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ファンタジー・恋愛

森の中の魔女のはなし

作者: 花しみこ




「あらまあ」


 呟いて、カティヤは白魚の手を頬に添えた。豊満な体つきは質素なシャツとパンツに包み、昨日の雨でぬかるんだ土が所々を汚している。紫色の波打つ髪は、まとめないせいで枝にかかり絡んでいた。

 背籠に詰まった薬草を摘んだせいで、手にもいくらか緑が移る。

 繊細で優雅な外見に反して、彼女はそのあたりちっとも気にせずにいた。森暮らしが長いせいで細かいことを無視し慣れているのだ。

 しかし、普段と違う光景には気を割かねばならない。

 月色の目をおっとりと細めて、カティヤはその非日常を認めた。

 倒れる少年の身体が、玄関を塞いでいたのだ。




 カティヤは魔女であった。

 由緒正しい、と言いたいところだが、魔女に由緒は存在しない。気づいたら魔女になっており、自覚が芽生え、能力が付く。代々の歴史もなければ、師弟関係もない、一代限りの個々たち。

 彼女は過去と未来を占うことができた。占いの方法を教わる相手もなければ、彼女を魔女と断じてくれる存在もなく、魔女になった。自分を占ったところ、魔女には三百の魂があるらしい。無駄遣いができるけれど、今のところひとつも失っていない。


 そんな力があってもカティヤは魔女を生業にはしなかったから、薬師に弟子入りして一人前を認めさせた。満足な生活をするのに、自給できないものを手に入れる手段が必要だった。今は町から少し遠い森の中、たまに薬を売りに出るくらいでひとりの生活をしている。

 占いの力は、発揮すればすぐに評判を呼んでお金も権力も好きにできるほどの精度だったから、ほとんど使わないできた。しかし、どこから噂を聞きつけるのか、草の根を分けても縋りに来る人間もいる。


 この少年も、そうなのかしら?


 垢と汚れで固まった灰色の髪も、サイズの合わないぼろぼろの黄ばんだシャツも、カティヤに渡せるものを持っているようには見えなかった。自分の身体を対価にして過去や未来を知りたい人間は、今に余裕があるものだけ。その点、少年は現在も満足に生きれていないようだった。

 「魔女の客」という案を却下し、近づいてしゃがむ。やせ細り、すえた臭いを纏っていた。意識はない。

 それだけを確認して、邪魔だったので扉の前からずらして家に入った。べたついていて不快だったので、最低限だけ動かして、身体はまだ家の前である。こんな森の中、最後に人が訪ねてきたのは半年と少し前になる。見咎める人間はいない。

 取り付けたばかりの不死鳥のドアノッカーが彼女を睨んだが、それだけ。

 厄介ごとを持ち込まれたらいやなので、手を洗ってから、少年の過去を占うべく水晶玉を取り出した。占いをすると言ったら薬師の師匠がくれたもので、たいした価値も意味もない。カティヤはこういった雰囲気作り、ごっこ遊びが好きだった。

 世間一般の占い師のように、適当な呪文をうにゃうにゃ唱え、何かを注ぐようにかざした手に力を入れる。未来よりも過去はずっと単純なので、視るのに手間がない。

 意味のない行為をたったひとり楽しみながら目を閉じて、先ほどの少年を思い浮かべればすぐに素性は知れた。



 少年は人狼だった。

 大昔、北の国で戦争のために生み出された半魔獣の種族。戦火であいまいになったその出自は、今では優劣なく他の種族と同等の扱いをされていると思ったけれど、彼はどうやら奴隷らしい。

 世界情勢に興味がないので、未だに奴隷制度があったのかとカティヤは感心した。この国ではなく、生まれはもっと北らしい。

 そこで奴隷から生まれた彼は主を噛み殺し、処分の名目でもっと奴隷制度の強い国に送られる最中、この森を通りがかったあたりで逃げ出した。奴隷商はそのすぐ後に盗賊に襲われ、壊滅。

 追っ手が居ないようなので、やっぱり放置に決めた。

 獣人にも獣性の強弱があり、彼は興奮しないと耳と尾が出ないほど弱い。ほとんど人間のそれはカティヤの興味をくすぐらなかった。二足歩行の獣めいた姿なら拾ったかも知れないが、現実そうではないのだからどうでもよかった。

