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うろな町の不思議な人々 作者:稲葉孝太郎

第4章 駐禁違反取り締まり事件

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第28話 鞍替え

 紙屋は酷く緊張していた。池守の指示でうろなロードケアを訪れた彼女は、まだ出社していない代表者を待つため、社長室に通されたのだ。刑事ドラマのような展開に、新米の紙屋は何となく気後れしてしまう。
 粗相がないように注意しなければ。紙屋が深呼吸していると、いきなり扉が開いた。
紙屋(かみや)様、お待たせ致しました。岩瀬(いわせ)社長がお出でです」
 眼鏡を掛けた若い女が、ひとりの男を部屋に案内してきた。男はまだ40前後と思わしき人相で、ところどころ白髪が見えるものの、かえってそれがダンディな印象を与えている。
 紙屋はソファーから腰を上げ、男に軽く一礼した。
「うろな署の紙屋と申します。お忙しところ、お邪魔して申し訳ありません」
 岩瀬と呼ばれた男は、紙屋の挨拶をスルーした。彼女の隣を通り抜け、重々しい事務机に腰を下ろす。椅子の背に深くもたれかかり、岩瀬は両手を胸の前で組む。よくよく見ると、男は酷く痩せこけた体をしていた。
 病気でもしたのだろうか。紙屋がそんなことを思っていると、岩瀬が口を開く。
「うろなロードケアの岩瀬です。どうぞお座りください」
 岩瀬の勧めに従い、紙屋は再び席についた。ぴんと背筋を伸ばし、男を見つめ返す。警察が来たというのに、岩瀬はまるで緊張した様子がなかった。新米の紙屋でも、男が何か特別な雰囲気を醸し出していることに思い当たる。
 紙屋が躊躇していると、岩瀬の方から話を切り出してきた。
「本日は朝早くから、どのようなご用件で?」
「先週の水曜、町内で自転車の大量盗難がありました。未遂に終わっているのですが、署では事態を重くみて、調査に当たっています。自転車が回収された場所は……」
「ああ、その件なら伺っていますよ」
 岩瀬は不敵な笑みを浮かべ、紙屋の話を遮った。
 驚いた紙屋は、岩瀬の瞳を捉え返す。
「おっと、失礼。情報源が気になるようですな。実はこの件について、うろな署から照会があったのです。回収場所がうちの担当地区だったので、当然の処置ですね」
 当然の処置。岩瀬はそう言うが、紙屋には納得がいかなかった。担当の自分が聞かされていない情報なのだ。混乱しつつも、何とか聞き込みを続ける。
「それで、どのようなことに……?」
「はて……どのような、とは?」
「うろな署へは、どのように回答なさったのですか?」
 顧客を前にしたかのように、岩瀬は気兼ねなく答えを返す。
「大したことではありません。記録を調べたところ、確かに当社の担当地区で、該当する自転車を回収しました。……しかし、それだけのことですよ。作業員も、放置されていた自転車を撤去しただけで、特に変わったことはなかったと言っています」
 紙屋はメモを取りながら、再度奇異な感覚に襲われる。彼女がここへ来たとき、岩瀬はまだ出社していないという話だった。電撃訪問だったわけだが、それにもかかわらず、岩瀬の喋りはやたらと流暢だ。
 まるで、紙屋の訪問を予期していたような……。
 紙屋は戸惑いながらも、先を続けた。
「今回の件については、被害者の相談もあり、一応の事件性ありと見ています。岩瀬さんの方で、何かお気づきになられた点はありませんか? 似たようなことがあったとか、あるいは回収中に他社とのトラブルが発生したなど……」
「いえいえ、そんなことはありません。うろなセキュリティさんとは、こちらもご好意にさせていただいてます。セキュリティさんの方は、もともと警備会社としてうろな町で営業されていた老舗ですから、うちのような新興企業は、色々とお世話になっているのですよ」
 紙屋が言及しなかったうろなセキュリティの社名を、岩瀬はいきなり出してきた。やはり両社には、何らかの関係があるらしい。紙屋は、蔵前の推理が正しかったと推測する。
 紙屋は、さらに踏み込んだ質問をした。
「署で調べましたところ、うろなセキュリティが、うろな西部の回収事業を、岩瀬さんの会社が、うろな東部の回収事業を担当なさっているそうですね?」
 岩瀬は黙ったまま頷き返す。
「ところが、もともとの入札計画では、特定の一社にのみ委託する予定だったとか。入札前になってこの点は変更され、枠が2つになったのですが、これについて何かお聞きではありませんか?」
 紙屋はそこで舌の動きを止めた。
 さきほどまでの余裕の笑みを消し、岩瀬はじっと彼女の顔を見つめ返してくる。
「それは町政の話で、本来は私の関知するところではありませんが……。紙屋刑事がお思いのような不正ではありませんよ。うろな町の広さからして、単独で事業を引き受けられる規模の会社がなかったのです」
「だから中小企業の提携にしたと、こう仰るわけですか?」
 岩瀬は頷き返すと、机の上にある煙草へと手を伸ばした。
 しかし紙屋に配慮したのか、指先が箱に触れることなく、彼は言葉を継いだ。
「私が間違っているかもしれませんが……紙屋刑事は、私たちのうちのどちらかが、競争相手を潰すため、わざと誤回収をしたと、そうお考えなのではありませんか?」
 岩瀬はちらりと紙屋の視線を捉えてきた。紙屋は肯定も否定もしない。
 動揺しつつも、なるべくポーカーフェイスを保つ。
「……だとしたら見当違いですよ。うろなセキュリティさんも当社も、単独ではノルマを達成することができません。お互いを潰し合ったところで、何のメリットもないのです。……そろそろ営業の時間です。今日はここでお引き取り願えませんでしょうか?」
 岩瀬の催促に、紙屋は黙って腰を上げた。
 軽く頭を下げ、礼を述べてから部屋を出る。外で待っていた秘書が、すぐに入れ違いで社長室へと消えた。
 紙屋は聞き耳を立てるようなことはせず、エレベーターへと向かった。

