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うろな町の不思議な人々 作者:稲葉孝太郎

第3章 幽霊屋台食い逃げ事件

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第18話 女刑事と秋の空

 秋。それは物憂い季節。
 うろな警察署の刑事こと池守(いけがみ)瞬也(しゅんや)も、肌寒くなり始めた秋風に吹かれつつ、町の交通安全に精を出していた。民間企業に勤めたことのない彼だったが、こうも一日中あちこちと足を棒にして歩き回っていては、営業職と何も変わらないのではないかと、そんな気さえしてくる。
「はあ……もう少し安全に運転してくださいよ、っと……」
 池守は帰り道、車の群れを横目にそんなことを呟いた。
 空は驚くほど澄み渡り、池守の疲労をほんのりと癒してくれる。日差しと影の中を交互に歩きながら、池守は署への道のりをゆっくりと辿って行った。
 途中、うろな町の市街地に差し掛かったところで、ふと彼は女の後ろ姿を認めた。自信に満ちあふれた若々しい歩き方。ピンと伸びた背筋。ショートカットの黒髪に見覚えのある池守は、大声で女に呼びかける。
「おーい、紙屋かみや!」
 池守の声を背に受け、女は颯爽と振り返った。
「あ、池守先輩!」
 紙屋は後輩特有の人懐っこい笑顔を浮かべ、数歩後退する。
 自分が追っているのだからそこで待てばいいのにと、池守はそう思った。無論、悪い気はしない。挨拶を済ませてハイさようならよりは、よっぽどマシな関係だ。
 池守も少し小走りに紙屋へと歩み寄る。
「先輩、何か捜査中ですか?」
「いや、もう署に戻るところだよ。おまえこそ、ここで何やってるんだ?」
 池守の問いに、紙屋の顔が一段と引き締まる。
 これは何かあるなと、池守はきな臭いものを嗅ぎ付けた。
「それがですね、このへんに幽霊屋台が出るらしいんですよ」
 紙屋の返答に、池守は目を白黒させた。
 聞き間違いだろうか。そんなことすら思う。
「……すまん、もう一回言ってくれ。何が出るって?」
「幽霊屋台ですよ。知らないんですか?」
 分かって当然という顔をする紙屋。
 池守は頭を掻きながら、大きく溜め息を吐く。
「知らんな……そんな怪談は……」
「怪談じゃないです!」
「じゃあ都市伝説か? どっちにしろ子供騙しだろ」
 池守がそう言って歩き出そうとすると、その肩に紙屋の手が乗る。
 振り返ると、意外なほど真剣な紙屋の顔が目に留まった。
 子供扱いしたせいか、少々怒っているようだ。
 しかし、ここで怯む池守でもない。先輩としての威厳を保ちつつ、先を続ける。
「幽霊屋台か何か知らんが、仕事中にそういうことをしたらダメだぞ。だいたい……」
「待ってください。これは善良なる市民からの要望なんです」
 市民からの要望。やたらと紙屋が口にしたがる言葉だ。
 無論、公務員としてはその要望に応えなければならない。そのことは池守も承知しているつもりだった。だがそれは、110番された相談を何でも聞けばいいという意味ではない。本当にしょうもないことで通報してくる人間が多いのだ。酷いときには、家にゴキブリが出たと騒ぎ立てる者もある。
「仮にそういう通報があったとしても、取り合ったらダメだ」
「ですから待ってください。私の説明の仕方が悪かったです。すみません。幽霊屋台というのは、町の人がそう呼んでるだけで、実際に目撃証言が多数あるんです」
「目撃証言……? そりゃ都市伝説に目撃証言はつきものだろう?」
 証言があるからといって、真実とは限らない。そのことを、池守はよく理解している。人間という生き物は、思い込みを記憶と混同し易いのだ。
 ところが、紙屋はその慎重さをも否定し始める。
「そうじゃないんです。目撃しただけじゃなく、そこへ立ち寄った人もいるんですよ。私も歩き回って、2人ほど見つけました」
 紙屋は手帳を取り出し、その目撃証言を読み上げる。
「一件目は、うろな北に住む田中さん。男性。41歳。会社からの帰り道、道ばたにおでんの屋台を発見。お腹が空いていたので立ち寄ったところ、誰もいなかったそうです。気味が悪くなったので、何も手を付けずにそのまま帰宅」
 そこで一息吐き、紙屋はページをめくる。
