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うろな町の不思議な人々 作者:稲葉孝太郎

第5章 青少年記憶攻防事件

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第39話 真夜中の訪問者

「逃げられた……?」
「はい、そうなのです」
 (あんず)の単刀直入な回答に、吉備津(きびつ)は顔を曇らせる。それも無理からぬ話ではあった。目を覚ましたらいきなり宇宙船の中で、しかも成功したはずの任務がなぜか不手際に終わっているのだから。
 吉備津は質問を続けた。
「詳しく話していただけませんか? ……なぜ少女にだけ逃げられるのです?」
「理由は単純なのです。瞬間移動用のポータルが転送量オーバーで、彼女だけ残して離脱してしまったのです。私の責任ではないのです。本部の整備課が次世代ポータルの購入をケチるからいけないのです」
 自己弁護する杏に対して、吉備津はあからさまに眉をひそめた。離脱の場には居合わせていないが、全員回収する方法はいくらでもあったはずだ。2回に分けて転送できないほど切羽詰まっていたとも思えない。
 しかしここで杏を責めても、今度は自分がブーメランを喰らってしまう。久々にあの女性と出会えたことで、吉備津もまた夢からの覚醒を遅らせてしまったからだ。責任は自分にもある。吉備津はそう裁定を下した。
 彼は部屋の端に積まれた男ふたり組を眺めながら、対応策を練り始める。
「離脱を中止して公園へ戻ったときには、もはや姿が見えなかったのですね?」
「その通りなのです。猫が一匹いただけで、もぬけの殻だったのです」
「離脱してから公園に帰還するまで、どのくらい時間が掛かりましたか?」
 杏は答えを返す代わりに、天井のモニターに同じ質問を丸投げする。
「マザー、どのくらい掛かったか記録していますか?」
《回収時刻14時17分、うろな町脱出時刻、同18分、公園ヘノ帰還時刻、同27分》
 マザーはデータの出力を終えた。
 吉備津は首を傾げる。
「たった10分の間に消えたのですか……? 回収時には、まだ寝ていたのでしょう?」
「そうは言っても、消えたのは事実なのです。推理は事実から出発するのです」
 憎たらしいまでの杏の落ち着き具合に、吉備津は軽い苛立ちを覚えた。とはいえ、杏に対して怒っているというよりは、自分の怠慢に対しての不満の方が大きかった。何百年も前の思い出に浸っているなど、自分らしくもない。そんな思いが、少年の神経を逆撫でする。
「回収直後に目を覚ましたとしても、移動距離はそれほどないはずです。近所をきちんと捜索したのですか?」
「いくら光学迷彩を使っても、昼間の住宅地を至近距離で偵察はできないのです」
「まさか、全く調べていないと?」
 杏は素直に頷き返す。吉備津は溜め息を吐いた。これでは完全な初動ミスだ。
 吉備津は自分を落ち着かせながら、少女の捜索方法を構築する。顔は覚えた。能力には未知数な部分があるものの、精神干渉系。それも記憶操作型に違いない。葦原の記憶を狙うには打ってつけだ。
 人選に問題があったとすれば、護衛する能力者の存在を予想していなかったこと。記憶操作は、もともと補助的な能力に位置づけられる。それほど怖いものではない。注意しなければならないのは、他人の夢の中で機械工作ができるということくらいだろう。他人の意識下で創作活動のできる人物を、吉備津は他に知らなかった。
「……杏さん、あなたには記憶操作が効くと思いますか?」
「……質問の意味が分からないのです」
 尤もな返しだ。吉備津は質問を言い換える。
「他人の記憶に干渉できる人間がいるとして、杏さんはその影響を受けますか?」
「それはありえないのです」
 断定調の杏。吉備津は理由を問うた。
「なぜそう言い切れます?」
「記憶を操作するには、脳波をあるレベルまで同調させる必要があるのです。人間の脳波と私の脳波は違い過ぎて、シンクロが不可能なのです」
 なるほど、だとすれば間違いないだろう。吉備津は杏を信頼することにした。
「それならば二手に分かれましょう。杏さんは彼女の術に掛かりませんし、私はご覧の通り危なげなく勝てます。今夜公園を調べて、それから追跡を開始というのは?」
「このふたりはどうするのですか?」
 杏は金髪男とスキンヘッドに視線を移す。ふたりとも気絶しているが、たいした怪我はしていなかった。それはコンピューターで解析済みである。
 吉備津は扇子を開き、それを口元に押し当てた。
「ふむ……次から次へと課題が生じますね……」
「記憶を改竄して、任務を完了したことにすればいいのではないですか?」
 杏の提案に、吉備津は感心しかけた。だがすぐにかぶりを振る。
「いえ……それは意味がありません……。見たところ、あの少女が敵のリーダー。彼女が行方不明になったとすれば、組織も依頼人も納得しないでしょう」
「では冷凍装置に保管しておきますか?」
「それも不味いですね……。彼らは本部と定期連絡を取っているはずです。それが途絶えたとなると、増援が派遣されてくるかもしれません、負けることはないでしょうが、大人数になると対応が後手後手になってしまいます」
「あれもダメこれもダメでは話が進まないのです。対案を出して欲しいのです」
 杏の要求に、吉備津は扇子をひらひらさせながら物思いに沈んだ。1分ほど考えたところで、彼は口を開く。
「こうするのはいかがでしょうか……。日の入りまでは時間がありますし、このふたりから情報を引き出せるだけ引き出すというのは。その後で彼らの記憶から、少女に関するものを削除するのです。正確に言えば、『二手に分かれて少女と別行動を取っている』かのように記憶を操作します。これで先ほどの問題は全てクリアできるはずです」
「……なかなかいいアイデアなのです。賛成するのです」
 杏の了承を受け、吉備津はパチリと扇子を閉じた。
「それでは、早速尋問を開始すると致しましょう」

