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冬過ぎて、春来るらし 作者:稲葉孝太郎

第4章 駐禁違反取り締まり事件

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第25話 繋がり合う人々

「……ということがあったんだ」
 池守(いけがみ)はそこで一息吐き、コーヒーに手を伸ばした。
 話を聞いていた紙屋(かみや)が、怪訝そうに首を傾げる。
「それがどうかしたんですか?」
 口元に近付けたコーヒーを止め、池守は後輩を見つめ返す。
「どうしたって言うか……まあ、ただの体験談だが……」
「今回の件と、何も関係なさそうですよね?」
 こいつ、生意気な口を利くようになったじゃないか。池守は思わずにやりとする。
「そりゃそうだが、こっちはあいにくと収穫ゼロでな。紙屋の方はどうだった?」
 池守の問いに、紙屋は首を左右に振った。
「そうか……」
 池守はコーヒーカップをテーブルの上に置き、喫茶店の中を見回す。平日は休憩中のサラリーマンで溢れ返るこの店も、今日ばかりはカップルに占領されていた。
 自分も紙屋とそういう関係ならいいのだが。そんなことを思いつつ、彼は先を続けた。
「やっぱり、所有者の勘違いじゃないのか?」
「10人以上の市民が一斉に勘違いするんですか?」
 紙屋の反論に、池守は押し黙った。
 コーヒーを飲むわけでもなく、じっとテーブルの一点を見つめる。
 男女の歓談。店員の挨拶。明るい場の雰囲気とは裏腹に、池守の顔が真剣味を増した。
「……もう1回おさらいしてみよう。事件があったのは、今週の水曜でいいんだな?」
「はい、正確に言うと、水曜の午前中ですね。時間までは特定できませんが」
 紙屋と池守は同時に手帳を取り出し、お互いに情報を確認し合う。
「第一通報者の話によると、うろな南1丁目に放置した自転車が、何者かに盗まれ、警察に届け出たそうだな。ところが……」
「ところが、その自転車は放置自転車として回収されただけで、本人は費用を負担するハメになったわけですね。ここまでは、ただの笑い話なんですが……」
 紙屋が息継ぎをすると、池守はすかさず先を続けた。
「だけど、話はそこで終わらなかった。同じような相談者が次々と出て来て、今週末までに全部で11人が名乗りを上げた。そしてその全員が、放置自転車で罰金を支払っている」
 その瞬間、紙屋は片方の眉毛をぴくりと動かした。手帳から顔を上げ、池守を睨む。
「罰金……? 罰金じゃありませんよ。回収費用の請求です」
「どっちも似たようなもんだろ。金を払ってるんだから」
「全然違います。罰金は刑事罰ですが、回収費用の支払いは民事的な……」
 ああ、分かった分かったと、池守は紙屋を宥めた。これだから法学部出身の女は面倒なのだと、池守はそんなことを思う。
「とにかく、金を払わされたわけだ。現在分かっているのは、ここまで」
 池守はそこで手帳を閉じた。顔を上げ、補足はないかと紙屋に問い掛ける。
「……ありませんね。私が署で聞いたのも、全く同じ話です」
「うーむ、これじゃ全体像が見えてこないな……」
 池守は手帳を胸ポケットに仕舞うと、コーヒーをもう一口飲んだ。
 気分を落ち着かせ、ウィンドウ越しに大通りを見やる。正午を過ぎ、人足は落ち着き始めていた。その代わり、飲食店はどこも軒並み混んでいるようだ。向かいのファミレスも、親子連れで満席になっているらしい。
 池守は大きく溜め息を吐き、肩を落とす。
「これじゃ雲を掴むような話だな……何が問題なのかも分からん……」
「そもそも、法規に違反するようなことなんですか?」
 紙屋の質問に、池守は曖昧な返事をする。自転車を路上に放置することは、道交法違反で立派な違法行為である。それについては、疑いの余地がなかった。しかもうろな町には、放置自転車に関する特別な条例が存在しており、自転車の持ち主は、撤去費用を自分で負担しなければならない。相場は2千円以内と比較的安いが、はいそうですかと気軽に払えるような額でもなかった。池守の場合、1日の食費を遥かにオーバーしている。