「二件目は、うろな西の開発区に住む佐藤さん。男性。38歳。これも会社からの帰り道に無人の屋台を発見。カウンターに腰を下ろしてしばらく待ったのですが誰も現れず、適当につまんでから代金を置いて帰ったそうです」
「適当につまんだ……? それって商品を食べたってことか?」
 池守の喫驚に、紙屋がきょとんと顔を上げる。
「おでん屋ですからね。他につまむものはないと思いますが?」
「いや、そうじゃなくて……無人の屋台で普通商品に手をつけるか? 食い逃げだぞ」
 困惑する池守だったが、紙屋は全く動じない。
 その理由も、彼女の口からすぐに明らかになる。
「佐藤さんの話によると、カウンターには箸と皿が並んでいて、壁に『代金はカウンターに置いてください』と書いてあったらしいんです。値札も貼ってあったので、ちゃんと計算した料金を置いて帰ったとか。ですから、食い逃げじゃないんですよ」
 なるほどと、池守は一瞬納得してしまう。
 どこか変な気もするが、代金を払っている以上、食い逃げではないのだ。
「ん……ってことは、最初から無人のおでん屋なのか?」
「そうなんじゃないでしょうか? 無人野菜販売所みたいなものですよね?」
 あっけらかんと答える紙屋。
 一方、池守はしきりに首を捻っていた。いくら無人野菜販売所があるとはいえ、無人屋台など聞いたことがない。
 混乱する池守を他所に、紙屋は先を続ける。
「というわけで、法的にはあまり問題無さそうなんですよね。でも、気味が悪いという人も多いようですし、火災を心配する住民もいます。だからこうして調査してるわけなんです」
 池守にも、ようやく紙屋の捜査目的が見えてきた。
 幽霊屋台などと言わずに、最初からそう説明してくれれば良かったのだ。池守はそんなことを思いつつ、伸びかけた無精髭を撫でて考えを巡らせる。
「なるほどな……火を掛けたまま放置しているとなると、何らかの軽犯罪には引っかかるかもしれん……。中高生が何をするか分からんし、注意して止めさせないと……」
 そうだそうだと、紙屋も胸を張って頷き返す。
「ですから、今夜あたりどうですか?」
 紙屋の誘いに、池守は眉をひそめる。
「今夜あたりって……まさかおまえ……」
「もちろんですよ。善は急げと言いますからね。10時に駅前の噴水はどうですか?」
 池守の承諾が前提になっているのか、いきなり待ち合わせ時間を指定する紙屋。
 待ち合わせの目的すら口にされていないが、それがデートでないことは池守にも分かっている。要するに、その幽霊屋台とやらを探そうと言うわけだ。
「だけど……どうやって探すんだ? うろな町は広いんだぞ?」
「そこはお任せください。だいたいポイントは絞ってあるんです。まずですね、幽霊屋台が出没するのは、かなり遅くなってかららしいです。田中さんの目撃証言が11時、佐藤さんの目撃証言が11時半頃ですから」
 紙屋の説明に、池守は目を細める。
「11時なら、まだ駅前は人足が絶えてないだろう? なぜ目撃者が少ないんだ?」
 まだ話は終わっていないとばかりに、紙屋がビシッと人差し指を立てる。
「駅前はあくまで待ち合わせ場所です。幽霊屋台が駅前に出没したことはありません。正確に言うと、人通りが多いところには出ないんですよ。田中さんが屋台を見つけたのは、帰り道の途中にある田んぼの近くで、佐藤さんは開発中の空き地のそばです」
 池守はますます混乱してきた。客商売で重要なのは、何よりも客足だ。人通りの少ない場所で儲けるとなれば、それこそ余程の穴場認定されなければ無理である。
 何もかもが不合理な屋台に、池守もだんだんと興味が湧いてくる。
「そうだな……今のところ急ぎの事件もないし、ひとつ探ってみるか」
「では決まりですね。10時に駅前の噴水で会いましょう」
 そう言うと、紙屋はくるりと池守に背を向ける。
「おい、署には戻らないのか?」
「もう少し聞き込みをしてみます。ではまた後で」
 紙屋は自動車の行き交う通りを右に曲がり、そのまま姿を消してしまった。
 池守は肩をすくめた後、後輩の報告にしばらく考えを集中させた。
 幽霊屋台。おでんという言葉を聞き、寒さがなおさら身に染みる、そんな午後だった。
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