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うろな町の不思議な人々 作者:稲葉孝太郎

第5章 青少年記憶攻防事件

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第41話 上限額一杯

「参りましたね……全く行方が掴めないとは……」
 駅前の喫茶店で抹茶ラテを飲みながら、吉備津は深く溜め息を吐いた。夕暮れ時に帰宅する人々の群れが、束の間の休息を取る吉備津と杏の前を通り過ぎて行く。
 まだ11月だというのに酷く冷える。吉備津は湯気の立つカップを口に添え、悩ましげに唇を動かした。
「結局、あの男たちから引き出せたのは、組織と少女の名前だけでしたね……」
「依頼人も分かったのです。やはり鬼道(きどう)グループだったのです」
 杏の訂正に、吉備津は反論しなかった。事実だったからだ。しかし、それが新しい情報かと言われると、首肯し難いものがあった。鬼道グループが黒幕だというのは、とうの昔に判明していたことだ。今さら感が拭えない。
 吉備津は純白のカップをテーブルの上に置く。そして言葉を継いだ。
「重要なのは少女の名前です。これだけは収穫だったと言えますね」
「ルナですか」
 杏の暗唱に、吉備津はこくりと頷き返す。
「ルナというは、比較的珍しい名前だと思います。ただ、本名なのかコードネームなのかが分かりません。コードネームだとすると、もはやどうしようもないということに……」
「本名だと仮定して、住基ネットで調べてみればいいのです。マザーなら、それくらいは簡単に処理してくれるのです。ヒットしなかったら、偽名で決まりなのです」
 今日の杏は、なかなかに冴えていた。それは吉備津も感じている。何が理由なのかはよく分からない。話題が理論的な事柄なので、人間と宇宙人との間に、大きな隔たりが生まれないということだろうか。吉備津は興味深く思った。
 他に代案もないので、彼は杏の策を丸呑みすることに決めた。
「そうですね……まずはその方面から当たりますか……」
「いづなくんの方では、何も目新しい発見がないのですか?」
 杏の痛い質問に、吉備津は心持ち口をすぼめた。本来ならば、自分が先に見つけていなければならないのだ。吉備津はそう自負していた。ところが彼の前に、大きな問題が立ちはだかったのである。それは……。
「もちろん努力はしました。彼女の残留思念を追跡したのです。ところが……」
 吉備津はそこで口を噤んだ。言いたくなかったわけではない。ただ、これから言おうとしていることの意味を、自分でもう一度よく考えてみたかったのである。
 しかし、杏はそれを許さない。
「ところが、何なのですか。仲間に隠し事はよくないのです」
「……残留思念が現場にほとんど残っていなかったのですよ」
 吉備津の説明に対して、杏はいつもの無表情な顔をより無表情に染めた。おそらく、意味が分からなかったのだろう。そう推測した吉備津は、自ら先を進める。
「残留思念というのは……人間の強過ぎた念が、ある場所に留まり続ける現象です。とりわけ残り易いのは、悲しみ、怒り、恨みと言った、負の感情です。彼女は夢の中で私に敗北しました。そのときの悔しさ、やるせなさ、焦燥などが、あのベンチに残っていないとおかしいのですが、しかし……」
「残っていなかったというのですか?」
 吉備津は頷き返す。抹茶ラテをもう一口啜り、総ガラスの窓から店舗の外を見やる。厚着をした学生やサラリーマンが、暮れなずむ町をいずこかへと並び去っていた。
 見る人が見れば、何とも切ない情景であった。
「もちろん、全くの無であったというわけではありません。ベンチに触れた限り、感情の揺らぎのようなものは感じました。しかしそれは、ぼんやりと道を歩いているときに生じる程度の揺らぎに過ぎません。……要するに、ほとんど平常心だったということです」
「それは敵ながらあっぱれなのです。戦闘時は心を乱してはいけないのです」
 吉備津はこの回答を予期していた。まさに激情とは無縁な杏らしい考えだ。
 そしてそのことが、吉備津にあるヒントを与える。
「これはただの仮説ですが……あの少女は、杏さんと同じタイプなのかもしれません」
「それはありえないと説明したのです。彼女は人間……」
 杏の反論を、吉備津は手で制した。
「そういう意味ではありません。私が言いたいのは、あの少女には、杏さんと同じように人間的な感情が宿っていないということ……。つまり、無感情なのです」
 吉備津の説明を理解できなかったのか、杏は一瞬押し黙った。
 出されたお冷やに手もつけず、彼女はしばらく虚空を見つめていた。
「……そういうことは、私にはよく分からないのです。仮にそうだとして、具体的な影響が出るのですか? かえって捜し易くなるかもしれないのです」
「具体的な影響としては、先ほども述べたように、残留思念による追跡が不可能になってしまいました。これは仕方がありません。捜索の難易度ですが……それについては、まだ何とも言えない状況です。確かに彼女の行動は、うろな高校の裏口で出会ったときから、奇異なものを感じてはいました。……案外に目立つ存在かもしれませんね」
「それなら話は決まりなのです。まずは住基ネットでルナという女の子を検索し、該当者がいないときは、町中で聞き込みをするのです。逆木(さかき)くんたちにも協力してもらうのです」
 吉備津は杏の案を了承した。カップの残りを飲み干し、席を立つ。
「とはいえ、本格的な捜査は次の土日ということになりそうですね。さすがにこれ以上は学校を休めません。それまでは私の式神に見張りをさせることにしましょう。捜索能力などは持ち合わせていませんが、葦原くんの護衛くらいは受け持ってくれますから」

  ○
   。
    .

