講和
マリアナでの痛み分け、そして真珠湾壊滅は米側に大きなショックを与えた。
その中でとりわけ大きかったのはルーズベルト大統領の急死であった。これによって大統領はトルーマンに代わった。彼としては、これ以上戦争を続ける意義はもうなくなっていたのと、このところ急速にその勢力拡大を図る共産主義に脅威を持ったため、スイス経由で日本に講和をもちかけた。
日本にしてみても、もはや経戦能力はなく、潮時であった。
昭和19年10月25日、日米は停戦し、太平洋から戦火が消えた。
講和条約はオーストラリアで行われ、約3ヶ月の緊迫した議論が続いた。
そして、昭和20年2月28日、講和条約調印。翌日施行された。
日本は南洋諸島の非武装化、ならびに満州を含む全占領地からの撤退を行い、さらに軍備も大きく削減することとなった。また、満州の門戸開放も行われた。
これは日本にとって相当な譲歩であったが、国力で勝る米軍と戦った結果ならよしとせねばならなかった。
米軍もグアムの非武装化、ならびに軍備の縮小を確約した。そしてアジアの各植民地の独立を承認した。
リメンバー・パールハーバーの敵は取れなかったが、満州などの新しい市場を開拓できることは米側の大きな利益となった。
かくして、3年近くに及んだ太平洋戦争は終わった。
その半年後、日本では海上警察の役割を担う海上保安庁が発足した。その多くの人員、装備は海軍の物であったが、その中に、真っ白に塗られた2隻の平甲板型駆逐艦の姿もあった。
彼女らは、返還の必要なしとされ、日本に残された、そして状態の良かった数少ない幸運の船であった。
激動の時代を見てきた彼女らは、余生を海の平和を守るために送ったのであった。
約8ヶ月の連載を終了できるのも皆様のおかげです。今後ともよろしくお願いします。
ご愛読感謝します。
評価
ポイントを選んで「評価する」ボタンを押してください。
ついったーで読了宣言!
― お薦めレビューを書く ―
※は必須項目です。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。