マリアナへ
昭和19年6月。米軍は東京、名古屋、神戸などへの本土空襲を開始した。
米軍はマリアナ占領までまだまだ時間が掛かると判断し、なんと中国からの直接空襲を開始した。もちろん、航続距離がもたないのは分かりきった事であったが、米軍はそれを空中給油という手段で解決した。
この空中給油機は、主に黄海上で給油を行い引き返す事から、日本側としては打ち落とす手段がなかった。
そのため、本土への直接侵入を止める手立てはなかった。
もっとも、米軍も欧州戦線との兼ね合いから、成都飛行場に配備できたB29は全てあわせても400機程度であった。
これは成都飛行場に補給するには、ヒマラヤ越えの空中輸送しか方法がなく、補給面で大きな制約を受けた事が大きな原因であった。これにより前述の機体数のみならず、爆撃回数も大きく制限を受けた。週に1度爆撃できれば御の字という所であった。
戦略爆撃隊にしてみれば、早くマリアナを占領して欲しい所であったがその願いが終戦まで叶う事はなかった。
一方、攻撃される側の日本でも、この優秀な性能を誇る敵超重爆撃機の対策に四苦八苦していた。
B29はそれまで日本の戦ってきたいかなる爆撃機よりも高いところを飛び、爆弾を積め、そして速力が速かった。
日本側の防空体制は、独逸からの技術輸入である程度高まりつつあった。しかし、それでもかなりの面で準備不足があった。とくに、防空戦隊の拡充は急務であった。
この時期、日本本土にある防空用戦闘機は九州から北海道まであわせても1000機程度で、この内B29迎撃可能な戦闘機は300機程度であった。
これは防空用戦闘機の大半は零式戦であったからだ。
そのため、軍上層部は北九州への爆撃開始後、急いで台湾から双発戦闘機や局地戦闘機の部隊を呼び戻している。
双発戦闘機は殆ど屠龍装備部隊で、本土帰還後は順次雷龍に更新しつつあった。
また局地戦闘機部隊は大半が迅雷装備部隊であったが、こちらも排気タービン装備の紫電改への更新を行っている。
これらが整備されていくと、如何にB29といえど長距離飛行は厳しく、日本側の防空体制強化により被害はうなぎのぼりした。
そして、これが米軍のマリアナ侵攻を早める事となる。
おまけ
帝国陸軍輸送潜航艇
全長80m 排水量960t 速力19,8/8ノット
武装53,3cm魚雷発射管4門
20mm機関砲
陸軍が呂35型をベースに建造した潜水艦。輸送型と攻撃型がある。
林譲治先生の興国の楯に登場。
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