。よろしく》
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
 礼を言い終える前に、通話が途切れた。葦原はホッと一息吐き、ルナの顔を見る。
「交渉成立ですね?」
「うん、さっき言った住所を訪問して、職員の人に話し掛けてね。もしかすると、そこから別のバイトを紹介してもらえるかもしれないし……。農学部だから土仕事が多いけど、それなら接客業とは違ってひとりでやればいいからさ」
 葦原はスマホをポケットに仕舞う。これで借りがひとつ返せた……というほとでもないのだが、携帯料金を支払ってもらっているというプレッシャーはさすがに大きい。無論、ルナの催促で買ったのだから、彼女の支払いも当然と言えば当然なのだが……。
 葦原は思考を中断する。そろそろバイトに行かなければならない。
「じゃ、気をつけてよ。うろな町は比較的治安がいいけど、この前みたいなことにならないようにね。あと、時間があったら、ちゃんと警察に寄ってね」
「葦原くんはいつも同じことを言いますね」
「そりゃ大切なことだからね。何度でも言うさ」
 警察に行ってくれれば、全てが解決するのだ。家出少女なのか何だか知らないが、保護者も心配しているはずである。それとも両親が酷くて家を飛び出したのだろうか。そういう可能性も考慮すると、ムリヤリ警察に連れて行くわけにもいかなかった。
「それじゃ、僕はもう行くから、12時までは適当に時間を潰しといて」
「了解です」
 またこの返事だ。葦原はふと疑問に思う。ルナは何か頼み事をする度に、「了解です」という口癖があった。たった一週間程度の付き合いでそれに気付いたのは、それだけ頻繁に耳にしたからである。別に指示や命令を出しているわけではない。「はい」とか「分かりました」くらいにして欲しいと、葦原はいつもそんな気分にさせられていた。
 記憶がなくなる前の職業と、何か関係があるのだろうか。それともうひとつ、彼女の口癖で気になることがあった。それは……。
「……また後で」
 葦原は疑問を胸に仕舞い、アパートの敷地を出て行った。
 土曜日の肌寒い午前のことだった。
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