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旅順海軍工廠
 
 帝国海軍旅順工廠が計画されたのは昭和10年の事であった。当時、日本国内の造船施設の増強がほぼ限界に近づいていたため、海軍は来たる対米戦争に備えて、新しい造船所の建設予定地を探していた。そして目に留まったのが満州国からの租借地であった旅順であった。

 元ロシア太平洋艦隊の拠点であった旅順はこの当時は主に陸軍の揚陸拠点になっていたが、海軍はそこに新しい造船所の建設計画を立ち上げた。

 当時、帝国海軍では51cm砲を9門持つ12万t級戦艦の建造計画があったため、それを造れる広大なドックが必要であった。旅順には日本にはないそのドッグを作れるだけの土地の余裕があり、労働者の確保も見込むことが出来た。

 着工開始は昭和11年4月のことであった。一応日満の合同事業とされ、建設費用の半額は満州国が出した。ただそれでも日本側の負担額は大きく、日本側は大和級戦艦3・4番艦の建造を中止せざるえなかった。

 ちなみに、この年造船所や旅順配備の艦艇を指揮する旅順根拠地隊が新たに発足した。最初の司令官は豊田副武中将であった。

 工廠の建設には多大な時間を要するものであるが、戦争に備えた突貫工事により、旅順工廠は昭和14年5月に完成した。その設備は15万t級ドック2基に、1万t級ドック5基という大掛かりなものであった。

 この内15万t級ドッグは、他に類を見ない超大型ドックであった。この大きさであれば、12万t級戦艦も楽々と建造できた。

 ただし、戦争の足音が近づいていたため、建造に莫大な時間を食う12万t級戦艦の建造は中止になっていた。そのかわり、旅順工廠では捕獲艦の改装や改秋月型防空駆逐艦の建造が急ピッチで行われた。また、昭和15年には「金剛」級戦艦の代艦として設計された「高千穂」級戦艦の建造も開始されている。

 「高千穂」級は超甲巡の拡大型で、排水量38000t、40,6cm砲6門、10cm高角砲20門、最高速力31ノットの高速戦艦であった。同型艦と合わせて4隻が建造された。

 最終的に旅順には大掛かりな軍港設備は置かれなかった。湾口が狭く、軍港として不適格とされたからだ。しかし、満州国海軍の司令部が置かれ、また日本側も先に述べた旅順根拠地隊として小艦艇を置き、近郊の飛行場には防空戦隊を配備した。

 旅順は戦線から遥か後方にあったため、終戦まで機能し、日本海軍を支え続けた。その後、昭和35年の日満条約で租借期間が短縮され、最終的に平成4年<1992年>に満州国に返還された。


 この話の元ネタは学研の不沈戦艦紀伊です。また、超甲巡の戦艦転用はコスミック出版の独立愚連艦隊に登場する戦艦相模級が元ネタです。


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