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うろな町の不思議な人々 作者:稲葉孝太郎

第3章 幽霊屋台食い逃げ事件

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第20話 乱歩

「それでですね、課長は何と言ったと思いますか?」
 口元の焼酎を袖口で拭いながら、紙屋が睨みを利かせてくる。あれから屋台に腰を下ろした2人は、適当に夜食を取ることになった。完全に成り行きであり、池守自身これでいいのかよく分かってはいない。
 食事を優先した池守に対して、紙屋はいきなり酒を注文し始めた。これは池守にとってはかなり意外であった。署の飲み会でも、紙屋はそれほどアルコール好きには見えなかったからだ。ところが話を聞いてみると、そのような公の場では、なるべく酒を控えているだけのことらしい。その事実を聞かされた池守は、何だか複雑な気持ちになってしまう。
「課長は何と言ったと思いますか?」
 もう一度、同じ目付きで同じ質問をしてくる紙屋。
 大根の切れ端を摘みながら、池守はその視線を軽く受け流す。
「さあ……何て言ったんだ?」
「『そんなくだらん通報は放置しろ』ですよ。それが警察の言う台詞ですか!?」
 池守はよく出汁の染みた大根を口に放り込み、軽く咀嚼する。
 視線はあくまでも前方。カウンターの向こう側に腰を下ろし、ぷかぷかと煙草を吸っている店主に向けられていた。煙草の赤い火が、夜景に妙に映えている。
「市民の皆さんのご要望に応えるのが、私たち警察の仕事じゃないんですか?」
 紙屋はぶつぶつとそう呟きながら、コップの液体を飲み干した。
 飲酒時の反応にも色々あるが、池守もまさか絡み酒だとは思っていなかった。紙屋の饒舌に押されっぱなしである。付き合いで注いでもらった彼のコップには、まだ半分以上焼酎が残っていた。池守は、どちらかと言うと下戸な方である。
 池守はふぅと溜め息を吐き、箸を皿の上に置く。
「なあ紙屋、いつか言おうとは思っていたんだが……」
 池守の決断に、紙屋が目付き鋭く答える。
「何ですか?」
「その件については、課長が正しいよ」
「へ?」
 聴き間違いだと思ったのか、それともアルコールで反応が遅れたのか、紙屋はしばらく池守の横顔を眺めていた。
 そして、急に大声を出す。
「先輩までそういうことを言うんですか!?」
「まあ落ち着け」
 池守はそう言うと、少し前のめりになってカウンターに寄りかかる。
 店主はあいかわらず、手持ち無沙汰な様子で煙草を吸っていた。
「おまえが警察官になった動機とか、おまえの生き方に文句は言わない。だけどな、職場でその意気込みは押さえないといけないんだ。俺たちは個人業じゃないんだからな。協調性が求められる。そうだろう?」
「意気込み……? 協調性……?」
 紙屋は小声でその単語を繰り返す。
 それからしばらく考え込んだ後、唐突に反論に掛かった。
「そんなのは関係ありません。私は警察としての仕事をしてるだけです」
「違うな」
 あっさりと自分の意見を否定され、紙屋は少しケンカ腰になる。体を傾け、ぐいぐいと前のめりになって池守に絡んで来る。
「何が違うんですか?」
「俺たちの仕事は、法と公権力の命令に従うことであって、市民の要望に応えることじゃない。それは政治家の仕事だ。俺たちは公僕なんだ。……分かるか?」
「こうぼくぅ?」
 そう言って、ふらふらと姿勢を戻す紙屋。
 目が据わっている。
「私は奴隷じゃありませんよ……立派な人間です……」
「もちろん奴隷って意味じゃないさ。だけどな、この職業についたなら、おまえに指図するのは上司であって、市民じゃないんだ。それを混同するな」
「……」
 沈黙。食材の茹だる音だけがする。
 池守は気まずい雰囲気の中、ぼんやりと湯気の動きを目で追っていた。
「……失望しました」
 紙屋はそう呟き、いきなり席を立つ。
 驚いて立ち上がりかけた池守の手を払い、紙屋は店主に尋ねる。
「いくらですか?」
「980円」
 店主は、煙草をくわえたまま単刀直入にそう答えた。
 紙屋は財布から千円札を取り出し、カウンターの上に置く。
「お釣りは要りません」
「まいど」
 店主の短い礼を他所に、紙屋は暖簾をかきわける。
「おい、送ってくぞ?」
