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冬過ぎて、春来るらし 作者:稲葉孝太郎

第4章 駐禁違反取り締まり事件

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第34話 未解決

「馬鹿野郎ッ!」
 黒い革製の椅子に深々と座ったオールバックの男の声が、遠く都内を見下ろす窓ガラスを揺らした。
 ぴりぴりと張り詰めた空気。室内にいる強面の男たちは、厳粛な顔をして床の絨毯を見つめてる。その中のひとり、よれよれのTシャツにジーパン姿の男が、深々と頭を下げた。
「も、申し訳ありやせん……。ですが、証拠の携帯はぶっ壊れちまいやしたので……」
「馬鹿野郎ッ! 高校生のガキには証言能力があるんだぞッ! そいつが法廷に立ったらどうする気だ? ……それとも何か? おまえが少年暴行で、今から出頭するか? あれはただのイタズラでしたってな……」
 ジーパンはさらに頭を下げ、だらだらと汗を流す。
「そ、それだけは勘弁してくだせえ……」
「……ふん」
 沈黙。男は椅子を軽く揺すりながら、苛立たしげに歯を噛み締めている。
「会長、失礼致します」
 誰も口を開かない中、スーツに身を包んだ男が、部下の列から一歩前に出た。
 それに気付いたオールバックの男は、にわかに機嫌を直す。
鮫島(さめじま)、何かいいアイデアはあるか?」
 鮫島と呼ばれた男は慇懃に会釈を返し、それから口を開いた。
「会長、今回の件で警察が動く可能性は低いと思われます。部下の話によれば、トラックのナンバーなど、重要な情報は何も握られていません。目撃者が10代の少年一人では、検察も捜査令状は出せないでしょう」
 鮫島の説明に、会長はふんと鼻を鳴らした。再び椅子を左右に回転させ、それから言葉を返す。
「なるほどな……。おい」
 会長はそう言って、ジーパンの顔を見やる。ジーパンは肩を強ばらせた。
「命拾いしたな。鮫島に感謝しとけ」
「は、はい、ありがとうございます」
「他のメンバーもご苦労。……下がっていい」
 会長がそう言うと、部屋にいた男たちは一斉に引き払った。ジーパンは鮫島に深々と頭を下げた後、部屋を後にする。
 そしてただひとり、鮫島という名の男だけが、会長室に残る。それはあたかも、この場における暗黙の了解のようだった。
 会長はテーブルの上の箱から煙草を取り出し、鮫島と向き合う。
「鮫島、これからどうする?」
「……さきほども申し上げました通り、警察は動かないものと思われます。しばらくはうろな町での活動を中止し、ほとぼりが冷めるまで待った方が良いかと。ただ……」
 鮫島はそこで言葉を濁した。もったいぶっているというよりは、確信が持てないと言った顔で、鮫島は動きを止めた。
「ただ、何だ?」
「断言はできないのですが……」
 再び口を閉ざす鮫島。会長は苦笑して右手を煽ぐ。
「いいから話せ。俺はおまえを信頼している」
 男の口からその言葉が漏れると、鮫島はようやく先を続けた。
「警察が動かなくとも、噂というものはどこかで広まってしまいます。怪しげな回収業者がうろついているとなれば、今後うろな町で警察スキャンダルを起こすのは、難しくなる可能性もあるでしょう。それだけが目下の懸念事項です」
 男は「ふむ」と呟き、椅子を半回転させて都庁を眺めた。煙草をくわえ、ジッポで火をつける。カシャリという蓋の閉じる音と同時に、男は白煙を吹き上げた。
「で、おまえの案は?」
 鮫島は漂う白煙の中で、ゆっくりと自分の考えを述べ始める。
「こちらとしては、大きな動きを見せるわけにはいきません。それこそ警察沙汰になる虞があります。ここはひとつ、外部の組織に依頼をしてみてはいかがでしょうか?」
 鮫島がそう言うと、会長は椅子を元に戻した。怪訝そうな瞳で、鮫島を見つめ返す。
「……誘拐でもさせるのか?」
「いえ、そのようなリスクは必要ありません。問題なのは、少年の目撃情報だけです」
 鮫島はそこで口を噤む。会長は苦笑して、もう一度白煙を吐いた。
「おまえの説明は、どうもまどろっこしいな。最後まではっきり言え」
 会長のたしなめに、鮫島は短く言葉を継ぐ。
「忘れ屋に依頼してはいかがでしょうか?」
 会長は一瞬だけ眉をひそめた。しかしすぐさま首を縦に振る。
「なるほどな……ガキの記憶を消しちまえばいいわけか……」
「左様です」
 会長は煙草を半分ほど吸い切ると、ガラスの灰皿にそれを押し付けた。両手を胸元で組みながら、にやりと笑みを浮かべる。気に入った、という仕草だ。
「よしッ、それでいけ」
「では早速、忘れ屋と連絡を……」
 鮫島がそう言いかけたところで、会長が指を立て、口を挟む。
「但し、代金はなるべく安く済ませろ。こっちも普段から、忘れ屋には便宜を図ってやってるんだ。警備をわざと緩めたり、色々とな……。持ちつ持たれつ。そのことを忘れるな」
 鮫島は会長の目をしばらく見つめ返した後、そっと頭を下げた。
「……はッ、心得ております」

