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うろな町の不思議な人々 作者:稲葉孝太郎

第2章 置行堀ひったくり事件

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第13話 置いてけ池

 蒸し暑い夜だった。街灯の下で舞う虫たちも、どこかしら活気がなく、人々は皆一様に家の中で涼を取っていた。外をうろつく影と言えば、帰りが遅くなった学生や、夜遊びに向かう若者がちらほらと見えるだけである。
 その闇の中、腕まくりをしたひとりの女が、早足で家路を急いでいた。時計の針は10時を過ぎているというのに、女はスーツを着込んでいる。一目で残業後と分かる疲労感を漂わせながら、女は道の途中に見えたアイスクリームショップへと立ち寄った。
「いらっしゃいませー」
 少し歳を取った男の店員が、これまた疲れたように挨拶をした。
 店内はびっくりするほどクーラーが効いており、それがかえって男の体力を奪っているようである。女はガラス越しに並べられた商品を吟味し、それから平凡にバニラを指差す。
「バニラ3つにチョコ3つ、持ち帰りで」
「しばらくお待ちください」
 男は専用の器具でアイスを削り出し、それを紙のパックに収めようとした。
 そこへ、女が慌てて口を挟む。
「あ、すみません。容器はプラスチックで」
「……かしこまりました」
 男は少しアイスの垂れてしまった紙パックを捨て、プラスチックの容器へとそれを移し替えた。手慣れた調子でカップを6個作ると、男は折りたたみ式の紙箱を組み立て始める。
 男の作業を尻目に、女は他のアイスに目移りをしていた。ストロベリーかソーダくらいは混ぜておけばよかったかと、女は些細なチョイスミスを悔やむ。
「レジへどうぞ」
 男の声に女は顔を上げ、レジへと移動した。
 告げられた料金を支払い、ビニール袋を受け取ると、女はそそくさと店を後にする。
 自働ドアの前でもう一度時間を確認すると、早くも10時半になっていた。
「参ったわね……ちょっと近道しようかしら……」
 女はそう呟くと、通りを右手の方向へ進み、それからアイスクリームショップの角を右に曲がった。路地からは先ほどの店内がガラス越しに見え、店の後片付けをしている男の姿が目に留まった。
 薄暗い道をしばらく進んでいると、今度は道が二手に分かれる。女は左の道を選び、さらに先へと進んだ。街灯などほとんどなく、女が夜中に一人で歩くのは物騒にも思えるが、両脇は住宅地になっており、襲われる心配はほとんどなかった。実際、この近道は彼女も頻繁に利用しているものである。暗闇でも迷うことなく、女は狭い路地を縫って行った。
 5分ほど歩いたところで、ふいに右手の民家が途切れた。古びた柵に囲まれた池が、鬱蒼とした茂みの向こう側に現れる。【私有地につき立ち入り禁止】の看板が、半分消えかかった文字で、闇の中に浮かび上がっている。
 女はこの池があまり好きではなかった。昼間通りかかっても、どこか不気味なところがある。今は暗くて見えないが、水際には不法投棄のゴミや生活排水が浮かび、それを水草などが覆い尽くしている。さらにその奥は薮になっており、そこがどこへ通じているのか、女は皆目見当もつかなかった。
 そんな薄気味悪さも手伝ってか、この池には奇妙な名前がついていた。置いてけ池。誰がつけたのかは知らないが、女はその名前だけをはっきりと覚えていた。何でも江戸時代に、妖怪が出る場所として有名だったらしい。夜中に通りかかる人間がいると、どこからともなく「置いて行け〜」という押し殺したような声が聞こえるのだ。そして、通行人の土産物や傘などを奪って行くのだと言う。
「馬鹿馬鹿しい……」
 自分に言い聞かせるようにそう呟くと、女は池から目を離し、先を進もうとした。
 道は一直線。左手を民家に、右手を池に挟まれ、狭苦しい道が続いている。ちょうど池の真ん中あたりまで来たところで、ふいにどこからともなく声が聞こえてきた。
「お……い……」
 女は、そばの民家から漏れた家族の団欒だと思った。
 しかし、それは左からではなく右、池の方から聞こえてくる。
 女は恐る恐る池を見回した。
「おい……て……え」
 女は見てしまった。薮の奥で、ちらちらと光が浮遊している。
 光っては消えるを繰り返し、光源はゆっくりと薮の中を移動していた。
「ひ、人魂!?」
「おい……て……え」
 女は悲鳴を上げ、靴音を鳴らして全力疾走し始めた。
 どこかの家で窓の開く音がしたが、女はそれも無視して大通りへの道を突き進む。
 女は最後の数歩を飛ぶように駆け抜け、大通りへと出た。
「ハァ……ハァ……」
 女は肩で息をしながら、目の前を走り去るまばらな自動車を追った。
 鞄とビニール袋は守り通したのだ。女は奇妙な満足感を覚えると、後ろを振り向くことなく、そのまま家へと小走りに帰って行った。