 先ほど近寄ったとき、栄養も水も不足していて、傷口は汚れて、すっかり弱って見えた。カティヤは死体の捨て場所を夢想しながら、持ち帰った薬草の下処理にとりかかった。








「うわっ、何!? カティヤぁ!」


 メガシワ草をすりつぶし、よく煮たジーキツの実と混ぜ合わせ、小瓶にいれて冷ます……、カティヤがひととおり採集物の下処理を終え、鮮度の要るものを薬に変えている最中に、表から見知った声が彼女を呼んだ。

 思わず溜息を吐く。

 前は一年空いた。

 その前も一年。

 だから次にこの声が聞こえるのは半年後だと、ほとんど唯一の訪問客を想定していなかった。誰がいつやってくるのか、占えば避けるように予定を立ててしまう。

 彼女がやってきたことで、見捨てた厄介事を拾わねばならなくなってしまったので、カティヤは声の主に応えるべく作業を中断し、手を拭いた。服は帰ってすぐ、簡素なワンピースに変えていた。

 最後の抵抗とばかりに扉を開けないで待つ。相手はそんなことをちっとも気にしないとわかっていても、素直に受け入れたくない。勢いよく開かれた扉から、短く切られた赤髪の女が顔を出す。


「開けてもいいけど、ノックをしてちょうだい、ラウラ。」

「声かけたじゃん。」

「ノックはしてないわ。」

「似たようなもんでしょ。」

「せっかくノッカーを付けたんだから、活用してほしいのよ。」


 女性にしては背の高いラウラが扉を見ると、深い紫色をした不死鳥と目があった。手を伸ばすとじろりと睨まれる。

 不機嫌そうな態度に瞠目して、立ち上がったカティヤとノッカーの間で視線を行き来させる。それからラウラは不死鳥を指さして、口を開閉させた。


「その顔とっても間抜けに見えるわ。」

「悪かったね! ……じゃなくて、これ! 不死鳥じゃないかい!」

「そうよぉ。いい出来でしょう?」

「出来の話じゃなく、魂の問題だよ!」


 その言葉にカティヤはうふふと目を細める。

 不死鳥と魔女は相性が悪い。ただただ不死鳥が一方的に嫌っている関係ではあるが、いつだって近くには存在しなかった。

 それがこんな近くに、魔女の所有物となっている状況は異常である。不死鳥の身体は朽ちても蘇る。そのため、魂だけが分離してこんな石に宿されていることも不自然で、おそらく不死鳥にとってひどい屈辱だろうことはただの冒険者であるラウラにも容易に想像できた。


「と、閉じこめた……の……?」


 おそるおそる告げた言葉に、カティヤは魅惑的な微笑みでゆるり首を振った。占いはできるが、カティヤは魔法があまり使えない。閉じこめるなんて器用なことはできない。


「まさか! 町に出たらね、鉄鋼が積まれていたの。加工前の鉄鋼ね。丁度運搬の最中だったみたい。そこにこれ、ええと名前を付けたんだけれどなんだったかしら。テオドール……ルードヴィヒ……ああそう、ティードリヒ! そうよね?」


 顔を向けられた不死鳥は返事どころか顔すら向けない。カティヤは気にもせずに話を続けた。


「鉄鋼のひとつにティードリヒの魂、魔石が封じられて入っていて。火にいれられたところでどうってことないけれど、見つかるでしょう。そのままなら消えてしまうんだろうなあと思って、そうしたら、つい買い取ってしまったの。封じたのはわたしじゃないわ。」


 うふふん。

 楽しげな笑みに、内開きの扉でティードリヒが鳥の顔を器用に歪めていた。

 魔獣は心臓に魔石を有している。

 それらは通常、死と共に魂を失い、人に利用される動力源に変化するのだが、不死鳥は魔石が壊れようとなかなか魂を離さない。そしてすぐに身体を再生し、新たな生を始める。しかしこの鳥は間抜けにも封じられ、弱り、魔力を作れないために身体も得られず、放っておけばただの魔石と同じように力を使い果たされ魂が掻き消えるところだった。