「一人で帰れます」
 それを最後に、紙屋の靴音が遠ざかる。
 池守は、しばらくその場で呆然としていた。
「……言い過ぎたかな」
「お客さん」
 カウンター越しの声に、池守は振り返る。
 店主はいつの間にか灰皿に煙草を押し付け、後片付けを始めていた。
「まだ何か注文しますかい? それともお帰りで?」
 池守は、まだ半分以上残っている焼酎に目を走らせた。
 だが飲む気にならない。財布を取り出し、会計を済ませる。
 腰を上げようとしたところで、池守はふとその動きを止めた。
「……ちょっと訊きたいんですが、よろしいでしょうか?」
 池守はそう言うと、懐から警察手帳を取り出す。
 先ほどの会話で既に察しがついていたのか、店主は眉ひとつ動かさなかった。
「刑事さんですかい?」
「ええ……実はこのあたりに、無人の屋台が出ると聞き、少しばかり調査を……」
「……」
 店主はもう一本煙草を取り出し、マッチで火を点ける。
 例の赤い光が、闇夜にポッと浮かび上がった。
「何かご存知ありませんか?」
「知りませんね」
 ぶっきらぼうにそう答えると、店主は白い煙を吐く。
「同業者の間で、何か噂には?」
「うちは他のところとはつるんでませんのでね」
「噂自体は耳にしたことがあるんですね?」
 池守の質問を受け、店主は不快そうに眉間に皺を寄せた。
 それが何を意味するのか、池守はいまいち把握できない。
 池守がじっと店主の顔を見つめていると、店主は先を続けた。
「申し訳ありませんが、営業中でしてね。移動したいんですが」
 店主はそう言い、折りたたみ式の椅子を片付け始めた。
 池守は、店主が住宅地から住宅地へ移動中だったことを思い出す。自分たち2人がここで食事をしたのは、店主にとっても想定外だったのだろう。そう考えた池守は、それ以上の詮索を止めた。商売の邪魔だと思ったのだ。
「では、私はもう帰ります。不審な屋台を目撃したら、署へご連絡ください」
 池守はそう言って、暖簾をかきわけた。
 左右を見回すが、紙屋の姿はない。
 池守はぼんやりと空を眺めながら、空しく家路を急いだ。

  ○
   。
    .

 翌朝土曜日、池守が署に顔を出したとき、紙屋の姿はなかった。
 昨晩のことを思い出し、多少胸が痛む池守。しかし、あれは間違った指導ではないと、彼は日付が変わった今もそう信じている。
 同僚のひとりに訊いてみると、紙屋は少し早く来て、そのまま出て行ったらしい。
 池守も自分の仕事があるので、スーツを羽織って町へと繰り出す。
 昨日と同じように、空は晴れ渡っていた。池守は今朝通報のあった当て逃げ事件の現場に急行し、被害者から事情を聴取する。加害者の特徴を署に連絡し、それからいくつかの交通事件を担当して見て回った。彼にとっては、ありきたりな午前である。
「ま、こんなもんだな」
 一息吐いた池守は、腕時計で時間を確認する。
 針は12時をわずかに過ぎていた。
 池守はあたりを見回す。見れば、商店街の近くだった。昨晩の葦原の話を思い出す。池守自身はメモを取っていなかったが、店の名前は覚えていた。
「……ちょっと寄ってみるか」
 池守はそう独り言を呟くと、商店街の歩行者天国に身を投じる。
 時間が時間だけに、人混みは限りない。
 熱気でここだけ秋であることを忘れてしまいそうなほどだ。
 池守は、左手に見えた看板の文字に目を留める。人の流れを断ち切って、池守はその店へと歩み寄る。
「いらっしゃい」
 中年の店主が、愛想良さげに池守に挨拶をした。
「何にしましょうか?」
 池守は、自分が少しばかりそそっかしかったことに気付いた。葦原の話では、店主の奥さんが情報を握っているのだと言う。店主自身ではないのだ。一介の客として来た以上、奥さんを出してくださいとも言えない。
 警察であることを告げようかとも思ったが、いくら何でも大げさだ。こうしている間にも後ろにぽつぽつと人が並び始めている。商売の邪魔をするわけにもいかない。
「コロッケ2つと唐揚げ」
 適当に商品を選び、池守は代金を支払った。
 どうせ食事をするつもりだったのだ。池守はそう思い、店の前を去る。
 熱々のコロッケを一口頬張り、商店街の出口へと向かう。
 どうしたものか。池守は逡巡した後、一旦署に戻ろうと決心した。
 そのとき、人混みの中にふと見慣れた女の姿を認めた。紙屋だ。