  ○
   。
    .

「……という事件があったわけですよ」
 ショートカットの勝ち気そうな女性が、そこで話を終えた。
 食堂の不味いコーヒーを口に含み、話し疲れた喉を潤す。
 その前に座った男は、頬肘をついて女の仕草をじっと見つめていた。池守(いけがみ)瞬也(しゅんや)。30歳。独身。この年までこれと言った縁がなく、刑事になってから多忙を極めていた彼の前に現れた天使。その天使に呼び出されたのも束の間、このような怪談話を聞かされることになろうとは、池守も全く予想だにしていなかった。
「先輩はどう思いますか?」
 女はキリッと口元を結び、男にそう問い掛けた。
「どう思うって……ただの作り話だろ?」
 池守の心ない言葉に、女は眉間に皺を寄せた。
「作り話じゃありません! 私が今日被害者本人から聞いた話です!」
 女の大声に、周囲の同僚たちが一斉に振り向いた。
 池守は相手を宥めながら、その先を尋ね返す。
「で、紙屋(かみや)さんは何をしたいんだい? まさか、それを調査するとか……」
「そのまさかです。一般市民に危害を加える存在は、人間であれ妖怪であれ、この紙屋(かみや)千鶴(ちづる)、断固として許せません!」
 紙屋はそう言い切ると、残りのコーヒーを一気に飲み干した。
 新人にありがちな張りきりだと思いつつ、池守はしばらく物思いに耽った。
 ……この町の出身でない池守には、どうもピンとこない怪談話である。そもそも、犯人が本当に幽霊だとしたら、それは自分たちの管轄外なのではないかと、池守はそう考えた。
「でもさ、その怪しい光の玉は、女に声を掛けただけで、何もしなかったんだろう?」
 池守の質問に、紙屋は真顔で先を続けた。
「いええ、実はアイスクリームが盗まれていたんです」
「アイスが……? ビニール袋は無事だったって……」
「盗まれたのは、チョコレートアイスが1個だけです。被害者の女性は、家に帰ってからアイスを冷凍庫に入れたんです。次の日に家族と食べるつもりだったんですね。そして翌日、子供たちがアイスを食べようとしたところ、チョコが1つ無くなっていたんですよ!」
 紙屋の解説に、池守は納得するどころかますます渋い顔をした。
 言い難そうに水を飲んだ後、唇を動かす。
「それってさ、子供が嘘を吐いてるんだろう? お化けのせいにして、1個余分に食べたとしか考え……」
「子供は嘘を吐いていません。私には分かります」
 紙屋は自信たっぷりにそう答えた。
 池守はその理由を問う。
「どうしてそう言い切れるの?」
「刑事としての勘です」
 紙屋の返答に、池守は思わず苦笑してしまった。
「ああ! 馬鹿にしましたね!?」
「馬鹿にはしてないけど……それは理由が弱過ぎるよ」
「理由はまだあります。被害者は家族に心配をかけないよう、池であった出来事を家では話さなかったんです。ですから、子供はお化けのせいにできることを知らなかったことになります。現にアイスが無くなった後も、女性はお化けのことを私以外には話していないんですからね」
 これが決め手だと言い切る紙屋だったが、池守は首を左右に振って言葉を返す。
「それでもまだ不十分だね。お化けのせいにできなくても、子供が勝手にアイスを食べちゃうことくらいあるだろう。結局、お化けとアイスの紛失を関連づけているのは、その被害者の女性だけで、もっと別の可能性を探ってみないと……」
「ならば、事件性ありと見ていいんですね?」
 紙屋の発言に、池守は戸惑いを隠せなかった。こんな怪談話で刑事が動くなど、彼の人生では一度も聞いたことがないのだ。
 とはいえ、可能性を探ると言ってしまった以上、安易に前言撤回するのも憚られた。それに加えて、深夜の路地で女性が不審者に声を掛けられたというのは、全てが被害者の作り話でない限り事実なのだ。そうなると、事件性はありということになる。
 一応の結論を導き出した池守は、コップの水を飲み干し、先を続けた。
「そうだな……とりあえず上には、深夜の路地裏で女性が不審者に声を掛けられた、とだけ伝えておけばいいんじゃないか。アイス云々は信憑性が無くなるから、省くことにしよう」
「なるほど、変質者事件として扱うわけですね」
「そういうこと。ストーカーなんかも含めて、こういうのは最近うるさくなってるからね。無下にはできないはずだ。俺も少しは手伝うから、まずは池の周りで聞き込み、それから被害者の女性宅へ行くことにしよう」
 池守のてきぱきとした指示に、紙屋はきらきらと目を輝かせている。
 無論、それが愛情からではなく、純粋な尊敬の念から発せられていることは、池守にも痛いほどよく分かっていた。ただ池守としても、せっかく新任の後輩が手を付けた事件ということもあり、手伝ってやりたいという気持ちが強くあった。
 池守は上着を手に取り、腰を上げる。
「じゃ、俺はいくつか処理しないといけない事件があるから、また後でな」
「はい! この紙屋千鶴にお任せください!」
 後輩の元気な声を背に受け、池守は手を振って仕事場を後にした。