 しかし紙屋が尋ねているのは、違法駐車についてではなかった。問題なのは、なぜこの件を自分たちが調査しなければならないのか、その理由である。被害者の何人かが言うのは、最初に駐輪した場所と、自転車の回収場所が一致していないらしい。警察の陰謀ではないかと喚く者もおり、仕方なく池守と紙屋がこれを担当することになったのだ。だが、調査目的があまりにも漠然とし過ぎている。
 池守はしばらく考えた後、自信なさげに言葉を返した。
「実はな、最初に報告を受けたときは、大規模な盗難かと思ったんだよ」
「盗難……? でも、自転車は回収されたんじゃ……」
「そうさ。でもな、放置自転車として回収されるものの中には、盗難後に捨てられたやつも結構あるんだ」
 池守の講釈に、紙屋はムッと唇を歪めた。
「いくら新米でも、それくらいは知ってますよ」
「おっと、そう怒るなって。本題はここからだ。もし今回の事件が、自転車の大量盗難に関わっているとしたら、どうだ?」
「自転車の大量盗難……? もしかして、窃盗未遂ってことですか?」
 紙屋の推理に、池守は頷き返す。
 紙屋は先輩に褒められたのが嬉しいのか、すぐに機嫌を直した。
「なるほど、それなら今回の事件も理解……」
「できないんだよなあ、それが」
 自分で提案しておきながら、自分でそれを否定する。池守の行為に、紙屋は再び機嫌を損ねた。両肘をテーブルについて、グッと体を乗り出してくる。
「何でできないんですか? 理由を説明してください」
「まあまあ、落ち着け……悪かったよ……」
「いいから理由を説明してください」
 拗ねる紙屋を宥めながら、池守は先を続けた。
「被害者の話によれば、回収されていた自転車には、全部鍵が掛かってたんだよ。回収後の自転車にも、同じように鍵が掛かっていた」
 池守はそれだけ言うと、椅子にもたれかかり、紙屋を見つめ返す。
 自分で解いてみろと、謎掛けをしているのだ。
 紙屋もそれを察したのか、挑戦を受けて立つ。しばらく考えた後、唇を動かした。
「……分かりましたよ。鍵が掛かっていたなら、押したり乗ったりして動かせないってことですよね。そうなると、担がなきゃいけないわけですが……」
「自転車を担いで、街中をうろうろできると思うか? 無理だよな」
 池守はそう結論付けると、通りすがりの店員にコーヒーのお代わりを注文した。
 立ち去る店員から視線を戻し、池守は紙屋の顔をじっと見つ返す。納得したのかしていないのか、紙屋はいまいち分からない表情をしていた。
「……どうした? 俺の意見に不満か?」
「いえ、そういうわけじゃないですけど……」
 紙屋はスプーンでコーヒーをかき混ぜ、その波紋に視線を落としていた。
 いったいどこに引っかかっているのか、池守は相手の出方を待つ。その間にもお代わりのコーヒーが運ばれ、池守はそれで気分を紛らわせた。
 紙屋は自分の長い長い考慮時間を使った後、ゆっくりと疑問を提示する。
「例えばですよ……トラックの荷台に載せちゃえば、10台くらい何とかなると思うんですけど……」
「それはないさ」
 池守は即断した。紙屋はムッと眉をひそめる。
「どうしてそう言い切れるんですか?」
「その線は既に考えてあって、水曜日の午前に不審な車両を見なかったかどうか、聞き込みして回ったんだ。自転車を回収していたら、相当目立つはずだからな」
「で、目撃者はいなかったわけですね?」
 紙屋の確認に、池守は頷き返した。
 しかし紙屋は自説を撤回しない。さらに別のアイデアを披露する。
「目立つって言いましたけど、本当にそうでしょうか? 午前中は人通りの少ない地域ですし、こっそり1台ずつ回収すればバレないと思いますよ」
「でも、荷台に自転車が乗ってたら目立つだろ?」