 カティヤはいわば命の恩人だ。たとえ死なぬことに誇りを持つ不死鳥が、魔女の所有物になるくらいなら屈辱の死を望んだとしても。

 封印を解かずにノッカーに加工したのは悪ふざけだけれど、魔力を作れないそれの代わりにカティヤが魔力を与えてやって、思考もできるようになった。感謝されるのにもじゅうぶんだ、いっそうの屈辱なんて知らない。


 ラウラは興味に憐憫を滲ませ、まじまじと見つめたまま部屋に踏み入った。扉が閉まる、カティヤは面倒事をしばらく放置できそうな流れに微笑んだ、が、しかし。


「う、うぅ……」


 小さく漏らされたうめき声に、ラウラが足を止めて勢いよく振り返り、「そうだよ! これ!」と表の行き倒れを指し示した。思い出す必要なんてちっともなかったというのに、なんとも間が悪い子供だ。

 今を乗り切っても帰りに彼女の目に留まることはわかっていて、たいした時間稼ぎにもならないと知っていても、その間に絶命することを期待していたから聞こえないように舌打ちした。


「ただの行き倒れ人狼よ。めずらしいものでもないでしょう?」

「珍しかないけど、家の前だよ!? 助けてやんなよ!」

「やあよ、なんで無償で慈善活動なんてやんなきゃいけないの。ラウラが助けたいなら、今から町に運んであげたらいいのよ。」


 開きっぱなしの扉からノッカーが呆れた目を向けてくる。不死鳥は近づく者みなを殺すことだってあるくせに、なんでそんな目を向けられなければならないのか。

 どう考えても、薬師として人々に貢献し、死ぬ間際の不死鳥に器を与えてやったカティヤの方が慈悲深い。

 人生は運とタイミング。

 平らにならせば自分のほうが格段に上でも、判断される要所で慈悲深さを発揮できないなら無慈悲と言われても仕方ない。自分の方が上でも。自分の方が慈悲深くても。

 大して気にもしていないというのにわざわざそんなことを思って、けれどやっぱり人狼を助けてやろうとはならなかった。

 もしも意識が残っていて、本人がカティヤに助けを求めたなら、それを撥ねつけるほど冷酷ではない。

 ただ、求められてもいないのに助けてやるのはいやだ。面白そうならまだしも、そうじゃないのまで無差別に差し伸べるほど手は余っていない。心から助けたいと、気になったのだと言い切れるものにだけ、手を伸ばそうと決めていた。優しい嘘など吐きたくもない。

 興味だけがカティヤを動かす。

 やりたいことだけをやる生活が、見殺しにしても湧かない罪悪感にはぴったりなのだ。


 ラウラはそんなカティヤに溜息を吐く。ただの人間である自分よりずっと長く生きるせいで、カティヤは自分から行動するのがひどく苦手だ。

 責任をとりたくないのだろう。

 優しさで抱え込むそれと傲慢で押しのけられるそれを比べて、傲慢を選んだ。支え続けられないと見切った。あるいは、それは彼女が未来を視るからかもしれなかった。非道い未来を変える、そんな優しさにはすべての結果の責任を思う。視ただけならば、それで終わり。

 行動した責任と行動しなかった責任、カティヤにとっては前者が重い。

 どちらでも、見捨てるのに罪悪感があるだけのラウラにはあまり関係がないのだけれど。

 人狼の気持ちも未来もどうでもいい、ただ今目の前で死なれたらいやだから、ラウラはカティヤを利用するのだ。


「じゃ、助けたいから手伝ってね。ベッド貸してよ、あと薬草ね!」

「お金払ってちょうだいよ。」

「人狼の成長に期待! 出世払いでいいでしょ」

「出世、ねえ。」


 さっきまでの微笑みを打ち消して、それでもカティヤは受け入れた。

 町に運べとも言わない。助けてほしくなかったと言われたらラウラのせいだから。客間のベッドから上掛けを外し、横たえやすいように整えた。

 ラウラは冒険職についているだけあって、女ながらに力強い。やせ細った子供一人ひょいと抱え上げ、運んだ。

 少年から漂う悪臭に、カティヤはにおい消しのポプリを大量に取り出しながら、彼の使ったシーツを捨てるべきか考えていた。身体を拭く布は古いものにしようと決めた。








続きを書こうかどうしようか

小話まとめ http://ncode.syosetu.com/n3417cl/ におまけがあります。

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