  ○
   。
    .

 帰りの高速で、3人は重苦しい空気を感じ取っていた。
 運転席の入江(いりえ)が喋らないのはいいとして、後部座席の遠坂(とおさか)吉備津(きびつ)も、さきほどから一言も口を利いていない。その理由は単純で、誰もが今回の事件に、何か後味の悪いものを感じ取っていたのだ。
 窓を流れる水滴を見つめながら、ようやく吉備津が唇を動かす。
池守(いけがみ)さんの予想は、当たるのでしょうか?」
 その一言に、同じく車外を眺めていた遠坂が振り向く。
「予想って?」
鬼道(きどう)グループが、うろな町の入札を諦めるという予想です」
 吉備津の付け足しに、遠坂はなるほどと頷き返す。そして前方へと視線を移した。
「私じゃ何とも言えないわね……。別にそういう企業の関係者じゃないし……」
「ええ、私もそうです。しかし、紙屋(かみや)さんから聞いたところによれば、駐禁取り締まりの仕事には、自治体から補助金が出るそうではありませんか。これは一種の公共事業です。そういうところに目をつけた企業が、やすやすと手を引くものでしょうか?」
 確かにそれはない。遠坂はそう思う。池守の話によれば、鬼道グループというのは、総合警備コンサルタントとして名を馳せてはいるものの、ブラック企業としても有名らしい。過労死、偽装請負、ピンハネ、さらには裏の組織との繋がりがあるという噂も後を絶たないとのことだ。だとすれば、相当危険な企業に違いない。
 遠坂は思う。葦原(あしはら)は大丈夫だろうか。池守と紙屋は、彼の保護を確約してくれた。しかし、彼らはガードマンではない。自分の仕事もあるのだから、一日中つきっきりというわけにはいかないのだ。
 できれば自分がその役を買って出たい。けれども、それも叶わない。この時期に長期休暇の申請が通るはずがないからだ。彼女は教師であって、私立探偵ではない。
 遠坂はフロントガラスのワイパーを見つめながら、吉備津に声を掛ける。
「ねえ、吉備津くん、葦原くんのことなんだけど……」
 吉備津はすぐさま反応し、彼女の言葉を遮る。
「やはり心配ですか?」
「ええ……相手は凄く危ない会社みたいだし……」
 遠坂が声を落とすと、吉備津は先を継いだ。
「私もそこは気になっています。ここは友人として、少し気を配ることにしましょう」
 吉備津の一言に、遠坂は少しばかり驚いたような顔をする。
「でもどうやって? あなただって、学校があるから……」
「その点はご安心を。(あんず)さんにも協力してもらいます」
「私が何を協力するのですか?」
 バックミラー越しに、入江がそう尋ねた。吉備津は前を向く。
「とりあえず送り迎えと……。それに、逆木(さかき)くんのこともあります」
 逆木。その名前に、遠坂は首を傾げる。知らないからではない。それが入江と一緒にいた少年の名前であることを、彼女は覚えていた。
 しかし、彼がどうしたと言うのだろうか。それが分からない。
「逆木くんがどうかしたの? ……両親が警察関係者とか?」
「いえ、そういうことではありませんが……」
 吉備津は言葉を濁す。プライバシーということか。遠坂は質問を控えた。
「分かったわ……あなたがついててくれるのは、凄く頼もしいし……」
「そう言っていただけると光栄です。ただ今回の事件……」
 吉備津は再び車外へと視線を戻す。雨は次第に強くなり始めていた。
「まだまだ始まったばかりのような……そんな気がしてなりません……」
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
第3章はここで終わりです。
初の刑事ドラマ仕立て+未解決オチなのですが、全体は第4章の布石となっています。
第4章では謎の組織【忘れ屋】との全面対決になります^^
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