  ○
   。
    . 

「なるほどな……呉越同舟ってわけか……」
 池守はコーヒーを飲み下しながら、ぼんやりとそう呟いた。
 前に座っていた紙屋が、はてと首を傾げる。
「何がですか?」
「うろなセキュリティとうろなロードケアの関係だよ。本来はライバルだが、お互いの協力がないと、入札事業を達成できないってことだ」
 紙屋は納得したように頷き、コーヒーに口をつけた。
 重苦しい沈黙が流れる。手詰まりであることは、池守もはっきりと自覚していた。蔵前の2度目の推理も、十分な情報に裏付けられていなかったのだ。これは蔵前のミスではなく、安易に部外者を頼ったのが間違いであることを意味する。
 池守は残りのコーヒーを飲み干し、大きく溜め息を吐いた。
「さっぱり分からんなあ……また振り出しだ……」
「ちょっとくらいは進展してると思いますよ」
 紙屋はそう言って、喫茶店の外を見やった。彼女が本気で言っているのか、それとも慰めの台詞を口にしただけなのか、池守は判断がつかない。
 進展。どこが進展していると言うのだろう。犯行時刻も不明。動機も不明。そして犯人も当然に不明。うろなセキュリティとうろなロードケアのどちらかが、今のところ有力候補だが、それを裏付けるものは何もないのだ。
 池守は手帳を取り出し、紙屋と交換した情報に目を通す。するとある箇所で、彼の視線が止まった。
「……この岩瀬って人、下の名前は何だ?」
「へ?」
「岩瀬社長のフルネームだよ」
 池守の質問に、紙屋は首を傾げた。知るわけないだろうという顔をしている。
 池守はしばらく記憶を探り、そしてこう尋ねた。
「岩瀬総一郎じゃないか?」
「うーん、ちょっと分かりませんね。名刺をもらったわけじゃないですし……。先輩の知り合いですか?」
 紙屋の問いに、池守は答えなかった。眉間に皺を寄せて虚空を見つめる。
 しばらくそうした後、池守は携帯を取り出し、ブラウザを立ち上げた。検索欄に【うろなロードケア 代表取締役】と打ち込み、ボタンを押す。
 表示された結果のひとつをクリックした途端、池守の顔が曇った。
「……やっぱり岩瀬さんだ」
 紙屋はコーヒーカップを置き、向かいから画面を覗き込んできた。
 池守は携帯を差し出し、そしてこう付け加える。
「同姓同名の人違いじゃなければ、この人、うろな署のOBだよ」
「OB……? 40代くらいに見えましたけど?」
 池守は携帯を懐に戻し、両肘をテーブルの上につく。
「定年前に退社したんだ。優秀だったんだけど、数年前、大病を患ってね。警察の激務に体が耐えられなくなったんで、そのまま辞めたのさ。今頃どうしてるのかと思ったが、まさか公共事業の会社を立ち上げたとは……」
「なるほど、それでうろな署からわざわざ照会があったんですね」
 紙屋が納得顔でそう言うと、池守は首を左右に振った。
「いや、逆だと思う。岩瀬さんが署に照会したんだろう。岩瀬さんは、将来署長確定とまで言われた人だから、上役とはかなり面識があるはずだ」
 あまり出世欲のない池守は、署内のパワーバランスには疎い方だった。そんな彼が知っているほどに、岩瀬の退職は大きな出来事だったのだ。
 池守がぼんやり回想に耽っていると、紙屋が口を挟んでくる。
「でも、それと今回の事件の間に、どういう関係があるんです?」
「いや……どういう関係というわけじゃないが……。ただ今回の事件、ちょっとばかり警察関係者が多過ぎるような気が……」
 駐車監視員になったOBの(みなもと)、うろなセキュリティと繋がりのある誰か、そして今回の岩瀬の件。池守は、言いようの無い不安を覚え始めた。
 一方、新米の紙屋はきょとんとするばかりで、そのような事実など微塵も気にしていないようだ。コーヒーを飲みながら、今後の捜査方針を尋ねてくる。
「これからどうしますか? 愉快犯の線で再度捜査を進めますか? それとも、警備会社をもう一度当たってみるとか?」
 池守はじっと考え込む。愉快犯の線は、ほとんど期待できない。しかし、回収業者間の縄張り争いだと言う線も、今では甚だ疑わしくなってきていた。うろなセキュリティとうろなロードケアの対応はいかにも怪しいが、今回の事件との繋がりが見えてこない。
 まるで雲を掴むような話だ。池守は肩を落とした。
「これ以上は、俺たちだけじゃ判断できないな。とりあえず、うろなロードケアが本当にうろな署と連絡を取ったのかどうか、それを調べてみよう。紙屋は、被害者の間に何か共通点がないかどうか、聞き込みをしてみてくれ」
「分かりました」
 そこで打ち合わせは終わった。池守はスーツを肩に喫茶店を出て、紙屋と別れた。