  ○
   。
    .

「お馬さん、パカパカ♪ 走れーッ♪」
「ヒヒーン」
 情けない鳴き声を上げ、逆木(さかき)少年は歩を進めた。
 人間の体は四つん這いには向いていない。
 その上、背中には小さな女の子を乗せているのだから、負担は倍増である。
 案の定、2、3歩進んだところで、ついに少年はへばってしまった。
「こらー、走れーッ!」
「も、もう勘弁してください……疲れた……」
 逆木は床に寝そべり、少女もその弾みで背中から転がり落ちる。
 少女はすぐに立ち上がると、怒ったように少年を睨みつけた。
「お馬さんはそんなことしないよッ!」
「もう無理です……(あんず)さんと遊んでください……」
「ママは遊んでくれないのッ!」
 ミヨの大声に反応したのか、操縦室の扉が開いた。
 ドア枠に小柄な少女が姿を現す。ミヨの母親の入江(いりえ)(あんず)だった。
 杏は無表情なまま逆木のそばに歩み寄り、そっと声を掛ける。
「すみません、少し静かにしてください」
 注意を受けた逆木はムッとなり、ごろりと仰向けになった。
「俺はもう帰りますよ。子守りはしませんからね」
「それは困るのです」
「俺も困りますよ! 夏休みをベビーシッターで過ごすとか、どういう罰ゲームですか!」
「ミヨは赤ちゃんじゃないよー」
 三者入り乱れる中、逆木はのそりと立ち上がり、自分の膝とお尻をはたいた。
「それじゃ、適当な場所で下ろしてください」
「今はうろな町の駅前上空を飛行中です。ここでは下ろせません」
「じゃあそれまで待ちますよ」
「遊んでー」
 裾を引っ張って来るミヨを抱きかかえ、逆木は彼女を肩車してやる。
 これも重労働には違いないが、馬よりはマシだった。
「ところで、千里(せんり)さんとは会ったんですか?」
 逆木の問いに、杏はしばらく口を噤んだ。
 忘れていたのか、それとも機密情報扱いになっているのか。逆木が答えを待っていると、ふいにポケットの携帯が震動した。逆木は慌ててミヨを下ろし、携帯を引き抜いた。
「もしもし?」
《もしもし? 泰人(ひろと)?》
 通話口から聞こえてきたのは、若い女の声だった。
 逆木は意味もなく頭を下げ、挨拶を交わす。
「あ、どうも先輩。……どうかしましたか?」
泰人(ひろと)こそどうしたの? 最近、事務所に顔を出さないじゃない。少し手伝って欲しいんだけど……》
「すんません。すぐ行きますんで。はい……いつもの場所っすね……じゃ、また後で……」
 逆木は携帯を切り、杏に向き直る。
「というわけで、仕事が入りました。帰らせていただきます」
「……仕方がありません。ミヨには一人遊びをさせておきましょう」
 杏の発言に、ミヨはぎょっとなった。
「いやだーッ! 一人かくれんぼも一人鬼ごっこも飽きたもん!」
「それはどうやってゲームが成立してるんですかね……?」
 呆れ返る逆木を尻目に、ミヨは母親の袖を引く。