 ルナが葦原の前に再び姿を現したのは、夕焼けの眩しい時刻のことだった。携帯ショップで別れた後、少女はアパートへ、葦原はその足でバイトに向かった。彼女が迷子にならないかどうか心配で、バイト中に釣り銭を間違えるヘマをしてしまった葦原。彼の勤務ぶりを普段から知っている店長は、「お、好きな人でもできたか?」などとからかってくる始末で、少年は何とも気まずい思いをしてしまった。

 コンコン

 ドアがノックされ、葦原はすぐに玄関へと飛び出す。あまりにも遅いので、暗くなる前に捜しに行こうかと思っていたほどだ。鍵を開けてドアの隙間から顔を覗かせると、そこには夕陽に染まったルナが立っていた。少女の美しさに、少年はあらためて息を呑む。
 その光景をただひとつ台無しにしているものがあるとすれば、ルナが左手に持っているコンビニのビニール袋くらいだろうか。生活臭を漂わせ過ぎであった。
 葦原はドアを全開にし、一歩前に出る。
「ほ、ほんとに引っ越して来たの?」
「はい。……昼間にそう言いませんでしたか?」
 ルナは淡白にそう答え、大家から受け取った鍵を指先で一回転させた。使い古された金属の表面が、深紅の鈍色に反射する。
「よく許したね……即日入居とか……」
「ここの管理人は、全くやる気がないようですね。……趣味でやっているのですか?」
 言葉を返す代わりに、葦原は肩をすくめて見せた。自分も前から不思議には思っていたものの、正面切って大家に尋ねたことはなかったからだ。格安の条件で住ませてくれるというのだから、葦原としても藪蛇になるようなことはしたくなかった。
「さすがに家具を買わないといけませんね。タンスがひとつしかありません」
「そりゃそうだよ……。でもそんなにお金あるの?」
 昼間はカードを見せられただけで納得してしまった。だがよくよく考えてみると、カード破産という可能性もある。後でそのことに気付いた葦原は、バイト中に青ざめた。今月末に引き落としができず、いきなり停波というオチはないだろうか。代わりに払ってくれと言われても、葦原の懐具合ではどうしようもない。
 葦原は気が気でなかった。
「安心してください。このカードは……」
 ルナは胸ポケットから、あの黒いカードを取り出してみせる。携帯ショップでは一瞥しただけだが、見たことのない商標だ。少年はますます不安になってくる。
 一方、ルナは淡々と説明を続けた。
「クレジットではなく、デポジットなのです。残金は最寄りの銀行で確認しました」
 なんだ、そういうことか。少年は半分ほど落ち着きを取戻した。デポジットならば、とりあえず今日買った分は確実に支払われているだろう。但し、将来も支払われるという保証が全くない。葦原はもう少し探りを入れてみる。
「残金はちゃんとあるの? まさか、数百円しかないってオチじゃ……」
「銀行員の話によると、まだ900万ほど残っているそうです」
「そっか……じゃあ大丈……夫……」
 ルナの口から漏れた金額に、葦原は己の耳を疑った。
 震え声で尋ね返す。
「900万……? 90万の間違いじゃなくて……?」
「はい、上限1000万で、丸まるチャージされていました。今日だけでかなり使いましたが、余裕は十分にあります」
 余裕があるなんてもんじゃない。葦原はそう絶叫しかけた。
「そ、そ、そのカードはどこかに隠した方がいいよッ! 今すぐッ!」
「なぜですか? 隠すと使えなくなりますよ?」
 少女の尤もな言い分に、葦原は頭の中がぐるぐるしてきた。彼女は何者だ。どこかの社長令嬢とか、そういうオチなのだろうか。とんでもない拾い物をしてしまったことに、葦原はようやく気が付いた。
 だが今はそれどころではない。このカード、盗まれでもしたら大変である。葦原の携帯代もそこから引き落とされるので、半ば一蓮托生なのだ。電話代など些末な額だが、葦原には遥かに現実的な問題だった。
「そ、そうだ、デポジットなら、銀行口座へ戻せ……」
「残念ですが肝心の口座が分かりません。銀行でも怪しまれたので、あまりカードをとやかくしない方がいいと思うのですが……」
 確かにその通りだ。むしろよく銀行員が少女をそのまま帰したとすら思う。彼女のスーツ姿が功を奏したのだろうか。これが私服なら、警備員を呼ばれかねない状況だったろう。
 葦原は少女に同意せざるをえなかった。
「そ、そうだね……カードはそのままにしておくとして……」
 葦原は思う。900万円もあれば、当面の問題は解決しているのではないだろうか。このアパートなら、10年以上生活できる。その間に記憶が戻らないとも思えず、少女も警察か病院へ行く気になるかもしれない。
 しかしそれでいいのだろうか。葦原は疑問を感じた。無理矢理にでも警察へ連れて行った方がいい。そんな気もするのだ。
 しばらく考えた末、葦原はこの問題を棚上げすることに決めた。一日の間に多くのことが起こり過ぎて、思考回路がパンクしてしまったのである。
「と、とりあえず、隣人としてよろしくとしか言えないけど……よろしく……」
「はい、よろしくお願いします。ところで、早速質問したいのですが……」
 ルナはそう言うと、コンビニのビニール袋からカップ麺を取り出した。それは昨晩、葦原が自室で食べたものと同じ商品である。彼女はそれを物珍しそうに眺めながら、質問をぶつける。
「食べ方が分かりません。作り方を教えてください」
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