(ほろ)をつけてれば大丈夫ですよ。中が見えませんからね」
 なるほど、今度は池守の考える番だ。適当に相槌を打ちながら、綻びを探す。
「うーん、それも納得がいかんな……。仮にそこまで完璧に回収できたなら、今度は捨てた理由が分からないだろう? なぜ盗んだ自転車を別の場所に放置するんだ?」
「それは……」
 紙屋は返答に窮した。困ったようにコーヒーを啜る。
 どうやらこれでチェックメイトのようだ。池守がそう思ったとき、喫茶店の入口に、ひと組の男女が現れた。どちらの顔にも、池守は見覚えがある。
「あれ、蔵前(くらまえ)くんじゃないか?」
 池守がそう言うと、紙屋も入口の方を振り向いた。
 そして素っ頓狂な声を上げる。
「さなえちゃん!」
 誰だそれは。蔵前の下の名前ではない。正確には覚えていなかったが、ケンイチとかケンジとか、そういう名前だった気がする。
 池守が事態を把握できないでいると、蔵前の隣にいた女が顔をこちらに向けた。
「あ、紙屋先輩!」
 そう叫んだのは、あの駐車監視員、杉田その人であった。
 池守は驚きを隠せない。いったいどういう関係なのだろうか。
「おまえら知り合いか?」
 池守の問い掛けに、杉田が振り返る。そしてアッと声を上げた。
「あなたはさっきのッ! えっと……」
 どうやら、名前を思い出せないらしい。池守はあらためて自己紹介をする。
「池守だ。紙屋さんとは、職場が同じなんだ」
「あ、失礼しました。杉田です。まさかこんなところでお会いするなんて……」
 杉田は軽く頭を下げながら、すぐに紙屋へと視線を移した。
「紙屋先輩と会うのは、卒業後初めてですよね?」
「そうね。最後に会ったのは、柔道部の追い出し会のときだったから……」
「OG会には顔出ししないんですか? みんな寂しがってますよ?」
「社会人1年目だし、ちょっと忙しくてねえ……」
 同窓生だったのか。世の中狭いものだと、池守はあらためてそう思う。
 一方、ふたりは会話に夢中で、池守を完全にほったらかしていた。池守が何気なく席に戻ろうとすると、もうひとつ忘れられている人物が口を開く。
「池守さん、お久しぶりです」
 名前を呼ばれた池守は、再び入口の方を振り返る。
 目元までかかりそうな長い前髪の青年が、じっと彼の方を見つめていた。
「蔵前くんか、久しぶりだな」
 とはいえ、2、3週間前に会ったばかりなのだが。池守はとりあえず席を勧める。
「どうだい、一緒に……と思ったが、女連れじゃあな」
 池守は小声でそう言い、ちらりと杉田を盗み見た。
 つもる話があるのか、紙屋たちは延々と会話を続けている。
「いえ、杉田さんはただの先輩です。そういう関係じゃありませんよ」
 蔵前はあっさりと恋仲を否定し、池守たちの座っていたテーブルへ腰を下ろした。
 紙屋たちもお喋りしながら、同じ席に腰を下ろす。人数が増えたところで、カウンター前をうろついていた店員が、注文を取りに来る。
「ご注文は何に致しましょうか?」
 蔵前と杉田は、ともにコーヒーを注文した。
 店員が奥へ引っ込むと、女性陣は会話を再開する。よくそんなに話すことがあるものだと呆れながら、池守は蔵前に声をかけた。
「今日はどうしたんだい?」
「どうしたと言いますか……普通に大学が休みなので……」
「杉田さんとは知り合い?」
 蔵前は出された水で唇を潤し、それから答えを返す。
「同じ大学に通ってるんです。同じうろな町出身ということで、親しくなりました」
「ああ、同級生なんだ」
 池守の早とちりに、蔵前は首を左右に振った。
「杉田さんが一個上です」
「ん? ……だったら学部が一緒ってことか?」
「いえ、僕は心理学部ですが、彼女は法学部ですよ」
 池守は背もたれから起き上がり、蔵前の横顔を見つめた。
「じゃあ、どこで接点があったんだい? サークルか何か?」
「僕が柔道部に入ってるように見えますか?」
 蔵前は少しばかり自嘲めいた調子で、池守の視線を捉え返す。