  ○
   。
    . 

 うろな署に戻った池守は、早速交通課のドアをくぐった。煙草の匂いと、鳴り続ける電話の呼び出し音。池守の入室になど、誰も気を掛けはしない。
 忙しない同僚たちの間を縫い、池守は一番奥の机へと向かう。一見平凡そうだが、眼光の妙に鋭い男。彼こそが交通課課長、菅田(すがた)警視だった。菅田は、池守が赴任してから3年目に、このポストに就いた50過ぎの叩き上げで、気難しいが部下からは信頼されるタイプの人間である。極度の現実主義者で、過度な正義感や直情的な行動を諌めることも多い。そのせいで、紙屋とはなかなか折が合わないようだ。
 菅田は池守の接近に気付き、書類から顔を上げた。
「何か用か?」
 ぶっきらぼうな質問に、池守は姿勢を正してこれまでの経過を報告した。
 菅田は部下の報告を聞き終えると、再び書類へと視線を落とす。課長の機械的な性格は十分に心得ているつもりだったが、それでも池守は冷淡過ぎるような印象を受けた。
 今後の捜査方針を尋ねようとしたところで、先に菅田が口を開く。
「その件はもういい」
「……は?」
「その件はもういいと言ったんだ」
 池守は眉をひそめ、課長の頭頂部を見つめる。
 まさか、自分の知らないところで事件が解決したのだろうか。池守は不安げに尋ねた。
「それはどういう……」
「この件は今後、防犯課が担当することになった。おまえと紙屋には、別の仕事を回す」
 菅田の簡潔な説明に、池守は思わずのけぞった。
「ま、待ってください。……なぜ防犯課が出て来るんですか?」
 池守の震え声に、菅田はちらりと視線を上げた。そしてこう答える。
「自転車の盗難は、町の防犯に関わる案件だからだ。組織的な窃盗集団かもしれん。そうなるとうちではお手上げだ。だから担当変えになった」
「それは課長の指示ですか?」
 池守の質問に、菅田は再び顔を落とす。
「もっと上の指示だ。防犯課とは話をつけてある。……ご苦労だった。もういいぞ」
 池守はしばらくその場に佇み、室内の喧噪に身を任せていた。
 あまりにも唐突な捜査の終焉。だが不条理ではなかった。窃盗をメインに考えるならば、それはもはや交通犯罪ではない。町の防犯の問題だ。池守たちが担当になった理由も、事件が違法駐輪に関わっていたというだけのこと。管轄を主張するそれ以上の積極的な根拠はなかった。
 池守は熱病にかかったかのように、ぼんやりとした頭で返事をする。
「……分かりました。紙屋にもそう伝えます」
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