新内閣発足と本土初空襲
昭和17年4月下旬。日本国内に激震が走った。東条首相が、陸軍を閲兵中の事故で負傷、退陣を余儀なくされたのだ。
これは一大事であった。戦時における政治の空白は国家にとって致命傷になりかねないからだ。
直ちに米内予備役海軍大将を首班とし、陸軍大臣に永田大将、参謀総長に梅津大将、海軍大臣に山本大将を置いた新内閣が発足した。
しかし、それでも2週間の空白が出た。その間を突くように米軍の本土空襲が起きた。
その日本土に接近中であった米機動部隊を、日本の特設監視艇「第23国東丸」が発見した。漁船改装の監視艇ゆえに武装が貧弱であったため、最終的に同船は撃沈されたが、沈没までに4通の敵発見と位置を記した電文を打った。
しかし本土の司令部はその位置から、空襲開始は翌日と判断した。もし、このままの判断であったなら、この時燃料不足を承知で出撃した米爆撃隊に裏をかかれただろう。ところが、運命の女神は思わぬシナリオを用意していた。
ちょうどこの時、爆撃隊の進路上に一隻の船がいた。その船は海軍の新型哨戒艇200号型の201号哨戒艇であった。
この200号型は、広大な太平洋上での哨戒を目的に、遠洋漁船をベースにして建造された戦時量産型哨戒艇であった。
この時期、太平洋上の哨戒は、漁船を徴用した特設監視艇が行っていたが、貧弱な武装に低速度のため、敵に見つかったらおしまいであった。また、徴発した漁船の分の水揚げ高の低下も問題であった。そこで、海軍は新規で簡易な哨戒艇を作る事となった。
200号型哨戒艇は、遠洋マグロ漁船をベースとして建造された。無論、漁船と違い戦闘を前提に設計されている。武装は25mm3連装機銃1基。12,7mm単装機銃2基、爆雷8個であった。
なお後期型は対潜水艦戦闘を考え、より強力な8cm高角砲を1門装備している。最高速力は16ノット。
201号はこの日初陣であった。そして、敵発見の報を受け、全速力で走っていた。その時、接近する機影を捉えた。当初乗員達は味方と思ったが、先頭を飛ぶ機体がB25であり、星マークを認めた。
既に、戦闘配置についていたため艇長の結城学大尉は直ちに対空戦闘を下令した。それとともに、201号の機銃が一斉に発砲した。
しかし、敵編隊は半ば通り過ぎた後であった。それでも、最後尾の2機を撃墜し、1機に致命傷を負わせた。この3機は関西方面を爆撃する予定であった。ついでに言うと、残る13機も201号の通報を受けて待ち受けていた戦闘機隊により全機撃墜された。
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