「今度はママが遊んでー」
「私は仕事中なのです」
「遊んでー」
 だだをこね始めたミヨの隣で、逆木がポンと手を叩いた。
「そうだ、おんぶしてあげればいいんっすよ。そうすれば仕事もできますしね」
 逆木の提案に、母娘は別々の反応を見せる。
「ママおんぶしてー♪」
「おんぶして何が面白いのですか? 体が触れ合うだけなのです」
「それでいいんですよ。ほら、お兄ちゃんが手伝ってあげるから、おんぶしてもらおうね」
「わーい♪」
 逆木はミヨを持ち上げると、そのまま杏の背中に乗せた。
 慣れていないのか、杏はバランスの取り方に戸惑いながらも、なんとか娘を背負う。
 まるで小学生が幼稚園児を背負っているような格好だが、逆木はとりあえず満足した。
「うーん、ママの匂いがするー」
 ミヨは杏の後ろ髪に鼻先を埋めた。
「それは洗浄液の匂いなのです」
 杏の訂正を無視して、ミヨは大人しくなった。
 逆木は微笑ましい(?)親子の姿に頷くと、床から学生鞄を拾い上げる。
「それじゃ、なるべく早く下ろしてくださいね。駅から遠くなりそうなんで」
「この近くに雑木林があったはずです。そこへ下りましょう」
 そう言って、杏は娘を背負ったまま、操縦室に戻って行った。
 逆木もその後についていく。
「杏さん、結構力持ちなんっすね……」
「私の筋力は、地球人で言うとレスリングのオリンピック選手並みなのです」
「……マジっすか?」
 道理でミヨも体格の割には腕力があるわけだと、少年は合点がいった。それと同時に、命の危険も感じ始める。
「そろそろ到着します」
 スクリーンに、小さな薮のようなものが映り込んだ。住宅地に囲まれたそれは、大きな池を伴って、だんだんと画面全体を占め始める。
 杏はミヨをおぶったまま、計器を操作し、宇宙船をスムーズに降下させた。
「光学迷彩も完璧です。早速下りましょう」
「あれ? 杏さんもですか?」
「この辺りはまだ未調査地域です。ついでに立ち寄って行きます」
「レッツゴー♪」
 杏は両手を上げ、コンピューターに転送を命じた。
 目の前が真っ白になり、逆木は一瞬にして雑木林の中にテレポートさせられた。
「えっと……駅への道は……?」
「そこの池をぐるりと回って、それから右手に進めば、大通りに出られます。そこから東へ真っ直ぐ進めば、駅前に到着するはずです」
 地図が全て頭に入っているのか、杏は少年に的確な支持を与えた。
 逆木はそこで別れを告げ、杏の指定した道の向こう側に消えていく。
「ママ、これからどうするの?」
 背中越しにミヨが尋ねた。
 杏はしばらく辺りを見回し、それから池へと視線を固定する。
「とりあえず、あの池の生態系を調べましょう」
 そう言って杏が雑木林から出ようとしたとき、ふいに背後で物音がした。
+注意+
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