  ○
   。
    .

 暮れなずんできたうろな町の道を、葦原はとぼとぼと歩いていた。落胆しているわけではない。少しばかり疲れてしまったのだ。少女の一件は結局、宮田医師が警察に連絡したきりで、解決はしなかった。見つからなかったのだ。葦原も病院を出て、半径100メートル以内を捜索してみたが、少女は完全に姿を消していた。あまりにも手際が良過ぎたので、記憶喪失も演技だったのではないかと、宮田医師が疑いを掛けたほどだ。
 葦原は思う。あの少女は何だったのだろうか。公園で寝ていて、運んでも目を覚まさず、病院では目を覚ました途端に行方をくらませてしまった。事情を聴いた警察も、他に何か気付いたことはなかったかと、しつこく尋ねてきたくらいだ。それも当然のことで、こんな奇怪な体験は、コンビニで濡れ衣を着せられそうになったとき以来である。
「うぅ、寒いなあ……光熱費が上がらなきゃいいけど……」
 葦原少年はそう呟きながら、アパートのドアを開けた。入り口のそばにあるキッチンでお湯を沸かし、コンビニで買ってきたカップラーメンを袋から取り出して準備する。化学調味料の香りが辺りに漂い始めた。
 お湯が沸いたところで、少年はそれをカップに注ぎ、蓋を閉めた。暖房をつけるかどうか若干迷う。一般家庭なら当然フルで入れる気温だが、電気代というものはなかなかバカにならないからだ。葦原は30秒ほど考え、今日はまだ我慢することに決めた。ラーメンの出来上がりが待ち遠しい。
 葦原は時計を確認しながら、今日の2番目の出来事を思い返す。それは定時制高校に関するものだった。警察に事情を話した後、彼はその足でうろな高校へと急いだ。ところが事務員の話では、定時制の窓口は12月に開設される予定で、まだ存在していないと言われたのだ。担当者は既に決まっているそうだが、今日はあいにく登校していなかった。これでは無駄足もいいところである。
 ……いや、無駄足だったのだろうか。葦原は急に分からなくなる。自分が今日、池守(いけがみ)刑事から定時制の情報を聞かされていなければ、あるいはすぐにでも資料請求しようと思わなければ、あの公園に立ち寄ることもなく、それゆえにあの少女に出会うこともなかったのだ。仮にそうなっていたら、あの少女はどうなっていたのだろうか。他の人が助けたかもしれないし、暴漢に遭っていたかもしれない。それとも……。
「おっと、3分経っちゃってる」
 葦原は慌ててカップラーメンの蓋を開けた。室内が寒過ぎるせいか、指定された時間を過ぎても、麺は心持ち硬そうに見えた。まあそれでもいいだろうと、葦原は箸を割った。
「いただき……」

 コンコン

 ノックの音。葦原は顔を上げる。誰だこんな時間に。新聞の勧誘か、それとも宗教の勧誘か。どちらも歓迎されたものではない。居留守を使いたいところだが、オンボロアパートの1階では、在室が外から丸分かりなのだ。