 声を掛けたものかと池守が戸惑っていると、紙屋の方が彼の存在に気付く。
「あ、先輩」
 昨晩のことなどまるで無かったかのように、紙屋は笑顔を見せた。
 池守もホッとして、手を振って合流する。
「どうしたんだ?」
「聞き込みをしてたんですよ」
「あの店でか?」
 紙屋は軽く頷き返す。
「さっき俺が寄ったとき、奥さんはいなかったぞ?」
「大丈夫です。裏口にいました」
 何と言う執念。池守は呆れ半分、感心半分でコロッケを差し出す。
「ひとつ食うか?」
「大丈夫です。私も買って食べましたから」
 なるほど、事情聴取の対価というわけだ。池守はコロッケの残りを頬張る。
「で、何か分かったのか?」
「ええ、ばっちりですよ」
 紙屋は手帳を取り出し、ページをめくる。
「葦原くんが言っていた通りです。奥さんは、常連のひとりからネタを仕入れたらしいですね。その常連さんの名前と住所も分かってます」
「住所が?」
 池守は怪訝そうに尋ね返す。
「はい。以前バイトで雇っていた大学生らしいです。現在は辞めていますが、客として来ることが多いとか」
「うーむ……個人情報保護に違反してる気もするが、まあいい。それで?」
「それで、今からその人の家に行ってみませんか? 大学生らしいので、土曜日の昼間なら在宅しているかもしれません」
 それはどうだろうか。池守は、あまり乗り気がしない。土曜日に講義を入れない学生は多いが、必ず週休二日になっているわけではないからだ。
 とはいえ、夜行けば見つかるかと言うと、そういうわけでもない。大学生の行動を予測することは難しいのだ。池守も手帳を取り出し、スケジュールを調整する。
「住所はどこだ?」
「うろな西のXX−Xです」
 池守は、頭の地図でその区域を検索する。
 イマイチよく分からない。
「どのへんだ?」
「えーとですね……あ、この前訪れた、置いてけ池の近くですね」
 置いてけ池。その名前を耳にし、池守はハッと顔色を変える。
「またあの池か……嫌な予感がするなあ……」
「何ですかその勘は?」
「男の勘だよ」
「男の勘は当たりませんよ。女の勘じゃないと」
 何だそれはと、池守は唐揚げにかぶりつきながら先を考える。
 片手で器用に手帳をめくり、スケジュールにざっと目を通した。
「……うろな西で担当してる事件があるな。そのついでに寄ろう」
「了解です」
 商店街を抜け、2人はうろな西への通りを選ぶ。
 置いてけ池までは、歩いて20分というところだ。それほど遠くはない。
 昨日のこともあり、池守は気まずい道中を覚悟していた。ところが、紙屋はそんなことに関心がないらしく、手帳を見ながら別の情報を提供してくる。
「すごく面白いことが分かりました。奥さんの話では、幽霊屋台が次に出るのは昨日の夜という噂だったらしいです」
「昨日の夜?」
 食べ終わった紙袋をたたみながら、池守は紙屋に視線を投げ掛ける。
「はい、昨日の夜です」
「どういう根拠だ? 何か計算方法があるのか?」
「いえ、もっと単純です。幽霊屋台が出るのは、週末あるいは祝日の前日だとか」
 新たな情報に、池守の目が鋭く光る。
「週末あるいは祝日の前日……? それは確かなのか?」
「うーん、何とも言えませんね。奥さんが色々訊いて回ったところ、だいたいそういうことになってるみたいです。例外は聞いたことがないとか」
 紙屋は少しばかりトーンダウンする。
「憶測が先行してるな。元ネタが半ば都市伝説なんだ。気をつけてかかろう……」
「あ、そこを右です」
 2人は例のアイスクリームショップに差し掛かり、そこを右手に曲がる。
 狭い路地裏を進むと、今度は分岐路が現れた。2人は左の道を選択する。
 その間、池守たちは電信柱の数字に気をつけ、紙屋の入手した番号と照合する。
 ついにあの池の前で、その数字が顔を出した。
「おい、ここって……」
 池守たちが辿り着いたのは、ちょうど池の前にある一軒家の民家。
 置いてけ池の不審者事件で訪れた、大学生の家の前だった。
「ここで合ってるのか?」
「……みたいですね」
 紙屋は住所を念入りに確かめ、表札を見る。
 そこには【蔵前(くらまえ)】という画数の多い漢字が踊っていた。
「どうします?」
「どうするもなにも……とりあえずチャイムを押そう」
 そう言って、池守はチャイムを押す。甲高いベルが鳴り、それから静寂が戻った。