 以前着ていたのと同じヨレヨレのTシャツにズボン。とても体育会系には見えない。
 池守が黙っていると、蔵前の方から先を続けてきた。
「まあ、大学でもいろんなことが起こるんですよ……。ところで、池守さんと紙屋さんがペアということは、何か事件でもあったんですか?」
 嗅覚の鋭い奴だ。池守は妙な警戒心を覚える。
 とはいえ、事件解決を手伝ってくれた恩人でもあり、池守も無下には扱わない。
「ちょっとばかり調べてることがあってね」
 池守がそう答えたところで、店員がコーヒーをふたつ持ってきた。それぞれ蔵前と杉田の前に置き、ぺこりと頭を下げて忙しそうに厨房へと姿を消す。
 蔵前は砂糖とミルクを入れて黒い液体をかき混ぜると、早速口をつけた。
 沈黙。どうやら蔵前は、自分から話題を振ってくるタイプではないらしい。そのことに気付いた池守は、ぼんやりと話題を探す。そして、うまいことを思いついた。
「蔵前くんは、人間の心理に興味があるんだよね?」
「ええ、そうですね。……でなきゃ、心理学部なんて選びませんから」
 当たり前の回答。池守は、間抜けな質問を後悔した。
 それでも気を取り直し、先を続ける。
「例えばだよ……誰にも気付かれないように物を盗んだ後、それを別の場所に捨てるなんてことは、ありうるんだろうか? 人間の心理として……」
 池守の質問に、蔵前はぴたりと手を止めた。
 コーヒーの波紋を眺めながら、こう呟く。
「何だかプロファイリングみたいですね……。残念ですが、僕は専門的な教育を受けているわけじゃありませんし、生兵法は怪我のもとだと思います」
 なるほど、そうかもしれない。学生の割にはなかなかしっかりした意見だと、池守はあらためて感心した。
 蔵前は再びコーヒーに口をつけると、そのまま押し黙ってしまった。本当に何も意見がないのだろうか。それとも、口にするのを控えているだけだろうか。池守には、なぜだか後者のように思われた。
 池守は、質問を少しばかり修正する。
「もし蔵前くんがそんなことをするとしたら、どういうときだと思う?」
 対象を自分に移された蔵前は、ほんのわずかに表情を変えた。
 我ながらうまい作戦だと、池守は自画自賛する。
 蔵前は10秒ほど沈黙した後、すぐに唇を動かした。
「そうですね……やはりいやがらせでしょうか……」
「いやがらせ? いやがらせなら、盗んだままにしとくんじゃないか?」
「心理的ダメージを考えるなら、そうですね。ただ、盗むことのリスクを考えると、自分が盗品をずっと持っておくのは危険でしょう。それに、要らないものかもしれないですし。だから対象の位置を変えて、相手をちょっとだけ困らせてやるんです」
 池守は蔵前の説明に頷き、今回の事件にそれを適用してみた。愉快犯である可能性を、池守も紙屋も考慮していなかったのだ。
 一瞬有力説に見えかけたが、池守はひとりかぶりを振る。
「しかし、愉快犯の割には、労力がかかり過ぎているような……」
「……何の労力ですか?」
「あ、いや、何でもない」
 池守は誤摩化すようにそう言うと、コーヒーを口に運んだ。動揺を気取られないようにしながら、紙屋の方を盗み見る。ふたりはまだ意気投合している最中だった。ここで邪魔しても悪い。別に共同捜査というわけでもなく、喫茶店に来たのは打ち合わせのためだ。それももう済んでいる。
 池守は最後の一滴まで飲み干すと、おもむろに席を立った。
 紙屋がそれに気付く。
「先輩、どこへ行かれるんですか?」
「もう少し現場を洗ってみる。愉快犯という可能性もあるからな」
 池守はそう言うと、テーブルの上から伝票を拾い上げた。
 蔵前が反応する。
「池守さん、それは僕の伝票ですよ?」
 蔵前の指摘に、池守は笑って答える。
「これは相談料さ」
 そう言い残して、池守は喫茶店を後にした。
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