講和への道
昭和19年3月、欧州方面での戦争の終結が近づいていたこの頃、日本とイギリスの間でまだ小規模ではあるが、講和へ向けての交渉が、スイスジュネーブで始まっていた。
この時期の英国は独逸との大戦で国力を大幅に疲弊しており、独逸との講和後日本と戦うのはさらに国力を疲弊させる忌々しい状況であると言えた。また、すでに植民地を管理する余力もない。そこで、日本のスローガンであるアジア解放を認める方針を日本側に通告した。
もちろん、英国としてはあくまで日本と講和後自分達の手で独立させ、その影響力を残したたいと考えていた。
後に、昭和19年8月に暫定的に結ばれる事となる日英休戦条約では、インドは英国、マレーを日本の手で独立させ、そしてシンガポールは両国の手で独立させ、日本は英国の香港の租借を認めるという線で落ち着くこととなる。
この舞台裏には、チャーチルと講和特使に命じられた吉田茂との間で相当な駆け引きがあったとされている。
一方、米国との講和は、米軍が徹底抗戦の構えを見せた事から、それ相応の打撃を与えない限り無理と考えられていた。
この時期海軍では、米本土攻撃こそ出なかったが、ハワイ真珠湾軍港を再度徹底的に叩くべしという意見が真剣に論じられていた。
米軍は中部太平洋での攻勢を強め、着々と日本に近づいてきていた。日本軍は各所で防戦し、米軍に損害を与えてはいたが、米軍の物量の前には限界があった。さらに、先月からはB29による本土空襲も始まった。この時点ではこの空襲は九州方面のみであった。しかし、4月に米軍は成都基地に空中給油機を配備し、中国、関西方面へも空襲を開始する事になる。
もしこの状況でマリアナ方面まで米軍が進出したら、それこそ死活問題である。日本軍は中部太平洋戦線を守りきり、なおかつ米軍、いや米国に大打撃を与える戦略が必要であった。
そんな中、日本軍上層部に衝撃を与える事件が発生した。トラック島空襲である。
おまけ
帝国海軍実験空母「陸奥」
全長 排水量35000t 速力30ノット
武装 12,7cm砲8門
25mm機銃20門
搭載機80機
羅門祐人先生の独立愚連艦隊に登場。
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