「……誰も出ませんね」
「やはり留守か」
 そのときだった。玄関の奥からドタドタと足音がする。
 そして玄関が勢いよく開いた。
「どなたですか?」
 明らかに寝起きだと分かる青年が、ひょっこりと顔を覗かせる。
 前髪が眉毛までかかり、その下で眠そうな目がしょぼしょぼと瞬きしていた。
 夜更かししたのか、目の下には隈ができている。
「あッ!」
 青年は、池守たちの顔を思い出したのか、すっとんきょうな声を上げた。
「け、刑事さん?」
「こんにちは。寝てるところを邪魔してしまったようですが……ちょっといいですか?」
 青年はよれよれのシャツを直しながら、2人の顔を交互に見比べる。
「また変質者ですか? あれっきり話を聞きませんが……」
「別件です。君はこの町で、無人のおでん屋が出没しているのを知ってますか?」
 青年はすぐに、それが幽霊屋台のことであると察したらしい。
 顔付きが真面目になる。
「ええ、知ってます。大学のゼミで取り上げましたから」
 意外な答えに、池守は目を見開く。
「大学のゼミで……? 民俗学か何かですか?」
「違います。行動心理学ですよ」
 またまた予想外な返答。池守は手帳を取り出し、ペンを構える。
「心理学部の学生さんですか?」
「はい」
「なぜ都市伝説をゼミで?」
 青年は、池守の好奇心を不快にもせず、先を続ける。
「都市伝説じゃないです。……と言いますか、これが都市伝説じゃないことを行動心理学で説明するのが、僕の課題だったんですよ」
「……どういうことですか?」
 ワケの分からない池守。
 青年は数秒考えを巡らせた後、おもむろに口を開く。
「ランダムウォークってご存知ですか?」
 池守は首を左右に振る。
「ランダムウォークというのは、単純に言うと、人間が本当に無意識でランダムに行動している状態のことです。これに対して、意識的にランダムな行動をしようとすると、実際にはランダムにならず、一定の規則性が現れてしまうんですね。例えば、本当に公園のベンチでリラックスしている人と、ドラマなんかでリラックスした演技をしている人との間には、実証可能な差があるんです」
 池守は、青年の説明を頭の中で後追いする。
 そして、幽霊屋台とのある接点に気付いた。
「つまり、それを使って幽霊屋台が怪談かどうかを調べた……と?」
 察しのいい池守の反応に満足したのか、青年は口元に綻びを見せる。
「そう、その通りです。もし幽霊屋台が尾ひれのついた都市伝説なら、その出没場所はランダムか、あるいはランダムに限りなく近いものになるはずなんです。ところが、僕たちのゼミが収集したデータをマッピングしたところ、明らかな規則性が見られました」
 これは望外の収穫だ。池守の横で、紙屋も鼻息を荒くしている。
「その規則性というのは?」
「えーと、データがパソコンの中にあるので、すぐにはお見せできないんですが……」
「簡単に説明してもらえませんか? そのデータやマッピングを見ても、素人の私たちでは理解できないと思うので」
 素人にも分かる簡単な説明。これほど難しい注文もない。池守もそのことは承知だ。
 けれども、専門的な解説ではなおさら意味がない。池守は青年の回答を待つ。
「……そうですね、簡単に言うと、うろな西のある地点を中心に、そこから扇形を描きながらジグザグに移動しているんです。これは、意図的にランダムを狙うとき、やってしまいがちなミスなんです。直線に移動すると怪しまれるから、左右にずらすわけですが、そうするとかえって特徴的な線ができるんですね。もちろん、幽霊屋台は人気のない通りを選択しているので、単純なジグザグにはならないんですが、それでもランダムじゃありません」
「ある地点? それはどこですか?」
 池守の質問に、蔵前は困ったような顔をする。
 さすがに住所までは覚えていないようだ。
 そこへ、紙屋がポケットからスマホを取り出す。器用に操作して、画面を差し出した。
「どのあたりですか?」
 池守がちらりと覗くと、そこにはうろな町の地図が表示されていた。
「……ここですね」
 青年は、うろな西の上部に位置する一点を指し示す。
 池守と紙屋は、ともにその地点を凝視しながら、次の目的地を無言で理解し合った。
+注意+
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