 コンコンコン

 執拗なノック。意地を張って出ないという手もあったが、律儀な葦原は、箸をカップの上に置いて席を立つ。面倒くさそうに玄関へと向かった。
「はーい、少々お待ちください」
 葦原が鍵を開けようとしたところで、ふと池守の声が蘇る。
 用心しろ。そう忠告された。葦原は念のため、覗き穴から外を確認する。
「……えッ!?」
 葦原は自分の眼を疑った。信じられない人物がそこに立っていたからだ。
 葦原は何の考えもなく鍵を外し、扉を開けた。
「き、きみは……」
「こんばんは」
 すっかり暗くなった敷地内に、うっすらと浮かび上がるシルエット。それは、病院で姿をくらませたあの少女のものだった。昼間見たときも美しいと思ったが、月明かりの澄んだ光の下で眺める彼女の容姿は、何とも形容のしようがなかった。
「あ、あの……昼間はいったいどこに……?」
「病院を抜け出した後、あなたがひとりになるのを待っていたのです」
 少女の回答に、葦原はしばらく熟考する。そしてある解釈に辿り着いた。
「……それって、僕の後をつけてたってこと?」
 少女は頷き返す。それはストーカーではないか。美人にストーカーされたら嬉しいなどという感情は、葦原の中にこれっぽちも芽生えなかった。行動が異常過ぎる。精神病院から抜け出した患者なのではないかと、葦原はそんな疑念さえ抱き始めていた。
 少女は困惑する葦原を他所に、先を続けた。
「しばらくここに泊めてもらえませんか?」
「はい?」
 すっとんきょうな声を上げる葦原。少女は真面目な調子で頼み事を繰り返す。
「しばらくここに泊めて欲しいのです。……お金がありません」
「いや、お金がないって……家族か友だちに……」
 そこまで言って葦原は、昼間の出来事を思い出す。
「も、もしかして、本当に記憶喪失?」
「……私は自分が誰なのか思い出せません。連絡する相手も分からないのです」
 これは大変なことになった。葦原は少女を上げる代わりに、外へ出ようと決心する。
「だったらうちに来てる場合じゃないよ。警察へ行かないと」
 靴を履きかけた少年の腕に、少女の手が絡まる。葦原はびっくりして動きを止めた。顔を上げると、強迫めいた少女の瞳が映る。
「警察はダメです」
 少女は一言添え、葦原の腕から手を放した。細身に見えるが、筋力はあるようだ。握られた部分が軽く痺れている。それだけ本気で掴んだということなのだろう。
 葦原は、少女の素性を不審に思い始めた。
「どうして警察はダメなの? それが一番いいと思うんだけど……」
「警察へ行ってはいけないと、私の直感がそう告げているのです」
 少女の理由付けに、葦原は思考が散り散りになる。直感を引き合いに出すなど、常識的に考えれば説得力がないと分かりそうなものだが……。それとも、女の勘とやらだろうか。
 いずれにせよ、葦原は納得しない。
「でも警察へ行けば、身元が分かるかもしれないし……」
「警察はダメです。……他の手段を考えましょう」
 強引な少女の口調に、葦原はだんだんと圧倒され始めていた。この少女、他人にハイと言わせる特別な雰囲気を持ち合わせている。同世代とは思えない迫力だ。
 葦原は仕方なく折れることにし、少女をアパートの中へ導き入れた。
「ここは寒いから、とりあえず中で相談しよう。風邪引くといけないからね」
 葦原がそう言うと、少女は礼も言わずにアパートの中へと踏み込んだ。ずいぶんずうずうしい女だと思いつつ、彼は少女のために暖房のスイッチをオンにする。
 室内に漂うカップラーメンの香りに、少年は自分が食事中だったことを思い出す。
「ごめん、先に食べていいかな?」
「どうぞ」
 少女は部屋の中央に置かれた円形テーブルのそばに正座し、石のように動かなくなった。葦原は箸でラーメンをすするものの、麺が伸びているやら少女の視線が気になるやらで、どうにも集中できない。半分ほど食べたところで、気まずさのあまり口を開いた。
「どうやって僕の住所を見つけたの?」
「さきほども説明した通り、あなたの後を追っていたらここへ辿り着きました」
 葦原は箸を止め、今日一日の自分の行動を思い起こす。そして顎を落とした。
「ちょ、ちょっと待って……。きみが病院を抜け出してからずっと、町中で僕を付け回してたってこと?」
「その通りです」
 葦原は、少女が消えた時間を推測した。2時半過ぎだった気がする。それからしばらく捜索し、見当たらないので宮田医師に事後を任せてその場を去った。それが4時前のこと。急いでうろな高校へ向かい、事務所未開設を知らされたのが4時半頃。その後は夕方のシフトに入って、8時までバイト。
 ……合計5時間30分。その間、少女の存在には全く気付かなかった。コンビニバイトの間は外で待ち伏せていたとしても、それまではかなりの広範囲をうろついている。どうやって気配を消していたのか、少年には察しがつかない。
 自分に注意力が無さ過ぎるのだろうか。それとも少女が尾行の達人なのか。葦原は、同室している少女が何か空恐ろしいもののように思われてきた。
「途中で声を掛けなかったのは何でなの?」
「あなたの生活環境を観察していました。学校には通っておらず、フリーター。メールや電話をしなかったところから見て、交友関係は狭いと推測します。……ご両親は?」
 少女の質問に、葦原は顔を曇らせる。答えを返す代わりに、別の質問をぶつけた。
「きみ、名前は?」
「名前……ですか……」
 少女は顎に左手を添え、しばらく思案に耽った。話題逸らしのためとは言え、自分でもおかしな質問をしたものだと、葦原は呆れてしまう。名前が分かっていたら、記憶喪失だろうがいくらでも身元を調べる方法があるからだ。最悪の場合、ネットに本名を打ち込み、検索にかけるという手すらある。フェイスブックにでも引っかかれば、それで問題は解決だ。
 笑い飛ばしたくなるような質問を、少女はいたって真面目に考え詰めていた。
「……分かりません。ただ、『る』から始まる気がします」
「る? ……名字? それとも下の名前?」
「……おそらく下の名前です。名字は思い出せません」
 葦原はカップ麺をテーブルに置き、頬肘をついて該当候補を探す。
 ルイ、ルミコ、ルリ……。それほど数はなさそうだ。キラキラネームなども含めれば分からないが、それを言い出したら話がまとまらなくなる。葦原は少女に目を向けた。
「ルミコ?」
「……3文字ではなかったと思います」
「じゃあルイかな?」
「……似ている気がしますね」
 無表情に答える少女。葦原は軽く溜め息を吐く。よくよく考えてみれば、下の名前が判明したところでどうしようもない。ルイという名前の女性など、探せばいくらでもいるのだ。無論、うろな町という範囲でなら、かなり絞れるかもしれないが……。
 そのとき、葦原はある重要な疑問にぶち当たった。
「きみはうろな町民なの? 今まで見かけたことがないけど……」
 一般人ならともかく、相手は同世代と思しき少女である。仮にうろな町民なら、小学校か中学校で、すれ違ったことくらいはあるはずだ。これほどの美人なのだから、学年が違っても男子の間で噂になるだろう。そんな葦原の疑問に、少女は曖昧な答えを返す。
「……分かりません。ただ土地勘がいまいち掴めないので、違うのかもしれません」
「その割には、尾行がうまいんだね……」
 葦原は思いついたことをそのまま口にしてしまった。言い繕うとする前に、少女は怒りもせず言葉を継いだ。
「ええ、それは自分でも驚いています。……そういう職業なのかもしれません。スーツを着ていますし……」
 確かにその通りだった。少女は学生服ではなくスーツを着用している。かなり品質のいいものに思われたので、就職活動というわけではないらしい。
 冷めて油の浮いたカップ麺を眺めながら、少年はふぅと溜め息を吐く。
「まあ考えても仕方ないや。今夜はここへ泊まって行きなよ。明日、病院へ行こう」
「病院ですか……」
 少女は心持ち嫌そうな顔をした。だが警察に行かない以上、他にどこへ行くと言うのだ。少年にはさっぱり分からない。
「とにかく、今日はもう寝て、朝一で病院ね。事情は僕が説明するから。保険証がないからどうなるか分からないけど、追い返されはしないと思うよ」
 葦原はそう言うと、布団一式と毛布を一枚余分に取り出す。そして自分は毛布にくるまると、電気をいきなり消して少女に就寝を促した。
「僕は疲れてるから寝るよ。おやすみ」
 まだシャワーも浴びていないのだが、脱衣所がないため気恥ずかしくて利用できない。自分が浴びれば少女も浴びたいと言い出すかもしれず、少年はさっさと目を閉じた。隣で布団をめくる音が聞こえ、室内が静まり返る。
 隣に女の子が寝ているという事実に、少年は眠れぬ夜を過ごした。
+注意+
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